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山下達郎《SOFTLY》 [音楽]

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《THE TRAD》6月22日の中川絵美里 (tfm/THE TRADより)

山下達郎の11年ぶりのニューアルバム《SOFTLY》の発売日 (6月22日) はまるで山下達郎祭りで、ここまでしてプロモーションする? とびっくりするくらいで、Tokyofmは一日中、特番だらけで彼の音作りへの意地のようなものが感じられた日だった。
それは過去、まだ売れなかった頃に、もうワンテイク録りたいのにやらせてもらえなくて 「レコードさえ売れれば好きなだけレコーディングさせてやる」 といわれたことに対する強烈なカウンターのようにも思える。

ジャケットは写真のようにも見える細密な絵で、描いたのはヤマザキマリ。彼女がイタリアに行ったのはルネッサンス期の肖像画を学ぶためであり、キアロスクーロ (Chiaroscuro) という技法なのだそうで、wikipediaによれば 「美術においては、明暗のコントラスト (対比) を指す言葉。それを用いた技法が 「明暗法 (めいあんほう)」 「陰影法 (いんえいほう)」 である」 と説明されている。そして 「肖像画のタッチはヤマザキが敬愛する画家アントネロ・ダ・メッシーナを意識」 したものだという。
ヤマザキはもともと画家志望であり、マンガはいわば稼ぐためにはじめたことであった。それはまず稼ぐために編曲やCMなど色々な仕事をこなしていた山下達郎に似ている。
キアロスクーロという単語はアリーナ・イヴラギモヴァのクァルテットの名称であり、そんな意味の言葉だったのかと今さらながら教えられた。

6月24日にタワーレコード渋谷店に行ったら《SOFTLY》のレコードジャケットは1階に1枚だけしかなくて、レコード売場の壁面には《FOR YOU》が田の字に20枚くらい飾られていた。《FOR YOU》のレコードは今、発売されていないはずなのにと思っていたら、それは全部中古盤だった。《SOFTLY》のレコードは初日に売れてしまったのだと思う。
《FOR YOU》は、はじめて自分の思うようなかたちでレコーディングができたアルバムだと自負していると山下が語っていたが、中古盤でありながらだいたい1万円前後の価格設定になっていた。22日に店に来た山下が、自分の中古盤の高値に驚いたそうである。

22日のTokyofmの番組の中では、やはり《THE TRAD》のハマ・オカモトとの対談が面白かった。今回のアルバムの打ち込み率はかなり高くて、ハマ・オカモトが 「えっ? これも打ち込みですか」 と驚いていたが、ここ数年でProToolsの性能が上がり、より音楽を作りやすい環境になったこと。そしてプラグインの性能もあがって、かつてのようにアウトボードを使う必要性が無くなってきたという。アウトボード自体、年代ものになれば石が劣化してしまうとも言っていた。
レコードとCDの比較に関して聞かれた際に、オリジナルのプレスと最近のリマスターのプレスについて話が及んだが、古いレコードならファーストプレスのほうが良いに決まっている。なぜなら最近になってリマスターしたとしたらマスターテープが劣化しているから、その当時にプレスしたレコードに較べれば、どうしても落ちてしまうのだという。
だが、オリジナルのプレスがよいというのはごく状態の良いレコードに限ったことであり、某雑誌などでファーストプレスがとかマトリクスがとかいうけれど、そのレコードが何度も聴かれた盤であったら当然音は劣化しているので、そんなものは何の価値もないとも。

TBSラジオの《安住紳一郎の日曜天国》における山下達郎と安住のトークはもっとくだけていて、そして安住の話の聞き出しかたはさすがで楽しく聴けた。
医療機関での聴覚検査のとき、音が出たらボタンを押してくださいと言われたらずっと押していたとかいう話に対して、SNが悪いヘッドフォンを使っているからいけないんだという。肺活量は3600ccっきりないんだともいう。そんなのであのロングトーンはと聞かれると、肺活量と歌とは関係ないのだと言い切る。でもそうした話は皆、「盛っている」 とのこと。

中学校でクラブ活動をどこにするかアンケートをとったとき、科学部に入るつもりだったが、クラスの同じ列の同級生が2人もブラスバンドに入ると書いていたので、自分もブラスバンドにした。そこから音楽の道が開けたのかもしれないという。
最初の自主制作盤《ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY》もチラッだけかけられた。山下によれば、ともかく芸術作品は 「何かのかたちにして出さないとダメだ」 と思ったという。このレコードが数奇な道をたどって大瀧詠一に届いたのはもはや伝説である。

21日の《山下達郎のオールナイトニッポンGOLD》は聴いていないが、最も強い印象を受けたのが勝新太郎との出会いだったとのこと。そして勝新太郎の、もはやカルト的なドラマ《警視-K》の音楽を担当していたのが山下だったというのをはじめて知った。


山下達郎/SOFTLY (ワーナーミュージック・ジャパン)
SOFTLY (初回限定盤) (特典なし)




山下達郎/LOVE’S ON FIRE
https://www.youtube.com/watch?v=_iyMzp3XNRI&t=4s
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日曜劇場《マイファミリー》 [ドラマ]

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二宮和也 (マイファミリー)

この記事はTVドラマ《マイファミリー》全編を視聴した人を対象としています。見ていないとわからない箇所やネタバレがありますのでご了承ください。

   *

このドラマについては以前に、主題歌を歌うUruにからめて書いたが、完結したのであらためて振り返ってみる。
まず全体の構成はミステリ仕立てで、次々に起こる誘拐、誰が犯人なのかという興味でどんどん引き込まれる。主要登場人物が疑われるが、いずれも違うことがわかってくる。では一体誰なのか。この疑心暗鬼感がミステリ風味なのだが、そして前回の記事のとき、私はそう思って書いていた。だが次第にそうではないことがわかってきた。

結果として犯人は主要登場人物以外の、しかも捜査関係者であったというオチは、ロナルド・ノックスやヴァン・ダインの戒律にも反するし、という意見が出てくるが、しかしアガサ・クリスティだってノックスを破るところから作品が始まっていることは周知である。そもそもノックスの十戒は、現代音楽におけるセリーのように可能性が限定され、雁字搦めとなる原因でしかない。もっともミステリ創生期の頃には、ミステリとして成立しない拙劣な作品が存在していたようで、そうしたものに対する防御の意見としてのしばりをノックスが設定したのだと思われる。
だが今は、すでにノックスやヴァン・ダインの時代ではない。したがってミステリ風味だからといってノックスなど持ち出すのは (そういう意見が散見されるが) すでに時代錯誤であることを知らなければならない。

だから幾つもある矛盾点や無理めな設定や伏線となる映像がタネ明かしのときは違うとかいう指摘、は厳密ではあるけれど重要ではない。脚本家 (脚本:黒岩勉) はそんなことはわかっていて、いや全部を明確に認識し検証してはいないのかもしれないが、というかわざと少しルーズなスキを見せているように見せかけて、結果として視聴者を欺いたのである。この汚い方法論がかえって素晴らしいと思えてしまうのだ (ホメ過ぎ)。

ファミリーという言葉は幾つもの意味を持っている。夫—妻—子ども、さらには親をも含めた文字通りの家族という意味と、鳴沢温人 (二宮和也)、東堂樹生 (濱田岳)、三輪碧 (賀来賢人) の友達としての絆という意味でのファミリー、さらには会社 (ハルカナ・オンライン) という一種の有機体を構成する社員もファミリーとして認識される。
なぜタイトルが 「マイファミリー」 なのか、というのが最も重要なのだ。結果として崩壊に近かったファミリーを再構築することに成功する家族もいれば、全くアンハッピーな結末を迎える家族もいる。その対比はシビアである。そのアンハッピーさは 「してはいけないことをしてしまったのだから仕方がない」 といった因果応報的な表現で語られるのとはやや違うように思う。

東堂、三輪、阿久津晃 (松本幸四郎)、さらには立脇香菜子 (高橋メアリージュン) が犯人かもしれないというふうに誘導されてそれが違ってしまう、という猜疑のパターンはミステリのセオリーで、実はこの中に見逃していた伏線があって……というのだったらミステリの王道なのだが、そうはならず、ではその次に怪しいのは警察関係者という展開になると、警察内の腐敗を描くのが得意なドラマ《相棒》が思い浮かんでしまうが、それともちょっと違う、ごくプライヴェートな理由に収斂して行く。
ただ、葛城圭史 (玉木宏) と日下部七彦 (迫田孝也) が対立しているように見えて、では日下部が犯人かと思わされそうなパターンは吉乃栄太郎 (富澤たけし) をカムフラージュするための常套手段なので、逆にここで視聴者が真犯人を特定できてしまうという箇所がやや残念であった。

ではこのドラマが描いたことは何だったかというと、YAHOO!ニュースで読んだ6月15日付け堀井憲一郎のコラムが最も的確なように思える。少し長いけれど引用すると、

 主人公を見舞う事態は「理不尽な誘拐事件」である。
 それは、主人公の鳴沢温人(二宮和也)が家族ときちんと向き合ってい
 ないから、起こった。
 そこから主人公は生き方をあらため、仕事だけではなく(ときには仕事
 以上に)、家族も大切にしないといけないと考えるようになった。
 そして妻の未知留(多部未華子)との信頼を取りもどし、夫婦で強力な
 タッグを組む。
 それを力として、理不尽な事態に立ち向かい、解決までその歩みをゆる
 めなかった。
 主人公の最終目標は(つまり視聴者が願うことでもある)「自分が間違
 っていないことを世界に示すこと」であった。
 そのためには「真犯人が彼でないことを証明すること」が大事になる。
 真犯人を突き止めることは手段でしかない
 ここがポイントだ。

ドラマのなかで禍々しい印象を与えるのは非通知設定でかかってくる犯人からの電話の機械音声なのだが (実際は声優である一龍斎貞弥が演じていた)、この使い方が秀逸であったと思う。
https://clip.narinari.com/2022/06/13/13803/

そして最終回で 「決めるのは私です」 というフレーズが心春の言葉だったと明かされたシーンには、やるなぁと感心。
さらに番組末尾に抽選で20名にドラマのブルーレイBOXを、という告知がこの機械音声の声だったので大爆笑でした。それならいっそのこと、「このブルーレイBOXを買わない人は殺します」 くらい言えばよかったのに (それはヤリ過ぎかぁ)。

ともかく楽しませてもらいましたが、今、マイファミリー・ロスです。
プジョーRCZに乗るニノもカッコよかったし、Uruの主題歌もいままでのUruの曲のなかでベストなように思えます。
個人的には藤間爽子さん、なかなかよかったです。


Uru/それを愛と呼ぶなら (映像はマイファミリー)
https://www.youtube.com/watch?v=y2Q6y59flNg

藤間爽子《マイファミリー》最終回記念インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=GlHcYYx9cUM
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明日館の中島美嘉 [音楽]

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(mikanakashima_official Instagramより)

With ensembleというサイトのYouTubeで中島美嘉のORIONが公開されている。
THE F1RST TIMESの6月13日付けNEWSによれば 「『With ensemble』は、アーティストとオーケストラのコラボレーションでアーティストのあらたな一面を届けるYouTubeコンテンツ」 とのこと。

兼松衆による弦とピアノによる大変に凝った編曲であり、演奏場所は池袋の明日館である。明日館は坂本美雨のアルバム《birds fly》でも使われていたことをすでに記事にしたが、この演奏でも美しいルーム・アコースティクが感じられる (→2021年10月24日ブログ)。誰だか忘れてしまったが他にも明日館を利用した演奏はあり、ここを使うのはちょっとしたブームなのかもしれないと思う。

THE F1RST TIMESの記事の続きを読むと 「その日限りのライブアンサンブルを切り取ることをコンセプトにしている」 そうだが、これはソニー・ミュージックのTHE F1RST TAKEのコンセプトのヴァリエーションであり、演奏の一回性にこだわっていることは明らかだ。

そのTHE F1RST TAKEにもピアノ伴奏による中島美嘉の〈雪の華〉がupされているが、この歌唱を聴いて思うのは、彼女の表現の方向性が以前とはやや異なって感じられることだ。それはWith ensembleの〈ORION〉にも共通していることだが、簡単な表現で言ってしまえばそれはパワーであり力強さであり、かつて思われていた儚さ、か弱さみたいな印象からはやや後退している。
たぶん好き嫌いがわかれるのかもしれないが、でも、そもそも〈STARS〉からはじまって〈GLAMOROUS SKY〉を通過してきたリスナーにとっては儚さなんて幾つもの錯綜するパターンのひとつに過ぎないのではないか、と思えてしまう。


中島美嘉/ORION
With ensemble, 明日館
https://www.youtube.com/watch?v=QWr0RXmmY-s

中島美嘉/雪の華
THE FIRST TAKE
https://www.youtube.com/watch?v=fcVHGZVCkDI
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ロイヤルアルバートホールのスザンヌ・ヴェガ [音楽]

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最近のニュースで繰り返し報じられる児童虐待の現実を目にするとき、思い出すのはスザンヌ・ヴェガの歌〈Luka〉だ。あるいはフランソワ・トリュフォーの映画《トリュフォーの思春期》(L’Argent de poche/1976) でもよいが、ありえないような暴行のニュースを聞くたびに、実は人間の本性とはこうした残酷さを内在させているのではないかとさえ思う。

それで突然思い出したのだが、スザンヌ・ヴェガを最初に聴いたのは有名な1stや2ndアルバムではなく3rdの《Days of Open Hand》(1990) だったような気がする。渋谷の、広いけれど少しゴチャゴチャした暗い内装のCDショップの洋楽売場にそれがあったことだけがピンポイントのように記憶の中に存在している。ジャケットの写真部分がホログラムになっている不思議な外観だった。
あの頃の渋谷の街は色彩の乱舞する喧噪のオモチャ箱のようで、欲しいもの満載の店が幾つもあって、それはCDだったり本だったり服だったり色々でどれもがキッチュだったが、キラキラした悪徳を包含した夢の店はほとんど全てがなくなってしまった。
そうした過去の記憶の残滓を粛清するかのように渋谷の街は変わりつつあるが、それは清潔に整頓されたつまらない街への移行と言っていいのかもしれない。

《Days of Open Hand》のパーソネル欄を見ているとフェアライトの使用が見られるが、ケイト・ブッシュが《Never for Ever》で使用し始めたのが1980年、《Days of Open Hand》の頃はすでに終焉に近い時期だったように思える。8bitの実験的機器はあっという間に寿命を迎える。

1986年のロイヤルアルバートホールにおけるスザンヌ・ヴェガのライヴ映像を懐かしく観ていた。彼女は年を経るほどにそのライヴでの表情も柔和になってゆくが、初期の頃の少しピリピリしたセンシティヴな時代のほうが好ましく感じてしまう。通俗なメディア媒体などに簡単に浸食されてはたまらないという精神性があるからだ。

アルバム《Solitude Standing》に収められている〈Tom’s Diner〉は〈Luka〉と並ぶ初期の象徴的な曲であって、アカペラで歌われるメロディの連なりに内在する彼女独特のリズムがこころよい。前のめりだけれど引き締められている空白に刻まれてゆくリズム。


Suzanne Vega/Solitude Standing (A&M)
Solitude Standing




Suzanne Vega/Tom’s Diner
Live at Royal Albert Hall, 1986
https://www.youtube.com/watch?v=DCCWVk1fgpY

Suzanne Vega/Luka
https://www.youtube.com/watch?v=CUXW4aEhhbM
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『東京人』2022年6月号 「新宿歌舞伎町」 [本]

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新宿歌舞伎町タワー

前記事のつづきだが、映画《ブレードランナー》の新宿での封切館はミラノ座だった。雑誌『東京人』2022年6月号の特集は 「新宿歌舞伎町」 であり、そのミラノ座を含む過去と現在の歌舞伎町がとりあげられていて、面白そうなところをあちこち読んでいた。

知らないことも多くて、たとえばゴールデン街につながる遊歩道は 「四季の路」 (しきのみち) というのだそうだが、靖国通りがまだ都電通りだった頃、「新宿駅前から発着する都電十三系統が、角筈駅から大久保車庫に向けて分岐する回送ルート」 (p.35) だったのだが、1970年に都電は廃線となったのでその跡を遊歩道にしたのだという。《ブラタモリ》でもよく話題にされるが、道はその形状を見ることによってその由来がわかることを思い出す。

新宿ミラノ座の跡地には今、新宿歌舞伎町タワーという巨大ビルが建築中だが、そもそも新宿ミラノ座は新宿東急文化会館の一部であって、昔はスケートリンクも併設されていたのだという。ミラノ座は天井の高い大映画館であったが、中に柱を使わない大きな箱状の建築は非常にむずかしいのだそうだ。しかも映画館の上に同様な箱状のスケートリンクが載っていたわけで、現在建築中のタワーはその困難さを踏襲したさらに難しい建築になっているらしい。下層階に映画館や劇場、上層階はホテルになっているのだが、ホテルは構造的に柱が多く必要だから重いはずである。
このあたりの記述は建築論でもあり都市論でもあって、工事中の現場を囲む塀にエヴァンゲリオンの絵や森山大道の写真が使われたというのを読むと、つまり森山の写真も一種の都市論のように感じられる。

だがこの雑誌の記述は新宿歌舞伎町タワーを中心としていて、新宿東宝会館のことはあまり書かれていない。ミラノ座に対抗していたのは新宿プラザ劇場であったはずだが、プラザの名称はどこにも書かれていないのが残念である。
映画《スターウォーズ》の劇場パンフレットには劇場名が印刷されていて、「新宿プラザ」 と入っているパンフこそがステイタスであったはずだ (と思っているのは私だけ?)。
とは言ってもコマ劇場と東宝会館の跡地に建てられた新宿東宝ビルの屋上のゴジラの写真はしっかり載っているが。
掲載されている古い地図には淀橋区とか角筈1丁目という文字が読み取れて、角筈という地名があったことを思い出させてくれる。

KERAの述懐によれば 「新宿ミラノ座の斜め前に 「タロー」 というジャズクラブがあって、三階に 「新宿アートヴィレッジ」 という一六ミリ専門の小屋が入っていた」 (p.44) のだという。アートヴィレッジは知らないのだがタローにはかすかな記憶があって、それは沖至を聴きに行ったら本人が来なかったという悲しい記憶で、来なかったり休演だったりということによくめぐりあう私はよほど運が悪いのだろうか。日野皓正を太陽とすれば沖至は月の人で、私が惹かれるのはいつも月の人だったり冥府の犬だったりする。
それで思い出したのだが、たしかアケタの店に山下洋輔クァルテットを聴きに行ったことがあって、これはつまり武田和命の唯一のアルバム《Gentle November》のメンバーと同一だったのであるが、武田が遅刻して延々と来なくて、いよいよ登場となっってはみたものの、非常に難解とも感じられるソロを延々と吹き続けて、いやこれどうなのという雰囲気になった。もうすでに身体を悪くしていた時期だったのかもしれない。

『東京人』の特集に戻ると、ミラノ座の正面からの写真があるのだが、まだ噴水のある頃で、映画館の壁の看板はミラノ座が 「ロイビーン」 なのでおそらく1973年と思われるのだけれど、新宿東急で上映中なのは 「ダーティサリー」。こんな映画もあったんですね (ちなみにダーティ・メリーではありません)。

北大路翼の俳句がちょっと笑う。

 キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事

新宿といえば西武新宿駅から地下に降りたサブナードはまるでシャッター街のようにも見えてしまったが、これもコロナの影響なのだろうか。歌舞伎町は元・青線で椎名林檎が歌ったように歓楽街で、李琴峰も書いているように怖い場所だったのかもしれない。だが次第にその様相が変化しているようにも思える。


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『東京人』2022年6月号特集は 「新宿歌舞伎町」
https://www.amazon.co.jp/dp/B09YDFBP2Y/

椎名林檎/歌舞伎町の女王 (齋藤ネコversion)
https://www.youtube.com/watch?v=v9X68cf40FU

山下洋輔トリオ リユニオン・セッション
https://www.nicovideo.jp/watch/sm22367480

武田和命/Our Days
https://www.nicovideo.jp/watch/sm17837452

     *

椎名林檎/歌舞伎町の女王 (2016)
https://www.youtube.com/watch?v=tHAZKEoruUg
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