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ユリイカの魔夜峰央を読む [コミック]

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春の夜。『ユリイカ』臨時増刊号の魔夜峰央特集を読む。というか、まだ読みかけである。最近の『ユリイカ』にしては珍しく、内容濃すぎるので。あ、それと目次が読みにくい。

口絵のラシャーヌのキャプションに、「魔夜のベタは印刷より美しいと評判であり、ビアズリーとの親和性が述べられる」 とあるが、黒味に偏ったモノクロの美しさはマンガというよりイラストレーションである。
他の個所にも書かれているが、そのベタが漆黒であるのは二度塗りしているからとのことで、そんなにしっかり塗らなくても印刷にすればムラは消えてしまうのだが、そこにこだわるのがマンガ家の常である。
作者自身も言っているが、魔夜峰央のマンガには動きがない。常に静止画である。

冒頭のインタヴューには今まで知らなかったことがいろいろ書かれていて (ファンなら既知のことなのかもしれないが、私はそれほどには知らないので) 大変に面白い。インタヴューを受けているのは魔夜本人と奥様である山田芳実。魔夜が超・愛妻家であることが読み取れる内容である。

話は生い立ちから始まるが、故郷の新潟の風景など、砂山のような場所に家があってそこに住んでいたのだそうである。別の記事によれば、新潟市が主催する 「にいがたマンガ大賞」 というのがあり、最終審査員としてやはり新潟出身である水島新司が担当していたが、途中からそれに加わり、現在は魔夜が最終審査員として継続中とのことである。

魔夜の作品における黒みのバランスは恐怖マンガに通じるものがあって、わかりやすい例だと楳図かずおだが、でも怪奇マンガについては、

 美内 (すずえ) さんや山岸 (凉子) さんの恐怖マンガはすごく怖いですよ。
 ジワッとくる嫌な怖さ、日本のホラー映画のような陰湿な感じですね。
 私もああいう怖いマンガを描きたかったんですが、どうやってもできな
 い。私のは 「怖くない怪奇マンガ」 です。(p.24)

という。ギャグマンガへと路線が変わったきっかけは『ラシャーヌ!』で、ラシャーヌは復讐神ビシュヌをビシューヌ→ラシャーヌとしたもので、反響はなかったが次の年のマンガ家のパーティで褒められたとのこと。特に木原敏江から褒めてもらったことを覚えているそうである。

奥様の発言によれば、背景にはパターンがあって、アシスタントは 「魔夜峰央バック」 を覚えなければならないのだとのこと。バラの花は池田 (理代子) 先生のバラが一番美しいので、それをアシスタントに学ばせる、と魔夜は言う。そしてバラが必要な場合は、エンピツで 「バラ」 と書いておくと、アシがそこにバラを描き入れるというシステム。アシスタント、結構大変そうです。

クック=ロビン音頭は、アシスタントが観てきた素人劇団の《ポーの一族》の中で、例のエドガーのセリフを元にして踊っていたというのを聞いて、それがヒントになったのだという。クック=ロビン音頭に関しては後のページに細馬宏道の詳細な考察があるが、クック・ロビンといわれても、当時の読者だったら原典のマザー・グースを連想するのではなく〈小鳥の巣〉のはず、というところから検証が始まっているのだけれど、細馬によればその翻訳における音律は北原白秋の訳詞に遡る、とある。そしてギムナジウムで行われようとしているシェイクスピアの『お気に召すまま』へと至る言及は面白い。(p.107)
ただ、マザー・グースのコック・ロビンはS・S・ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』(1929) に使われたことで有名であり、魔夜峰央は当然知っているだろうが、萩尾望都もおそらく知っていただろうと思われる。
魔夜の奥様の山田芳実はバレエ・ダンサーであり、宝塚が好きでよく一緒に観に行くのだそうだが、《ポーの一族》を魔夜は観に行けなかったとのことで、でもエドガー役の明日海りおの写真をパンフレットで見て、この人ならエドガー役をやっても納得できると思ったとのことである (p.41)。宝塚といえば『翔んで埼玉』(1982-83) の麻美麗は当時の宝塚のトップスター、麻実れいからつけたとのこと。でも了解はとっていないのだそうである。
これは関係ないと思うのだが、パタリロのアニメが放映されたのが1982年、大瀧詠一の〈イエロー・サブマリン音頭〉も1982年なのだ。音頭の年だったのかもしれない (なわけないか)。というか、そもそもクック=ロビン音頭の元ネタは三波春夫であるはず。

魔夜峰央は、本は大体、SFとミステリしか読まない、さらに日本のものは全く読まない、と言っている。そうだろうなぁと納得する。(p.36, p.80)

日高利泰の24年組に対する厳密な考証は大変参考になった。小長井信昌の24年組がニューウェーブであるとする論考を否定し、

 「二四年組」 と 「ニューウェーブ」 を等価なものとする用法はあまり一般
 的ではない。一九七〇年代後半のマンガ界における新しい動向を指すと
 いう広い意味では重なる部分はあるものの、一般にマンガ用語としての
 「ニューウェーブ」 は大友克洋を中核的な指示対象として用いられる。
 (p.62)

というのだが、ニューウェーブなる名称そのものを知らなかったので勉強になる。
さらに日高は24年組作家たちの少年愛、いわゆるBLな作品について『JUNE』が耽美というコンセプトを打ち出したのだというが、耽美のもつ本来の意味としての作品、つまりビアズリー的な黒の美学でありながらBL的テーマを持たないものとして山田章博の『人魚變生』をあげている。(p.63)

少しとばしてしまうが、芳賀直子の日本におけるバレエの受容に関する考察も大変面白い。日本におけるバレエ受容の特徴として、西欧においてはバレエはヒエラルキーのトップにあり、それに対してアンチ・バレエとしてのモダン・ダンスという対比があるのだとする。しかし、バレエが日本に入ってきた初期の頃は、バレエもモダン・ダンスも等しく西欧文化だったとするのである。(p.101)
そして、なぜ日本ではマンガがくだらないものであるとされてきたか、について、まず貸本屋時代のマンガという存在があって、そうしたマンガの中でのバレエの描かれ方は 「バレエはお金持ちの少女の趣味」 であるか、あるいは 「才能はあるけれどお金はない少女にとっての、成功するための手段」 としてのものだったというのである。
しかし、当時の貸本マンガに対する評価は 「良家の子女が読むものではない」 とされていた存在で、これがマンガという媒体に対する蔑視としてあったのだという。そうした結果として、

 バレエはマンガによって西欧での受容層と違った文化圏の人達、そして
 方法で広がったということです。(p.102)

のだというのである。そもそも私は貸本というシステム自体を知らないので何ともいえない。だが、貸本とか紙芝居とか、まだメディアが発達していなかったころの文化の伝播の状態というのは現在とは異なり、かなり異質なものであったのだろうということは想像できる。

魔夜峰央は40歳を過ぎてから奥様に習ってバレエを始め、それもかなり本格的なのだという。インタヴューから感じられるのは、なによりもパタリロなどで描かれる世界とは全く異質な明るい家庭の雰囲気であり、その落差に驚いたのだけれど、でもアヴァンギャルドでアートな人って、作品はアヴァンギャルドだけれど実はとてもアヴァンギャルドじゃない人というのはよくあることです。

とこのへんまで読んだ、ということでとりあえずおしまい。


ユリイカ 2019年3月臨時増刊号 総特集◎魔夜峰央
(青土社)
ユリイカ 2019年3月臨時増刊号 総特集◎魔夜峰央 ―『ラシャーヌ! 』『パタリロ! 』『翔んで埼玉』…怪奇・耽美・ギャグ―

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