ハンブルクのカトリーヌ・ソヴァージュ《La Chanson de Bilbao》 [音楽]
Catherine Sauvage
ボリス・ヴィアンは作家でありながら音楽の才能もあり、トランペットを吹いたことでも知られる。数年前だがその音楽作品を網羅したCD集《Boris Vian et ses interprètes chansons》がリリースされている。また《Jazz à Saint-Germain-des-Prés》というLPも発売されている。ヴィアンはその作品発表の経緯におけるスキャンダラスな話題でも知られるが、L’Écume des jours の儚いストーリーを偏愛する私にとっては何の逡巡もない。
そのヴィアンが歌詞を書き、クルト・ヴァイルが作曲した〈La chanson de Bilbao〉という1958年に作られた曲があるが、これを最初に歌ったのがカトリーヌ・ソヴァージュ (Catherine Sauvage, 1929−1998) である*。前述CDにはソヴァージュだけでなく、ジャクリーヌ・フランソワ (1958) とイヴ・モンタン (1961) の歌唱も収録されている。モンタンの歌唱は有名だが、ソヴァージュとモンタンでは表現がまるで違う。
そのソヴァージュが〈La chanson de Bilbao〉を歌っている1967年の動画をYouTubeで観ることができる。
Besenbinderhof à Hambourg le 4 juin 1967 と記載されているモノクロの動画だが、〈La chanson de Bilbao〉の他に〈Vingt ans〉と最も有名な〈Paris canaille〉も同じ日の歌唱だと思われる。後の2曲は両方ともレオ・フェレの作品である。(→a, b, c)
ソヴァージュは初期には髪が長く、ごく普通のシャンソン歌手という印象だった (→d)。強い巻き舌が特徴の明快な歌唱は髪がショートになってから顕著になったように感じる。
また、翌1968年のTV映像による〈Est-ce ainsi que les hommes vivent ?〉は、ルイ・アラゴンの歌詞とレオ・フェレの作曲による作品である。言葉を主体とした典型的なシャンソンといってよい。(→e)
カトリーヌ・ソヴァージュの概要については過去のブログ記事に書いているので興味のあるかたは下記を参照されたい。
ピンクの楽譜 — カトリーヌ・ソヴァージュ
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2012-12-14
* fr.wikiの解説
La Chanson de Bilbao (Bilbao Song) est une chanson généralement accompagnée au piano dont les paroles françaises ont été écrites par Boris Vian, en 1958 sur une musique de Kurt Weill et tirée de la comédie musicale Happy End de Bertolt Brecht.
Boris Vian/Jazz à Saint-Germain-des-Prés
Catherine Sauvage/Chanson Francaise
(Universal)
Boris Vian et ses interprètes chansons
(Le Chant du monde)
ボリス・ヴィアン/日々の泡 (新潮社)
Catherine Sauvage
dans un récital au Besenbinderhof à Hambourg le 4 juin 1967
a) La chanson de Bilbao
https://www.youtube.com/watch?v=2fsFBokDeoA
b) Vingt ans
https://www.youtube.com/watch?v=mWGSVhkc0k8
c) Paris canaille
https://www.youtube.com/watch?v=mjPqBR57C4Q
d) Catherine Sauvage/Les rupins (1961)
https://www.youtube.com/watch?v=EaP0YlYqKgY
e) Catherine Sauvage/Est-ce ainsi que les hommes vivent ?
(1968)
https://www.youtube.com/watch?v=8f3cfW9qiek
参考:
Boris Vian et ses frères/Sheikh of Araby
https://www.youtube.com/watch?v=ppzoZYsE0U0
Rei《VOICE》など [音楽]
Reiの最新アルバムは7曲収録のミニアルバム《VOICE》だが、それよりもフェンダーのプロモーションの映像をよく目にする。ストラトキャスターが70周年アニヴァーサリーなのだそうで、その映像でも演奏シーンを見ることができる。
そもそも初めてReiの映像を見たのはエピフォンの楽器紹介の動画によってであった。大きめのボディのアコースティクを軽々と弾きこなすまだ少女のようなReiのカッコよさに、すぐにCDを買ってしまったのを思い出す。
最初のミニアルバムは長岡亮介との共同プロデュースによるもの (長岡亮介とは東京事変のギタリスト・浮雲である)。
フェンダーのYouTubeチャンネルにはAmerican Acoustasonicというやや特殊な形状のエレアコを演奏する動画もあるが、この楽器の印象も強烈である。
フェンダーが原宿に旗艦店を設けたのは、日本はアマチュアの女性ギタリストの比率が高いので、楽器店としてよりファッションショップ的な意味合いで進出したとのこと。そうした意図があるのならReiのプロモーションはぴったりなのだろう。
もっともプロモーションとしての、つまりお仕事としての映像より、純粋なライヴのときのエレキギターでの演奏のほうが楽しく聴けるのは確かだ。SANABAGUNとのコラボによる動画をリンクしておくことにする。
中学生くらいの若者にギターを知ってもらおうとするフェンダー・チャリティー・スクールというイヴェントがあり、Reiとハマ・オカモトが講師になっている動画もある。ロバート・ジョンソンの〈クロスロード〉と、選曲はベタだがブルージーな音楽の啓蒙としては順当。
ハマ・オカモトはReiのバックで演奏することが多いが、Tokyofmの《THE TRAD》やテレビ朝日の《ハマスカ放送部》など、その音楽的な知識が深くて面白い。でも最近のハマスカ放送部の企画はタモリ倶楽部っぽいような気がする (それで良いんですけど)。
〈追記〉Reiが Lonely Dance Club で使用しているテレキャスター・シンラインはフェンダーがRei用に製作した楽器のようです (ブリッジが6wayのようだし、スタンダードとは細かく違う。シンラインなのに重いとのこと)。したがって市販されている普通のシンラインとは別ものです。
Rei/VOICE (Universal Music)
Rei/Epiphone Masterbilt Century Collection
https://www.youtube.com/watch?v=n7_u6WGYr1Q
Rei × SANABAGUN/Lonely Dance Club
https://www.youtube.com/watch?v=Z-gSCqTvuko
Rei/UNLIMITED EXPRESSION Vol.14
https://www.youtube.com/watch?v=pmAFa0PDcE4
Fender Stratocaster 70th Anniversary: Backstage Vlog
(メイキング映像)
https://www.youtube.com/watch?v=FVCDUfzSBVk
Rei&ハマ・オカモト/フェンダー・チャリティ・スクール
https://www.youtube.com/watch?v=z5uW_78KrYk&t=203s
ジャズ・バルティカ2008のオーネット・コールマン [音楽]
Ornette Coleman (Jazz Baltica 2008)
宇多田ヒカルのベスト・アルバム《SCIENCE FICTION》は単なる寄せ集めのベスト盤ではなくて、新しく入れ直した曲が3曲、リミックスが10曲とのことだ。Re-Recordingは〈Addicted To You〉〈光〉そして〈traveling〉だが、track 1にシングル盤でいえば4thの〈Addicted To You〉を持ってきているのがさすがである。〈Automatic〉や〈First Love〉でなく〈Movin’ on without you〉や〈Addicted To You〉のほうが初期の宇多田を象徴している楽曲のように思えるからだ。
4月13日夜の日本TVの新番組《with MUSIC》で宇多田は、なぜアルバム・タイトルがサイエンス・フィクションなのかを語っていたが、よくわからなかった。もっともアルバム・タイトルなんてある種の識別記号だと考えればそのとき思いついたフィットする語彙でよいわけで、そのサイエンス・フィクションという言葉で連想するのがオーネット・コールマンなのである (と強引に結びつけてしまった)。
最近、オーネット・コールマンをよく聴く。《Free Jazz》とか《Tomorrow Is The Question!》などのLPも続々と再発されているし、単なる私のマイブームというわけでもなく、比較的よく聴かれるようになってきているのではないだろうか。
YouTubeを探していたら2ギター、2ドラムスというセクステットの1978年7月のドイツでのライヴを見つけた。ギターはジェームス・ブラッド・ウルマーとバーン・ニックスで、ブラッド・ウルマーなつかしい! と思ってしまったのだが、でもそれよりもずっと後の2008年の3sat (ドイツのTVチャンネル) が収録したライヴが素晴らしい。
ジャズ・バルティカという1990年から毎年行われているジャズ・フェスティヴァルにおける2008年7月6日の演奏で、2ベースのクインテットであるが、ベースはアコースティクとエレクトリック各1本で、それにジョー・ロヴァーノのテナー、そしてデナードのドラムスというパーソネルである (オーネットはピアノレスでグループを組むことがほとんどだ)。
どの曲も比較的短めな演奏で、しかも変化に富んでいるし、トニー・ファランガのアルコが美しい。そしてあらためて思ったのだが、オーネットの音色は常に流麗で衰えも無く、むしろ逆に練れていて、そして常にスウィングしていること、これが重要である。有名なブルーノートのゴールデン・サークルにおけるライヴは、シンプルでメインストリームなジャズにしか聞こえない、というようなことを以前に書いたことがあるが、メインストリームというのは大袈裟にしても、オーネットは常にリズムをキープさせていて、それはフリージャズに特有な痙攣するようなパルスではなく、純粋にスウィンギーなテイストであり、そして根本的に明るい音楽であることだ。それはあの〈Lonely Woman〉でも翳ることはない。もちろん曲想自体は悲哀に満ちているのだが、オリジナルの《The Shape of Jazz to Come》の頃とは違って、この日のライヴにおけるメロディーラインは慈愛に満ちている。
下記にリンクした当ライヴは1時間17分もあるので、00:54:35の〈Dancing In Your Head〉あたりから最後まで聴いてみるのでも十分に堪能できるように思う (YouTube画面左下の 「…もっと見る」 をクリックして時間表示をクリックすると各曲毎のリンクに飛ぶことができる)。
宇多田ヒカル/SCIENCE FICTION
(ソニー・ミュージックレーベルズ)
Ornette Coleman/Science Fiction
(ソニー・ミュージックレーベルズ)
Ornette Coleman/JazzBaltica 2008
https://www.youtube.com/watch?v=yDVBrOnVdR8
マウリツィオ・ポリーニ《バルトーク:ピアノ協奏曲第1番》 [音楽]
Maurizio Pollini (2001)
マウリツィオ・ポリーニ (Maurizio Pollini, 1942−2024) は私にとってアイドルだった。衝撃を受けた最初の演奏はショパンの《エチュード op.10&25》だったが、圧倒的なその演奏に対して、すごいという声とともに 「メカニック過ぎる」 とか 「これはショパンではない」 などという誹謗も聞かれたことを覚えている。
私の知人にもその手の意見の人がいて、ポリーニに対しても、キース・ジャレットに対しても (というよりもECMの音楽全般に関して) ことごとく否定的で、はじめは音楽に対して深い造詣があるのかと思って聞いていたのだが、次第にそれは単なる好みの差なのだとわかるようになってきた。同時に選択肢は常に自分自身にあり、自らの選択こそが絶対だと悟った (他人の意見に影響され過ぎるのは無駄だという意味である)。
エチュードに衝撃を受けてそれ以前の録音を探した。ストラヴィンスキーのペトルーシュカとプロコフィエフのソナタだったが、今だったらともかくその当時はまだ冒険的な選曲だったように思う。それをリリースしてしまうというポリーニのセンスにしびれた。以降のシューベルトのさすらい人、シューマン、そしてノーノ (はさすがにあまり繰り返しては聴かなかったが)、シェーンベルク、ショパンのプレリュード、そしてポロネーズと、すべてを西独DG盤で揃えた。
しかし、1980年を過ぎるとあまり熱心さというか執着がなくなったのは、ポリーニに飽きてきたからではなく、世界のピアニストの指向が次第にポリーニ的なアプローチのピアニズムに収斂されていったので、つまり雑な表現でいえば、かつての感情過多でロマンティックな演奏スタイルは淘汰されつつあって、結果としてそれまでのポリーニの特異性が減少してきたからなのではないかと思う。
ポリーニのベストをあげるのなら、やはり最初期のエチュードと、そしてやはり初期に録音されたベートーヴェンの30〜32番ソナタだと私は思う。特にベートーヴェンの後期ソナタは、いままでのピアニズムと違っていたし、いきなり後期ソナタから出してくるピアニストもいなかったのではないだろうか (もっとも、DG盤は最初のボックスセットのデザインに較べると、再発LPのジャケットデザインがひど過ぎる)。その後、若きイーヴォ・ポゴレリッチが32番から出してきたのからもわかるとおり、以後のピアニストにポリーニが与えた影響は大きかったような気がする (あえて言うならば後期ソナタをこんなにポピュラーにしたのがポリーニだったとも)。
ポゴレリッチの初期のコンサートに対して坂本龍一が、そのエキセントリックさに驚いた感想を語っていたのも懐かしい思い出だが、そういう点から見るとショパン・コンクールというのがピアニストのトレンドの指標のひとつとなっていることは間違いない。
今、YouTubeで聴くことのできるなかでイチオシなのはブーレーズの振るバルトークのピアノ・コンチェルト第1番である。
DG盤のバルトークはクラウディオ・アバド/シカゴの1977年録音だが、YouTubeにあるのは2001年6月のブーレーズ/パリ管と、翌2002年の東京文化会館でのブーレーズ/ロンドン響のライヴである。
2001年のパリはシャトレ座でのライヴであり、シャトレ座といえばバルバラの《シャトレ87》を思い出すが、バルトークのパーカッシヴなニュアンスが良く現れていて、ブーレーズとの相性もあり刺激的なバルトークのように思う。以前にも書いたことだが、まだ調性感の残っていたバルトークのコンセプトをダルムシュタットによって葬り去ったのが若きブーレーズでありながら、そのブーレーズの振るバルトークが私にとって、もっともフィットするバルトークであるという矛盾が面白い (たとえば青髯公とか)。
文化会館のライヴはパリの翌年のため、オケは違うけれど練れている演奏のように感じるが、パリのほうがスリリングさは勝っているように思える。
ポリーニは晩年になってベートーヴェンを弾き直しているし、私も彼の録音の全てを聴いてはいないので、遺されたものを辿って行くことが偉大なピアニストを理解するための道なのだろう。残念ながら、もう新しい録音には出会えないとはいえ。
Maurizio Pollini, Claudio Abbado,
Chicago Symphony Orchestra
Bartók: Piano Concerto No.1&2 (Universal Music)
Maurizio Pollini, Pierre Boulez, Orchestre de Paris/
Bartók: Piano Concerto No.1 (Mov 3)
Théâtre du Châtelet, Juin 2001
https://www.youtube.com/watch?v=Ijc90fbi9kY
(Mov 1)
https://www.youtube.com/watch?v=XMwH3011tTk
(Mov 2)
https://www.youtube.com/watch?v=0eGH826Y3CI
Maurizio Pollini, Pierre Boulez, London Symphony Orchestra/
Bartók: Piano Concerto No.1
Tokyo Bunka Kaikan, 21/Oct/2002
https://www.youtube.com/watch?v=9ynqvsnWZZc
Maurizio Pollini/Pierre Boulez: Piano Sonata No.2 (1947−48)
https://www.youtube.com/watch?v=-ZpNlxoXpQg
武蔵村山混声合唱団演奏会 [音楽]
今回はごく身近な話題。
友人から混声合唱のコンサートがあるので一緒に行かない? という誘いを受けた。友人の知人が出演する地元のアマチュアの合唱団なのだという。3月の最終日は急に暖かさを通り越して、やや暑いくらいの日だった。
会場は武蔵村山市民会館という場所で、東京のやや外れにあるホールである。開場前のロビーはすでにかなりの人で賑わっていて、年齢層も高い。
最初に正直に書いてしまうと、混声合唱というイメージから私が想像していたのは、日本の童謡とか、最近のポップスの編曲版などを歌う和気藹々とした雰囲気のコンサートで、つまりヤマハのポップスコーラスのCM映像みたいなのに毒されていたのである。まさに不明を恥じるばかりだ。
演奏曲目は演奏順に工藤直子作詞/木下牧子作曲〈光と風をつれて〉、ヨーゼフ・ラインベルガー〈レクイエム ニ短調 op.194〉、鶴見正夫作詞/荻久保和明作曲〈IN TERRA PAX (地に平和を)〉という3曲である。いずれも複数の曲で構成されている組曲である (レクイエムを組曲とは言わないけれどご容赦ください)。
私は合唱曲というジャンルに関してほとんど何の知識もないので、見知らぬ曲ばかりだと思ったが、それぞれかなり有名曲であることを後で知った。
何よりも衝撃だったのはそれぞれの作品自体のクォリティの高さと、おそらくそれを歌うことの難しさである。〈光と風をつれて〉だけはやや少ない人数で歌われたが、ところどころでインティメイトな、それでいてやや不安を感じさせるような美しい和声があり、昔の合唱曲の明るいけれどありきたりな音しか知らない者にとって、こういう曲があるのだということをあらためて思い知らされた。
〈IN TERRA PAX (地に平和を)〉はいわゆる反戦歌であるが、それをナマのまま提示するのでなく、メタファーによって訴える内容である。かなり技巧的なピアノ伴奏と、それに見合った幅のあるダイナミックな合唱の対比が美しい。
ラインベルガーの〈レクイエム〉は合唱団指揮者千葉裕一氏の研究対象でもあった作曲家のようだが、当時は有名だったけれど死後、忘れ去られてしまった人だとのことである。Rheinbergerianaというラインベルガーについて非常に詳しいサイトによれば、単に忘れ去られてしまったのではなく、「打ち捨てられた dismissed」 「無視された neglect」 作曲家なのだという。作風はやや保守的であり、次第に飽きられてしまったのだ、と。わかりやすい形容をすれば、ニュアンスが少し違うかもしれないがサリエリのような扱いなのだ。
ラインベルガーにはレクイエムとして書かれた作品が3曲あるが (b-moll op.60, Es-dur op.84, d-moll op.194)、今回選択されたのは、ずっと宿痾に悩まされていた作曲家最晩年の作品194である (作品番号の最後の曲はop.197と付けられている未完のミサ曲である)。
しかし実際に聴いてみると曲自体は非常に優れた構成力に満ちていて、決して飽きられてしまうような作品ではない。この曲には4名のソリストを加えていることからも今回の演奏における千葉裕一氏の力の入れ方がわかる。それはアンコールにもラインベルガーを持ってきたことからも自明である。
アンコール曲は〈Drei geistliche Gesänge〉(三つの宗教的歌) op.69の第3曲〈Abendlied〉(夕べの歌) という作曲家が25歳のときの作品であり、晩年の作品とは対照的な明るさが感じられる。
聴いていて連想したのは、最近続けて音楽系のTVドラマとして放映された《リバーサルオーケストラ》と《さよならマエストロ》のことだった。2つともごくマイナーな地方オーケストラの存続をかけた闘いのストーリーという点で似ていたし、幾つもの葛藤や不安や猜疑も存在していたが、そこで描かれていたテーマとは、音楽は必ずしも超一流の演奏家の専有物なのではなく、広く全ての人々が楽しむことのできるものであるということだ。
オーケストラに限らず、アマチュアの合唱団でもロックバンドでも、一流のプロの演奏者と較べれば瑕疵があるかもしれない。でもそれが何だというのだ、と私は思う。音楽の喜びとは演奏する喜びもあり、それを聴く喜びもあり、音楽に浸るというその喜びには巧拙は存在しない。そうした音楽に対する原初的な喜びをあらためて知らしめてくれた演奏会であった。