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荒井由実《MASTER TAPE》 [音楽]

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《MASTER TAPE》~荒井由実 「ひこうき雲」 の秘密を探る~ というNHKで放送された番組をYouTubeで観た。放送日は2010年01月16日というから8年前。その後も再放送されたらしいが、私はもちろん初見である。
前記事のビートルズ/ホワイト・アルバムに関する感想の中で私は、こうしたアーカイヴ音源の究極はマスター・テープをそのまま再現することにあるのではないかと書いたが、実際にはそれは単純に技術的な困難さだけでなく著作権法的にむずかしいのではないかと後で思いついたのだけれど、でもマニアの欲望は果てしないとも言える。大作家になると子ども時代の日記まで公開されてしまうことがあるが、完成品でないものを見てしまう/聴いてしまうという行為にはそれに似た感触がある。そんなことを考えながら動画を渉猟しているうちにこの放送の記録に行き当たった。

《ひこうき雲》は松任谷由実がまだ荒井由実だった頃の1stアルバムである。そのマスター・テープをその当時のスタッフ達と聴いてみようという企画がこの番組の趣旨である。
ビートルズの《ホワイト・アルバム》の頃は、録音するテープレコーダーのトラック数は4で、後半から8になったとのことだが、《ホワイト・アルバム》がリリースされたのが1968年11月 (日本発売は1969年1月)、そして《ひこうき雲》がリリースされたのは1973年11月。5年間の間にトラック数は16に増えている。テープ幅も2インチであり、それが当時の最先端であったことがわかる。まさにアナログの磁気テープがどんどん発展していった時期である。とはいえ、まだ16しかトラックがなかったともいえるし、76cmも無いし、2台をシンクロさせるというようなことも無い時代なのだ。

レコーディング・ディレクターの有賀恒夫とレコーディング・エンジニアの吉沢典夫、この2人によってマスター・テープは再生され、そして聴きたいトラックだけ選択して再生することにより、それぞれがどのような音を出していたのかがわかる。これってオーケストラの練習で 「この部分だけ、キミのソロを聴かせてください」 と指揮者から言われてるのと同じようで、めちゃめちゃ恥ずかしいのかもしれない。でもプロだからそんなことはないのだろうか。私が思い出したのはセロ弾きのゴーシュだった。

音を聴きながら、こまごまとしたどうでもいいようなことをしゃべっているのを聞くのがこういう内容の場合には一番面白い。「ひこうき雲はプロコル・ハルム」 とか言われると、ああなるほど、そういうことか、と思うし、ドラムセットはひこうき雲のときは黒のラディックだったけれど、後のほうではスリンガーランドだったとか、う~ん、ホントにどうでもいいようなことなんですけれどそれがいいの。

ユーミンはブリティッシュ志向だったのにもかかわらず、松任谷正隆などのメンバーはアメリカ志向で、最初はそれに違和感があったという。〈ベルベット・イースター〉を聴いているとき、細野晴臣が 「ミックスがイギリスっぽい」 といい、さらに 「コンプ感が」 といっていることからも、アメリカ風味かイギリス風味かの葛藤があったのかもしれないと思わせる。

シー・ユー・チェンという人が出て来て、彼はユーミンという愛称をつけた人だということだが、フィンガーズというバンドがプロとして活動するようになってからのメンバーでもある。というのはユーミンはフィンガーズの追っかけをしていたというのが知り合うことになった元なのだそうだ。
フィンガーズはグループサウンズ隆盛期の頃のインストゥルメンタル・バンドで成毛滋がギタリストだったことで有名だが、その音源はYouTubeではほとんど無くてよくわからない。〈ツィゴイネルワイゼン〉の音質のよくない録音があったが、リズムがぐちゃぐちゃなのはまだアマチュアの頃なのだろうか。私は〈ゼロ戦〉というシングル盤を知人が持っていて聴いたことがあるのだがほとんど記憶がない。
むしろビザール・ギターと呼ばれたりする当時のグヤトーンの変形ギターを使っていたということのほうがビジュアル的に有名で、そうしたムックには必ず登場するが (といっても高見沢俊彦ほどのビザールさではないけれど)、そうした当時の造形は、たとえば、もっと昔の、流線形自動車などと言われていた奇矯ともいえるデザインが流通していた頃のカー・デザインと相通じる部分がある。

〈ベルベット・イースター〉は実際にピアノでイントロを弾く場面があるが、その瞬間、音で世界が変わってゆくような、眩暈を感じるような印象を受けた。アナログ・レコードでいえばB面の1曲目、そもそもベルベット・イースターと言い切ってしまうタイトルそのものがすごい。
それは〈曇り空〉とか、もっとおしなべていえばこのアルバム全体にいえて、それはもともと彼女の作品に存在しているはずの内省的なイメージである。だが時代はそうした繊細さよりも彼女にメジャーな雰囲気を求め、結果として松任谷由実になってから、その欲求は肥大し、まさにユーミンはブランドとなりトレンドになっていった。それに応えるだけの才能が彼女にはあったが、荒井由実名義の作品がいまだに愛されるのは、ファースト・アルバムとか処女作とかいうような、最初の作品にのみ存在するプラス・アルファな何かに共鳴するからなのだろうと思う。

荒井由実から松任谷由実に変わってからの最初のアルバム《紅雀》というのがあって、これに収録されている〈ハルジョオン・ヒメジョオン〉が私の偏愛する曲である。なぜ《紅雀》かといえば、私の感覚からするとこのアルバムが印象として一番暗いからで、それはエンターテインメントとしてのビジネスとは対極にあるように思えるからだ。

 川向こうの町から 宵闇が来る
 煙突も家並みも 切り絵になって
 悲しいほど紅く 夕陽は熟れてゆくの
 私だけが変わり みんなそのまま

川向こうの町から来るのは 「夕焼け」 とか 「夕暮れ」 ではなくて 「宵闇」 なのである。以前ユーミンは、この 「川向こうの町」 というシーンは明神町あたりの風景だと解説していたことがあったのを覚えている。八王子の明神町あたりの川といえば大和田橋の周辺で、その景色は意外に殺伐としていて、川という言葉から連想するような詩的な印象とはやや異なる突き放された風景のように私には思える。
ファースト・アルバム《ひこうき雲》に入っていた歌詞カードも意外にプリミティヴで、でもそうした手作り感や素朴な感触は、その後のメジャーな音楽ビジネスのなかで抹消されてしまったようだった。
私が《紅雀》を聴いたのはリリースされてから随分経った頃で、もちろん後追いだからCDであって、でも時代を外して聴いたからこその冷静な読解力が少しはあったのではないかと思うことがある。ときどき感じるドーンと暗い翳のある何か。初期の頃の音には、今の時代ほど洗練されてはいないけれど、失ってしまった何かがあって、きっとそれは私が失ってしまった時と同じものなのかもしれない。

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荒井由実/ひこうき雲 (EMI Music Japan)
ひこうき雲




MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~
2010年01月16日放送 (動画終了後に冒頭部分の繰り返しダブリあり)
https://www.youtube.com/watch?v=rijPt-WGdRk

ハルジョオン・ヒメジョオン
https://www.youtube.com/watch?v=x5HTU2-JjhQ
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