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里中高志『栗本薫と中島梓』を読む [本]

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豹頭の戦士グインかぁ……そういうの、あったなあ。なつかしい香りがする。本の帯には 「没後10年/グイン・サーガ誕生40年/記念出版」 とある。
栗本薫/中島梓 (1953-2009) は早川書房の文庫における長篇ヒロイック・ファンタジィ『グイン・サーガ』で知られるが、2つのペンネームを使い分け、栗本薫では主に小説を、それ以外の評論等では中島梓名義で膨大な著作を残した。
これは彼女の評伝であり、里中高志は関係者に綿密に取材し、その一生をシンパシィをもって描いている (以下、栗本/中島の名称は中島梓で統一することとする)。

この本の中で最も衝撃 (でもないが) を受けたのは中島梓の発言だという次の個所である。

 「最初、文壇は自分たちのフィールドの人間として、私に好意的だった
 と思います。しかし、栗本薫の名で作家として仕事を始めると、はっき
 りしているのは確実に無視されること。取り上げられるのは匿名批評に
 よるからかい、嘲笑だけ。著書が約百冊という栗本薫のキャリアも、文
 壇から見れば無いようなもの。新人賞以来鳴かず飛ばずの新人評論家と
 しか扱われない」 (p.304)

そういうことってあるのかもしれない、と思う。そもそもSFとかヒロイック・ファンタジィというジャンルは、アメリカのパルプマガジンの生み出したもので、それらは大量に生産され、消費され、忘れ去られてゆくという経緯を辿るのだ。すぐれた作品もあったのかもしれないが、俗悪で性的でステロタイプな作品がその何層倍もあった。日本の大衆小説は通俗小説とも呼ばれ、パルプマガジンと同様に消費されてしまうものであり、文壇という権威があるのだとすれば、そこからは一段低いものとして認識されているのかもしれない。海外における 「ペーパーバック・ライター」 という形容は一種の差別用語であり、それは当初から文庫本として出版された『グイン・サーガ』に通じる。日本における文庫本は、すなわちペーパーバックだからである。
中島梓の慨嘆は、内容こそ少し違うけれど、かつて筒井康隆が言っていたことに通じる。

でもそれは仕方のないことではないかと思う。すべてをひとつのヒエラルキーの中に統合しようとするから無理が起こる。エンターテインメントとはそういうもので、それは文学だけに限らない。ヒエラルキーに厳密に階層分けされ、順位をつけられるものではない。そうしたジャンル分けは次第に崩れつつあるが、でも依然として存在している部分もあるのかもしれない。たとえば団鬼六とか、山田風太郎とか、そうした人たちは 「自分のことを文壇は正当に評価しない」 などとは、たぶん言わなかったのではないかと思う。そのように 「ふっ切れる」 かどうかが問題なのだ。
文芸作品に高級/低級とか、上品/下品などという区分けは存在しないと私は思う。それは幻想に過ぎない。かつて海外小説に 「教養小説」 という分類があったが (今でもあるのだろうか)、その 「教養」 という言葉はもはやギャグでしかない。

いきなり一般論のようになってしまったが、話を中島梓に戻すと、幼い頃からの文才とそれにまつわる逸話、そして評論家・作家としてのデビューから旺盛な執筆活動のことは今までにも聞いた話である。幾らでも淀みなく書けること、そのフィールドの広さなど、才能があふれるばかりという形容はもはや神話の領域なのだ。
だが演劇や音楽にまで手を広げたことを私はあまり知らなかったが、そこでそれまでの破竹の進撃 (?) から少し翳りが生じたようにも感じる。
またプライヴェートにおける不倫を越えての結婚、そして今まで全く知らなかったことだが、障がいを持った弟がいたこと、そこから生じたコンプレックスがあったことなどについては、いままで謎だった部分がつながったような気もする。

中島梓のかかわった演劇を観たことはないし、音楽活動についても、複数のバンドによるフェスティヴァルのような場に出演していたのを一度だけ聴いたような記憶があるが、内容は全く覚えていないので、もしかすると単にステージに出て来て挨拶をしただけだったのかもしれない。
つまり演劇や音楽活動についてはこの本に書かれていることから伝聞推定するしかないのだが、特に演劇についてはかなり混沌とした印象を受ける。時代がそうした混沌を受け入れていた頃だったから成立していたものだったようにも思える。

だがそのような、空間に消えてしまったものについては追認のしようがない。とすれば検証できるのは、文字となって残されているものである。
彼女が速書きだったことは有名であり、言葉があとからあとからあふれて来るのでそれをただ書き記しているだけとか、指定された文章量に合わせて、訂正することもなく書き、原稿用紙の最後のマス目にぴたりとおさまるとか (まだ手書きの時代なのだ)、まさにそれは神話である。
だが、名前を失念してしまったが、アメリカのSF作家で、朝、オフィスに出勤し、タイプライターに向かって仕事開始、規則的なタイピングの音が途切れなく続き、止まることなく書き続け、9時/5時で小説を書いていた人とか、神話とは意外にあまねく存在するものでもある。

といって別に私は中島梓について否定的に語っているわけではない。そのストーリーテリングの巧さや、わくわくするような、まさにセンスオブワンダーなシチュエーションにハマッて読み続けていた頃があった。
彼女が子どもの頃から大量の読書をしていたということには共感できるし、その読む本を幾らでも買い与えられていた裕福な家庭であったということに対しては羨望があるばかりである。

中島梓が群像新人賞 (評論部門) をとった『文学の輪郭』は1977年だが、その前年、1976年の群像新人賞 (小説部門) は村上龍の『限りなく透明に近いブルー』、そして1979年の群像新人賞 (小説部門) は村上春樹の『風の歌を聴け』であり、この一連の流れは、時代を象徴しているのではないか、ということである。(p.175)
そして『文学の輪郭』の翌年である1978年に中島梓は『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞をとるのであるが、『ぼくらの時代』は、主人公の名前も含め、庄司薫を連想させると私は思うのである。つまりそのテイストは 「この時代の一連の流れ」 ではなく、やや古風である。表面的にライトな擬装がなされているだけである。
だが今となっては、どの時代も同様のセピア色に変わってしまっているので、その時代性の微妙な色分けを峻別する手がかりは無い。

もうひとつ、中島梓の作品の特徴として、ホモセクシュアルな世界への執着・耽溺があげられる。俗に 「やおい」 などと呼ばれ、最近ではBLとか、種々の称呼があるが、厳密に考えればホモセクシュアル (≒ゲイ) と 「やおい」 は異なるものであり、男性の同性愛を描くことによって、女性の性的葛藤あるいは欲望から逃れているような、免罪符的働きをしているのが 「やおい」 のようにも思う。
萩尾望都、竹宮惠子といった24年組を中心とした少女マンガ家によって一気にそれがメジャー化した時期があったが、萩尾と竹宮でもそのアプローチには違いがあるし、単なるトレンドとしてのエピゴーネン的なフォロワーもいたのではないかと思える。

また、その表象としてコミック誌『JUNE』(1978年創刊。創刊当時はJUNだったが、たぶん大手アパレルからのクレームがあってJUNEになったのではないか) があげられる。雑誌全体がいわゆるBL的であり、出版社はサン出版である。創刊号に掲載された 「薔薇十字館」 という短編小説はジュスティーヌ・セリエ・作、あかぎはるな・訳、竹宮惠子・イラストとあるが、ジュスティーヌ・セリエというのはボリス・ヴィアン的フェイクであって、中島梓のペンネームであるとのこと (p.205)。つまり中島梓と竹宮惠子のタッグによって、この雑誌は先導されてゆく。

少年愛・同性愛的な要素への興味を中島梓が持ったのは森茉莉の『枯葉の寝床』であったという。だがその当時、それは文庫には入っておらず、彼女にとって幻の本であって、入手するまでに3年かかったのだということである (p.97)。その出会いのことは『森茉莉全集』第2巻の月報に収録されている、とある。

そしてBL物の小説として、まずあげられるのが『真夜中の天使』である。これは何度も書き直されたりして、幾つものヴァリエーションがあるということを初めて知ったのだが、基本的に今西良という美少年が主人公になっている小説で、そのストーリーは暗い。
それと、これはあくまで私の感覚なのであるが、今西良というネーミングが’すでに古い。でも逆にいうと、その、ややくすんだ色彩こそが中島梓の世界なのかもしれないとも思うのだ。

1975年にTBSTVで《悪魔のようなあいつ》というTVドラマがあり、その主演は沢田研二、役名が 「可門良」 だったので、そこからの発想ではないか、といわれると納得できる (p.145)。私はそのドラマを知らないが、当時の、たぶん絶頂期だった沢田研二からインスパイアされたイメージをそのまま使ってしまうミーハー度においては、中島梓と森茉莉は似ている (森茉莉は『ドッキリチャンネル』という著作にも見られるように、非常に偏向したミーハーでもあった)。そして暗いというよりも退嬰的な設定において両者は似ているが、つまり森茉莉からの影響を自分なりに変奏して作品に呼応させたということなのだろう。

私はこの本の著者である里中高志のように熱心な中島梓の読者ではないし、熱心に読んでいた時期もあったがそれは過去のことで、だからニュアンスはつい過去形になってしまう。
過去形になってしまった原因には2つあって、ひとつは《キャバレー》という映画であった。これは1983年に上梓された原作を角川春樹が監督した作品であり、中島梓の責任は薄いのだが、繰り返し出てくる〈Left Alone〉のメロディがあまりにも多過ぎて陳腐で、これはきっとジャズを聴き始めたばかりの人のセンスだ、と思ってしまったことにある。音楽とはほどほどに使うのが良いのであって、鼻についたらおしまいである。
リュック・ベッソンの映画《レオン》(1994) はそのエンディングにスティングの歌〈Shape of My Heart〉が流れるが、あらかじめエンディグ・ソングとして想定されたものであるとはいえ、その印象は鮮烈である。ずっと押さえていて最後に出すからこそ効果的なのだ。映画音楽にはここぞというポジションがあるべきだ。

もうひとつは彼女の代表作である『グイン・サーガ』で、読み始めたとき、その面白さは群を抜くものであった。次がすぐに読みたくなる渇望度は池田理代子の『ベルサイユのばら』に似る。
だが『グイン・サーガ』が何十巻か経ったところで、それがどこだったか、どんなシーンだったのかも忘れてしまったのだが、「ちょっとこれはどうなの?」 という個所があって、そこで私の読書は止まってしまった。中島梓は出版時、ストーリーの中での矛盾に対する、いわゆるファクトチェックには応じていたが、「文体とかには一切触れさせてもらえませんでした」 (p.265) というスタッフの発言があるが、私が引っかかったのはおそらくその文体についてであったと思う。

でもだからといって中島梓の独創性がそがれるわけではない。その時の夢、その時の幻想にだけ輝き、やがて褪せてゆく小説があってもよいと思うのである。それはかえってその時代、その状況を伴って思い出される性質の記憶であるからだ。
たとえば (以前の記事にも書いたが) 寺山修司の演劇がそうである。その戯曲を読んでも、劇評にあたっても、残された映像を観たとしても、それでは補いきれないものが多過ぎる。そして寺山修司が存在しないと寺山の演劇は存在しない。まるで主人を欠いた宏壮な邸のように。
その時代にシンクロしていないと輝かないものがある。それが 「流行」 というものである。たとえば小室哲哉の一連の音楽がある。アーカイヴから解凍しても元の新鮮さは戻らない。たとえば東京キッドブラザースもそうなのかもしれない (私はほとんど知らないが)。

永遠に残るものがよいとは限らない。なぜなら人間自体が永遠に残るものではないからだ。残るものは美化されるが、やがて風化し、そして朽ち果てる。それよりももっと軽いスパンのものが 「流行」 であり、だから流行は刹那的であり、流行作家も刹那的だ。主人となるものは時代であり、人間はそれに引っ張られているだけの従属物であり端役に過ぎない。


里中高志/栗本薫と中島梓 (早川書房)
栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人

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