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松山晋也『ピエール・バルーとサラヴァの時代』を読む・2 [本]

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Pierre Barouh (http://www.purepeople.comより)

松山晋也『ピエール・バルーとサラヴァの時代』を読む・1 (→2017年10月01日ブログ) のつづきである。

サラヴァの寛容で何をも受け入れる精神は、それだけでみれば理想的な形態であったが、経済的なアバウトさから生じるリスクも伴う。脆弱なシステムにつけ込む悪人は必ずいるもので、サラヴァは倒産の危機に直面する。
本の後半はそうしたサラヴァとバルーを救った日本人たちについての記述である。

松山晋也はキー・パーソンとして立川直樹と牧村憲一をあげているが、それまでのサラヴァからリリースされた音楽に魅せられた多くのミュージシャンがその救済にかかわったことはもちろんである。そしてバルーの3人目の妻となった潮田敦子によってサラヴァはその命運を長らえた。
そうした裏側の事情は私のような一般リスナーにはわかるべくもないが、例えばフォンテーヌの《フレンチ・コラソン》(French Corazon, 1988) が突然、日本のレーベルであるmidiからリリースされたりすれば、何となく台所事情は感じ取れるものである。

日本人ミュージシャンたちがサラヴァの再建に協力しようとしたのは、ひとえにそれまでのサラヴァの音楽的遺産へのリスペクトがあったからである。フォンテーヌ、アレスキ、イジュランといった人たちだけでなく、ジュリー・ダッサン、ダヴィッド・マクニール、ルイス・フューレイ、ジャン=ロジェ・コシモンといった人たちがどのようにサラヴァと関わってきたかを知ると、バルーの大きな包容力にあらためて驚かされる。
特にコシモンを世に出したことをバルーは誇りに思っているという。コシモンはレオ・フェレの共作者であったが、自分のアルバムを出そうとはせず、バルーに背中を押されて初めてのアルバムを作ったのは彼が52歳のときだった。コシモンは緊張して、なかなか録音がうまくいかなかったが、バルーが 「リズムもテンポも考えずに歌っていいよ」 とサジェスチョンした後、突然録音ははかどったのだという (p.138)。その後、コシモンは呪縛が解けたように6枚のアルバムを作ったのである。コシモンにはカトリーヌ・ソヴァージュへの提供曲もあるが、キャリアの長い、最も正統的なシャンソンの系譜に連なる人である。トータルな目で見ればこれはサラヴァとしては異質のようにも思えるが、異質であって異質ではない。

サラヴァの音楽に強く影響された高橋幸宏は、最初のソロ・アルバムのタイトルをサラヴァとすること、ジャケット写真はパリで撮ること、というのをあらかじめ決めていた。そして、できあがったのが《サラヴァ!》(1978) というアルバムだったのだという (p.168)。

興味をひくエピソードのひとつに、牧村憲一の指摘する資生堂のTVCMがある。1973年のCM 「アイエア・ビューティケイク」 の音楽として使用されている〈窓いっぱいの夏〉という曲は廣瀬量平の作品だが〈ラジオのように〉の雰囲気があるとのことなのである。YouTubeで聴いてみると、パーカッションや木管のからみの技法は、まさにその通りで、逆にいえば4年経つと最先端のものが大衆的レヴェルに下りてくる現象なのであり、それはファッションにおけるコピーの伝播の様子と相似形であるように思える (と書くと歯切れが悪いが、ズバリと言えば、最先端のオリジナルは時差を経て劣化コピーされるのだということである)。

バルーがかかわったテアトロ・アレフという演劇グループの、タイトルでもあり曲名でもある〈ラスト・チャンス・キャバレー〉、牧村が何度もサラヴァに呼ばれているように感じ、そして最後に重要な役割を果たすことになったのも一種のdestinyであり、まさにそれはラスト・チャンスだったのである。
そのあたりの細かい推移は本書の記述に譲るとして、テアトロ・アレフにおけるバルーの演じた役は、砂漠に不時着したフランス人パイロットだったこと (p.198/サン=テグジュペリを連想させる)、そして主宰者のひとり、アニタ・バレッホのバルー評として 「彼はスパイラル (螺旋)」 だという言葉が心に残る (p.200)。螺旋は終わりがなく、永遠に動いているから、というのである。

イヴ・モンタンとの話も印象深い。モンタンは〈ラスト・チャンス・キャバレー〉を録音したいと願っていたのに、その予定の3日前の亡くなってしまったこと、しかし半年後に実はモンタンは (無断なのだが) 録音をしていたのだとわかったこと、それを聴くバルーの心情を想像するだけで音楽のかけがえのなさを知る (p.204)。
それは他のアルバム紹介のなかで、カルロス・プエブラの〈アスタ・シエンプレ〉(Hasta Siempre) をバルーがカヴァーしているエピソードを読んだときも同じで (アスタ・シエンプレが何度も私の前を通り過ぎることで、この曲がどれほど重要な曲なのか私にもやっとわかってきたのだが)、歌い継がれる曲とは、どんなものにも屈しないという音楽の強さを持っていることをあらためて確認する。すぐれた曲は、かたちがなく抽象的かもしれないが、滅びることがない。

     *

もうシュンを過ぎてしまったかもしれない河野悦子より校正チェック。p.135のアルバム《Alibis》写真のキャプションはキャロル・ローレ、1978と表記されているが、本文中ではキャロル・ロール、リリースも1979年とある。どちらかに統一して欲しいものだ。


松山晋也/ピエール・バルーとサラヴァの時代 (青土社)
ピエール・バルーとサラヴァの時代




Brigitte Fontaine/comme à la radio (コアポート)
ラジオのように




Jean-Roger Caussimon/Nous Deux
https://www.youtube.com/watch?v=-ct87KEbdqg

Pierre Barouh/Au Kabaret de la dernière chance
https://www.youtube.com/watch?v=zdLTEbPlpME

Yves Montand/Le Cabaret de la dernière chance
https://www.youtube.com/watch?v=6mk-LhEgqwY

Yves Montand/Le Cabaret de la dernière chance (full)
https://www.youtube.com/watch?v=CBAC-kEPsZU

Brigitte Fontaine/Comme à la radio (1969)
https://www.youtube.com/watch?v=Tn_Nk_rAAaA

廣瀬量平/窓いっぱいの夏 (資生堂 「アクエア・ビューティーケイク」 CM曲 1973)
https://www.youtube.com/watch?v=O01_Gql9s-4
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