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稲増龍夫『グループサウンズ文化論』を読む [本]

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前記事のタブレット純の続編として稲増龍夫の『グループサウンズ文化論』を読んでみた。もっとグループサウンズに特化した内容で、『中央公論』に連載された当時を知る人たちとの対談をまとめたものである。

稲増龍夫はグループサウンズにシンパシィを感じて、当時のグループサウンズのシングル盤を蒐集し、435枚のパーフェクト・コレクションを達成したのだそうである。435枚というはっきりと明快な数字がなんともすご過ぎる。それまで彼は1万枚のジャズレコードのコレクションを持っていて、その半分を売り払ってグループサウンズに入れ込んだとのことで、ジャズレコードもったいない、というような気もするが、嗜好は人それぞれなので仕方がないことである。

稲増の論理は明快であって、当時、爆発的な人気となったグループサウンズというものが、あっという間に凋落し、日本の音楽史における徒花のような扱いを受けているが、もう少し正当な評価があってしかるべき、ということである。
それに対する反応は対談者によってまちまちで、その視点の違いが非常に楽しめる。

近田春夫は、80年代にジューシィ・フルーツをプロディースし、いわゆるネオGSブームにもかかわったはずだが、B級GSについて、どこに魅力があるかときかれると 「笑えるから」 (p.48) だと答える。それがどういうコンセプトなのかわからないけれど、結果として出てくるものがシュールだったりするのが面白いというのだ。
なぜGSが衰退したのか、という稲増の問いに対して近田は 「やっぱり、職業作曲家を起用したことが原因だと思いますね」 (p.49) という。「だとすると、今の日本のJ-POPは基本的に自作自演が多いから安泰なんですか」 といわれると近田は、

 ところが彼らは、基本的に洋楽が下敷きにないんです。やっぱりポップ
 スとかロックというのは、洋楽的要素を学習したうえでないと面白味は
 引き出せない気がするんです。結局、日本語って英語と違い、高低アク
 セントでメロディーとの関係が少し強いから、ビートやリズムと言葉が
 うまく立体的に絡み合った時に初めて面白くなっていくので、その構造
 を、ある程度ロジカルに体得していないと、いい曲は書けないと思うん
 ですよ。(p.50)

と答えている。笑えるB級GSがいいなどと言っておきながら、そのルーツとなる考え方は意外に正統派だ。

タイガースの歌などを作曲したすぎやまこういちは〈シーサイド・バウンド〉は沖縄音階で作ったと語る (p.64)。沖縄音階というのはいわゆる琉球音階のことを指し、ドミファソシでできていて、基本的にレとラがない。日本の伝統的なヨナ抜き音階はドレミソラで、ファとシが無い、つまりペンタトニックであるので、そういう意味では沖縄の音は特異だ。しかし〈シーサイド・バウンド〉のメロディは海っぽい音ではあるが、沖縄を意識させられてしまうようなことはない。

コシノジュンコはタイガースの衣裳を作った経緯について語っている。王子様のような衣裳は、従来のロック、たとえばローリング・ストーンズのようなワイルドさでなく、しかし女性的でもなくゲイでもなく、中性的なイメージとして想定したものだったという (p.70)。それは沢田研二というタイガースのアイコンに特に顕在する特徴である。
これは四方田犬彦によって、より分析的に指摘されている。

 日本人が強い美学的な分野というのがあって、それはある種のアンドロ
 ギュヌス性というか、両性具有性みたいなもの、それも少年とか少女
 ――つまり大人になっていない、人間の性が分化されていない、そうい
 うもの――を強く出す時に日本の文化は非常に有利という感じがします
 ね。(p.125)

湯川れい子は高校2年生でジャズにはまり込み、『スイングジャーナル』に投稿などしているうちに、もっと書いてみないかと言われたのが文筆業となるきっかけだったらしい (p.93)。
湯川はGSについて、日本の歌謡曲だと思っていたし、日本独自の大衆音楽だったと述べる (p.97)。一方で当時は70年安保を控えて学生運動というものが盛り上がっていたが、そうした学生側からすれば、GSブームというのはミーハーな現象だという感覚があったともいう (p.97)。

佐藤良明はトマス・ピンチョンの『重力の虹』や『ヴァインランド』の翻訳者でもあるが、ビートルズ論『ラバーソウルの弾みかた』(1989) でも知られる。佐藤は、当時まだ旧制中学的な気質が残っていて、川端康成などが読まれているような状態だったが、彼は 「そうじゃないだろう!」 と思っていたのだという。それでアントニオーニの映画《欲望》を観たらロックバンドが演奏していた。佐藤は彼我の落差に目ざめ、そして後になってそれがヤードバーズであったことを知ったのだという。

 ある種のエリート主義というか、当時はまだ学生というものが社会的に
 ある意味を持って存在していたわけですよね。学生はインテリであり、
 労働者や農民の声を聞いて、世の中を革新していく存在なんだという自
 負とうぬぼれがあったわけです。(p.137)

そうした反骨的精神だったはずの欧米のロックがどこでだめになったかというと、それはバングラディシュ・コンサートやWe Are The Worldといった頃からで、ロックが道徳を攪乱する存在から道徳を守る存在に移ってしまったこと、それは社会的免罪符を獲得したことであるが、同時にロックが体制的イデオロギーの擁護者となってしまって現在に至っているのだ、と四方田犬彦は指摘する (p.122)。

きたやまおさむは、GSを擁護して 「あれだけの社会現象であったにもかかわらず、ほとんど評価もされないし、本も書かれない」 という稲増に対して、「やった人間が、語る言葉を持っていないからだよね。GS関係者自身が自分の言葉を持っていないんだよ」 と突き放している (p.162)。

逆に宮沢章夫は、GSが60年代文化のなかで評価されてこなかったのは左翼教条主義があるという稲増の言葉に対し、「あの時代は左翼的じゃないとかっこよくなかった」 し、「一方で反近代主義の時代でもあった」 と答えている (p.172)。
サブカルチャー的なものは売れてはいけないみたいな左翼教条主義から来る考え方は次第に四散し、80年代になるとサブカル寄りから出て来た劇団、夢の遊眠社や第三舞台が商業的に成功したが、野田秀樹や鴻上尚史の戯曲はそれまでの演劇と違っておしゃれで洗練されていて、それはYMO現象に似ていると稲増は言う (p.176)。
岸田戯曲賞で清水邦夫の『僕らが非常の大河をくだるとき』と同時に受賞したのが、つかこうへいの『熱海殺人事件』であって、この 「奇妙な交錯」 は時代の変わり目の象徴的事件であったというのだが、そしてそれが1972年の連合赤軍事件との関連で述べられているが、清水邦夫とつかこうへいの岸田戯曲賞の受賞は1974年であり、話に錯誤があるように思えた。

最も読ませるのは小西康陽との対談である。
小西は、最初に買ったGSのシングルがオックスの《スワンの涙》で、中学1年のとき、ピンク・フロイド、エルトン・ジョン、CSN&Yなどを聴いていたという。そうしたなかでタイガースのLP《ヒューマン・ルネッサンス》は音楽体験の原点であり良いアルバムだと評価している (p.183)。
そうした小西が書く曲について、小西はマイナーキーの曲調がきらいで、演歌やアジアン・テイストになじめなかったし、ヨナ抜き音階へのアレルギーがあったという。それが結果として渋谷系と呼ばれる彼の音楽の方向性を決めたのだという (p.185)。

また稲増が、80年代にヨーロッパでGSがジャパニーズ・ガレージロックとして評価されたということに対し小西は、コレクションを始めると興味は次第に辺境へ (つまり難易度の高いものへ) と移ってゆくが、欧米人にとって日本は辺境であり、世界的にみたらやはりGSはガレージロックの一部ではないかという見解を述べている (p.187)。
稲増はネオGSに関して、チェッカーズはネオGSとは自称していないけれどネオGSなのではないか、という問いに対し、小西は、ネオGSには 「批評」 があるが、チェッカーズにはそれがない、と否定している (p.189)。

GSの話題からは外れるが、2016年のリオのパラリンピック閉会式で〈東京は夜の7時〉が使われたことについての会話が面白い。

 稲増:東京を代表する曲に選ばれるって、すごいじゃないですか。もっ
 とも 「東京砂漠」 (内山田洋とクール・ファイブ) をやるわけにはいかな
 かったとは思うんですけどね。
 小西:「東京砂漠」 だったらアナーキーでしたね。(笑) (p.186)

全体的な印象としては稲増のGSへの入れ込みかたは強く、GS擁護派でありGSエヴァンジェリストとしての稲増に対し、共感したり反対したりするという構図が興味をひく。稲増はGSの興した波はその後も脈々と受け継がれ、それが日本独自の音楽ジャンルとなって、現在のきゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeにまで達していると説く。
ただここで問題となるのは、ネオGSという言葉が出てくるのだが、ネオGS自体がどのようなムーヴメントであったかということまでは言及がされていない。ネオGSというジャンルのなかに田島貴男のオリジナル・ラブがあって、それが渋谷系のはじまりなのだとすると、GSと渋谷系という血脈もあるのだということになる。
そのあたりの知識が私には全くないので、そういうものなのか、とは思うが、はなはだ心許ない。本という媒体からは音が出て来ないので、歯がゆい感じがする。

ネオGSのもっとも代表的なバンドとしてザ・ファントムギフトがあるが、たしかに稲増がいうキッチュな部分、ガジェット的な音構造が見えることは確かだ。
動画を検索すると、ダイナマイツのカヴァー〈トンネル天国〉ではギタリストがヤマハのSG-3を使用し、また〈ベラトリーチェの調べ〉ではSG-7を使用しているが、このへんは実にマニアックである。〈トンネル天国〉の冒頭のギターの鳴らしかたはシューゲイザー的な印象を受けるが、マイブラの《Loveless》は1991年であり、それよりも早い。むしろコクトー・ツインズあたりの影響があるのかもしれない。コクトーズのデビュー盤《Garlands》が1982年だからである。

GSブームの頃には新興ギターメーカーが乱立し、今の目からするととんでもない形状のギターが生産されていて、それはビザールギターなどといわれて今でも雑誌などで特集されていたりする。GSは音だけでなく、楽器とかファッションにも影響を与えていたように思える。
この本でも紹介されているジャケット写真などを見ると、メンバー全員が同じ制服を着ているのが見られるが、それは現在のAKBなどに受け継がれてきているのではないだろうか。ただ、当時のGS制服は男性であり、現在のアイドルグループ制服はほとんど女性であるという違いは大きい。同じように同一の服装を採用することもあるジャニーズには、GS制服のテイストは引き継がれていないと私は感じる。つまりGS限りの特異点である。

カウンターカルチャーとしてのGSは、まだ音楽的にも成熟しておらず、結果として経済効果だけで考えられたことにより変質して消滅していったが、その精神性がそれまでの旧弊な日本の芸能に与えた影響は大きかったはずだと稲増はいうのである。
ただ、著作権の問題があるのでむずかしいと思うのだが、あまりにもその元となる音源が乏しい。現実の音を聴かなければわからないので、ブートでない音源が少しでも出されることを期待したい。


稲増龍夫/グループサウンズ文化論 (中央公論新社)
グループサウンズ文化論 - なぜビートルズになれなかったのか (単行本)




ザ・タイガース/僕のマリー
https://www.youtube.com/watch?v=LvMt-ucrOcE

ザ・ファントムギフト/トンネル天国
https://www.youtube.com/watch?v=9XPeDgN5pWo
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