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深緑野分『オーブランの少女』 [本]

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『ベルリンは晴れているか』の作家、深緑野分のデビュー作『オーブランの少女』の文庫の再版が平積みになっていたので購入。異なるデザインのカヴァーが二重に付いているのがなぜだかわからないのだが、ともかく読んでみる。短編が5つ、最後のは少し長め。ミステリとして創元推理文庫から出されていることに意味がある。

タイトルの 「オーブランの少女」 は、おそろしく美しい庭園の風景と状況設定の中で、おそろしく凄惨なことが起こるというその落差が鮮やかである。とざされた環境の中で暮らす少女たちは、皆、マルグリット、オランジュ、ヴィオレットといった花の名前で呼ばれ、そして皆、腕にリボンをつけている。登場人物がすべて日本人ではないこと、次第に明らかになるナチとレジスタンスとの関係など、題材としては『ベルリンは晴れているか』の原型ともいえるし、ミステリというより幻想小説的テイストもあるのだが、でも実はリアルで、シビアで、骨太で、一種の反戦小説的様相を帯びている。
これが深緑野分の最初に書いた作品だということだが、その完成度はあり得ないほど高い。解説によればダフニ・デュ・モリエの『レベッカ』(1938) のイメージに触発された部分があるとのことである。
オーブランは 「白」 のフランス語 blanc を地名に使いたいという意図が最初にあり、aublancとしたとのこと。タイトルの Les Filles dans le jardin aublanc から私はモーリス・ルブランの La Demoiselle aux yeux verts を想起する (関連性はないけれど)。

「仮面」 は20世紀初めのロンドンが舞台。イギリスはコナン・ドイルに象徴されるミステリ格好の舞台であるが、その暗い陰湿さから私が連想したのは、もっと前の時代設定であるけれど、ディクスン・カーの『ビロードの悪魔』の雰囲気であった。
フレンチ・カンカンの狂躁に揺れるキャバレーという、ロンドンに持ち込まれた異質のもの、そしてそうしたものは粛清されたかのように死を迎えるという結末も懐かしきイギリス風味だが、端役だと思っていた人物が実は主人公 (というか話の中心人物) であったという 「外し方」 のテクニックもニクい。

「大雨とトマト」 は大雨の日に安食堂にやって来た2人の客と店主との心理的な変化、というよりむしろ店主の妄想を描いた掌編。孤島とか人里離れた建物などの閉鎖空間に閉じこめられる設定はミステリの王道の舞台のひとつだが、最後にちょっとした種明かしがあるのが洒落ている。

「片想い」 は昭和初期の東京の女学校の寄宿舎を舞台とした作品で、ストーリーの基本となるのは 「エス」、つまり女性の同性愛である。記号論的に大島弓子を連想させる構造であるように思う。
文通という行為が手紙のトリックに使われ、ミステリ風味としての重要な意味を持つが、こうした方法を使ってまで擬装工作するのだろうか、という現実論を超えていかにもミステリらしい論理で愉しませてくれる。このトリックは何かで読んだような記憶があるが、はっきりとした確証がない。解説によれば皆川博子の『倒立する塔の殺人』へのオマージュがあるとのことである。
【以下の部分、これから読もうとする場合、ネタバレがありますので飛ばしてください】
尚、本文にも解説にも書かれていないが、「たまき」 (TaMaKi) という名前と 「ともこ」 (ToMoKo) という名前は、子音が同一であるところに伏線がある。

「氷の皇国」 は文庫本総ページ数の3分の1を占めている作品。未知の極寒の地を舞台にしたミステリ+ファンタシィである。吟遊詩人が語った話という設定で、紗のかかった奥行きを感じさせる導入も良い。寒冷な貧しい土地、恐怖政治、そして残酷描写はこの著者の特質かもしれなくて、そこから醸し出される風景は、だが映像的で美しい。そして貧しい国の権力者ほど驕奢に溺れるものである。「オーブランの少女」 のミオゾティス、そして本作のケーキリアのような冷たい印象の大人びた少女が深緑野分のヒロインのパターンのひとつのようにも思える。
唐突に出現する名探偵という展開は 「仮面」 に似ていて、でもそれよりは説得力で優っている。著者がこうした構想を元として、もっと長大な作品を書くかもしれないと解説にある。「オーブランの少女」 から発展した『ベルリンは晴れているか』のように、構築性に満ちた長編を期待したい。


深緑野分/オーブランの少女 (東京創元社)
オーブランの少女 (創元推理文庫)




深緑野分/ベルリンは晴れているか (筑摩書房)
ベルリンは晴れているか (単行本)

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