SSブログ

モノクロームの虹 — 加藤和彦〈あの素晴しい愛をもう一度〉 [音楽]

AnoSubarashiiAi_jk_220731.jpg

中古レコード店で加藤和彦の古いLPを見つけた。《それから先のことは…》という1976年に発売されたアルバムだが、今、CDも絶版になっていて手に入れることができない。ジャケットの状態が少し悪くて、うっすらとカビのような点々がついているのだが中身は悪くないので逡巡した末に買ってしまった。最近はメディアの衰退が著しいので、とりあえず押さえておくというのが習慣になりつつある。同じメディアと次にめぐり会うことがあるかどうかわからないからだ。
《それから先のことは…》は安井かずみとの最初の共作アルバムでもあり、以後の2人の数多い共作品群の端緒という意味合いも持っている。

昨年亡くなった中山ラビの全アルバムがリマスターされたが、加藤和彦がプロデュースしたあたりの後期のアルバムを私はいままで聴いていなかった。〈MUZAN〉は同名のアルバム《MUZAN》(1982) に収録されている曲であるが、いかにも加藤和彦らしいメロディラインであり、新しい方向性を見出そうとしていた意図がみえる。
それより前のアルバム《なかのあなた》(1977) を聴いて思うのは、たとえば〈橋が燃える〉を聴いていてイメージするのは、そのグレーの沈んだトーンのような音から感じる虚無感であり、歌詞自体が空疎であることで、だから何かを語りながら何も語っていないようにも聞こえる。アルバムを重ねる毎にだんだんと内向的なニュアンスが強くなっていたような感触がある。
それゆえに 「カワセミがとびちると」 から始まるメロディのついていない部分は、かつて〈夢のドライブ〉で 「高島屋で別れた母の面影」 と歌われたときのようなヴィヴィッドさに欠けている。
《MUZAN》はそうした状態からの脱出を考えたのか、それとも音楽の志向が変わっていったのかはわからないし、加藤和彦を採用したのがよかったのか悪かったのかもわからないが、それが多分にコマーシャルな傾向があるにせよ、今聴くと十分に新鮮な音に感じる。

加藤和彦は単にその作曲能力だけでなく、プロデュース能力の高さとふところの深さにおいて非常に重要な人のように私には感じられた。大貫妙子の一連の楽曲へのプロデュースにおいても、1曲だけあげるとすればもちろん《romantique》(1980) における〈果てなき旅情〉とか、ちわきまゆみの〈Be My Angel〉(1988) とか、私の嗜好のままに佳曲をあげればきりがない。

その数限りなくある加藤和彦の作品群の中での有名曲のひとつが〈あの素晴しい愛をもう一度〉である。北山修の作詞、加藤和彦の作曲による1971年の作品であるが、もはや日本のフォークソング系のスタンダードといってもよい。
50年も前の曲だから歌詞は現代の曲と較べれば古風であり、ごく穏やかな内容でしかない。だが、すぐにわかるように 「あの素晴しい愛をもう一度」 とは 「もう一度」 という願望を歌っていながら、しかしその 「もう一度」 はかなえられない 「もう一度」 なのだ。
だからこの曲は悲しい歌なのである。「悲しい歌聞きたくないよ」 と言ってみてもダメで、光と影の間で微妙に揺れ動くようなメロディラインが 「悲しみの行方を」 あらわしている。

加藤和彦が歌っている動画で今、最も印象的なもののひとつは2009年9月20日の南こうせつinつま恋における歌唱である。このコンサートの詳細をよく知らないが、フォーク系の出演者全員を従えてセンターで歌う加藤和彦にとって、この歌を歌うことにどのような意味あるいは感慨があったのだろうか。それともそんなものは何もなかったのだろうか。
同時期のコンサート動画に2009年9月4日の大阪城ホールもあって出演者も重複しているが、ここでは太田裕美の歌唱がやや異質で、これはこれできわだっている。
結果論的見方なのかもしれないが、こうした動画にすでに彼の覚悟が感じられるというのはうがち過ぎだろうか。

それらより2年遡った2007年のNHKホールにおける木村カエラを擁したサディスティック・ミカ・バンドの最後のコンサートならば、音楽的にはまだ絶頂期にあったはずである。少なくとも多くのリスナーはそのように感じていた。でありながら今考えるとその 「最後」 には意味があったのかもしれない。意味があったのかもしれないが、2009年で切れてしまった歴史は主和音にまで辿り着かない謎のフーガである。

加藤和彦は過去を振り返ることが嫌いだったという。だがミカ・バンドも〈あの素晴しい愛をもう一度〉も、過去への郷愁に満ちていた。それは気付かれなかったけれど彼の 「最後の挨拶」 だったのだろうか。
(*サディスティック・ミカ・バンドについては2018年10月16日ブログを参照)


加藤和彦/あの素晴しい愛をもう一度
2009年09月20日
南こうせつ サマーピクニックフォーエバーinつま恋
https://www.youtube.com/watch?v=4K6Xcb4eqTc

加藤和彦/あの素晴しい愛をもう一度
2009年9月4日 大阪城ホール
https://www.youtube.com/watch?v=WHqcvafCVgU

中山ラビ/MUZAN
https://www.youtube.com/watch?v=ofCEA6olYJY
nice!(77)  コメント(10) 
共通テーマ:音楽

宮本笑里《classique deux》 [音楽]

emiri_tw_220725.jpg
宮本笑里 (ツイッター2022.07.24より)

ライト・クラシックという言葉がある。セミ・クラシックという表現もあるが、いわゆるクラシック音楽というジャンルの中で比較的聴きやすくて大衆的な、もっといえばやや通俗な音楽のことをさすことが多いようだ。つまりクラシック音楽を聴くぞ、というような大上段の構えでなく、ごく気軽なイージーリスニング的な音楽のことである。

ガチガチのクラシック音楽至上主義者から、そうした音楽は格下だと見られやすいのかもしれないが、実際にはそうした軽い、といって語弊があるのなら軽快で優しげな音楽には、実は需要が多いように思われる。
例をあげれば葉加瀬太郎とか高嶋ちさ子などの演奏がまさにそうである。ポピュラー音楽にストリングスが必要な場合、最近ではそれをシンセサイザーで作りこんでしまうことも多いが、生音とシンセサイザー音ではまだ違いがあるように思える。

ところでヴァイオリニストがCDアルバムをリリースする場合、ピアニストなどよりも、わかりやすい楽曲を並べた小曲集的な選曲のアルバムが必ずといってよいほど 「オキマリ」 として出されることが多い。つまり〈愛の喜び〉とか〈ロンド・カプリチオーソ〉とか、そして鉄板の〈ツィゴイネルワイゼン〉とか。
〈ツィゴイネルワイゼン〉さえ入れておけば売れるだろうという浅はかなレコード会社の思惑はすでに時代遅れなのではないかと思うのだが、かなり有名なヴァイオリニストでもこれをやらされてしまうのは一定の需要があるからなのだろう。
そしてその時代遅れという危惧からの流れで生成されたのがライト・クラシックとかイージーリスニングへの流れであるような気もする。ポピュラー音楽や特にアニメなどの音楽を編曲して耳なじみのよい音にして収録する試みである。必ずしも正統的なクラシック曲でなくてもよいのでは、というコンセプトなのだ。

ピアノのおけいこにしても、今の子どもたちは昔からの練習曲では興味を示さないので、ポピュラー音楽の編曲などが幅をきかせつつあるとのことである。ブルグミューラーよりジブリなのである。

宮本笑里の新しいアルバム《classique deux》は演奏活動15周年とのことだが、タイトルを反映したクラシック寄りの選曲とはいえ、ライト・クラシックな曲目で揃えられている。定番のバッハ《G線上のアリア》からホルスト、ファリャまで。そしてピアソラ、ゲーゼなどのポピュラー系を混在させているまさにイージーリスニングな内容だ。
宮本笑里はオーボエ奏者として高名な宮本文昭の娘であるが、初期の頃は典型的なライト・クラシックなグループで活動していた。当時はちょっとエキセントリックな女子十二楽坊などが流行していて、そうした市場の傾向に影響されて結成されたのかもしれないが、ほどなく学業に専念するとのことで脱退してしまう。wikiによればソロになってからの経歴にはそのグループに在籍していたことは記載されていないと指摘されているが、その頃の動画を観ると、あぁそうだろうなあとは思う。
その後、紆余曲折があったのだろうか、のだめオーケストラに参加したりもしたが、ソロとして活動を始めたとのこと。そして15年が流れたのである。

今回のアルバムからファリャの《スペイン舞曲第1番》の動画がオフィシャルで公開されているが、前に前に進もうとするリズム感が心地よい。ぐるぐる回る撮影方法がやや鬱陶しいがソニーらしいつくりとも思えて、最近元気なソニー系のJ-popと共通した勢いが感じられる。
それと歌手とのコラボで弾くオブリガート的な演奏がとても上手であり、まさに至福の音色である。

     *

24日の夜、NHK2でティーレマン/ウィーン・フィルによるサグラダ・ファミリアにおけるライヴ・コンサートが放送された。2020年9月18日に収録された演奏とのこと。ブルックナーの第4番は緻密なリズムとディナミークがおそろしいほどで、特に第2楽章の美しさは比類がない。サグラダ・ファミリアの内部構造もよくわかって楽しめた。


宮本笑里/classique deux (SMR)
classique deux (初回生産限定盤 BSCD2+BD スリーブケース) (特典なし)




宮本笑里/ファリャ:スペイン舞曲第1番
https://www.youtube.com/watch?v=mMDOOCU-zmc

宮本笑里 with 平原綾香/大島ミチル:風笛~Love Letter~
https://www.youtube.com/watch?v=uzP2UX8nszI

宮本文昭ファイナル・コンサート
宮本文昭、宮本笑里&鳥山雄司/蒼の香り
https://www.youtube.com/watch?v=6lKWoA4dbjA
nice!(74)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

消費される音楽 — クルト・ヴァイルおよびその他のことなど [シアター]

kurtweill_220718.jpg
Kurt Weill

日曜の夜だけれど明日も祭日だしということで、日本TV《行列のできる相談所》をなんとなく観ていた。内容はミュージカルに関するスペシャル番組で、井上芳雄のMCで井上をはじめ昆夏美、ソニンなどによる《ミス・サイゴン》《レ・ミゼラブル》といった作品からの歌唱があって楽しめた。

実は5月に大田美佐子『クルト・ヴァイルの世界』という本を買って、とても面白そうなのだがなかなか読み進められない。この本のサブタイトルは 「実験的オペラからミュージカルへ」 で、まさに二重人格的に変容したクルト・ヴァイルの実像を捉えている。
この本の序章に著者がクルト・ヴァイルに興味をもったきっかけのエピソードが書かれていて、それは黒テントで観た《三文オペラ》(Die Dreigroschenoper, or the Threepenny Opera, 1928) の衝撃だというのである。それはオペラと称しながらハイソなオペラ劇場などでなく薄暗いテント小屋で、もちろんオケピットなどなく、舞台設定も過去の日本に翻案されていて、でありながらその新鮮さにうたれたとのこと。その部分にとても共感してしまった。
私も68/71の《三文オペラ》を観た記憶があるが、それはテント公演ではなく、少しラグジュアリーな、たしか俳優座劇場で上演されたときだったと思う。公演場所こそ違うが、クルト・ヴァイルとは何かということについてまさにその鮮鋭さにショックを受けたのにほかならない。その後、何も予習をしなかった不勉強さを補完するために、ロッテ・レーニャのCDなどを購入したのだった。

そしてこの本のはじめのほうには、ブレヒトの『肝っ玉お母とその子供たち』(Mutter Courage und ihre Kinder) 上演時のロッテ・レーニャの写真も掲載されているのだが、「肝っ玉お母」 といえば私にとってそれは筒井康隆の『馬の首風雲録』を連想するトリガーとなっていて、また同時にブレヒトとヴァイルの蜜月とその離反をも思い出させられるワードなのだ。

クルト・ヴァイル (Kurt Weill, 1900−1950) はユダヤ系の作曲家であり、当時のナチスからの迫害を避けて最終的にアメリカに渡ったが、アルノルト・シェーンベルクやベラ・バルトークのように頑なに自分の音楽信条を守り続け、結果としてアメリカにおいて不遇であった人とは対照的に、アメリカにおいて成功したといってよいのだろう。ヴァイルはもともとはクラシカルな書法の作曲家であるが、アメリカではポピュラーな音楽を根幹としたミュージカルを多く書いた。それは原理主義的クラシック音楽愛好家から見れば豹変であり堕落であると映ったのかもしれない。

こうしたいわゆる大衆的な劇場音楽はイギリスのヴィクトリア朝のギルバート・アンド・サリヴァン (William Schwenck Gilbert, 1836−1911; Sir Arthur Seymour Sullivan, 1842−1900) が嚆矢である。ウィンナ・ワルツで有名なヨハン・シュトラウス2世 (Johann Strauss II. 1825−1899) などもポピュラーなクラシックのジャンルに入るといえるが、オペラからミュージカルの萌芽へと連なるギルバート・アンド・サリヴァンは、通俗でときに猥雑でもある点でシュトラウス・ワルツとはかなり異なるものだ。
少し雑駁な言い方ではあるが、こうした19世紀のサヴォイ・オペラの歴史を踏まえてそれがアメリカに伝播されミュージカルとなったと考えられるような気がする。オペラとミュージカルの違いは、前者がクラシック寄り、後者がポピュラー寄りというイメージはあるが厳密な区分けはできないようにも思う。その中間あたりに位置するのがたとえばガーシュインの《ポーギーとベス》あたりだと考えればわかりやすい。

繰り返し例にあげるが、こうしたアメリカでのオペラ/ミュージカルの萌芽時代を描いた小説がトマス・M・ディッシュ (Thomas Michael Disch, 1940−2008) の『歌の翼に』(On Wings of Song, 1979) であり、ギルバート・アンド・サリヴァンの《戦艦ピナフォア》が象徴的タイトルとなるが、アメリカにおけるミンストレル・ショーやカストラートなどの描写がアメリカの音楽ビジネスにおける変容と、その一時期における奇矯ともいえるステージングの特徴となっているようにも思える。つまりガーシュインを正統派とすれば乱立したマイナーなオペラ/ミュージカル作曲者たちはキッチュな徒花であり消費音楽と表現することもできるのだろう。

別のTV番組で山崎銀之丞が 「演劇は残す (残る) ものではない」 と、つかこうへいが語っていたというエピソードにも衝撃を受けた。舞台芸術は映画などと違って毎回全く異なる条件におけるパフォーマンスだといってもよい。昨日の舞台と今日の舞台は違うし、あなたが観た演劇とわたしの観た演劇は違うのかもしれないのだ。
その不安定さ・はかなさが演劇の魅力でもあり限界でもある。だからせめて言葉としてだけでも残しておかなければならない。

68/71の舞台で思い出すのはやはり俳優座劇場で上演されたゲオルク・ビューヒナー (Karl Georg Büchner, 1813−1837) の『ヴォイツェック』(Woyzeck, 1835) である。記憶がほとんど薄れているが、舞台全面を板敷きにして独特の空間を作り上げていて、脚本の不穏な構成と秀逸な照明が印象的だったが、68/71支持者からの評価はあまり高くなかったように覚えている。きっとその舞台づくりがブルジョア的に見えたのだろう。
そしてアルバン・ベルクのオペラ《ヴォツェック》(Wozzeck) はビューヒナーの『ヴォイツェック』が元となっている作品であることは自明である。

大衆的なオペラはソープ・オペラとかオペラ・コミックと呼ばれて一段低いもののように扱われてきた。だが最も大衆に支持され好まれてきたのがそうしたオペラでありミュージカルであるのだ。
《ミス・サイゴン》の作曲家クロード=ミシェル・シェーンベルクは直接の子孫ではないがアルノルト・シェーンベルクの親族にあたる。結局、音楽業界のなかでそのような何らかの継続性が起きてしまうのはよくあることなのだ。

夜、NHKFMでフォーレの《ペレアスとメリザンド》が流れていた。チョン・ミョンフン/東京フィルによるライヴ音源である。「ペレアスとメリザンド」 というタイトルの曲は、フォーレとシベリウスとドビュッシーと、そしてシェーンベルクがある。素材として発想を膨らませやすいし、キャッチが良いからという理由なのだと思う。


大田美佐子/クルト・ヴァイルの世界 (岩波書店)
クルト・ヴァイルの世界: 実験的オペラからミュージカルへ




新国立劇場/三文オペラ 舞台映像
https://www.youtube.com/watch?v=LWXPsGxyNvI&t=18s

Die Dreigroschenoper, Berliner Ensemble 2012
Theater Am Schiffbauerdamm, Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=nv2SiBcE9dM

Kurt Weill《三文オペラ》全曲
https://www.youtube.com/watch?v=SeK1b4q0RNk
nice!(77)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

山下達郎《SOFTLY》つづき [音楽]

TatsuroYamashita_softly_220711.jpg

6月26日の記事:山下達郎《SOFTLY》のつづきです。

山下達郎とクリス松村の対談がYouTubeにあったのを聴いた。
6月26日の夜に《関ジャム》で放送された山下達郎特集も音楽制作の実際が聴けて面白かったが (特にジャニーズ関係のことなど)、あちこちでプロモーションしているので話のダブリもあり、だいたい聴くべきことはもう聴いてしまったという感じだったのだが、クリス松村との会話はとてもフレンドリーでその話芸ということに限っても楽しめた。

クリス松村は歌謡曲も含めてJ-popにとても造詣が深くて、あたりの柔らかさもあって安心して聴いていられる。ヤマザキマリのジャケット画についてのことなどはすでに他の番組で知っていたからよいとして、心に残ったのは、若い人に向けて作ったという曲〈人力飛行機〉に関して山下が語った夢についての話だった。

「夢」 ということが必ず言われる。
「夢を持って壁を乗り越えて」 とか 「夢は必ずかなう」 とか、そうした言葉が語られるが、夢が完璧にかなえられることはほとんどない、と山下は言う。
どんなジャンルにおいても、自分の夢をかなえられる人というのはごく一握りであり、ほとんどの夢はかなえられない。夢はかなえられないのだという現実の苦悩と蹉跌の中で折り合いをつけて自分の道を選んでいかなければならないのだが、では夢がかなえられなかったときどうするか、という教育が日本にはない。挫折した人間をどのようにリカヴァーするかという方法論がない。だから精神的なダメージとかが起こる。
結局、夢はかなえられないものなのだという現実をつきつけられるのだが、だからといってシニシズムやニヒリズムに陥ってはいけない。10代から20代の頃は、少なくとも理想ではなくて、展望とか戦略を持たないと世の中に出て行かれない。〈人力飛行機〉とはそういう歌なのだという (語られた言葉そのままではなく適度にアレンジしてあります)。

そうは言っても山下達郎は夢をそれなりにかなえることのできた、ごく限られた人のひとりなのだが、試行錯誤しながら決してあきらめないという方向性において彼はポジティヴであり、それが音楽の明るさとなってあらわれているのだと感じる。
夢がたぶんひとつもかなわなかった人間にとって、その明るさはとても遠い光に見えてしまうのかもしれないが、それゆえにその明るさは限りなくいとおしいものに思えるのだ。


山下達郎/SOFTLY (ワーナーミュージック・ジャパン)
SOFTLY (初回限定盤) (特典なし)




山下達郎/OPPRESSION BLUES (弾圧のブルース)
https://www.youtube.com/watch?v=dku620p9O3g

木村拓哉/MOJO DRIVE
作詞:真島昌利、作曲:山下達郎
https://www.youtube.com/watch?v=OfOxycXmP4Q

山下達郎vsクリス松村の音楽談義
https://www.youtube.com/watch?v=NCl20olQuVA
nice!(80)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

地図にない場所 — 吉田秋生『海街diary』 [コミック]

AkimiYoshida_flowers2013_112_b.jpg

この記事は吉田秋生『海街diary』を読んだ人を対象としています。読んでいないとわからないエピソードやネタバレがありますのでご了承ください。

   *

この『海街diary』のコミックス奥付を見ると第1巻の初刷が2007年、第9巻が2018年。完結までかなり時間がかかっていると感じたのだが、ともかくなんとなく読み始めて読み終わりました。随分と季節外れのヴァレンタイン、じゃなくて感想文です。

ストーリーは、端折って書いてしまえば、離婚した両親がそれぞれ出奔し、残された娘3人 (香田幸、佳乃、千佳) で生活していたところへ父の訃報が来る。葬儀に出かけた山形で3人は異母妹 (浅野すず) に出会う。すずの現在の境遇を案じた幸は、帰り際、突然すずに 「あたしたちといっしょに暮らさない?」 と誘い、すずはすぐに 「行きます!」 と返事する。やがて4人での生活が始まり、それからいろいろなエピソードが綴られるというような話。

複雑な人間関係を明快に描き出す手腕はさすが。でもこうしたややこしさって意外にどこの家庭にもあることなのだとも思えてしまう。
ただ、いきなり脇道にそれてしまうのだが、この作品の中でピークとなっている挿話というか、つまりサイドストーリーが2つあって、それは第6巻の 「地図にない場所」 と第4巻の 「ヒマラヤの鶴」 である。「ヒマラヤの鶴」 はこれだけでは軽いエピソードのように見えて、最終巻の 「夜半の梅」 につながる伏線なので重要なメインストーリーともいえるのだけれど、そういう意味では 「地図にない場所」 は真性のサイドストーリーであり、それゆえにきらりと輝いているように感じる。

すずの従兄である北川直人 (直ちゃん) がやってきて、鎌倉のすずたちの家に泊まっている。直人は美大生で、卒業制作にあたって行ってみたい雑貨屋があるということなのだ。
だが直人は超絶方向音痴で、すずが同行する。店を見つけるが、めざしていた刺繍作品はその雑貨屋では売り切れていて、店の人から作家のアトリエを紹介される。
2人はすずのクラスメイトで地図に強い尾崎風太と合流し、3人でアトリエを探すがそこは地図には載っていない場所だった。しかし、直人の直感でアトリエを発見する。刺繍作家 (桐谷糸/きりや・いと) と直人は話が合って盛り上がるが、直人が子どもの頃、学校でイジメにあって転校した話をすると、糸が突然、詩の一節を言葉にする。

 立ちあがってたたみなさい
 君の悲嘆の地図を

それはオーデンの詩で、糸も学校に行かなかった3年間があり、そのとき、この詩に何度も救われたと語るのだ。
この部分の唐突さと、唐突でありながらその言葉から受けるピンと張りつめた印象がこのマンガ全体のトーンを見事にあらわしている。そしてこの場面にもあらわれる何も描かれない真っ白な背景が、かえって凝縮された美学となって読者に訴えかけてくる。こうした意識的な白バックの使い方は内田善美の、たとえば『空に色ににている』ににている。

この部分をネットで検索してみたら、さすがに幾つもの言及があった。W・H・オーデン (Wystan Hugh Auden, 1907−1973) は20世紀の著名詩人のひとりであるが、大江健三郎がその詩句をそのままタイトルとして借用したことでも知られる。「見るまえに跳べ」、「狩猟で暮らしたわれらの先祖」、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」 など。

糸が言葉にした詩句の原文は次の通りである。

 Stand up and fold
 Your map of desolation.

このコミックス各巻のカヴァー絵は連載時の扉絵から採られているが、そのパースペクティヴと空の色の表情が素晴らしい。ネット上の画像ではその色が再現できていない。印刷物のほうがラチチュードが狭いはずなのに不思議である。


umimachi01cover_220703.jpg
https://www.amazon.co.jp/dp/4091670253/
nice!(80)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽