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ミシェル・コルボのマタイ受難曲 [音楽]

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Michel Corboz, 2011 (RTS Culture より)

ミシェル・コルボ (Michel Corboz, 1934-) のバッハを聴いている。フォーレの《レクイエム》をクリュイタンスの同曲と比較するつもりだったのだが、なぜかバッハになってしまった。コルボの2つのパッションとロ短調ミサ、そしてマニフィカトは、現在入手しやすいのがタワーレコードから出ているエラート盤であり、最初に国内盤がリリースされたときの解説が再録されているので便利である。
録音はヨハネが1977年、ロ短調ミサとマニフィカトが1979年、マタイが1982年のものである。

コルボの録音は、カール・リヒターのそれと比較されやすいが、それはどちらもローザンヌ、ミュンヘンバッハといういわゆる手兵を持っていること、そしてどちらもピリオド楽器でないことがあげられるが、リヒターの解釈への峻厳、孤高といった形容に対して、コルボは合唱のクォリティの高さ、柔らかな響きといった対照的な印象で語られることが多い。
それは確かに納得できる。コルボの音は美しく、合唱部が見事に調和していて、官能的といってよいほどの響きとなる。ではそれが一種のロマン派的解釈によるバッハかというと、それは違う。

受難曲というフォーマットはバッハ以外にも数多く存在するが、その構成力と完成度においてバッハは突出しており、凌駕するものはない。また、カンタータやミサ曲とは異なり、といってオペラとももちろん異なり、やや複雑な構造であるため、聴くのに覚悟がいる (特にリヒターではそうだ)。しかしコルボの場合それが無く、簡単に (といっては語弊があるかもしれないが) 最後まで聴き通せてしまうという特徴があるようだ。
それは単純に口当たりのなめらかさなのかもしれないが、曲全体を的確に把握しているからこそ可能な説得性に他ならない。そして受難曲もまた一定のパターンによる展開であることを認識すれば、キリスト教への理解とか通暁とかとは関係なく、音楽に入り込むことができるはずである。

過日、NHKのEテレで〈鈴木雅昭のドイツ・オルガン紀行〉という番組の再放送があり、少しだけ観ていた。鈴木雅昭が各地の由緒あるオルガンを弾き較べるという内容である。
巨大な教会の伽藍のなかに組み込まれている巨大なパイプオルガンというシステムは、それを作り得た時代の特質ということにおいて、たとえば日本の仏像や寺院が隆盛をきわめた時代の、今から見ると強く堅固な熱情に驚くのに似ている。それらは信仰心の高さによってもたらされたものなのだろうか。
しかしオルガンはそのアナログなインストゥルメンツによって、特に裏側の造作などから、まるでスチームパンクのような幻想を呼び覚ます。

その番組のなかで演奏されたファンタジア G-dur BWV572は定型的な曲とは異なり、自由でアヴァンギャルドで、バッハの応用力の広さと想像力の深さを感じる。というより、それは一種の謎である。日常的な教会用として用いられる、使い捨てのようにして消費されていた多くの曲があったのにもかかわらず、それらとは全く違っているようにして抽出された響き。
バッハは《音楽の捧げもの》(BWV1079) に見られるように時として抽象的であり、突き放した目で見れば単なるマテリアルなのだ。それはどういうふうに演奏されてもバッハであり、その 「しるし」 が失われることはない。だからコルボとリヒターを較べることには意味がないし、そのどちらもが同等にバッハなのである。
サイズについても同様で、微小なインヴェンションでも長大なパッションでも、バッハという署名が刻まれていることにおいては違いがない。

マタイのクライマックス。たとえばコルボのマタイdisk3の冒頭、NBA第50曲、エヴァンジェリストの 「しかし、彼らはますます激しく叫んで言った Sie schrieen aber noch mehr und sprachen」 に続くコーラス 「十字架に気をつけろ Laß ihn kreuzigen!」 という言葉が繰り返されながら積み重なるスリリングさ。
そして第52曲 「私の頬をつたう涙が Können Tränen meiner Wangen」 のアルトのアリアにからむシンプルな弦の毅然とした美しさ。
弦の瞬間的な美しさは第61曲の合唱II 「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう Halt, laß sehen, ob elias komme, ud ihm helfe!」 も同様である。そしてそれは第62曲のコラールの暗い合唱に引き継がれる。
第65曲のバスのアリア 「わが心よ、みずからを浄めるがよい Mache dich, mein Herze rein」 における歌にからみつくような弦、そして間奏部の優美なリズムはまもなく曲が終わってしまうのが予感されるので、余計にいとおしい。ここから終曲の第68曲までの一気に駆け抜ける連鎖は、柔らかく律動的で、そして敬虔であり続ける。

このコルボ盤が録音された1982年、その前年にリヒターは亡くなっている。コルボのアプローチは、マタイが決して特殊な曲でなく、それでいて最もバッハの息使いを感じさせる作品であることをあらためて教えてくれる。


Michel Corboz/J.S. Bach: Matthäus-Passion
(Elato/tower records ワーナーミュージック)
http://tower.jp/item/3848769
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Michel Corboz/Bach: Mass in B minor
https://www.youtube.com/watch?v=g1CM0Dv_K-c&t=127s
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