レリーズとセキュア — カードキャプターさくら・クリアカード編 [コミック]
この週末は桜がちょうど満開で、まさに桜吹雪となって散りつつある。あたたかい場所の桜はもう葉桜だ。
スマダンの記事のなかにCCさくらのことが書いてあって興味深く読んだのだが、TVアニメのクリアカード編の第1回も、桜吹雪のなかを登校して行く中学生になったさくらから話が始まる。
スマダンの記事は的確で、まさにクリアである。さくらは 「変身しない魔法少女」 であること。小狼 [シャオラン] が同性に恋をするのが描かれていること。そして 「知世のさくらへの愛着と献身は、どこか友達の域を超えている」 ことなどが指摘されていて、そして何よりもCCさくらがこれだけ人気になったのは 「しっかりと子供向けに作られ」 ていたことだとするのである。
カードキャプターさくら (略してCCさくら) はCLAMPのマンガで、それを原作としたTVアニメ、劇場用アニメなどが作られた。TVでは現在、クリアカード編を放送中である。
CLAMPの作品のなかでCCさくらはカリスマ的人気があるが、それは子ども向けなのにもかかわらず、すべてが丁寧に作られていて、しかも考えようによっては深い意味を持っていることだ。そのとらえかたはいろいろあり、そのどのようにもとることのできることがCLAMPのマジックである。
スマダンの記事では、CCさくらの最も斬新な特徴として、さくらが 「変身しない魔法少女」 であることをあげている。基本的には、セーラームーンを代表とする 「変身する少女」 だけでなく、各種のヒーローものは変身することによって成立していることが多いが、さくらは変身しないのである。さくらの変身は変身でなく、さくらの最も親しい友人である大道寺知世が作ってくれる衣裳にいつも着替えることによって成り立っているのだ。
この 「「着替える魔法少女」 という、お約束を逆手に取った設定」 は、つまりヒーローものの原点であるスーパーマンに近い。だが着替えをするスーパーマンも、変身するウルトラマンや 「変身する魔法少女」 たちも、原則的にいつも同じ衣裳であるのに対し、さくらはそのときそのときで違う衣裳なのだ。それは知世が、さくらを着せ替え人形的に利用して自己満足しているというふうに考えられなくもない。だがそれよりも知世はさくらの絶対的なファンなので、いかにかわいい衣裳をさくらに着せてそれを映像に撮るということを含めての作品を作りたいという目標があり、一種の絶対的なファッションを含めた総合デザイナーなのである。
それは単純な愛とか献身だけではできないし、もちろん知世の自己満足であるという結論だけでは解決できないのだ。知世は単純に 「さくらちゃんに私の服を着せることが幸せ」 という能天気さを装っているが、そのなかに、例えば『ちょびっツ』におけるちぃと柚姫の関係性のアナロジーを感じるのである。
もちろん知世は小学生の読者/視聴者にとってはさくらの理想的な友人としてとらえられているのに違いないし、知世がコンプレックスのような表情を見せることはないが、もう少し深読みすれば、さくらが見落としているかもしれない世界への視点に対して最も深い洞察力を持つバイプレーヤーであることは確かだ。そして柚姫ほどダークではないし、常に能動的である分、より複雑な人格として設定されていることが読み取れる。
さくらのいわゆる守護天使であるケロちゃんは、さくらに対しては大阪弁のユルいペットのような外見をしていて、でも一般人に対しては単なるぬいぐるみを装っている。ケロちゃんの本質はケルベロスであり、クロウカードの守護者でもあるが、ギリシャ神話のケルベロスは冥府の番犬であり、ケロちゃんが、ごくたまに本来の姿を見せるのでもわかるとおり、その本性は果てしなく暗いはずである。それをケロちゃんとしてカムフラージュしてしまうところがCLAMP仕様なのである。
これが 「しっかりと子供向けに作られ」 ているひとつの例であり、ケルベロスが何かを識っていればその意図するところもわかるはずだ。
クリアカード編第1回の桜吹雪の中を出かけて行くさくらと、桜の花吹雪による自然の美しさ (それは少し怖いほどの美しさという面をも内包しているのだが) のシーンから、私はなぜかグリーンゲイブルズに赴くアン・シャーリーを連想してしまった。CCさくらは単なる登校のシーンに過ぎないのであり、アンの自然観察を含めた心の動きの描写ほどの複雑さはもちろん無いが、新しい環境に入って行く期待や不安、好奇心という面では一緒である。そしてまた、さくらが中学生になって、今までより少し大人びてきたこととも無縁ではない。
ところで『赤毛のアン』についてサーチしていたら、その冒頭にハンノキの出てくる描写があるというブログ記事を見つけた。この部分である。
アヴォンリー街道をだらだらと下って行くと小さな窪地に出る。レイチ
ェル-リンド夫人はここに住んでいた。まわりには、ハンノキが茂り、
ずっと奥のほうのクスバート家の森から流れてくる小川がよこぎってい
た。
Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped
down into a little hollow, fringed with alders and ladies’ eardrops
and traversed by a brook that had its source away back in the
woods of the old Cuthbert place;
ハンノキは alders であるが、アルダーは家具材であり、エレクトリック・ギターのボディにも使われる木材である。だが私がハンノキという言葉に反応するのはル=グィンの『ゲド戦記』の冒頭にもハンノキが出てくることを思い出すからである。
ハイタカはゴント山の中腹、“北谷” の奥の “十本ハンノキ” というさび
しい村で生まれた。
He was born in a lonely village called Ten Alders, high on the
mountain at the head of the Northward Vale.
どちらも小説の冒頭の自然描写であるが、偶然であるにせよどちらもハンノキというのが興味深い。正確には『赤毛のアン』は alders and ladies’ eardrops (ハンノキとフクシア) であるが。
CCさくらにおけるさくらのキメ・フレーズは 「レリーズ」 (release) である。さくらが封印を解くときに発せられる言葉だが、クリアカードでは逆に封印をするための夢の杖が存在する。その杖による封印の言葉は 「セキュア」 (secure) である。
『遊戯王』のアルティメット (ultimate) などもそうだが、子どもが意外な英語を知っていたりするのは、アニメとかゲームによるものが多かったりする。
CLAMP/カードキャプターさくら クリアカード編 (1) (講談社)
カードキャプターさくら クリアカード編 第1話
http://www.nicovideo.jp/watch/151513773