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ブラームスはお好き? その2 — 交響曲第1番 [音楽]

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Seiji Ozawa (1992)

この前のブラームスのスコアに関する記事 (→2017年12月09日ブログ) では、その解説の面白さに引き込まれながら、中途半端に終わってしまったので、あらためて書いてみたい。

第1番を完成するまでのブラームスは、ベートーヴェンの後継として恥ずかしくないものを、というような重圧があったのかもしれないが、オーケストラの編成を拡張せず、ほぼベートーヴェンの5番と同じであることなど、ベートーヴェン的な正統的古典派を狙い、一見その作風の延長線上にあるように見せながら、この解説を読むと、全く異なるメカニックともいえる構造を備えていて、その完成度の高さに驚くのである。
「さまざまな動機の多層な組み合わせ」 (p.9) による構造が全てを支配していて、非常に理知的であるが、仕掛けが深いといってもよいだろう。

野本由紀夫の解説の構成表によれば、第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro - Meno allegro, c-moll, 8分の6拍子 (第6小節のみ8分の9拍子) は序奏部 (小節数:1~)、呈示部 (38~)、展開部 (189~)、再現部 (339~)、そしてコーダ (449~511) となっているが、序奏部は後から付け加えられたものであり、呈示部以降を凝縮していて、「この曲の全体をとおして使われる 「原素材」 が提示される重要な部分」 (p.9) であるという。
冒頭の第1vl.の半音上行する動機 「c - cis - d」 そして [es - f] 「g - as - a - b」 と (第2vl., vcも同じ動き)、管楽器、vaによるその反行形 [c -] 「b - a - as - g」 および [c -] 「g - fis - f - es」 が何度も頻出し、さらにかたちを変えて出現するのだという。つまり数音のクロマティックな音列だけが基本にあり、それが様々に変容しているというのがその種明かしなのだ。

 古典的な交響曲なら変ホ長調Es: で始まりそうなところ、この楽章の展
 開部は異例なことに、ロ長調H: で始まる。(p.11)

この部分は、第3楽章のところで解説がされているのだが、つまりメディアント関係にあるのだというのがその答えなのだ。
12音を時計の文字盤のように円形に配置すると長3度のインターヴァルはキー:c ならc - e - gis (=as) となり (コードネームでいえばC augの構成音)、4つおきのポジションで三角形を形成する。古典的な交響曲ならc-mollに対してEs-durというのは平行調であるが、es (=dis) のメディアントは g と h であり、だから展開部がロ長調となってもよいわけだ。しかも前記構成表によれば、呈示部121小節から Es、157小節から es と転調しており、前もって Es、es を経ての H なのである。

ただブラームスの異質というか一筋縄でいかないところは、このメディアント関係を楽章毎の変化に適用していることで、各楽章の調性は、順に c-moll → E-dur → As-dur → C-dur というサイクルになっている。そしてもっと細かい部分でもメディアントの関係性が使われているのだという。
こうした思考方法が古典派であるベートーヴェンとは違う部分だ。しかし、リストやワーグナーが増三和音それ自体を使っていたのに対し、ブラームスにはそこまでのフレキシビリティはなかったようである。

第2楽章 Andante sostenuto, E-dur, 4分の3拍子 に対しても的確と思える解析がある。ブラームスの曖昧さみたいなものはすべて計算づくであると考えれば説明がつく。

 この楽章は、楽段構造がぼかされており、明確なフレーズ末尾がないま
 ま次々と旋律が紡ぎ出されていく。(p.13)

そしてその曖昧さへの分析は次のようである。

 区切りが不明瞭な理由は、和声付けが半音階的な上、明確な終止を回避
 しているからである。結果的に、一種の 「無限旋律」 を生み出していよ
 う。その点では、やはりワーグナーとの同時代性を感じさせる。(p.13)

第3楽章 Un poco allegretto e grazioso, As-dur, 4分の2拍子 は冒頭のクラリネットのソロにからくりがあるという。1小節~5小節までと6小節~10小節までの旋律を上下に並べると、まさしく鏡像になっているのだ。正確な音名だと、かえってわかりにくいような気がするので、固定ドのドレミファで書くと、最初の5小節は 「ミーレド╱レドシド╱レドシド╱シラシー」 だが、次の5小節は 「ドーレミ╱レミファミ╱レミファミ╱ファソファー」 (レはdesでなくd) となっている (スコア上ではBクラだが、これは実音)。

 つまり、かなり人工的に作られたメロディなのである。それなのにまっ
 たく作り物だと感じさせないあたりが、ブラームス・マジックといえよ
 う。この、主題の後半を前半の反行形で秩序づけるやり方は、のちのシ
 ェーンベルクやウェーベルン (1883-1945) の十二音技法を予感させ
 る。(p.14)

この第3楽章の説明の中に前述のメディアントの説明があるが、こうした長3度の円環はシューベルトの影響であると野本は書く。

第4楽章 Adagio - Più andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più allegro, c-moll - C-dur, 4分の4拍子 で、この楽章のみトロンボーンが使われているのはベートーヴェンの5番と同じであり、それもまたベートーヴェンを意識した音作りだったのだという。

 第4楽章冒頭は、高音部に 「c - g - fis - g - es - d」 (刺繍音型)、低音部
 に 「c - b - as - g」 (4度下降モチーフ) という作りである。(p.17)

これらは後に声部を入れ替えられて、高音に4度モチーフ、低音に刺繍音型が出現するというが、簡単なパターンを繰り返し使用しながら、ヴァリエーションで変形させて行くというのがブラームス得意の手法といってよいだろう。

 こうして同じモチーフからの分割と派生によって全く見かけの異なるメ
 ロディを展開していくやり方は、高度な 「発展的変奏」 と呼ぶにふさわ
 しい。(p.18)

と野本は書く。
刺繍音型のモチーフは、コーダ (391小節以降) では縮小された c - h - c の連続となり、弦パートで繰り返される。さらにそのリズムは403小節から木管部に移って繰り返しとなり、そして最終の447小節から、再び弦パートで繰り返される。あまりにも単純な、c と h という2音しかないパターンがこの部分の最も重要な支配者なのだ。
最後に野本は再度、ブラームスのテクニックについて述べている。

 ブラームスの技量がすごいのは、このように半ば人工的かつ意識的に緻
 密に作りこんでいるにもかかわらず、旋律線が美しく、聴いていてすこ
 ぶる自然な音楽の流れに感じられる点にあろう。(p.18)

まさにその通りで、こうした恣意性、人工性は言われなければわからない。シェーンベルクやヴェーベルンの音は人工的作風ゆえに奇矯であり、そうした人工的な美学もまた12音や無調的な作品特有の特徴であるが、そこに至るまでの道の途中にブラームスがいて、しかも結果としてそのブラームスは古びず、さらに年輪を重ねている。ある意味、ブラームスの方法論は折衷主義であったが、それは彼の中だけに (葛藤として?) 存在していて作品の表面には出て来なかった。それがブラームスの天才性なのだと思う。


(以下のリンクは2017年12月09日記事と同じものである)
Saito Kinen Orchestra Seiji Ozawa 1992 (NHKエンタープライズ)
小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1992 [DVD]




Seiji Ozawa, Saito Kinen Orchestra/
Brahms: Symphony No.1 in C minor Op.68 
(live 1992.9.5/長野県松本文化会館)
https://www.youtube.com/watch?v=7M7Q7BXh_is
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