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ペニーレインでバーボン ー 吉田拓郎 [音楽]

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吉田拓郎が最もネームヴァリューを得たのはエレック・レコードからCBSソニーに所属を変え〈旅の宿〉という大ヒット曲をリリースした頃のように思える。それは単なるヒット曲ということだけでなく、フォークソングというジャンルが、どちらかというとマイナーでしかもアンダーグラウンドなイメージを持たれていたのを打破し、いわゆるフォークブームのシンポル的存在となり、商業的にも成功したと思われる時期である。
スタジオアルバムで見るのならば《元気です。》(1972)、そして《伽草子》(1973) を経て《今はまだ人生を語らず》(1974) という流れの中にあった頃である。そしてCBSソニーにおけるスタジオアルバムはこの3枚しかない。この中の収録曲から〈春だったね〉〈祭りのあと〉〈ペニーレインでバーボン〉をチョイスしてその内容を見てみよう (当時のアルバムにおける名前表記は 「よしだたくろう」 であるが吉田拓郎で統一する)。

〈春だったね〉はヒット曲〈旅の宿〉も収録されている彼の記念すべきアルバム《元気です。》のトップに置かれた曲である。アルバムタイトルの 「元気です」 の後に付くマルも斬新であり、それは後年の 「モーニング娘。」 と同様の効果をもたらしている。

 僕を忘れた頃に
 君を忘れられない
 そんな僕の手紙がつく

歌詞の冒頭からの、このややわかりにくい構文は何なんだろう、と思うのだが、といっても聴いていて最初からそのように思ったわけではない。歌詞として歌われていれば、そのリズムに乗って、さらっと通り過ぎてしまう歌詞なのだが、よく読むと不思議な日本語なのだ。
これは 「君が僕を忘れてしまった頃になっても、僕は君を忘れられないんだ」 という未練がましい僕の言葉で書かれていて、しかもそのようなことを書いた僕の手紙が君のところに届いただろうに違いない、という間接的な用法を凝縮した歌詞なのである。「君が僕を忘れた頃に」 「僕は君を忘れられない」 という意味なのにその代名詞の主格が省略されているからだ。それゆえにかえって詩語としてのインパクトは大きい。
作詞者は田口淑子、このアルバム1曲目が吉田拓郎本人の作詞でないということも興味深い。ちなみに2曲目の〈せんこう花火〉も吉屋信子の作詞によるものである (作曲はアルバム全曲、吉田拓郎である)。

歌詞のつづきは、

 くもりガラスの窓をたたいて
 君の時計をとめてみたい

であるが、これはジャックスの曲〈時計をとめて〉を思い起こさせる (ジャックスについては、当ブログの前記事に書いたばかりである)。

 時計をとめて二人の為に
 素敵な恋の中で

だがジャックスのこのスローでやや異質な曲調は、まさにそう感じる通り、早川義夫の作品ではなくギタリストの水橋春夫の作詞作曲である。そして作詞者である田口淑子が〈春だったね〉の作詞をしていたとき、彼女の記憶の中にジャックスの〈時計をとめて〉はたぶんあったのではないか、というのが私の推理である。

〈春だったね〉の歌詞に戻ると、その後はこのように続く。

 あゝ僕の時計はあの時のまま
 風に吹きあげられたほこりの中
 二人の声も消えてしまった
 あゝ あれは春だったね

「風に吹きあげられたほこりの中」 という形容は春を連想させる言葉であり、歌詞の2番には 「風に揺れるタンポポをそえて」 という言葉もあることから、この歌の季節もたぶん春であり、とすると主人公は少なくとも1年前に別れてしまった恋人にまだ未練があるということなのが想像できる。でもその 「君」 は、主人公である 「僕」 のことなど、たぶんとっくに忘れているのだ。
1番の後、やや歌詞を変えた2番があり、その後は1番がリフレインされて戻ってくる。だが一番最後の 「あゝ あれは春だったね」 は 「あゝ あれは春だったんだね」 と過去形でなく過去完了的な歌詞でしめくくられる。つまりその過去は完全に終わってしまったということをあらわす悲しい結末なのである。最後を 「春だったんだね」 とした作詞の感覚が冴えている。

〈祭りのあと〉は同じアルバム《元気です。》に収められている岡本おさみ作詞による曲である。岡本おさみの作詞は、吉田拓郎の歌に独特の陰影をもたらす。この時期の吉田拓郎の有名曲の作詞に岡本の作詞が多いのは、その詞世界のかたちづくるトーンが、暗く悲しく情念あるいは諦念に満ちていて、それがメロディに乗って発せられたとき、一種の郷愁を誘われるような感覚を与えてくれるからなのだと思う。

〈祭りのあと〉における最も惹かれる重要な箇所は次の部分である。

 日々を慰安が吹き荒れて
 帰ってゆける場所がない
 日々を慰安が吹きぬけて
 死んでしまうには早すぎる

ここで言われている慰安は、慰安と言いながら慰安ではない。なぜなら慰安とは 「吹き荒れる」 ようなものではないはずだからである。だから 「帰ってゆける場所がない」 のだ。
そしてそもそも、「日々を慰安が吹き荒れ」 るという言葉に違和感がある。なぐさめとかやすらぎと言わずにあえて慰安というこなれない言葉を使ってしまうことによって言葉が立つ。それが詩の語法のひとつである。この部分は吉野弘の詩 「日々を慰安が」 から採られた語句であるとのこと。その吉野弘の詩にはウィリアム・バトラー・イェーツの詩からの引用がある。つまりイェーツ→吉野弘→岡本おさみという過程を経て成立した作詞なのである。

岡本おさみの詞は、それ自体は秀逸である。つまり曲とその歌手 (この場合、それは同一であるが) を引き立て、その世界に共鳴する語彙を持っている。しかし、その歌詞がその時代を反映しているゆえに、その時代の作品であることが明示されることになるため、つまりその時代の香りを纏ってしまうために普遍性を持ち得ず限定的であり、音楽性としてはかえって古いようにも感じてしまう。それはたとえば山口百恵の作品 (阿木燿子/宇崎竜童) などにも同様に感じられる。もちろんそれが悪いといっているのではなく、その時代を背負った音楽であるという意味である。

〈ペニーレインでバーボン〉はアルバム《今はまだ人生を語らず》の冒頭曲である。〈春だったね〉も〈ペニーレインでバーボン〉もアルバムの1曲目であり、そしてテンポも似ていて、吉田拓郎の歌詞の特徴をよく備えている曲でもある。〈春だったね〉を例にとれば、その歌詞の譜割りは非常に特徴的である。

 僕を忘れた頃に
 君を忘れられない
 そんな僕の手紙がつく

は、実際には、

 ぼくをー、わすれたぁー、ころにー
 きみをぉー、わすれぇー、られなぁいー
 そんなぁ、ぼくのぉ、てがみがぁー、つくぅー

であり、前のほうに細かく言葉がまとまり、うしろを伸ばすという歌唱法である。これが吉田拓郎の特徴となり、その頃のフォークソングの歌唱テイストをあらわしている。
さて、〈ペニーレインでバーボン〉であるが、この曲は〈春だったね〉などと違って退廃的であり、恋や愛の話はなくて、単純に今の時代がよくないということを、メッセージ性を出すようにして歌っている。だが実際に具体的なメッセージといえるものはなく、つまりプロテストソングではなくて、もっと密やかな愚痴のようなものだ。それが吉田拓郎の詩法であり、それに対して内容がないとか思想がないといって揶揄されたり非難されたりした元であったともいえる。そしてそうした方法論でけなすこと自体が、70年代という時代性の特徴でもあったように私には感じられる。今の時代、そうした方法論は色褪せているし、そのようにして音楽を論じようとする人はもう存在しないのではないかと思う。だが当時はそうした視点が確かに存在したのだ。それは懐古趣味であると同時に、歴史を感じさせる現象でもある。

そして〈ペニーレインでバーボン〉は歌詞に差別用語があるということで、この曲だけでなく、このアルバム自体が廃盤となってしまった。1979年の大晦日の日本青年館におけるライヴでの〈ペニーレインでバーボン〉は決して退廃的ではなく、強いパワーが炸裂している。ジェイク・E・コンセプションのサックスにも熱いほとばしりがある。フォークソングブームはすでに20世紀の、過去のものであるが、その頃のパワーのほうが現代の忖度ばかりの世の中と違ってずっと面白いように感じられるのはなぜだろうか。当時のライヴ映像を観ていて思うのはそんなことばかりである。


吉田拓郎/ペニーレインでバーボン
Super Jam 70’sファイナルコンサート 1979.12.31
https://www.youtube.com/watch?v=3WKfCsAyR1w

吉田拓郎/落陽
1979
https://www.youtube.com/watch?v=q-hfrAWYXEY

吉田拓郎/祭りのあと
https://www.youtube.com/watch?v=n8OUm1rtS8A

吉田拓郎/春だったね
1992
https://www.youtube.com/watch?v=i57Qc8ufV18

* 上記のYouTubeの〈祭りのあと〉〈春だったね〉はかなり後年の映像であるが、特に1992年の〈春だったね〉が興味をひく。バブル期の服はどうしてこんなにも限定的なデザインなのだろうか。バブルは女性の衣服だけでなく男性の衣服も特徴的だったことがよくわかる。そしていかにも成金な吉田拓郎のテレキャス風のギターに当時の流行が偲ばれる。そう思ったのでわざわざリンクしてみたのである。もちろんベストの歌唱ではない。

KinKi Kids/全部だきしめて
僕らの音樂 2007. 07. 20
https://www.youtube.com/watch?v=pigz10uwKzg
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ラブ・ジェネレーション ー 早川義夫 [音楽]

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ジャックスは日本の1960年代後半に活動していたロック・バンドであるが、その当時大流行していたグループ・サウンズとはほとんど関係がない。正確にいえばグループ・サウンズの流行が翳りを見せ、次のフォークソング・ブームへと変わる頃の時期のバンドであるが、残念ながらよく知られたバンドとは言い難い。wikiによれば活動時期は1965年から1969年、公式にリリースされたアルバムは東芝音楽工業から出された2枚のみである。しかも2枚目が出されたとき、バンドはすでに解散していた。

実は、この前の記事に井上陽水のことを書いてから、次は吉田拓郎を書くべきなのだろうかと思ってYouTubeを探しているうちに偶然、早川義夫のライヴ映像を見つけたのだ。早川義夫とはジャックスのヴォーカリストでありリーダーであった人である。そのYouTubeの動画は1994年の渋谷公会堂のライヴなのであるが、ジャックスを解散してから25年も経ってのライヴは、とても熟成していて、若い頃の激情的な歌唱とは少し違う、オトナの音楽であるという感じがした。といっても枯れてしまったとか脆弱になってしまったということではなく、むしろ表現力に奥行きを加えた心に沁みる歌だと思ったのである。
曲は〈ラブ・ジェネレーション〉、視聴回数が500回あまりしかないが彼の代表作であり、丁寧に明確に表現された素晴らしい歌唱だと思う。こういう曲は好き嫌いが極端に分かれるかもしれないが、そんなことはどうでもよくて、それより私の中で歌に附随した幾つもの思い出が唐突に甦ってきたことに驚くのだった。それはアムネジアの森の中に打ち棄てられていた苦い記憶で、あまりにペシミスティックで、忘れていた感覚だった。

1968年のアルバム《ジャックスの世界》に収められているオリジナルの〈ラブ・ジェネレーション〉の早川義夫の声はいかにも若く、暗い情念に溢れているのはいうまでもないが、曲のトーンはその時代を拒否しているように見えて、それがかえってその頃の世界の、あるいはこの国の閉塞感と虚無感を反映しているようにも思える。
そして25年後の渋谷公会堂の歌唱は、過去の記憶の上に塗り重ねられた重層的で深みを増した説得力となって私の胸に突き刺さる。

この曲は1970年に岡林信康によってカヴァーされた。それは早川義夫がディレクションした岡林の2ndアルバム《見るまえに跳べ》に収録されているが、アルバムタイトルの 「見るまえに跳べ」 は大江健三郎の作品『見るまえに跳べ』(1958) から採られたものだと思われる。
岡林のカヴァーは非常に緻密に柔軟なニュアンスで歌われていて、岡林信康というカリスマ性に満ちた、しかし多分にプロテスト色の濃いフォークシンガーのイメージからすると肩透かしの気持ちにとらわれるが、それは勝手に想像していた肥大した思い込みに過ぎず、岡林の本質は優れた歌手なのである。
当時のバックバンドはまだ無名に近かったはっぴいえんど (大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆) であるが、すでにこの時点でそのサウンドは確立しつつある。

早川義夫はかなり長い間、音楽活動を離れ、渋谷公会堂のライヴはその長い不在の後で復活した頃の歌唱である。早川の長い沈黙がこのような熟成した音楽をもたらしたのかもしれない。
その後、2008年に40周年記念として《Legend 40th Anniversary Box》というボックスが発売されているが残念ながら私は知らないままでいた。私が持っている音源は高護プロデュースによる《ジャックスCD-BOX》(1989) だけである。これはたまたまあるパーティーで、高護さんがその発売を宣伝していたのを聞き購入したものである。
そもそも私はジャックスもはっぴいえんども知らなくて、ある知人からそれらのレコードを借りて聴いたのがきっかけである。もちろん全てオリジナルLPであった。彼はジャックスもはっぴいえんどもグループ・サウンズもポール・マッカートニーも、すべての音楽に通暁していて、未知なもの、知らないものをすくい上げる最大の目利き (耳利き?) であった。音楽だけでなく演劇や文学にも明るかった。だがあるときからそうした芸術にほとんど関心を示さなくなった。それがなぜだったのかはわからないが、それは悲しいことだったのかもしれない。そしてその人はもう彼岸へと旅立ってしまった。それが忘却の中に遺棄された壊れた人形のような苦い記憶なのである。


ジャックスの世界 (EMIミュージックジャパン)
ジャックスの世界(紙ジャケット仕様)




早川義夫/ラブ・ジェネレーション
1994年11月14日 渋谷公会堂
早川義夫、梅津和時、渡辺勝、楠均、大久保晋、森俊也
https://www.youtube.com/watch?v=XOjYUBFcSjg

ラブ・ジェネレーション (1968・original)
https://www.uta-net.com/movie/255395/

早川義夫+佐久間正英/サルビアの花
銕仙会能楽堂・2005
https://www.youtube.com/watch?v=EdrIyU22KoQ

岡林信康/ラブ・ジェネレーション
https://www.youtube.com/watch?v=WkbScBntcsQ

岡林信康/ラブ・ジェネレーション (live)
https://www.youtube.com/watch?v=VtrLubZTxMA
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音楽で読む『みみずくは黄昏に飛びたつ』 [本]

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村上春樹&川上未映子 (新潮社→日本経済新聞より)

『みみずくは黄昏に飛びたつ』は、川上未映子が村上春樹にインタビューした記録をまとめた本ということになっているが、川上未映子の発言の比重が大きく、実質的には対談に近い内容となっている。インタビューは2015年から2017年にかけて4回行われたとのこと。発売されたとき、気にはなっていたのだが結局買わず、今回文庫が出たので遅まきながら読んでみたのである。文庫化に際し、2019年に行われた対談がオマケとして収録されている。

例によって私はそんなに真面目な村上春樹の読者ではない。だから毎年のノーベル賞騒ぎとも無縁である。今回もたまたま読んだだけで、熱心なファンのように出版された本を必ず買って読むということはない。その程度の読者なので、この本の中の重要なポイントは幾つかあるのだが、とりあえず音楽の話題に言及している個所をひろってみたいと思う。

一番面白いと感じたのはマイルス・デイヴィスに関する次のような発言である。村上はマイルズと言っている。

 マイルズ・デイヴィスをマーティン・ウィリアムズという評論家がイン
 タビューしてる記事を読んだことあります。ブラインド・フォールドで
 レコードをかけて、その感想を聞くんだけど、そのときにマイルズ・デ
 イヴィス自身の古いレコードをかけるわけ。曲は十年ぐらい前に演奏し
 た彼のオリジナル曲 「Swing Spring」 だったかな。そしたらマイルズ、
 「これ、なかなか悪くないじゃないか、誰の演奏? 誰の曲?」 って尋ね
 るんです。「これ、あなたが十年前にやったあなたの曲なんですけど」 と
 インタビュアーが答えたら、「いや、おれはこういうの覚えてねえな」 と。
 僕はそれを読んで、またこいつ嘘ついてるよなと思った (笑)。いい加減
 なこと言って格好つけやがって、忘れるわけないだろ、とか。「Swing
 Spring」 って名演ですからね。そんなに簡単には忘れられないだろう、
 と。でも最近になって、ああ、マイルズはあのとき本当に忘れてたのか
 もなと考えるようになりました。読んだときはさ、嘘つけ、ほんとにも
 う、とかあきれていたけど (笑)。(文庫版p.358. 以下同様)

この話は、過去に書いた作品を読み返すことはあるか、という川上の問いかけに対して、五年前のファッションが古いと感じるのと同じように、過去の作品も古いと感じてしまうので読み返せない、と答えた後に、やや唐突に語られるのだが、その後も話題が移っていってしまい目立った展開がないのだけれど、ここでこの話題が出てきたのは、川上未映子が村上の昔の作品に言及すると、覚えてないと答えることが何度もあって、それに対するエクスキューズを意識的にか無意識的にか、出してしまっているように感じられる。つまり、マイルスだって忘れることがあるんだから、僕が忘れることがあっても当然だよね、という意味である。

そしてそれは『騎士団長殺し』のサブタイトルにあるイデアとメタファーに関する話題に敷衍することが可能である。川上が騎士団長のイデアについて、プラトンを引きながら訊ねたのに対し、村上はこの作品におけるイデアはプラトンのイデアとは関係ないと答えるのである。川上が懇切丁寧に 「今この世界に存在しているものは仮の姿であって、すべてのものに本当の姿、イデアがある」 と説明すると、知らなかったと答えるので、川上は 「本当なのかなあ」 と疑う。村上は 「プラトンなんてまず読まないもの」 と補足する。
川上が解説するプラトンのイデア論の説明を引用してみよう。

 わたしたちの現実世界には、たとえばそこにコーヒーカップ、あるいは
 村上さんの本がある。また色々な概念がある。でもそれらは似姿で、善
 なる天上の世界にはそれらのイデアというものがあって、それこそが真
 実であると。天上には光源があって、イデアが洞窟の壁に投影している
 影をわたしたちは見ているに過ぎない。これが洞窟の比喩ですね。
 (p.196)

さらに、

 わたしたちが今見ているのは、洞窟に映った影にすぎないけれど、じつ
 は我々は、昔は善なる世界にいて、物や概念の真なる姿、イデアを知っ
 ていた。(p.196)

そして、

 でも、わたしたちは汚れ [けがれ] のために、この影の世界に落とされ
 てしまった。ところが、ある物をある物として認識することができたり、
 美しいものを見たときにそれが美しいとわかるのは――まあ、それって
 言葉があるということでもあるんですが――それは、天上で触れていた
 イデアを思い出しているんだと。愛や美しさを直観できるのも、かつて
 それを知っていたからだと。想起説。(p.197)

それに対して村上は、

 なるほど。すべては本物の幻影に過ぎないんだ。そういえばマーヴィ
 ン・ゲイの古い歌に 「Ain’t Nothing Like the Real Thing (本物に勝る
 ものなし)」 というのがあったけど。(p.198)

と言う。これは単純にまぜっかえしと考えていいのだろうか。川上が言うような 「『騎士団長殺し』は、イデアとメタファーの、集合的無意識の奪い合いとも読めるわけだし」 (p.196) という読み方は軽くいなされてしまったからである。この部分がこの本の中で最も面白い。
話が前後しているのだが、このメディア/メタファー論があってから約3週間後のインタビューの中で前述の、マイルスが自分の演奏を収録した録音を覚えていなかったという逸話が出てくるので、この2つの話は関連性があると私は思うのである。
確かにプラトンなんて、古典ではあるけれど名前を知っているだけで普通は読まないものなのかもしれない。もっともSF好きな私は、クリティアスやティマイオスくらいは読んでいるし、アリストテレスの科学系のものも 「とんでも」 な部分があったりして面白いのだが。
似ているかもしれないがイデアはプラトンのイデアでなくて、「ただイデアという言葉を借りただけ」 (p.193) と村上に断定されてしまうと、川上はうろたえるしかないのである。
そもそも村上が引き合いに出してきたマイルスの話――マイルスが自分の演奏曲〈Swing Spring〉をそれと見破れなかったということはおそらくあり得ない、と考えるほうが自然である。マイルスのような鋭敏な感覚の人が、誰にでもわかるような音色と音構造をかつての自分の演奏だと認識できないなどということはファンタジィの世界にしか存在しない。〈Swing Spring〉を改めて聴いてみたが、名曲というより特徴的なテーマ、そして個性的なサイドメンによる際立った曲であり、よりによってマイルスがこれを忘れることはないはずである。

ストーリー構築についての問い――最初から結末までを見通して書いているのかどうかということについて村上はそれを否定する。ゲームのアナロジーとして説明するのならば、プログラミングする側とプレーする側が自分の中で完全にスプリットされているようなものなのだと語る。つまりストーリーがどこにたどり着くのかは作家本人にもわからないというのである。そのスプリット感の例として、グレン・グールドの奏法に話が移ってゆく。グールドの演奏が他のピアニストと異なるのは、左右の手の動きが分断されているからというのである。それはグールドの演奏の中で最も有名なゴルトベルクに対する村上の批評でもある。

 普通のピアニストって右手と左手のコンビネーションを考えながら弾い
 ているじゃないですか。ピアノ弾く人はみんなそうしてますよね。当然
 のことです。でもグレン・グールドはそうじゃない。右手と左手が全然
 違うことをしている。それぞれの手が自分のやりたいことをやっている。
 でもその二つが一緒になると、結果的に見事な音楽世界がきちっと確立
 されている。でもどうみても左手は左手のことしか、右手は右手のこと
 しか考えてない。ほかのピアニストって必ず、ごく自然に、右手と左手
 を調和させて考えています。彼にはそういう意識はないみたいに見える。
 (p.128)

グレン・グールドのそうしたピアニズムはグールドがプログラミングしているのではなくて、自然にプログラミングされているのだ、と村上は言うのである。そしてそうした乖離の感覚は人の心を引きつける魅力もあるが、同時に危ない感じもあると言う。ただそれはグールドだからこそのスプリット感であり乖離された感覚なのであって、凡庸なピアニストはそういうことはできないし、音楽として統合され得ないことになってしまうだろうことが想像できる。
そうした独特の感覚、通常と異なる違和感のようなものがグールドのピアニズムの特質であって、それを左右の手がそれぞれ独立した人格を備えているように聞こえると村上は言っているのだ。対位法が2声なら2人の奏者、3声なら3人の奏者がグールドの中に存在するのだというようにパラフレーズしてみてもよい。
たとえばピアノの片手の守備範囲内に2声以上の音が存在する場合、それらの音は重なりまとまった和音としてではなく、それぞれの声部が異なるアーティキュレーションで演奏されるべきである。なぜならそれがバロックだからである。グールドにはその感覚があらかじめ備わっていた――つまりスプリット感をそういうものとして最初から自然に (あるいは天然に) 所有していたと見るべきなのである、と村上は指摘しているのだと思う。

ブルース・スプリングスティーンやパティ・スミスの話も興味をひく。スプリングスティーンは村上と同い年なのだという。

 でもああいう人たちは、たぶん精神年齢がまだ三十代なんだね。「俺、
 もう六十八だから」 とか、「私もう七十だから」 というようなことは絶対
 口にしないし、また感じさせない。別に若ぶっているつもりはないんだ
 ろうけど、彼らの言ってることとか、感じてることとか、やりたいこと
 とかは、まだ三十代の感覚ですね。(p.387)

そういうのもありなのだし、そうした活力がある限りは、その先のこと――たとえば死についてもそこまで深く考える必要はないのだ、と村上はいうのである。
年齢に関して、ドストエフスキーは60歳で死んでしまったけれど、自分がドストエフスキーより長く生きて小説を書いているとは思わなかった、と村上はいう。そしてドストエフスキーは写真で見ると 「すごいジジイ」 ともいうのだが、それを川上は 「時代も違いますから」 とフォローしている。(p.292)

それ以外の音楽に関する話題はそんなに見当たらない。
文章の魅力というものについて村上は、「それはある程度生れもってのもの」 と言い、身体能力に近いものでもあり、歌に似ているとも言う。そして 「生まれつき音痴の人っているじゃない」 と言い、自分もそうなのだと言う。これもイデアの話と同様に、本当なのかな? という疑問符で一杯になるのだ。(p.273)
「TVピープル」 という作品は、MTVでルー・リードのミュージック・ビデオを観て、それにインスパイアされて書いたというエピソードも、ただルー・リードという固有名詞が出てきたのに過ぎないのだが、印象に残る。(p.313)

だが一番印象に残ったのは、またジャズクラブをやりたいと述懐する部分である。

 小説を書かなくなったら、青山あたりでジャズクラブを経営したいです
 ね。ハンフリー・ボガードみたいに蝶ネクタイ締めて、ハウス・ピアニ
 ストに 「その曲は弾くなと言っただろ、サム」 みたいなことを言って
 (笑) (p.87)

小説よりもピーター・キャットの再来を期待してしまう、よこしまな読者の私である。


村上春樹・川上未映子/みみずくは黄昏に飛びたつ (新潮社)
みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る (新潮文庫)




村上春樹/騎士団長殺し 第1部 (新潮社)
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編




村上春樹/騎士団長殺し 第2部 (新潮社)
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編




Miles Davis/Swing Spring
https://www.youtube.com/watch?v=8Yk8LVA6HPE
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