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マイルス・デイヴィス《the complete live at the plugged nickel 1965》 [音楽]

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マイルス・デイヴィスのプラグド・ニッケルは通常流通盤としてはvol.1とvol.2の2枚組だが、この2日間のライヴを完全収録したセットがあり、1992年に日本製造のセットが発売され、その後、少し収録時間を多くしたアメリカ盤がリリースされたのだというが、それは20世紀末のことであった。今回、そのコンプリート盤がハイブリッドSACDとなって再発されたのである。この完全盤には12月22日の3セットと23日の4セット、計7セットが収録されている。収録時間はアメリカ盤と同じなので、完璧な完全盤としての日本盤発売は初めてということになる。
だが、メディアとしてはずっと再発されなかったのだが、音声のみであるけれどYouTubeで聴くことが可能だ。

プラグド・ニッケルでのライヴが録音されたのは1965年12月22日と23日だが、この年のマイルスのレコーディングはセッショングラフィによれば1月20日〜22日のColumbia CL2350のアルバム《E.S.P.》のコロムビア・スタジオにおけるレコーディングと12月のプラグド・ニッケルしかない。
プラグド・ニッケル後のレコーディングは翌年の1966年5月21日のポートランド・ステート・カレッジ・ジャズ・フェスティヴァルのライヴであり、スタジオ・セッションは10月24日〜25日のアルバム《マイルス・スマイルズ》セッションとなる。つまりプラグド・ニッケルは《E.S.P.》と《マイルス・スマイルズ》の間のライヴということである。

タワーレコードの紹介文によれば、

 当時、周辺のジャズではフリー・ジャズが新しい潮流として台頭してい
 た頃ゆえ、マイルス以外のバンドの若手メンバーたちは、マイルスのソ
 ロが終わると、ステージ上でフリー・ジャズ寄りの演奏を展開し始め、
 再びマイルスが吹き始めるとまた元通りの演奏に戻るといった、緊張感
 の高いライヴ・パフォーマンスが聴ける全39曲の究極のドキュメントに
 なっている。

とあるが、これは他の批評記事でも読んだことがあるニュアンスである。果たしてそうなのだろうか。
ディスコグラフィを見ると1959年の《Kind of Blue》を挟むようにして《Miles Ahead》(1957),《Porgy and Bess》(1959),《Sketches of Spain》(1960),《Quiet Nights》(1963) というギル・エヴァンスとの4部作があるが、これらはほぼオーケストレーションを基盤としたアルバムであり、コルトレーン等と別れた後のスモール・グループとしての出発は、1963年の《Seven Steps to Heaven》あたりからと考えてよい。
wikiには次のように記述がある。

 Following auditions, he found his new band in tenor saxophonist
 George Coleman, bassist Ron Carter, pianist Victor Feldman,
 and drummer Frank Butler. By May 1963, Feldman and Butler
 were replaced by 23-year-old pianist Herbie Hancock and 17-
 year-old drummer Tony Williams who made Davis “excited all
 over again”.

つまりヴィクター・フェルドマンとフランク・バトラーがハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムスに変わったときがいわゆる黄金のクインテットへの布石である。マイルスはたぶんテナー奏者に不満を持っていた。そしてテナーがコールマンからサム・リヴァースにかわり、さらにウェイン・ショーターとなったときがこのクインテットの完成形となる。
そしてこのクインテットにおけるスタジオ・レコーディングのアルバムが《E.S.P.》(1965),《Miles Smiles》(1967),《Sorcerer[》(1967),《Nefertiti[》(1968) という4部作だが、このアルバム群のコンセプトは表面的にはウェイン・ショーターが握っている感じがある (もちろんあくまで表面的であって、それを 「庇を貸して母屋を取られる」 と書いていた評論家がいたような記憶がある)。

さて、先に述べたようにプラグド・ニッケルは《E.S.P.》後のライヴであるが、まだバンドとしての一貫性は固まっておらずやや流動的というふうに見ることができる。「フリー・ジャズ寄りの演奏」 といわれればそうなのかもしれないが、たとえばショーターのソロも、音を外してフリー風にというよりは、まだ試行錯誤の最中というように私には聞こえる。これはその後の電化マイルスのはじめの頃のキーボードの音がまだこなれていない、と以前書いたことに通じる初期のチャレンジのごこちなさといってよいのかもしれない。
もっとも山下洋輔が言っていたように、フリーの演奏は失敗したらもう一度やり直せばよい、という方法論に従うのならショーターのアプローチは確かにフリーっぽいのかもしれない。

したがって、以前のストックホルム1967年のライヴの記事に書いたように (→2023年03月05日ブログ)、このグループの最もすぐれたライヴ演奏は電化マイルスになる直前の1967年であり、つまりメディアとなって確立されているもので言うのならばThe Bootleg Series vol.1の《Live in Europe》であると思うのだ。

でも、それではこの《プラグド・ニッケル》の立場がないのかといえばそんなことはなくて、むしろ張り詰めた緊張感の中でのプレイの記録という点でこの全セットを聴くのには重要な意義がある。特に速度を変幻自在にコントロールしてゆくトニー・ウィリアムスのドラミングが素晴らしい。このとき、彼は20歳なのである。
ただ、マイルスがテーマとソロをごく少なめに吹いて、マイルスがいなくなると他の4人がフリーになって勝手なことをやり出すというようなインプレッションを読んだこともあるが、それはちょっと違うのではないかと思う。圧倒的にリーダーシップをとっているのはあきらかにマイルスであり、他の4人はまだ試行錯誤というのが1965年時点での状況というふうに考えたほうがよいと思う。
前述の1967年のストックホルムのセッションでは、このグループはもっとずっと完成していて次のエレクトリックの直前における爛熟の美を醸し出しているともいえるが、マイルスの圧倒的なリーダーシップさは終始変化していないように思える。


miles davis/the complete live at the plugged nickel 1965
(Sony Music Labels)
https://tower.jp/item/6160059
(タワーレコードのみの限定販売)


Miles Davis/December 22, 1965 Plugged Nickel Club, Chicago (3rd set)
https://www.youtube.com/watch?v=_EAwsUdB7KE

Miles Davis/December 23, 1965 Plugged Nickel Club, Chicago (3rd set)
https://www.youtube.com/watch?v=T3NxhgT3EqE
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