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《アーヤと魔女》 [映画]

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NHKTVでスタジオ・ジブリの《アーヤと魔女》を観ました。
いぁ、これはすごい。内容としては軽いんですけど、魔女宅も千と千尋もアリエッティも、いままでの宮崎ワールド的ないろいろな要素が皆入ってる。3D、すごいなぁ。でも宮崎駿って3D嫌いって言ってなかったっけ?
ま、それよりも宮崎って赤毛のアンが嫌いで会社辞めたっていうことになってますけど、宮崎の作品に最も重要なファクターとして常に存在するのが赤毛のアンであるという矛盾。誰かツッコめよ。って、もうそこら中でツッコまれてるかもしれないですが。

暗さがすごいです。魔女の家の中、なんでこんなに画面を暗くするんだ? っていうことで。私は転形劇場のライティングを思い出してしまう。ウチのTVは従来型のTVだけど、良い画面で観ればもっと深みがあるんだろうな、と想像できます。色が美しい。暗いほうが色は美しいのだということがわかる。

アーヤとベラ・ヤーガはつまり千とゆばーばなんだけど、マンドレークがロックな人でカッコイイです。ニック・ドレイクじゃなくてマンドレーク。全然関係ないと言われるでしょうが、マンドレークって私が連想したのはヴィトゲンシュタインです。トーマスは結局、ジジですね。
あとさ、ラジカセが笑う。ラジカセ、いいですよね。実はこの前、ソニーのラジカセを買ったばかりです。ラジカセってくらいだから、カセットが付いてなくちゃ意味がないです。それでカセット付きのを買いました。実際にカセットテープ聴くかどうかはわからないけど、たぶん聴かないとは思うんだけど、でもカセットがないとラジカセじゃない、と思うのです。もっぱら最近はアナログ志向なんです。

尚、音楽は武部聡志が担当していますが、劇中歌シェリナ・ムナフの伴奏はギターが亀本寛貴 (GLIM SPANKY)、ドラムスがシシド・カフカです。

     *

YOASOBIは追加で紅白出場が決まりましたけど、わざと 「後出し」 にしたような感じもしますね。そのほうがインパクトあるし。LiSA、YOASOBI、東京事変、あいみょんという流れもすごい。


NHK 注目!情報
https://www6.nhk.or.jp/anime/topics/detail.html?i=10005
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岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』を読む [本]

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前記事のつづきである。

岸本佐知子のエッセイは面白いのだけれど中毒になるから、読むのは一日に3本まで、とどこかに書いてあった。これは本当である。でも面白いので、食べ出したら止まらなくなるスナック菓子のように全部読んでしまう。ああ、もったいない。惜しみ惜しみ少しずつ読まないと、といつも後悔してしまうのだが後の祭り。

岸本のエッセイによく出てくるテーマとして、記憶に対する視点がある。記憶の不確かさ、曖昧さ、そして記憶は必ずしも過去の正当な記憶ではなくて、自己の中で捏造されたあり得ない記憶だったり、他人の話を自分の経験のように組み立て直してしまう記憶だってあるのかもしれないと思わされる。
そしてもうひとつ、あまりに面白くてぐいぐい引き込まれていくうちに、いつの間にか嘘の領域、つまりフィクションに入ってしまう変換点が絶妙で、時としてだまされてしまう。もうだまされないぞ、と思いながら身構えて読んでいたりする。

たとえばこの本の中で 「まゆつば」 してしまったのが 「海芝浦」 である。

 横浜の鶴見線というローカル線の、そのまた支線の終着駅。ホームの片
 側が海、反対側は東芝の工場で、改札口が一つあるにはあるが東芝の敷
 地内に直結しているため、東芝の社員でないかぎり、降りてもそのまま
 引き返すか海に飛びこむか二つに一つしかない。そんな駅が本当に存在
 するという。(p.48)

へぇ、そんな駅があるんだ、と読んでいたのだが、まてよ、また岸本佐知子マジックにやられているかもしれないと突然疑ってしまった。ところが調べてみたら、本当にそういう駅があるんですね。しかもテッチャンの間では有名な駅らしい。本当に存在するということがかえってショックだったのだが、「引き返すか海に飛びこむか」 などと書くから怪しさ100%になってしまうわけで、この屈折した読者の心情を岸本先生はきっと 「しめしめ」 と思っているのに違いない。
それでYouTubeを探してみたら《男女7人秋物語》(1987) というTVドラマに出てくる海芝浦駅のシーンがあったので、前回の記事にリンクしておいたのである。唐突で何だかわからなかったと思うので、もう一度しつこく下記にリンクしておく。
《男女7人秋物語》というのは有名なドラマらしいのだが、私は今まで見たことがなくて、初めて見たのだが、何か背中がぞわぞわした。この時代のドラマって、ファッションとか周囲の小道具まで含めて、無意識の気恥ずかしさとでもいえばいいのか、その時代がくっきりとわかるように思う。海芝浦のホームに入って来る古い電車というのもなかなかよい。

このドラマのシーンを選んだ理由はもうひとつあって、それは本の冒頭の 「赤坂見附」 の中で、バブル期の頃、大学を卒業した岸本は赤坂見附にある会社に勤めていたとのこと。しかし仕事に全く向いていなかったこと、その自尊心を埋めるために服ばかり買っていたことが自虐的に書かれている。まさにそれはこのドラマに描かれている時代なのではないだろうか。過去の記憶をたどるために岸本は赤坂見附に赴き、その変わりようが描写されているのだが、

 さっきから話しかけてくるこの声、会社のビルを出たあたりから気配と
 なってついてくる。これが誰なのか、もちろん私は気づいている。ソバ
 ージュの髪、太い眉、会社支給の黄色いスカートに七百八十円のつっか
 け。共布のベルトの端がめくれあがるのを、ダブルクリップで留めてい
 る。(p.13)

バリ島からごく近所の街まで、大きい旅、小さい旅の過程を岸本は記述する。このエッセイ集は柴田元幸編集の雑誌『MONKEY』に連載されたものをまとめた本だとのことだが、どこか、いつもと違うところに旅したことを書くというのがコンセプトになっていて、それはごく近くの、旅ともいえない場所であっても構わないらしいのだが、「鬼がつくほどの出不精」 と謙遜しながら、その旅日記のようなもののアレンジの魅力に引き寄せられる。自身で仮のつもりで撮ったスマホの画像がそのまま使われているのも彼女の本らしい。富士山が好きで、ロボットのペッパーが怖い、機関車トーマスも恐ろしいなどというストレートな嗜好にも笑ってしまう。
それでいて丹波篠山の話は気持ちがしんみりしてしまうし、猫のギプスの話にはシンパシーを感じてしまう。面白くて、少し感傷的な冬の暮れ。この本に書かれている話ではないのだけれど、電車の忘れ物をとりに行ってどんどん地下に降りていく話とか、ときに幻想小説っぽくなることがあっても山尾悠子崩れになってしまい、お笑いに流れてゆくこの絶妙さ。岸本先生、好きです。なお岸本佐知子の本業は翻訳家である。

 この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れ
 てしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とと
 もに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこか
 の誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見
 た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていて
 ほしい。(p.88)

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『死ぬまでに行きたい海』特設ページ
http://www.switch-pub.co.jp/kishimoto_sachiko/

岸本佐知子/死ぬまでに行きたい海
(スイッチパブリッシング)
死ぬまでに行きたい海




海芝浦駅/男女7人秋物語 第1話『再会』より
https://www.youtube.com/watch?v=vP5BnGgHcCE
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書店で [雑記]

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書店で、岸本佐知子の本を買おうとしていたら、左隣で、同じ本を手にとった人がいました。かなり年配の男性です。しばらくして本を棚に戻したのですが、今度は右側のほうに行って、スティーヴン・キングとか翻訳書を見ています。うっとうしいなぁ、と思っていたところ、本棚の向こう側に行ってしまったのですが、そのうちぐるっと回ってきて、またそのへんの本を眺めながら、私に突然聞いてきたのです。
「中学生の女の子なんだけど、どんな本がいいかな? 中学生くらいってむずかしいんだよ」
いきなりそんなこと言われてもねぇ。おそらく孫娘に何か本を買ってやるつもりらしいのです。クリスマスですし。そして、
「これなんかどう?」
って棚から抜き出したのが特装版の『オズの魔法使い』。う〜ん、名作ですけど、でもその子の好みがありますから、それに今の子にはちょっとぬるくてピンと来ないかも、と言ってしまいました。それにしてもスティーヴン・キングとライマン・フランク・ボームって、もうメチャクチャ。

じゃあ、何か良い本ないかね? と言われてもあまりに漠然としてるし、そもそもその子がどんな子でどんな好みなのかもわからないし。すっごく本が好きなのか、それともあんまり読んだことがないのか。文化系か体育会系かによっても違いますよね。それで日本の作家はどうなんですか、と聞いたところ、日本の作家はいいと思えるのがないんだよね、と言うのです。
突然ひらめいたので、アーシュラ・ル・グィンってどうですか? と言ったら案の定知らない。『ゲド戦記』って有名なシリーズがあって、これは名作です。翻訳も素晴らしい、と勧めてみます。それ、むずかしくない? と言うので、小学校高学年以上だったら全然大丈夫、というと、それが見たいというので、でも今見ている一般書の棚ではなくて児童文学なので、岸本佐知子の本を持ったまま、かなり遠くの棚まで探しに行ったのですが、岩波少年文庫の棚はごっそり抜け落ちてスカスカになっていて『ゲド戦記』がない。

ダメじゃん、この本屋。と思ったけれど仕方がないので、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の上巻があったので、表紙もなんとなくオシャレだし、とりあえずこれとか、とお見せしたら、上巻だけ? というので、読んで面白かったら下巻も買うのはどうですか、と言うと、どうもありがとう、と籠に入れました。実際に買ったのかどうかはわからないですけれど、でも岩波少年文庫ならそんなに高価な本ではないし、失敗してもダメ元だと考えたのです。

でも、あとから考えるとそこは某有名書店の支店なんだし、ブック・コンシェルジュなるスタッフがいたっておかしくないし、せめて店員さんに聞けばいいのに、と思ったのですが、逆にそういうのがきまりわるかったのかもしれないです。それにもしかすると、スティーヴン・キングを見てたくらいだから、その子はミステリーとかホラーが好きな子なのかもしれない、と突然思い当たる。エンデは失敗だったかも。
または意外に読書家で、エンデなんか当然読んでいて、「これ、もう読んで知ってるよ、おじいちゃん!」 と言われてしまうかもしれないです。

だったらそんなエンデとか推薦図書みたいな無難なのでなくて、ジャン・ジュネとかガルシア=マルケスとかホセ・ドノソなんかを 「これ、名作ですよ」 って言って勧める手もあったなぁ、と、よこしまな妄想をしてみる。ま、妄想だけでさすがにそれはしませんけど。いっそ、岸本佐知子でもよかったかなと思い当たる。でも中学生でこんなの読んだら、ひねちゃうかもね。

岸本佐知子、面白いです。最近、ブレイディみかこも面白いですけど彼女は体育会系、でも岸本佐知子は学生時代にアーチェリーやってたとかいうんだけど、バリバリな文化系です。とゆーか、脱力っぽい、あるいは脱力っぽく見せかけてるエセ脱力系エッセイがだんだんと幻想小説っぽく変化していくところとか、おぬしできるな状態で、うん、岸本佐知子って天才かもしれないと思う今日この頃です。装幀もいいなぁ。これ、おすすめです。表紙写真も筆者の撮影です。ネコの置物みたいなのは上海で買った陶器の枕だって。笑うよね。


岸本佐知子/死ぬまでに行きたい海
(スイッチパブリッシング)
死ぬまでに行きたい海




<ミヒャエル・エンデ/はてしない物語 (岩波書店)
はてしない物語 上 (岩波少年文庫)




海芝浦駅/男女7人秋物語 第1話『再会』より
https://www.youtube.com/watch?v=vP5BnGgHcCE

     *

三枝夕夏 IN db/誰もがきっと誰かのサンタクロース
https://www.youtube.com/watch?v=Tr-QHhlfkUY&t=32s
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YOASOBI〈ハルカ〉 [音楽]

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18日昼のTOKYO FMの鈴木おさむの番組〈JUMP UP MELODIES TOP20〉にYOASOBIが出演していた。新曲〈ハルカ〉のプロモーションである。3時間番組で、もちろんランキングの曲などもかけるのだが (テイラー・スイフト結構いいじゃん! と思ったりして。イントロがスティングのShape of My Heartみたいな雰囲気だ)、YOASOBIの話も十分に聴けて充実した内容だった。

曲について鈴木おさむが 「ミディアムだけど踊りやすい曲」 だと言ったのに対し、Ayaseは 「自分が作っているときから揺れてないと」 と答える。そして 「ゆっくりのバラードでもいい曲なら踊れる」 とも。つまり踊れない曲より踊れる曲が良くて、それを目指しているということ。
いよいよCDが来年初めに発売されるが、ikuraは 「配信で出していても、最終的にはCDとして出したい」 という。配信ってかたちがないものですからねぇ。

〈ハルカ〉について、どういうところにこだわっているかという質問へのAyaseの答えがタネ明かしみたいになっていて、あぁそうなのか、と思う。
「最初のイントロから本チャン・イントロに入るときに逆転調して下にキーが落ちてるんですね。で、そこから1サビで1回、転調して上がっていって、その後、ラス・サビでもう1回、転調したときに最後のキーと一番頭のキーが一緒になる、っていうように作っていて、これがマグカップの視点から、ずっと回想なわけじゃないですか、その割れたときに今までのことを思い出しつづけてきたっていう回想なので、現時点から進んで1回過去に戻るというのを、音で下に下げて、少しずつ階段的に上がって、愛してるよ、のときにキーが一緒になって今に戻る」 というふうに作ったのだそうです (Ayaseが語っている言葉をやや修正してわかりやすくしてあります)。

単純にAyaseらしいいつもの転調というふうに思っていたのですがそんなイージーなものじゃなくて、全体の構造と音とが関連づけられているという、これには鈴木おさむはじめ、皆、うわぁすごい、といっていましたけど、音楽の楽しみとしてこういうのっていいですね。

番組を聴きたいかたはradikoで12月19日24:44まで聴取可能です。興味と時間のあるかたは是非どうぞ。3時間ありますが、上記楽曲解説は最後のほうです。
CDの初回限定盤はオマケが購入店によって、やや異なるみたいです。私はすでに予約済です。
〈ハルカ〉のMVは6時間前に公開されましたが、今の時点で、442,370回視聴になっています。

     *

以下、雑な感想ですが、末尾ルコさんのコメに対するリプライをこのブログ本文にも載せておきます。
〈ハルカ〉はまだ何回か聞き返しただけですが、その構造について簡単に書いてみたものです。

この歌の主人公はマグカップです。
マグカップが電子レンジの中で回っている動画があって、
でも回想ですぐに逆回転して過去へと遡って行く。
それで下に転調するわけです。
電子レンジの回転とテープレコーダーの回転との錯綜
というふうに動画で表現されていると見ていいです。

「いつでも君と共に歩いてきたキセキ」
のキセキは軌跡と奇蹟のダブルミーニングなので
カタカナなんですね。
こんなのすぐわかりますけど、一応押さえておくことに。

「ふりかえれば数え切れない」
で転調しますが、
ここから具体的な過去の話題に入って行きます。

「訪れた
 よろこびの春は」
ではその前のフレーズ「ありがとう」で話題が一段落して、
ここの始まりだけ少し前から、つまりアウフタクトで始まります。
ここも洒落た小技ですね。

そして、次のリフレインがAyase独特の
積み重ねるパターン、一番決め打ちの箇所です。
この重層パターンが出てくると涙腺がゆるみます。
「君のそばにいられること
 君のよろこびは
 ボクのよろこびで
 君の大切が幸せが
 いつまでも君とありますように」

そしてその後に一種のブレイクがあって、
その部分の最後、
「あの日のように笑顔で」
から
「ふりかえればいくつもの」
へと持って行く転調が秀逸。ここもキモですね。
明るさを伴っているのだけれど、実は違うので、
つまりマグカップの死を示しているのです。

全体のテーマはいわば 「無償の愛」 です。
筒井康隆の 「お紺昇天」 に似た感じもあります。
そしてテーマは表面的には無生物の愛なのですが、
それはもちろんメタファーであって、
かなえられない愛の悲しみともなっています。
こういうふうに歌詞を作ってしまえるのって
Ayaseって何てヤツだ、と私は思います。


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YOASOBI/ハルカ
https://www.youtube.com/watch?v=vd3IlOjSUGQ

YOASOBI/群青
https://www.youtube.com/watch?v=Y4nEEZwckuU

taylor swift/willow (official music video)
https://www.youtube.com/watch?v=RsEZmictANA
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追悼・筒美京平を読む —『ミュージック・マガジン』12月号 [本]

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『ミュージック・マガジン』12月号の特集は 「追悼・筒美京平」 となっていて、なんとなくすぐに買わないでいたのだが、買って読んでみたら大変に詳しい内容で面白く読んでしまった。
インタビューなどの記事もあるのだが、一番没入して読んでしまったのが何人かの評論家によって紹介されている各年代のヒット曲の解説である。こんな曲やあんな曲というバラエティさで、それはまさに職業作曲家であった筒美の特徴だが、1967〜1974年という、筒美のごく初期の作品の解説など、俗な言い方をしてしまえばまさに驚愕の作品群と思ってしまう。

1968年の作品として当時大流行のグループサウンズ、オックスの〈ダンシング・セブンティーン〉が取り上げられているのだが、オックスのデビューから5曲はすべて作詞:橋本淳/作曲:筒美京平によってつくられているのだということを初めて知った。つまり〈ガール・フレンド〉も〈ダンシング・セブンティーン〉も〈スワンの涙〉もこのコンビの作品なのである。グループサウンズ (略してGS) とはすごく大雑把に言ってしまえば日本における最初にして最大のバンドブームなわけで、だがおそらくそうした音楽がもてはやされた背景には、世界的に流行していたビートルズやローリング・ストーンズからの影響があったのだろうが、その頃の日本の音楽的土壌の中で、GSがあっという間に日本の歌謡曲的テイストによって懐柔され変質していったととらえることもできるのであり、筒美もその首謀者のひとりであったというふうに見ることができる。これは決して筒美を貶めて言っているのではない。洋楽をいかに日本の音楽シーンの中に根付かせるかという素朴な動機があったのだと思う。だが同時に、売れなければ音楽ではないというような経済的思惑も働いていたのである。

このオックスの最初の3曲はすべて1968年にリリースされたシングルであるが、同年の12月25日に発売されたのが、いしだあゆみの〈ブルー・ライト・ヨコハマ〉である。おそらく筒美京平における最初の大ヒット作品であるが、「覚えやすいメロディながらAメロが9小節という破格の構成」 (p.45) と書かれている。これはこの前の《関ジャム》の筒美特集でも触れられていたと思う。しかもそれだけでなく、サビは10小節で、これもかなり異端である。つまり曲全体の小節数は9+9+10+9という構成なのだ (歌謡曲やポップソングは普通、12小節、16小節、24小節といった4の倍数の小節数であることがほとんどである)。そのイレギュラーさが問題なのではなく、イレギュラーさを全く意識させないように作られているということが驚きである。

これは翌1971年6月にリリースされた南沙織のデビュー曲〈17才〉でも同様なトリッキーさで展開されている。この雑誌の解説ではイントロが3小節とあるが、楽譜がどのように書かれているのか不明なのだけれど、イントロの最後の音は4小節目の1拍目なのだから、歌詞の 「誰もいない/(海)」 までを含めて4小節と考えるのが妥当のように思える。すると 「〜海/二人の愛を」 以下の繰り返しの部分が9小節、サビが 「(走る)/水辺のまぶしさ」 から数えて11小節、そして最後の 「(私は)/今/生きている」 が4小節ということになる。〈ブルー・ライト・ヨコハマ〉と似たポップスらしくない凝り方なのであるが、それをこの時代にわざわざ作ったというところに、筒美の気負いを感じるのである。

1985年12月発売の少年隊のデビュー曲〈仮面舞踏会〉(作詞:ちあき哲也、編曲:船山基紀) はジャニー喜多川から 「100万枚売らないといけない存在」 (p.72) と言い渡され、筒美にとってもすごいプレッシャーだったと書かれている。5拍子で始まるイントロは船山がキーボード奏者の大谷和夫に弾かせたものだとのこと。全体的な編曲は派手でその当時の最新の電子音が散りばめられているという感じなのだが、今聴くとベースのリズムはチープでスカスカである。流行の音というのは必ず陳腐化する見本のようで、逆にそれがその時代を象徴しているようで空虚な美しさに満ちている。
だがこのリストを見ていると、この辺りを境にして、それ以後1980年代の後半にかけ、筒美作品は次第にしぼんでゆく。もちろん佳作品はいくつもあるのだが、歌謡曲としての需要の方向性が次第に変わっていったのではないかと感じる。いわゆる渋谷系の擡頭があり、そうした中で筒美も小沢健二やPIZZICATO FIVEに曲を提供しているが、「大きな潮目の変化を感じざるを得ない時代」 (p.77) になってしまったのは否めない。
つまり60年代の終わりから80年代の終わりにかけての約20年間が、筒美京平の最高潮だった時期というふうにとらえることができると思う。


ミュージック・マガジン2020年12月号
(ミュージック・マガジン)
ミュージック・マガジン 2020年 12月号




いしだあゆみ/ブルー・ライト・ヨコハマ
https://www.youtube.com/watch?v=XKhsCLh86Dg

南沙織/17才・他
https://www.youtube.com/watch?v=fapJ3BNYTLI

少年隊/仮面舞踏会
https://www.youtube.com/watch?v=87Ns9QIcRSA

PIZZICATO FIVE/恋のルール・新しいルール
https://www.youtube.com/watch?v=t4Jo26CQfR0
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《関ジャム》の松任谷正隆 [音楽]

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12月初め、エスカレーターでタワーレコード新宿店へと上って行くと、ジュール・ヴェルヌを髣髴とさせるような等身大の古風な潜水具に包まれた2人のオブジェがあって、ニューアルバムのプロモーションだなと気づく。だが、すっぽりと頭部を隠した像は何かもっと違うフェティッシュな嗜好のメタファーのようにも感じられて、でもこそこまでの深読みは考え過ぎなのかもしれなかった。

《関ジャム》の11月29日放送のゲストは松任谷正隆で、アルバム発売のプロモーションの一環として来ました、と言っていたが、松任谷由実の作品を作り上げる過程が垣間見えて、熱心に見入ってしまう。シンガーソングライターは本人によってそこで完結しているので、それをプロデュースするのは大変だというニュアンスが感じとれた。同じような形態としてDREAMS COME TRUEがいるが、その奔放さをいかにコントロールしていくのかという点で似たものがある。

幾つかのユーミンの楽曲ができ上がるまでのエピソードがとても面白い。
〈春よ、来い〉は当初、もっとエスニックな曲想だったのだという。それを 「和」 の感じに変えたのだという。和風な印象のあのイントロを5分くらいで作って、それは最初否定されたが、これでいけるという自信があった。そして大ヒットにつながったことがその自信の結果であるのは確かだ。

〈ノーサイド〉のイントロはどのように作られたか、という話には笑ってしまった。試合が終わった後をイメージするような、ローズによる印象的なメロディであるが、松任谷は自分で作ったものではないと衝撃的な告白をする。ベーシスト高水健司が吉川忠英のために作っていたイントロをたまたま聴いて、「これ、ちょうだい」 と言ってもらったのだという。なにそれ状態な雰囲気で、でもそういうことってあるんだろうなとも思える。

〈真夏の夜の夢〉は賀来千香子と佐野史郎による、ある意味猟奇的なドラマ《誰にも言えない》の主題歌であるが、できるだけ下品に作ったイントロで、そのイメージとして城卓矢の演歌〈骨まで愛して〉に影響を受けたというのである。最初に作ったイントロをユーミンは 「もっと下品に」 と言って却下したのだそうだ。んー、すごい! 確かにドロドロ感が満ちてるよね。

曲づくりの過程として 「曲先」 であるか 「詞先」 であるかということがよく言われるが、曲ができるまでの順番は、と問われた答えは作曲→アレンジ→作詞という流れなのだそうだ。つまり編曲が完成したところでそのイメージに沿って詞をつける。なぜなら編曲によってイメージが最初に考えていた詞と違ってしまう場合があり、それだと無駄なので、無駄なことはしたくないというのがユーミンの考え方なのだそうである。

〈リフレインが叫んでる〉で 「〜夕映えをあきらめて 走る時刻」 の後に、車の走る音が入る箇所が印象的と指摘するゲストコメンテイターの新井恵理那に対して、あれはシンクラヴィアを導入したばかりでサンプリングの効果を試そうと車の音を入れたので、シンバル音を入れたようなもの、と答える。ケイト・ブッシュが《Never for Ever》の冒頭曲〈バブーシュカ〉でガラスの砕ける音をフェアライトで入れたのと同じような動機かもしれない。

〈DESTINY〉におけるコード進行についても語られる。
A | F#m7 | D6 | E7 | A | F#m7 | D6 | E7 F#m |
D/F# | F#m | D/F# | F#m/E | D/E | F#m7/E | D/E |
C#7/E# C#7/G# |
今回の企画のコーディネーターである寺岡呼人は、イントロ’ (上記の2段目) からのベース音はF#とEの2音しかないが上に乗る音で変化して行くと解説していたが、むしろわざと F#とE音をキープしているととらえることもできる。クロマティックにベース音が下降するプログレッションと同様、よくある手口だ。
松任谷はアレンジのとき、コードは考えていないという。コードに縛られるのは嫌だし、ユーミンが作ったメロディだけ覚えておいて、付けられたコードは全部捨てるともいう。コードに縛られたくないという意識は、スティーヴィー・ワンダーがスタンダードな押さえ方をしないという話に通じるように思う。

さらに寺岡呼人は、では〈恋人がサンタクロース〉の転調はなぜ? と訊く。
D | D | A/C# | Bm | A | B7/A | G#m | C#m C# |
これは松任谷の問題ではなく、作曲者であるユーミンへの問いかけだ。それに対する松任谷の答えが面白くて、「由実さんがわからなくなったから」。ユーミンは粘り強くどこまでも突き詰めて試行錯誤するが、そのうちどこに行ったら良いのかわからなくなってAに行ってしまったという 「わからなくなった上の偶然の産物」 なのだそう。流れに必然性があってその音が自然なのならば理論は関係ないのだ。

アルバムを製作して完成するまでの松任谷の比喩がわかりやすい。アルバムができ上がってもそれがリリースされた頃には、ほとんど聴きたくなくなる。それは、あそこはこうすればよかった、というような不満があるからなのか、という問いに対して松任谷は、アルバムを作るというのは、昆虫の標本を作る感じであり、幼虫から育てて一番キレイになったときにピンと殺す。でもそうして標本になったらそれからは変えようがないから、と語るのである。
これは文章をどこまで推敲するかとか、絵をどこまでで完成とするか、というようなことに似ている。

番組の最後に松任谷宅のスタジオが映し出されたが、宏大なSSLのコンソールの前でモニターするユーミン。音楽づくりには理想的な環境であることが感じとれる。

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松任谷由実/深海の街 (Universal Music)
深海の街(初回限定盤)(DVD付)(特典:ナシ)




関ジャム 2020.11.29 松任谷正隆
https://www.dailymotion.com/video/x7xs0dy

松任谷由実/深海の街
https://www.youtube.com/watch?v=eG9NqEEWE00

松任谷由実/春よ、来い
TIME MACHINE TOUR Traveling through 45 years
https://www.youtube.com/watch?v=TZEO3qHGTqI

松任谷由実/リフレインが叫んでる
YUMING SPECTACLE SHANGRILA II
https://www.youtube.com/watch?v=BPXFJd-VVgg

松任谷由実/恋人がサンタクロース
https://www.youtube.com/watch?v=kSrje0jehnw

松任谷由実/DESTINY
https://www.youtube.com/watch?v=5yQAJjC9cYo
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