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イェルク・デムスのシューベルト D960 [音楽]

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Jörg Demus

シューベルトといえば《鱒》と《魔王》しか知らなかった頃、それは音楽の授業における合唱曲だったり観賞用教材だったに過ぎない曲なのだが、私は《魔王》の不穏な雰囲気が嫌いで、そもそも音楽において具体的な事物を表現するという方法にどうしても馴染めなかった。だから《動物の謝肉祭》のような曲が最も嫌いで、音楽の鑑賞曲の定番である《禿山の一夜》とか《ピーターと狼》とか、バカじゃないの、と心の中で思っているようなひねた子どもだった。
といっても、それをはっきりと意識していたほどでもなくて、ただ漠然と、具体性を帯びたものが嫌いだったのだ。《動物の謝肉祭》よりバロックのほうがずっと心に深く沁みるし、ハヤカワミステリの抽象画の表紙のほうがルノワールよりずっと心が安まる。それはもしかすると、具体的なものだらけの現実を避けておきたいという潜在意識のあらわれなのかもしれなかった。

シューベルトの960番のソナタを買ったのはほんの偶然である。その頃はまだアナログ盤が全盛で、大きな店の端のほうのあまり売れていそうも無いラックのなかに地味なジャケットがあった。イェルク・デムスがハンマーフリューゲル、いわゆるフォルテピアノで弾いたシューベルトのピアノソナタのアルバムである。その時はたぶん、フォルテピアノの音が聴きたかったというのが買う動機の主眼だったような気がする。
フォルテピアノはチェンバロ (ハープシコード) と現代のピアノの間にある楽器で、現代のピアノよりモコモコした音であり、鍵盤の反応も遅いような気がする。最初は 「何、この音?」 と思ってしまうような眠い音なのだが、だんだん慣れてくると音のなかに現代の鋭利でクリアなピアノの打鍵では表現できない何かが存在していて、その音がシューベルトにとても合うように感じたのである。
その後、普通のピアノによる960番を幾つか聴いたが、そしてそれらの演奏のほうが技巧も正確で音楽的にも優れていると思えるのだが、デムスによる最初の刷り込みが強くて、960番に関してはこのデムスの演奏が一番心に響くのだ。

だがそのレコードを聴かなくなって随分経った頃、この演奏のCDを探してみたら廃盤だったりしてどこにもない。仕方がないとあきらめていたのだが、先日、ハルモニア・ムンディのGerman Romanticsm Editionという廉価ボックスの中に入っているのを発見した。レコードはたしかBASFレーベルだったと思うのだが、そのレコードはどこにあるのかわからず確かめる術が無い。このボックスには主にシューベルトの演奏が集められた10枚組なのだが、廉価盤なので10枚でCD1枚くらいの価格でしかない。だからその中の1枚だけを目当てに買ってもそんなにダメージはないような気がしたのだ。

もしかすると違う演奏の場合もあるかもしれないと思いながらCDを聴いてみたら、記憶通りの音だった。あらためて確認できたのだが、音に関する記憶はとても強いのではないかと思う。かつて自分が聴いていた演奏かどうかが瞬時にわかるのだから。
聴いてみると、最初はやはり 「こんなにモコモコだったっけ?」 というくらいにシャープネスが無いし、ピアニズムも不安定だ。でもこの少し遠くに感じられる陰鬱さを伴う幅の狭い音が過去の記憶を溶解させる。それはドイツやオーストリアあたりの暗い森の音で、決して陽気なイタリアの空の下にさらされた音ではない。
D960に特徴的な、ポーンとひとつだけ弾かれた立ち止まる音。それは過去を確かめるために1回毎に立ち止まる音なのに違いない。それはシューベルトの構想とは関係ない。あくまで私の中で、それは過去を何回も振り返らせる色褪せた悲しみの音である。

このハルモニア・ムンディのエディション・シリーズ (というのだろうか) は廃盤になってしまったセットが多いが、内容としてとても便利なセットに思える。
このGerman Romanticsm Editionに、シューベルトの歌曲は《美しき水車小屋の娘》と《冬の旅》が入っているが、水車小屋はクリストフ・プレガルディエン、冬の旅はミヒャエル・ショッパーで、伴奏するアンデレアス・シュタイアーは両曲ともフォルテピアノを弾いている。その他の曲もほとんどがフォルテピアノを使用している。

デムスというとパウル・バドゥラ=スコダとの4手の演奏や、ジェラルド・ムーアと並ぶフィッシャー=ディースカウの伴奏者としての顔もあるが、私にとっての《冬の旅》のベストはハンス・ホッターである。それはいつだったかも定かでないのだが、偶然TVで観たコンサートの映像で、ピアノがドコウピルであったかどうかの記憶もない。
その《冬の旅》は空が暗くて陰鬱な雪が降っていた。フィッシャー=ディースカウの歌唱も、このボックスにあるショッパーの歌唱も、暗いけれどそれなりの音楽の明暗に富んでいるのだが、ホッターはそういうニュアンスではなかった。私は慄然とした。希望の絶えた死がすぐそこにある。それはシューベルトの解釈としては違うのかもしれない。でもそういうふうに歌うこともできるはずの歌なのだ。
そのことを思い出してホッターの《冬の旅》のCDを探し出して聴いてみたのだが、思い描いていたのとは何か違っていた。音楽とは繰り返しの効かないものであり、極端にいえばそのコンサートそのものを録音したとしても、それを再生すると異なって聞こえることさえある。音楽は、ときに大雑把であったり、ときにはとても繊細であったりする。それは時の魔法だ。


German Romanticsm Edition (deutsche harmonia mundi)
German Romantic Music Edition




Paul Badura-Skoda/Schubert: Piano Sonata No.21 D.960
https://www.youtube.com/watch?v=cKpWO2y6oN8
音質のよいデムスの演奏が無かったのでバドゥラ=スコダをリンクした。

Hans Hotter; Gerald Moore/Schubert: Winterreise D911 (1954)
https://www.youtube.com/watch?v=H_X6WBVR1mU
1954年の録音であり、上記のホッターとは大きく異なる歌唱である。
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