セントラルパーク1981のサイモン&ガーファンクル [音楽]
BSテレ東に《あの年この歌》という高見沢俊彦と坂崎幸之助の番組があって (番組はすでに終了している)、その過去映像をYouTubeで観ていた。ザ・タイガースの〈花の首飾り〉をアップテンポに編曲していて、おぉ、こういうのちょっとカッコイイなぁ! と注目したのだが、そしたら THE ALFEE の 40th Anniversary Ceremony & Special Concert という映像が次候補に出て来て、そこではサイモン&ガーファンクルの〈The Boxer〉を歌っている。
これはすごい、ここちよいハーモニー、と聴いていたのだが、右側のリストに本家の〈The Boxer〉が一番上にあるのを発見。思わずクリックしてしまった……。
もちろん、ジ・アルフィーはすごいんです。でもオリジナルのS&Gには、かないっこない。というか、これはやってはいけないことでした。
でもずるずると、このセントラル・パーク・コンサートを聴いてしまう。サイモン&ガーファンクルのこのコンサートは1981年にセントラル・パークで行われたチャリティなイヴェントであった。舞台装置なんか何もなくて、後ろに巨大な給水タンクみたいなのがあったりする。
この伝説ともいえるコンサートだが、それがあったことは知っていたけれど、しみじみと観たことは今までになかった。何をいまさら……でしかないのですが、素晴らしいです。
from The Concert in Central Park:
Simon & Garfunkel/Mrs. Robinson
https://www.youtube.com/watch?v=5JVPdb6Urhw
Simon & Garfunkel/Scarborough Fair
https://www.youtube.com/watch?v=4Ccgk8PXz64
Simon & Garfunkel/The Boxer
https://www.youtube.com/watch?v=6JUbFj0BIc4
Simon & Garfunkel/The Sound of Silence
https://www.youtube.com/watch?v=NAEppFUWLfc
《参考》
THE ALFEE/The Boxer
40th Anniversary Ceremony & Special Concert
https://www.youtube.com/watch?v=XBeTlCKPTbo
高見沢俊彦&坂崎幸之助/花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=i0M1dKjG1io
ジャズ・バルティカ2005のトマス・スタンコ [音楽]
トマス・スタンコのことはこれまでにも何回か書いているが、最近、2004年のミュンヘンでのライヴ《September Night》がリリースされたので、それに近い動画をYouTubeで探してみた。同じドイツのキール近郊にて毎夏に行われているジャズ・フェスティヴァル 「ジャズ・バルティカ」 における2005年のライヴを見つけた。
この時期のスタンコのバックをつとめるのはマルチン・ボシレフスキ・トリオである。ピアノがボシレフスキ、ベース:スラヴォミル・クルキエヴィッツ、そしてドラムスがミハウ・ミスキエヴィッツである。
動画は1時間ほどの、おそらくその日のライブ全曲をカヴァーしているが、ほんのさわりだけでもこの日のスタンコの演奏を聴いてみて欲しい。
スタンコは非常にハイテンションで、どの曲も淀みがなく、これほどの演奏はそんなに聴くことができないのではないかと思う。またピアノのボシレフスキもスタンコに拮抗するテンションで、グループ全体のトーンはややフリーキーなスウィング感に満ちている。
演奏曲目はほとんどがスタンコのオリジナルだと思えるが、〈Euforila〉は資料によってはボボ・ステンソンとの共作のような表示がある。また〈Kattorna〉はクシシュトフ・コメダの作品である。
そして〈Euforila〉はアルバム《Chameleon》(1989) や《Leosia》(1997) に、〈Celina〉は《Matka Joanna》(1995) に、〈Kattorna〉は《Lontano》(2006) に、〈Rising Ballad〉(Ballada powstańcza) は《Wolność w sierpniu》(2006) に収録されている。
最初に私がこのブログに書いたスタンコのインプレッションは次の通りである。
私がスタンコを初めて聴いたのは、FMで流れていたリュブリャナ・ジャ
ズ・フェスティヴァルのライヴだったと思う。聴いただけで異質な空間
に引っ張り込まれるような暗い輝きの音。いかにもECMらしい音といえ
ばそれまでなのだが、たとえばヤン・ガルバレクなどと同様、音だけで
誰だかわかる、とても特徴的な音色を持ったプレイヤーである。
(→2012年02月13日ブログ参照)
また、スタンコの重要な作品としてポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカへの追悼として作られたアルバム《Wisława》をあげなければならない (→2013年08月10日ブログ参照)。
ややかすれたような、あくまでもダークな音。だがこのジャズ・バルティカの演奏ではハイノートを多用し、音色もやや明るく、ジャズ・スタンダードと形容すべきインプロヴィゼーションを展開しているが、それでいてピンと張った彼特有のブロウから外れることはない。
Tomasz Stańko/September Night (Universal Music)
Tomasz Stańko Quartet/
JazzBaltica, Salzau, Germany, 2005.07.03
https://www.youtube.com/watch?v=Bzb-A3Xb_0U
Tomasz Stańko (Trompete)
Marcin Wasilewski (Piano)
Slawomir Kurkiewicz (Bass)
Michal Miskiewicz (Schlagzeug)
以下の時間表示はアバウトなものである。
00:00 Little Thing
11:17 Rising Ballad
18:40 Euforila
29:24 Piece
35;52 Kattorna
42:19 Witkacy
50:47 Celina
BBC1965のビル・エヴァンス [音楽]
ビル・エヴァンスのトリオ演奏のパーソネルには幾つものパターンがあるが、そのうち最も優れていたものはどれだろうか。普通だとスコット・ラファロとポール・モチアンの伝説のトリオということになってしまうが、それを除いた場合という設問を考えてみる。
エディ・ゴメスとマーティ・モレルという組み合わせでのトリオはもっとも長いが、エディ・ゴメスは素晴らしいテクニックだし、エヴァンスとの息もぴったりしているのだけれど、個人的な好みでいうと音数が多過ぎるのがちょっと……という気がする。雄弁過ぎるといってもよい。
ラファロ後、レギュラー・トリオの組み合わせとしてはチャック・イスラエルとポール・モチアン、チャック・イスラエルとラリー・バンカー、ゲイリー・ピーコックとポール・モチアンなどがあるが、チャック・イスラエルとラリー・バンカー時代のトリオに注目してみたい。
このトリオは1963年から1965年にかけてのエヴァンスのレギュラー・トリオであるが、アルバムでいうのなら、
At Shelly’s Manne-Hole (1963)
Time Remembered (1963)
Trio 64 (1964)
The Bill Evans Trio “Live” (1964)
Waltz for Debby (Monica Zetterlund) (1964)
Trio ’65 (1965)
あたりである (リアルタイムでなく後年にリリースされたアルバムも含む)。《Waltz for Debby》というタイトルはラファロ時代の1961年リリースのアルバムでもあるが、この1964年盤はモニカ・ゼタールンドの歌伴アルバムであり、ゼタールンドの最も有名なアルバムでもある (モニカ・ゼタールンドについてはこのブログで何回か触れているが、たとえば→2019年04月09日ブログを参照されたい) (アルバム・タイトルについて細かいことをいうと《Trio 64》というタイトルにはアポストロフが無く《Trio ’65》には付いている)。
この時期 (チャック・イスラエルとラリー・バンカー) のYouTubeで観ることのできる動画のひとつにBBCスタジオでのライヴがある。1965年3月19日と表記されていて、メディアは過去にリリースされたものでは、CDが London 1965/Hi Hat IACD10919、DVDが The 1965 London Concerts/Impro Jazz IJ544 だと思うが、DVDは入手困難である。
YouTube動画はハンフリー・リテルトン (Humphrey Lyttelton) が司会役になっている番組。テーマ曲である〈Five〉が始めと終わりに演奏されていて、それが2回あるのは、おそらく2回に分けてオンエアされた番組をつないだためだと思われる。
音質も悪く、モノクロだった映像をカラー化しているが、演奏自体は手練れな、まさに最盛期のエヴァンスの演奏といってよい。特に私が好きなのはチャック・イスラエルのベースのエヴァンスとの融合性で、冒頭の〈How My Heart Sings〉や〈Nardis〉はすぐにベースソロとなるが、いずれのソロもあまり奇矯な感じに陥ることなくスムーズである (エヴァンスを聴き過ぎるとエディ・ゴメスの手癖には食傷を感じてしまうこともあるのだがそれがない)。〈Nardis〉はジャック・デジョネットとの《at the Montreux Jazz Festival》が一番好きだが、この日の〈Nardis〉は比較的スタンダードな (つまり穏健な) 弾き方のようにも聞こえるけれどこういう緻密さにも惹かれる。
それとエヴァンスの指がよく映るが、あまりにもさらっと弾いているように見えて、それでいてこのディナミークのコントロールの完璧さはどうなのか、と思う。まさに理想的なフィンガリングなのだ。
〈Who Can I Turn to〉のイントロでは比較的クローズドなコードが続くが、この美しさは比類がない。そしてピアノの後に来るイスラエルのソロはよく歌っていて涙ものである。
次曲は幾つかのコードの連打から突然のようにさりげなく〈Someday My Prince Will Come〉のテーマが聞こえるのだが、それはすぐに終わり、速いテンポでインプロヴィゼーションになってしまう。このスリル感。バンカーのブラシ・ワークも素晴らしい。
アーヴィング・バーリンのスタンダード〈How Deep Is the Ocean?〉はアルバム《Explorations》における演奏が最もすぐれていると思っていたが、全くアプローチの異なるこうした弾き方もまさにエヴァンスで、つまりどういうふうにも弾けるのだ (ちなみにこの曲の邦題は 「愛は海よりも深く」 とよく言われるが、「愛」 という単語は原題にはない)。
前半の最後は〈Waltz for Debby〉だがこの曲について何か書いてもしかたがない。彼の最も有名曲なのだから。インリズムになってからの30’52”あたりからのピアノとベースの一瞬のユニゾンとか、カッコ良すぎる。
前半部のクロージングである〈Five〉が一気に急速調のインプロヴィゼーションに突入しながらフェイド・アウトしてしまうのが憎い。
後半の〈Summertime〉では、ベースのやや不穏な繰り返しに乗せてテーマがあらわれ、次第に普通のスウィングに持って行く構成がすぐれている。ハロルド・アーレンの〈Come Rain or Come Shine〉に続く〈My Foolish Heart〉はたぶんヴィレッジ・ヴァンガードの2枚目にあたる《Waltz for Debby》のtrack 1の同曲の演奏が有名だと思われるが、この曲はつまりエヴァンスの 「おはこ」 であり、いつ弾いてもこのクォリティなのだ。〈My Foolish Heart〉はJ・D・サリンジャーの小説を原作とする映画のためにヴィクター・ヤングが書いた曲であったが、映画自体はサリンジャーの不満を買い、以後、サリンジャーの作品を映画化することは不可能になったという経歴を持っている。だが曲だけは、スタンダードとして残っている。
後半最後の〈Israel〉は《Explorations》のtrack 1に収録されていた曲であるが、この日の演奏ではそれよりも速く、特にインプロヴィゼーションになってからの展開が爽快で、ベースとドラムスの掛け合いになるが、スティックに持ち替えた後のバンカーのドラミングも秀逸で、エンディングにふさわしい演奏となっている。
エヴァンスのライヴは常にオリジナルのセッション録音とは異なるが、どのように来るかという意外性を聴くのも楽しみのひとつである。
Bill Evans Trio/London 1965 (Hi Hat)
Bill Evans Trio, BBC studio, London, March 19th, 1965 (colorized)
Bill Evans (piano), Chuck Israels (bass), Larry Bunker (drums)
https://www.youtube.com/watch?v=10QOOvxw0uA
宇野亞喜良展 [アート]
宇野亞喜良展が開催されていることは知っていたのだが、NHKの《日曜美術館》で特集されているのを観て、俄然行く気になった。坂本美雨とのトークもあり、のんや金守珍のコメントもあって引き込まれる番組だった。
NHKの放送の中で一番見入ってしまったのは、宇野がワニと少女の絵を描くところをカメラがとらえているシーンだが、えっ? そうやって描いちゃうの? という驚きである。また、宇野亞喜良と横尾忠則の対談は面白く、この2人の若い頃からの関係性の深さと長さが垣間見える。最後のほうで横尾が宇野の絵に対して 「この年齢になってこういう絵が描けるのは変態でしょ?」 と言ったのには笑ったが、まさに最上級の褒め言葉だった。宇野が 「変態のあなたに言われたくない」 と返したらよかったのに、とも思うのだが。
それで東京オペラシティ アートギャラリーに早速出かけた。
70年代頃の各種企業のポスター類はどれも力があって素晴らしいし、寺山修司の天井桟敷公演のポスターはさすがに知っているが、どれもその時代を感じさせる作品ばかりである。この頃のほうがこの国にはずっとパワーがあったと感じてしまう。特に特色を使ったポスターは4Cで印刷された図録などではその本当の色合いを再現できない。貼りめぐらされたオリジナルのポスターは圧巻である。
宇野亞喜良といえば特徴的な 「あの絵」 なのだろうと勝手に解釈していたが、対象によって、あるいはどのようにオーダーされたのかによって描き方は変幻自在、まさにどんな絵でも描けるのである。もう……とんでもない人なのだ。
宇野のイラストはいわゆる商業用作品であるから、好き放題に描くわけにはいかない。自由にやらせてもらったとは言っているが、それがどのような宣伝効果をあげるのかということを前提にして描いている。そのテクニックは驚異だといわなければならない。
「あの絵」 とは多分に耽美であり、当時流行していたサイケデリック的なベースがあるが、初期の特にモノクロ作品で感じるのはやはりビアズリーの影響である。ビアズリーは商業美術の先駆者であるロートレックとともに絵画とイラストレーションの境界線にいた人だと思うが、宇野亞喜良はより商業的テイストが高く、それでいて確実に自己のキャラクターを表現の中心としている。無名性とは正反対の方法論である。
立体作品も展示されていたが、そのなかで最も印象的だったのは寺山修司の人形である。ちょっとアバターみたいな耳の寺山が愛らしいんですよね〜。展覧会は6月16日まで開催中である。
宇野亞喜良展
https://www.operacity.jp/ag/exh273/
ハルノ宵子『隆明だもの』 [本]
(画・ハルノ宵子/幻冬舎Plusサイトより)
一応解説しておきますと、ハルノ宵子は吉本隆明の長女で文筆家、マンガ家。妹は吉本ばななである。
『隆明だもの』は晶文社から刊行中の『吉本隆明全集』(まだ完結していない) の月報に連載されていたものに姉妹対談などを追加してまとめた内容である。タイトルからもわかるとおり、吉本隆明の家族としてその思い出を描いたエッセイです。万一、吉本隆明って誰? という場合はWikipediaなどで調べてください。
最近話題の本で、鹿島茂もとりあげていたので早速読んでみました。えぇと、こんなに書いちゃっていいのかなとも思うのですが、某書店では吉本全集新刊が出ると月報だけ立ち読みして帰ってしまう客がいたとかいないとか。
一番面白かったのは次の場面。しょーもない父親 (=吉本隆明) についにキレてしまったハルノ宵子 ——
「う〜ん、ダメかねぇ」 と父。キレた私は止まらない。「私にことわった
ってダメだよ! この家は私の物じゃない。私は関係ない。対の相手は
お母ちゃんだろう!」 ああっ、イカン! 本家を前に『共同幻想論』ま
で持ち出してしまった。「う〜ん…じゃあお母ちゃんに、ことわりゃいい
んだな」 と、父は2階の母の所に行こうと、立ち上がりかける。(p.100)
『共同幻想論』がわからない場合はWikipediaなどで調べてください。
ハルノ宵子は猫好きで、近所の猫にエサをやったりしながら様子を確かめる猫巡回というのをずっとやっていたそうで、その結果、父親の死に目に会えなかったのだという。「シュレディンガーの猫」 も、なぜ猫なのか、ネズミだっていいだろ、とも書く。
また吉本の著作方法について、
父の場合は、ちょっと特殊だった。簡単に言ってしまえば、“中間” をす
っ飛ばして 「結論」 が視える人だったのだ。本人は自覚していなかった
にしろ、無意識下で明確に見えている 「結論」 に向けて論理を構築して
いくのだから “吉本理論” は強いに決まっている。けっこうズルイ。
(p.55)
というのは、ああなるほどと納得してしまう。サヴァン症候群的な傾向があったのでは、ともいう。
他にも両親の関係性とか、数々の引っ越しとか、例の水難事件とか、面白さこの上なしなんだけど、ホントにいいのかなぁ。もっとも北杜夫も父親のことをしょーもないとよく書いていたのを思い出す (念のために書いておくと、北杜夫の父親は斎藤茂吉です)。
でもこうした話の数々は、つまり愛情があるからこそ書けるのでしょう、ということにしておきたいです。面白おかしく書いていますけど、要するに両親の介護日記でもあるのです。介護というと重いし、実際には重いことも数々あったのでしょうけれど (それは姉妹対談でも語られている)、それをこのように書けるのは文才以外のなにものでもないのです。
私は昔、吉本隆明の講演を聴いたことがありますが、ちょっと訥々としているのが次第に流麗になり、どこまで行くのかという話の持って行き方が素晴らしいと思ったのですが、内容は全く覚えていません。折伏されただけかも。
ハルノ宵子/隆明だもの (晶文社)
吉本隆明/共同幻想論 (KADOKAWA)
ストックホルム・セッション1961のエリック・ドルフィー [音楽]
Eric Dolphy (selmer.frサイトより)
YouTubeにストックホルム・セッションと表示されたエリック・ドルフィーの動画がある。
recorded for a TV Special titled “Eric i sta’n” (Eric in town) とあり、TV用に録画されたセッションだと思われる。画質は非常に悪いのだが、そして最後はフェイドアウトになっているが音楽を聴くには支障がない。
録音日は1961年11月19日とのことで、パーソネルはドルフィーと Idrees Sulieman (trumpet), Rune Öfwerman (piano), Jimmy Woode (bass), Sture Kallin (drums) というクインテットであり、この演奏はドルフィーの没後、1981年に《Stockholm Sessions》としてenjaからリリースされたアルバムに収録されている (wikiに拠れば Inner City Records と enja とのこと)。
トランペットのイドリース・スリーマンとベースのジミー・ウッドはケニー・クラークのアルバムでのサイドメンとしてある程度の知名度があるが、ピアノのルネ・オフェルマンとドラムスのステュール・カリンはいわゆる現地のミュージシャンであり、この《Stockholm Sessions》のパーソネルとして名前が確認できる程度である。
しかしこの日の演奏は素晴らしい。特にスリーマンのブローは自信に満ちていてドルフィーに拮抗するインプロヴィゼーションを展開しているし、その他の3人もクォリティの高い演奏でドルフィーに応えている。
正確に言えばアルバム《Stockholm Sessions》に収録されているなかの3曲は、(wikiの記述では) おそらく9月初めにアメリカで録音された演奏であり、それらのトラックはピアニストが違うが (Knud Jorgensen)、このYouTubeで視聴できる演奏はストックホルムでの演奏風景であると考えられる。
1曲目の〈Left Alone〉はドルフィーのフルート・ソロがメイン (有名曲である〈Left Alone〉から始めているのはいかにもTV用という感じではあるが)、そして4曲目の〈God Bless the Child〉はバス・クラリネットのソロである。このバスクラ・ソロはドルフィーの数ある演奏のなかでも珠玉のひとつだと断言できる。
ただ気になったのはNovember 19, 1961というレコーディング・デイトである。以下はごくマニアックな話題であるが、JAZZDISCO.orgのディスコグラフィで1961.11.19の前後を見ると、
1961.11.05 Village Vanguard, NYC, John Coltrane Octet
1961.11.18 L’Olympia, Paris, France, John Coltrane Quintet, 1st
1961.11.18 L’Olympia, Paris, France, John Coltrane Quintet, 2nd
1961.11.19 Concertgebouw, Amsterdam, Holland,
John Coltrane Quintet
1961.11.19 Kurhaus, Scheveningen, The Hague, Holland,
John Coltrane Quintet
1961.11.19 Swedish Broadcast Station, Stockholm, Sweden,
Eric Dolphy Quintet
1961.11.20 Falkoner Centret, Copenhagen, Denmark,
John Coltrane Quintet
1961.11.21 Konserthuset, Goteborg, Sweden,
John Coltrane Quintet
とあり、以後も12月2日までコルトレーン・クインテットでのツアーが続くのだが、11月19日はオランダのConcertgebouwとKurhausでのコルトレーン・クインテットのライヴがありながら、さらにその日にスウェーデンのストックホルムでこの《Stockholm Sessions》のTV用映像を収録していることになる。こんなことが可能なのだろうか。
ところが動画の始めでは5 September 1961と表示されている。そこで1961.09.05の前後にあたってみると、
1961.08.30 Club Jazz Salon, Berlin, West Germany,
Eric Dolphy Quintet
1961.08.30 Funkturm Exhibition Hal, Berlin, West Germany,
Eric Dolphy Quintet
1961.09.04 Vastmanland-Dala Nation, Uppsala, Sweden,
Eric Dolphy Quartet
1961.09.06 Berlingske Has, Copenhagen, Denmark,
Eric Dolphy In Europe
1961.09.08 Berlingske Has, Studenterforeningen, Copenhagen,
Denmark, Eric Dolphy In Europe
となっていて9月5日は抜けている。だからといって実はこの日がTV映像の録音日だったとするのは、その前後のパーソネルの状況からみて違うような気がする。この8月末から9月にかけてのヨーロッパ・ツアーは《Eric Dolphy in Europe》として残されている3枚のアルバムの音源であって、9月4日は《The Uppsala Concert》として後年リリースされたコンサートである。
もっとも、こうやって見ると連日、非常にハードなスケジュールでツアーを続けていたようであり、その頃はそうしたハードさがあたりまえだったのかもしれない。だとすれば、11月19日のライヴもやり、スタジオ・セッションもやるという状態も可能だったのだろう。
ただ、そうしたなかでの演奏の高度なクォリティは驚異であり、ドルフィーの足跡を追い続ける意欲のもとになっているのかもしれない。
Eric Dolphy/Stockholm Sessions (SOLID/enja)
Eric Dolphy Quintet, Stockholm Sessions,
SBC studio, November 19, 1961
https://www.youtube.com/watch?v=Wui2CUV0PRM