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タブレット純『音楽の黄金時代 レコードガイド』を読む [本]

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書店でタブレット純の本があったので買ってみる。帯の推薦文が高見沢俊彦で、その本全体から醸し出される妖しげなキモチワルサに騙されてしまった。『タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド [素晴らしき昭和歌謡]』というタイトルである。
タブレット純はAMラジオのラジオ日本でDJ番組を持っていて、その放送が元となった内容である。

最近、昭和歌謡ということがよく使われて、もうすぐ平成も終わろうとしている今、そのうち、かつての 「懐かしき明治時代」 と呼ばれたような文脈で昭和も語られるようになるのだろう。ひとくちに昭和歌謡といっても幅広く、いわゆる歌謡曲からグループ・サウンズ、フォークソング、そしてニュー・ミュージックまで。
タブレット純自身は、和田弘とマヒナスターズの最後の歌手・田渕純であり、マヒナスターズ的な歌を 「ムード歌謡」 と称しているが、つまり音楽のジャンル分けは、ニュー・ミュージックというジャンル用語に表されるように、ごく恣意的で曖昧である。

この本にひっかかったのは、ぼんぼちぼちぼちさんのブログでザ・タイガースの映画の記事があり、そこから触発されてグループ・サウンズの古い動画を検索していたらハマッてしまったのに影響されている。その前に、中村晃子/ジャガーズという映画からのクリップを観て、これ新鮮だよな、と思ったのだが、結局記事にするだけの知識がないのでそのまま没にしてしまった。
ヴェンチャーズをはじめとするギター・インストゥルメンタルを中心としたいわゆるエレキブームからグループ・サウンズの爆発的ヒットへの流れは、後年、ガレージ・パンクの一種として再評価的なこともされたが、実際のガレージ・パンクとは少し違うし、昭和史のなかでもう少し正当に語られるべき時期になっているのかもしれないと思う。この本もそうした一環なのではないだろうか。

この前、グループ・サウンズの動画を観たときの率直な感想は 「意外に上手い」 であった。たしかに年代も経っているし、今のJ-popのように洗練されてもいないしテクニックもイマイチだが、逆にいえばそんなに産業化されていなくて、ごく初歩的で稚拙なパブリッシングのように見えるのだけれど、そのエネルギーの使い方が新鮮なのである。今のJ-popは確かに高度にはなってきているけれど、経済効果優先であるし、なによりその結果として海外からの音楽が入りにくくなっていて、今の日本は音楽的鎖国状態にある。だが昭和歌謡の全盛期の頃にはまだ、音楽はもっと垣根がゆるくフリーであったように感じられる。

タブレット純は、GSブームがあった頃にリアルタイムで聴いていたわけではなくて、後追いなのだけれど、後追いのほうが冷静に見られるし、資料も充実しているので、かえって正確にそれを知ることができる、と言っているが、なるほどと納得できるし、後追いの多い私の音楽体験の免罪符にも思えて、ちょっとホッとする (それにクラシック音楽の場合はすべて後追いだから、音楽なんて後追いのほうがいいのかもしれない、とまで思ってしまう)。
だが、タブレット純の知識はすごくて、坂崎幸之助がフォークの知識についてオレは負けたと高見沢に言ったそうで、そして高見沢も、グループサウンズでやっぱり負けたのだそうである。最近だと半田健人なども昭和歌謡への造詣が深いが、タブレット純が半田とは少し違ったスタンスなのは、やはりマヒナスターズでの経験という部分があるからではないだろうか。

高見沢俊彦との対談のなかで、グループ・サウンズについて語られていることが興味深い。

 高見沢:逆にブルー・コメッツは上手いと思っていたけれど、髪型に拒
 否反応があったくらいで。あまりにもアイビー過ぎるというか……あれ
 って007のジェームズ・ボンドを意識していたらしいね。(p.026)

髪型云々はよくわかるが、それが007の影響というのは言われてみないとわからない。ツアーのとき、彼らはボンドふうにアタッシュケースなどを持って武装していたのだそうで、いまだと失笑モノだがそこが昭和の時代たる所以である。
ネットにある動画をあらためて観てみると、やはりブルー・コメッツは圧倒的にテクニックがあって今でも通用するように思えるが、「少し年齢は上だけど、今グループ・サウンズが流行っているからやってみました」 的な雰囲気があることは否めない。
それはマヒナスターズはもともとハワイアンであったのに、流行におもねり、結局そのルーツとなるハワイアン・バンドが衰退してしまったのだ、とタブレット純が指摘しているのと同様である。時節の流行に影響され過ぎるのは考えものである。

 純:歌謡曲やムード歌謡だと、感情を込めるところがわかるんですね。
 だけどGSの曲は、どこに感情を込めていいか、よくわからない。
 (p.028)

そのように新しいスタイルの曲が入ってくることが、今までの作曲家の先生vs生徒という旧弊な師弟関係の続いていた歌謡曲業界を変えていったプロセスのひとつであったのだという。

高見沢はTHE ALFEEがブレイクするまでの試行錯誤について語っているが、〈メリーアン〉が《我が青春のマリアンヌ》(1955) というドイツ映画のイメージをふくらませたものなのだということは初めて知ったし (といっても肝心の映画さえ知らないが)、またCSN&Yから出発したガロに対する2人のそれぞれの評価など、歌謡曲のテリトリーに次第に呑み込まれてしまった悲劇が感じられて読ませる。
グループ・サウンズの最盛期はほんの2年間くらいだとタブレット純は規定しているが、そうしてあっという間に終わってしまったけれど、日本の音楽業界には多大な功績を残したと高見沢は評価している。

タブレット純をDJ番組に抜擢したプロデューサーであるミウミウとの対談も面白い。どんどんマニアックにいこうとするタブレット純に対してミウミウは番組を成立させるための誘導をかける。

 ミウミウ:マニアックなファンの中には、筒美京平特集で郷ひろみの
 「よろしく哀愁」 はかけないでくれって人がいるわけです。でもやっぱり
 筒美京平だったら 「よろしく哀愁」 はかかるだろうって期待している人
 はいっぱいいるんですよ、その何倍も。そういうことなんだよね。メジ
 ャーな曲と知られざる曲、そのバランスが大切。(p.106)

ミウミウは、知らない曲を連続してかけ過ぎるのはよくない、ベタでもところどころに有名曲を入れると、知られざる曲がより引き立つのだと説くのである。

本の大半は、昭和歌謡を年代別、テーマ別、作家別にまとめてあり、ところどころ重複している情報もあるが、ごく簡単だけれど的確にその曲を解説していて、増田明美のマラソン解説に似て、とても納得できたりする。だが大半は知らない曲ばかりなので、それがちょっと歯がゆい。
それと昔の歌謡曲のEP盤のジャケットはスミ+色の2色刷だったりして、いかにも昔風な素朴さが目をひく。
森田公一とトップギャランのヒット曲〈青春時代〉の歌詞の冒頭 「卒業までの半年で」 という部分は当初、「酔いどれ坂の七曲がり」 だったのだそうで、ディレクターと音楽出版の人が作詞者の阿久悠と大げんかして、結果として今の歌詞になったのだとのこと。もともとは、いわゆるバンカラなイメージで作詞された曲らしいのである。タブレット純も 「フォーク」 として分類している。「酔いどれ坂の七曲がり」 じゃ、ちょっと……ねぇ。

タブレット純の、なるべくやらないことのひとつとして 「なるべく、ウィキペディアは使わないようにしたい」 というのがあって、何事も安易な手段・方法に流されないのが大切であることをあらためて思った。


タブレット純/音楽の黄金時代 レコードガイド (シンコーミュージック)
タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド [素晴らしき昭和歌謡]




田渕純/花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=_SMAbV1JlUU

そんな事よりタブレット純 第1回
https://www.youtube.com/watch?v=z9jrWn2tzAs
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