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at THE RECORD SHOPパンフのことなど [雑記]

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タワーレコードにat THE RECORD SHOP 2022というパンフレットがあった。
なにげなく貰ってしまったのだが日本全国のレコードショップが紹介されていて、もちろん全部ではないのだけれど結構面白いし使える。もちろんタワーレコードだけではなくて競合相手であるHMVのショップもきちんと紹介されているし、ところどころにショップオーナーへのインタヴュー記事などもはさまれている。

もう1冊、レコードストアデイに合わせたレコード紹介のパンフレットもあるのだが、このどちらもがテクニクスのレコードプレーヤー SL-1200MK7の宣伝にもなっている。
今回のSL-1200MK7は上面パネルが7色展開になっていて、DJに使ったら映える仕様にされているようだ。かなりカッコイイ。それと、今年のレコードストアデイでは7インチ、つまりシングル盤の発売が非常に多い。

ところが『SWITCH』5月号の特集も 「アナログレコード再発見」 となっていて、サカナクションの山口一郎の記事がトップにあるが、この雑誌も実質的にSL-1200MK7が取り上げられていて、テクニクスのプロモーションに近い雰囲気である (念のために書いておくと、テクニクスとはパナソニックのオーディオ用ブランド名である)。

書店にはルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』が大量に積まれていて、これは岸本佐知子の翻訳である。岸本佐知子とは、もちろんあのオバカでインテレクチュアルなエッセイで知られる岸本であるが、このルシア・ベルリンは彼女の本業であるマジメなほうのお仕事の成果である。私の購入したのはサイン本で、岸本先生の名前の下に、富士山みたいなマークが描いてあった。わーい。
ルシア・ベルリンの1冊目の『掃除婦のための手引き書』はこの2冊目に合わせて文庫が発売になったが、実は原書はこの2冊の内容を合わせたものだとのこと。つまり1冊にするのには厚過ぎるので——というか、実際にはまず様子見として1冊目で半分出してみて、いけそうなので2冊目を出したということだろう。

リチャード・パワーズの『黄金虫変奏曲』も翻訳が発売された。1991年の作品であるが、ハードカヴァー2段組で870ページもあり小ぶりの漢和辞典みたいで、寝転がって読むことが不可能な本である。

宇多田ヒカルのアナログ盤は後発の4〜6枚目がユニヴァーサルからリリースされた。1〜3枚目は再発だったが、この4〜6枚目は初アナログ化である。ソニーに移ってからの2枚もアナログ盤がリリースされたので、メインのアルバムは全てアナログが出揃ったことになる。
どれも2枚組になっているのは音溝に余裕を持たせてプリエコーも少なく、という意図なのだろうが重くて仕方がない。最近はLPでも片面の収録時間を少なくして音質向上をはかるという流行があって、さらに45rpmにすることさえあるが、『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 読本』の中でのエンジニアの話によれば、かならずしも45rpmのほうがよいとは限らないとのことである。
Awesome City ClubのPOLINは『SWITCH』5月号で、宇多田ヒカルをアナログで聴いていると書いているが、トーキング・ヘッズの《Stop Making Sense》を持っている写真があって、ライヴ盤で演奏もヨレヨレだし歌のピッチも緩いのに、それをそのまま出してしまうという潔さと自由さが素晴らしいと言っていて、う〜ん、うまい褒め方だなぁと感心してしまいました。

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ルシア・ベルリン/すべての月、すべての年 (講談社)
すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集




ルシア・ベルリン/掃除婦のための手引き書 (講談社文庫)
掃除婦のための手引き書 ――ルシア・ベルリン作品集 (講談社文庫)




SWITCH Vol.40 No.5 特集 アナログレコード再発見
(スイッチパブリッシング)
SWITCH Vol.40 No.5 特集 アナログレコード再発見(表紙巻頭:山口一郎)




リチャード・パワーズ/黄金虫変奏曲 (みすず書房)
黄金虫変奏曲




宇多田ヒカル/ULTRA BLUE (Universal Music)
(レコード)
【Amazon.co.jp限定】ULTRA BLUE (生産限定盤)(2枚組)(特典:メガジャケ付)[Analog] ※5月中旬以降お届け予定




島谷ひとみ/真夜中のドア〜STAY WITH ME〜
(松原みきの大ヒット曲のカヴァー)
https://www.youtube.com/watch?v=8nj-qzw4YXo

Stop Making Sense - Official Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=yCXT5Fs-V10

Talking Heads/Stop Making Sense (Full Show)
https://www.youtube.com/watch?v=-oVami1uT7Q
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藤井風テレビ [音楽]

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藤井風テレビ (お笑いナタリーより)

テレビ朝日の《藤井風テレビwithシソンヌ・ヒコロヒー》を観た。藤井風をメインに据えたお笑い番組である。

場面はレストラン。藤井風はピアニスト役で、客の男が相手の女にプロポーズしようとしている大事なときなのに、そのシーンに合わない曲を弾いて監督のメガホンで何度も殴られるというドリフなコントに大笑い。一番最後には、ドリフの場面転換のメロディをピアノで弾いているのに引っぱられて退場というマニアック (でもないか) なオチ。でも藤井風、あんなに殴られていいんか? と心配してしまうくらいでした。

唯一の歌唱シーン。〈まつり〉を歌ったのだが、この曲がどういう曲なのかいままで知らないでいたことに愕然。微妙なニュアンスの積み重ねの中に、あぁそうなんだ、と納得できた部分がいくつもあって、というか、いままで聴いていたのは上っ面だけでそこまでわかっていなかったのだと思う。

「花祭り 夏祭り」 「秋祭り 冬休み」 という対比が微妙なニュアンスと感じてしまうひとつの例である。
「愛しか感じたくもない」 「もう何の分け隔てもない」 「比べるものは一切ない」 「勝ちや負けとか一切ない」 と 「ない」 の連鎖から連想するのはギルバート・オサリヴァンの〈Nothing Rhymed〉だが、藤井の場合は単なるNoの連鎖だけでは終わらなくて、「僕が泣いた」 「君が笑った」 と 「夏の暑さ」 「冬の厳しさ」 という対比を経てさらにその奥に入って行く。

 花祭り 夏祭り
 生まれゆくもの死にゆくもの
 全てが同時の出来事
 秋祭り 冬休み
 みな抱きしめたら踊りなさいな さいな

「踊りなさいな」 の後、「さいな」 と繰り返すのは、さらに 「さいなら」 へと向かう暗示でもある。
まつりというものが本来持っている原初的な意義がここで明らかになる。まつりとは非日常の時と空間であって、だがそれは生活のサイクルの中でのほんのひとときに過ぎない。そのひとときは享楽でありアナーキーであって、引いた場所から見るとニヒリスティックな様相も備えている。だからとりあえず嫌なことは忘れて、まつりだまつりだ北島三郎だ、というのがまつりの一面でもある。
ある意味、とても日本的なセンシティヴィティであって、そのなかに屈折した藤井風のあきらめと受容がある。やさしく寄り添いながら同時に突き放しているような、これもまた微妙なニュアンスである。

 苦しむことは何もない
 肩落とすこた一切ない
 ない ない

歌詞だけを抜き出すと無骨で直裁過ぎるように思えるが、それがメロディに乗ると言葉であらわせない感情が漂う。長く引き延ばされた 「ない」。悩み苦しむ心でいる者への肯定感。スタジオで歌う藤井風を観ながら思わず涙が出そうになった。歌とは本来、そのような素朴な感想で語るべきものなのである。
バックで弾いていたあのギター、モダーンですよね?


藤井風/LOVE ALL SERVE ALL (Universal Music)
LOVE ALL SERVE ALL (初回盤)(2枚組)




藤井風/まつり (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=NwOvu-j_WjY

* xxxHOLiCのテーマ曲はセカオワ、音楽は渋谷慶一郎って……おぉ。
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『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 読本』を読む [本]

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別冊ステレオサウンドの『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 読本』が面白い。
全く広告の入っていないいわゆるムック本だが、関係者へのインタヴューなど中身が濃くて、さすがステレオサウンドと思わせる。

その中で一番面白かったのは金沢明子へのインタヴューである。金沢明子は大瀧詠一の企画した《イエロー・サブマリン音頭》の歌手である。原曲はビートルズの〈イエロー・サブマリン〉であり、それを音頭に編曲してしまったというトンデモな曲であり、当時、ビートルズ原理主義者からは悪ふざけだと大顰蹙をかったことでも知られる。

この作品の成立経緯についてはwikipediaなどにも記述があるが、金沢明子の発言からはやや違ったニュアンスが聞き取れる。以下はその概略である。

金沢はビクターのプロデューサーの飯田久彦から 「ビートルズのイエロー・サブマリンを音頭でカヴァーするという企画があるんだけど、やってみませんか?」 と言われた (飯田久彦というのは日本のポップス黎明期の歌手で〈悲しき街角〉〈ルイジアナ・ママ〉などのヒット曲があるが、このときはすでにビクターでプロデューサーをしていた)。
だがその時点では曲も詞も別のものがついていて、とりあえず企画を通すためのデモ曲のようだった。ここで気がつくのは、最初から 「音頭でカヴァーする」 という意図でかたまっていたようなのである。ところがそれを飯田久彦が大瀧詠一に聴かせたところ、「やるんだったら僕にやらせてよ」 という話になり、大瀧がやることになった。金沢が知っている経緯はそういうものだという。

だが金沢はそのとき、大瀧詠一という人がどういう人かを知らなかった。《A LONG VACATION》がヒットしていた頃だったが、ジャンルの違いもあって、金沢にとってはまだ未知の人だったのである。だが松田聖子の〈風立ちぬ〉も大瀧の作曲だと知って、だんだん 「すごい話かも」 と思うようになった。

そしてレコーディング当日。金沢はまだ大瀧の顔さえ知らなくて、スタジオに入ったらジーンズを穿いて赤鉛筆を耳にはさんだ競艇場にいそうなおじさんがいて、この人誰だろう? と思ったらそれが大瀧詠一だった。《A LONG VACATION》のイメージからすると意外だったとのこと。

曲のアレンジは萩原哲晶で本人もスタジオにいたが、金沢は萩原のことは知っていた。萩原哲晶はクレージーキャッツの編曲者として有名だったからである。大瀧と萩原は録音の数ヶ月前に知り合い、クレージーキャッツのファンだった大瀧が萩原に編曲を依頼したのだとのこと。

さて、いざ録音となって、インタヴューアーの湯浅学が 「何テイク録音されたんですか」 と金沢に聞くと 「1テイク」 なのだという。正確にいうと1.5テイクくらいで、途中まで歌ったら、じゃ本番、ということになった。
なぜ1テイクなのかというと、大瀧から 「空いてるトラックがもう1コしかないんですよ。だから一発OKでよろしくお願いしますね」 と言われたからだとのこと。そしてさらに 「コブシを入れて」 「思いっきりやってください」 とも。ビートルズの曲なのにそんなことをしてもいいのか、とか、We all live in a yellow submarineの部分の英語に自信がなかったが、もうやるしかないと覚悟を決めた。

そしてスタジオのブースで歌い出したら、いままで見えていたガラス越しの人たちが皆、消えてしまった。どうしたのだろうと思っていたのだが、スタッフ一同、しゃがみこんで大爆笑していたのだそうである。
歌い終わってWe all live in a〜のところがぎこちないので、歌い直したいと思ったのだが、大瀧が 「これでいいんです」 というのでそれで終了となってしまった。

インタヴューアーの湯浅学は、トラックがもう無いなどといったのは大瀧のウソで (最も重要なメインの歌のトラックに予備がないはずがない)、金沢に緊張感を持って、さらに先入観無しに歌ってもらいたかったからなのだろうという。

リリース後、金沢が思っていた以上に話題になったが、ビートルズ・ファンから 「ビートルズをバカにしているのか」 とか、ビートルズ・ファンだった金沢の姉からも 「あんた何やってるの?」 と鼻で笑われたりした。
ところが《イエロー・サブマリン音頭》を聴いたポール・マッカートニーは、最後まで聴いてから立ち上がって拍手をしてくれたのだという。原則として歌詞の変更が認められないビートルズの楽曲としては異例の措置である。

この曲は当初、《NIAGARA TRIANGLE Vol.2》の最後のトラックに入れられるはずだった。また、この曲の編曲が萩原哲晶にとっての遺作となった。

とりあえず今回は《イエロー・サブマリン音頭》の話題だけで終わってしまいましたが、まぁいいでしょう。


NIAGARA TRIANGLE Vol.2 読本 (別冊ステレオサウンド)
(ステレオサウンド)
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 読本 (別冊ステレオサウンド)




NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition (通常盤)
(SMR)
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition (通常盤) (特典なし)




金沢明子/イエロー・サブマリン音頭
https://www.youtube.com/watch?v=CBML0RP5tg8

原田知世/A面で恋をして
https://www.youtube.com/watch?v=Fdjiq-uq7iE

Buddy Holly/Everyday
〈A面で恋をして〉の元ネタと思われる曲
https://www.youtube.com/watch?v=GEE2TyadgEM
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村上春樹『女のいない男たち』 [本]

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村上春樹『女のいない男たち』の文庫本がかなり売れているらしい。
同書には映画《ドライブ・マイ・カー》の原作が収録されているので、アカデミー賞効果もあるのだろう。そもそもこの『女のいない男たち』は短編集であり、映画は 「ドライブ・マイ・カー」 のストーリーだけでは成立しないので、他の短編からエピソードを加えた構造になっているとのことだ。「とのことだ」 と書いてしまうのは私がまだこの映画を観ていないからなので、この記事は『女のいない男たち』という短編集に関して感じたことを書いてみたのであって映画とは直接関係がない。村上春樹を久しぶりに読んだ気がする。村上春樹はやっぱり村上春樹だなと思って、ちょっと楽しかった。

『女のいない男たち』には6つの短編が収められているが、そのほとんどが不倫やそれに類した状況を題材としていて、しかも出てくる男が 「寝盗られ宗介」 を髣髴とさせたりするのだが、そんな中で2つ目の短編 「イエスタデイ」 だけが少し違う。そしてこれは青春を回想するような悲しい物語である。

「イエスタデイ」 は 「僕」 という一人称で語られる。僕の友人の木樽明義はビートルズの〈イエスタデイ〉を変な関西弁に訳しているのだが、彼は東京生まれの東京育ちであり、関西弁は人工的に習得した言語である。対して僕は芦屋生まれにもかかわらず東京弁を話す。つまり屈折した言語環境で自分を防御していることについて二人には共通性がある。
栗谷えりかは木樽のガールフレンドで、木樽とは小学校の頃からの長い付き合いなのだ。つまり二人は周囲も認めている許嫁のような関係なのであるが、ある日、木樽は僕に 「おれの彼女とつきあわないか」 という。木樽は僕に、おまえなら安心して預けられるみたいなことを言うのだがその意味がよくわからないから、結局それは進展しないままに終わってしまう。えりかは現役で大学に合格したのに木樽は二浪という負い目のようなものが木樽からは感じとれたのだ。

そして16年後、えりかと僕はあるパーティーで偶然再会する。僕は結婚しているが、えりかは独身のまま。そして木樽はどうしたのか訊ねると、大学進学はあきらめ鮨職人となって今はデンバーにいるのだという。おそらく木樽も独身なのだろうともいう。
ほんの少しのすれ違いがあって、結局それが人生を左右してしまったという話なのだが、でもそのようなちょっとした齟齬は、誰の人生にも転がっているような気がする。
木樽が関西弁で歌う〈イエスタデイ〉という屈折した心情の象徴としてビートルズが使われたのだろうが、私に聞こえてくる歌はどちらかというと 「Ah, look at all the lonely people」 というフレーズである。

尚、木樽 (きたる) という苗字と栗谷 (くりたに) という苗字の最初の3文字 (くりた) はローマ字にするとアナグラムになっている (KITARU → KURITA)。

5つ目の長めの短編 「木野」 [きの] はこの短編集の中で一番緻密で暗く、オカルトな様相も備えている。
木野はスポーツ用品販売会社の営業で地方への出張が多かった。その留守の間に会社の同僚と木野の妻が関係を持ち、それが発覚して木野は離婚することにする。
木野は会社も辞め、伯母が喫茶店を営んでいた路地奥の一軒家を貸してもらいバーを始める。
最初は目立たない店だったが、灰色の雌の野良猫が棲み着くようになり、その猫が呼んだのかやがて客がつくようになる。いつもひとりでやってきて酒を飲みながら読書をする客がいて、ある日、ガラの悪い2人連れ客が面倒を起こしそうになったとき、何らかの方法で撃退してくれた。彼は神田という名前だった。「かんだ」 ではなく 「かみた」 だという。

夏の終わりに木野の離婚は成立するが、やがて秋になると猫がいなくなり、かわりに蛇が店の周囲に姿を見せるようになる。そのことを伯母に電話で知らせると伯母は、蛇は人を導くが、それが良い方向なのか悪い方向なのかは実際になってみないとわからないという。さらに、

 「そう、蛇というものはもともと両義的な生き物なのよ。そして中でもい
 ちばん大きくて賢い蛇は、自分が殺されることのないよう、心臓を別の
 ところに隠しておくの (後略)」 (文春文庫 p.258)

というのである。
ある日、神田がやってきてこの店を閉めるようにと告げる。しばらくこの店を閉めて遠くに行き、なるべく繁雑に移動し、毎週月曜日と木曜日に必ず絵葉書を出す。宛先は伯母さんでよいが差出人の名前もメッセージも書いてはいけない。木野がもどって来てもよい状況になったら知らせる、というのだ。
木野は四国へ、そして九州へと旅を続けるが、やがて宿泊しているホテルから動けなくなり、伯母に文面を書いた絵葉書を出してしまう。するとホテルのドアをずっとノックする音が聞こえるようになる。
「ドアを叩いてるのが誰なのか、木野にはわかる」 のだが木野はドアを開けない。

 おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。
 (文春文庫 p.271)

詩的で流れるような記述によってこの短編は終わってゆく。具体的な説明はなされない。まるで推理小説における 「不誠実な語り手」 のように。
その流れのまま、最後の短編 「女のいない男たち」 が始まる。主人公の僕と、僕の昔の恋人・エム、そして彼女の現在の夫。冒頭、彼女の夫から電話がかかってくる。

 妻は先週の水曜日に自殺をしました。なにはともあれお知らせしておか
 なくてはと思って、と彼は言った。(文春文庫 p.279)

なぜ彼女の夫が僕にそんな電話をかけてきたのかがわからない。そこにどんな必然性があるのだろうか、と僕は考える。そして彼女が 「エレベーター音楽」 が好きだったことを僕は思い出す。エレベーター音楽とは

 つまりパーシー・フェイスだとか、マントヴァーニだとか、レイモン・
 ルフェーブルだとか、フランク・チャックスフィールドだとか、フラン
 シス・レイだとか、101ストリングズだとか、ポール・モーリアだとか、
 ビリー・ヴォーンだとかその手の音楽だ。(文春文庫 p.296)

無害な、ここちよい音楽が好きだったといった彼女のことを僕は思い出す。「そのようにして、彼女はこれまで僕がつきあった女性たちの中で、自死の道を選んだ三人目となった」 (p.282) と僕は語る。そしてその独白のままにこの短編集は終わって行く。
尚、木野という苗字はkinographyの略語kinoなのかもしれないが、あまり深読みはしないことにする。

この 「木野」 を経て 「女のいない男たち」 へと続く流麗さは、ビートルズでたとえるならば《アビイ・ロード》のB面のような印象を私は抱く。でも村上春樹の描く静謐さと内向性を考えると、きっとそれは勘違いなのだろうけれど。たぶん。


村上春樹/女のいない男たち (文藝春秋)
女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)




Paul McCartney Live at The Music for Montserrat
Royal Albert Hall (Monday 15th September 1997)
 01: Yesterday (00:45)
 02: Golden Slumbers / Carry That Weight / The End (03:48)
 03: Hey Jude (12:04)
 04: Kansas City / Hey Hey Hey Hey (18:32)
https://www.youtube.com/watch?v=TBmw6UMA7aw
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日本が生んだクラシックの名曲 —『東京人』2022年4月号 [本]

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少し古い話題になってしまったが『東京人』の先月号 (2022年4月号) の特集 「日本が生んだクラシックの名曲」 を読んだ。

片山杜秀と小室敬幸による 「作曲家の近代音楽史」 は明治からの日本の近代・現代音楽の歴史をわかりやすく解説していて、大変興味深い内容だった。また見たことのない写真も多く掲載されていて、当時の日本が西洋文化に触れてそれを急速に理解しようとしていた頃の情熱が感じ取れる。それは無理矢理に背伸びした試みだったのかもしれないが、まさに文明開化の一端としての音楽に対する旺盛な知識欲が存在していたのに違いない。
写真の中では宮城道雄、藤原義江、巖本真理の昭和17年の3ショットというのが意外な組み合わせで特に印象に残る。齋藤秀雄、小澤征爾、山本直純が談笑する3ショットは意外性はないけれどちょっとすごい。

ごく初期の音楽家のひとりとして幸田延 (こうだ・のぶ 1870−1946) が取り上げられている。彼女はボストンのニューイングランド音楽院やウィーン楽友協会音楽院でピアノ、ヴァイオリン、楽理などを学び、日本政府が西洋音楽振興のために作った音楽取調掛から発展した東京音楽学校で教鞭をとった。wikiによれば瀧廉太郎、三浦環、本居長世、山田耕筰などを育てたとある。
1897年に発表されたヴァイオリン・ソナタ変ホ長調は日本人初の器楽曲であり、YouTubeでも聴くことができる。とりたてて特徴のある作品ではないけれど素直で分かりやすい曲想であり、現代でも十分に鑑賞に堪える。CDなども複数に出ているようだ。
東京音楽学校は東京藝術大学の音楽学部の前身であり、そして幸田延は幸田露伴の妹である。幸田家は幸田露伴→幸田文→青木玉→青木奈緒という4代にわたる文学者の家系なのは知っていたが音楽系も兼ね備えていたというのは驚きである。そして幸田延の妹の安藤幸 (あんどう・こう) も明治の黎明期のヴァイオリニストであり、彼女の息子は小説家の高木卓である。この幸田ファミリーはすごい。

伊福部昭が彼の弟子の中でも黛敏郎を別格に評価していたという記述にも、なるほどと納得できる部分がある。片山に拠れば、オーケストラを強く鳴らしたいという欲求の点において伊福部と黛には共通点があるとしていて、つまりゴジラと涅槃の共演であって、ともかく爆音、そして本質的な孤独さとそれに耐える矜持の深さも似ているという。

ただ、これはこの特集の中での座談会で山田和樹が発言していることだが、海外で日本人作曲家の作品をプログラムにあげるということになると、どうしても武満徹になってしまう。それ以外の作曲家も、ということで三善晃《管弦楽のための協奏曲》をやることにしたとのことで、その意欲に共感する。同曲はシェーンベルクの影響があるとも言われるが、ブーレーズの華やかな部分を連想してしまう曲のように私は感じる。
もっとも三善晃という名前から最初に連想してしまうのは日本アニメーション/フジテレビによる《赤毛のアン》のオープニングテーマである。凡百のアニメ主題歌とは全然違う曲想に、最初聴いたとき 「こんなのやっちゃって、いいの?」 と驚いたのを覚えているからだ。

Naxosには片山杜秀が企画した《日本作曲家選輯 片山杜秀エディション》というボックスセットがあって解説を参照するときにも便利なのだが、現在は絶版なので興味を持った楽曲はNaxosの単売で見つけるしかない。J-popと違って日本の現代音楽は裾野がとても狭い。片山は現代音楽の退潮の原因は難解さか、それとも教養の消滅か、と書いているが、絶滅危惧種などと言わずに、もう少し一般教養となってもよいのではないかとひそかに思うのである。

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東京人2022年4月号 特集 「日本が生んだクラシックの名曲」
(都市出版)
東京人2022年4月号 特集「日本が生んだクラシックの名曲」[雑誌]




三善晃:管弦楽のための協奏曲
https://www.nicovideo.jp/watch/sm8188066

幸田延:ヴァイオリンソナタ 第1番 変ホ長調
https://www.youtube.com/watch?v=yryTmyT_0QA

赤毛のアン 第1話 「マシュウ・カスバート驚く」
https://www.youtube.com/watch?v=DBQgH2o8YKI
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TK from 凛として時雨《Fantastic Magic》 [音楽]

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近くのうらぶれたリユースショップでは、古本 (といってもほとんどがコミック) とCDなどのメディアを扱っているが、久しぶりに行ってみるとCDはほとんど無い。ブルーレイやDVD、ゲームソフト、そしてトレカがその棚を占めている。CDはもうダメなのかもしれない。CD-Rだって大手メーカーは製造から撤退してしまったし。でも、だからこそアナクロを極めるにはCDなのだ。

もし、単純に誰かの楽曲を聴きたいのだったら今ならネットで簡単に探し出せる。けれど全てがあるわけではないし、何かメディアとしてのかたちが欲しいのだ。それはもはやセンチメンタリズムなのかもしれないのだけれど。

メディアという話で思い出したのだが、某雑誌にオーディオマニアらしき人のお宅訪問みたいな記事があって、おそろしく高価だと思われるオーディオセットとあらかじめそのために作られた強固な床のリスニングルーム、そして多数のレコードなどのメディアの写真が掲載されていたのだが、そこでインタヴュアーが聴かせてもらった音源も並べられていて、ところがあまりにも初心者的なジャズアルバムばかりなので申し訳ないけれど笑ってしまった (最初に買うジャズアルバム10枚みたいな)。つまり音楽マニアとオーディオマニアは違うという結論なのである。

中古のレコードやCDを掘り返すのは、古書店で本を探すのとは少し違った感触がある。それは本がその場所で直接中身を確認できるのに対し、音楽メディアは再生してみなければわからないという障壁があるからだろう。すでに知っている音源ならともかく、そうでないときはいままでの知識とカンだけが頼りだからだ。

というほど大げさなものではないのだが、もう捨ててしまってもおかしくない外見の中古CDをサーチして性懲りもなく買ってしまう。Do As Infinityのベスト盤みたいなのがあってCD2枚にDVD1枚で税込100円って……。ちょっと高かったのが柴咲コウのアルバムとTK from 凛として時雨のアルバム。

TK from 凛として時雨は《Fantastic Magic》の初回盤でこれは当たりだったような気がする。YouTubeにはMVとライヴの映像とあって、MVのほうが音はクリアに聞こえるのだがライヴのパッショネイトな演奏のほうが響くものがあるかもしれない。疾走する音こそが命である。
こうしたラウドなバンドサウンドにヴァイオリンが入るのがちょっと好きで、E.D.P.Sを髣髴とさせたが、でもE.D.P.Sなんてもはや誰も知らない (こともないかも)。

凛として時雨はマイブラなんかと同じで、人によっては騒音にしか聞こえないので誰にでもおすすめしません。


Tk from 凛として時雨/Fantastic Magic (SMAR)
Fantastic Magic




Tk from 凛として時雨/Fantastic Magic (live)
https://www.youtube.com/watch?v=jg7JkYxu460

Tk from 凛として時雨/Fantastic Magic (MV)
https://www.youtube.com/watch?v=SJubeTlS9CQ

Tk from 凛として時雨/Dramatic Slow Motion (live)
https://www.youtube.com/watch?v=EpfExP8Yqaw

Do As Infinity/Tangerine Dream (live)
https://www.youtube.com/watch?v=VUpHGLJv9Qs

柴咲コウ/かたちあるもの (live)
https://www.youtube.com/watch?v=dglCkH5Gzyg
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小林麻美《CRYPTOGRAPH》 [音楽]

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新星堂にJUJUのユーミン曲カヴァー・アルバム《ユーミンをめぐる物語》が縦横に何十枚も壁になって展示されていて十分に目立っていた。アルバムデザインがわざと素朴ふうなのは狙っているのだろうか。

このアルバムは松任谷夫妻のプロデュースということになっているが、松任谷由実が他のミュージシャンをプロデュースしたアルバムというのはそんなに無いような気がする。有名なのは、ずっと昔の小林麻美へのプロデュースだろう。

小林麻美はまずモデルとしてその仕事を始めた人だが、その頃の慣習としてアイドル歌手としてもデビューさせられた。だがwikiによれば 「当時のアイドルに多く求められた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫さとは対極にあるような、ほとんど笑顔を見せずにうつむき加減、猫背で気だるそうに歌う小林の姿は異質にも映り、暗い印象を持たれた」 とのことで歌手活動は消滅する。

ところが1984年にガゼボの〈I Like Chopin〉という曲をカヴァーして大ヒットとなる。邦題は〈雨音はショパンの調べ〉であるが、この曲を中心にして 「気だるそうな」 小林麻美のキャラクターをふくらませて松任谷由実がプロデュースしたのがアルバム《CRYPTOGRAPH ~愛の暗号~》(1984) である。
「気だるそうな」 という表現から連想されるのはフレンチ・ポップスのアイコン、フランソワーズ・アルディであり、松任谷由実の楽曲〈私のフランソワーズ〉が彼女をイメージした作品であることを踏まえると、ユーミンはそのアンニュイさにおいてアルディと小林麻美に通底する印象を感じたのだろう。そしてまさにそうした暗いアンニュイさに彩られたユーミン自身のアルバム《時のないホテル》(1980) に近しいテイストを保持しているようにも思う。

《CRYPTOGRAPH》の収録曲はガゼボやセルジュ・ゲンズブール〈Lolita Go Home〉などのカヴァー曲と何人かの作曲家からの提供曲で成り立っていて、既発ユーミンの作品のカヴァーは1曲しかない。それは〈TYPHOON〉なのだが、JUJUの《ユーミンをめぐる物語》でも同曲がカヴァーされていることに何らかの暗合を感じる (暗号ではなくて)。
曲を提供した作曲家たちは松任谷由実、加藤和彦、井上陽水、そして玉置浩二という豪華な布陣であるが、このアルバム《CRYPTOGRAPH》の中で最もダークでアンニュイなのが安井かずみ作詞、玉置浩二作曲による〈アネモネ〉である。

この路線が当たったことで、小林麻美には同工異曲な《ANTHURIUM 〜媚薬》(1985)、《GREY》(1987) という後続アルバムがあるが、アルバム《CRYPTOGRAPH》の発売と同時にシングル曲として発売されたのが〈哀しみのスパイ〉である。この曲は松任谷由実作詞、玉置浩二作曲であるが、〈アネモネ〉と〈哀しみのスパイ〉という2曲の玉置浩二作品はこの時期の小林麻美の楽曲の中でひときわ異彩を放っているように聞こえる。

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小林麻美/Cryptograph (full album)
アネモネは29’11”から (Tracklistを開くとリンクあり)
https://www.youtube.com/watch?v=yy0wJRTKDKw

小林麻美/哀しみのスパイ
https://www.youtube.com/watch?v=dvE9v-wwaXg

JUJU/守ってあげたい
https://www.youtube.com/watch?v=zdPMYyE6yxk
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ウェンブリー・エンパイア・プールのT・レックス [音楽]

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YouTubeでトリビュート盤を検索しているうちにT・レックスのライヴに辿り着いて魅入ってしまった。映像はロンドンのウェンブリー・エンパイア・プールにおける1972年3月18日のライヴである。
ウェンブリー・エンパイア・プールは現在、SSEアリーナ・ウェンブリーと名称が変わっているが、1934年に建てられた屋内競技場である。解説によればここを最初にコンサート会場として使用したのはレッド・ツェッペリンであり、2番目にコンサートをしたのがT・レックスなのだとのこと。いわば日本武道館のような使われ方だと思えばよい。

T・レックスは簡単に言ってしまえばマーク・ボランのバンドであり、ジャンル的にはいわゆるグラムロックとして知られる。バンド名は最初、ティラノザウルス・レックスであったが、4枚のアルバムをリリースした後、1970年12月にT・レックスとバンド名を変えた。T・レックスとなってからブレイクし、〈Get It On〉〈Telegram Sam〉〈20th Century Boy〉といったヒット曲は1970年から73年頃に集中して録音されている。

したがってこのウェンブリー・ライヴはバンドが最高潮の頃をとらえているが、コンサートの完全な収録映像はこれだけなのだそうである。映像は映画《Born to Boogie〜The Motion Picture》として製作されたものでリンゴ・スターが監督をつとめていて、ミュージック・プロデュースはトニー・ヴィスコンティである。

T・レックスに関して私はそんなに深く聴いていたわけではなかったので、数年前、一念発起して、というのはおおげさなのだけれど、英Polydorから出ていたティラノザウルス・レックス時代の2枚組のデラックス・エディションを手に入れたのだが、そこで息切れしてしまい、それ以後のT・レックスになってからのアルバムはそのままとなってしまった。
ティラノザウルス・レックス期の4枚とは次のとおりである。1stアルバムはそのタイトルが長いことで有名である。

 My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now
  They’re Content to Wear Stars on Their Brows (1968)
 Prophets, Seers & Sages: The Angels of the Ages (1968)
 Unicorn (1969)
 A Beard of Stars (1970)

このティラノザウルス・レックスの頃のサウンドはどちらかといえば内向的でカルトであり、私はこうした音楽に魅力を感じるのだがそのカルトさは無限ループへの誘惑と紙一重のような表情を見せるときがある。

ところがこのウェンブリーのライヴ映像は、これまでのT・レックスに対する私の思い込みを粉砕するような素晴らしい内容であった。もちろん1972年という時期のステージングに現在の評価方法をそのままあてはめることはできないが、全体から感じる音の表情はタイトでクリアであり、先入観でなんとなくぐにゃぐにゃしたものを連想していたのとは全く異なる印象だった。
特にドラムとパーカッションという、2つの打楽器奏者がいることでそのリズムは余計に強く刻まれてるように思える。この4人のユニットのサウンドから生じるタイトさは比類ない。
そしてもっと言うのならば、T・レックスがグラムロックに分類されているのは違うのではないかとも思う。たとえばグラムの代表的なミュージシャンといえばデヴィッド・ボウイであるが、ボウイからジャパン (デヴィッド・シルヴィアン) へとつながる系譜なら納得できるのだが、ボウイとボランを並列して較べてみた場合、音楽的志向はかなり異なるのではないだろうか。まだロキシー・ミュージック (ブライアン・フェリー) のほうがボウイには近い。
ボランが持っているグラムらしいムードは、光る素材の服を着ていることくらいで、グラムという言葉から感じられるグラマラスなテイストはほとんど見当たらないように見える。むしろ単純でシンプルなハードロックというふうにとらえたほうが自然である。ということがわかっただけでも、このライヴ映像は貴重であるような気がした。
そしてステージでボランはレスポールとストラトを持ち替えて弾いているが、やはりボランはレスポだよな、とあらためて思ったのである。

マーク・ボランは交通事故で30歳の誕生日の直前に亡くなってしまうが、もしデヴィッド・ボウイと同じくらいの命があったのならどうだったのだろう、と考える。考えても仕方がないし、どんどん劣化して終わってしまったという可能性だってあるが、でも異なった局面を見出したかもしれない。

ウェンブリー・ライヴは昼と夜の2回あって、下記にリンクした〈Get It On〉はウェンブリーのイヴニング・コンサートの映像の中からなのだが、〈Get It On〉はマチネー・コンサートのほうが優れているように感じる。
ただ、細切れの映像は無くてトータルで1時間強のコンサート全体の映像きりないのだが、その映像もリンクしておく。


T.Rex/Get It On
Live at Wembley Empire Pool, London, England, 1972
https://www.youtube.com/watch?v=Tvd5bTnXnIQ

T.Rex/Wembley Empire Pool, 18th March 1972
(Matinee Concert)
https://www.youtube.com/watch?v=5Ud_X5eTln8

T.Rex/Wembley Empire Pool, 18th March 1972
(Evening Concert)
https://www.youtube.com/watch?v=YGRQYJLOI2g
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