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伴都美子《FAREWELL》 [音楽]

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伴都美子 (2002)

近所にある最近できたリサイクル・ショップは狙い目で、時間があるときに寄ってみたりする。楽器のコーナーになぜかアトリエのベースが2本もあった。市場価格からするとかなり廉価だと思う。でも買わない (買えない) けど。アトリエのベースはYOASOBIのサポートメンバーであるやまもとひかるが使用していることで有名だ。

J-pop系のCDは意外なものがあったりするのでこの店などで結構調達していたりする。そんなに新品ばかりは買えないし、ヤフオクやアマゾンにないものだってリサイクル・ショップにはあったりするから。
この日の収穫は伴都美子の《FAREWELL》だった。伴都美子はDo As Infinityのヴォーカリストであるが、この《FAREWELL》は1stのソロ・アルバムである。

Do As Infinityの最も有名曲といえばもちろん〈深い森〉だが、それを聴くと昔、そのCDを買った店 (今はすでに無い) とか、その頃のもろもろのこととかが蘇る。音楽とはそのミュージシャンだけのものではなくて、その音楽の記憶とリスナーの記憶とが連携されて、個々のリスナーの記憶のアーカイヴへの手がかりとなるようなものなのだと思う。したがってその連携が弱い音楽の場合は、そのリスナーにとっての重要度も下位なのである。記憶の連携はCDに限らない。ライヴだったり、BGMとして流れていた音楽だったり、といったものも含めて音楽の記憶の総体はヒエラルキーの存在するアーカイヴなのだと思える。

Do As Infinityの楽曲に較べるとソロ・アルバムのテイストはやや違う。PVにもそうした傾向があらわれているが、やや凝り過ぎのような気もする。だが、2006年の発売なのにいまだに現役盤なのはそれなりの需要があるからだろう。
下記リンクには《FAREWELL》のタイトル曲でなく、まず〈Hold Me...〉という曲のPVをあげておく (単に好みの問題である)。最近のライヴを観てもその声の表情はかわらない。その強さに惹かれる。

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伴都美子 (2013)

伴都美子/Farewell (エイベックス・マーケティング)
FAREWELL (DVD付)




伴都美子/Hold Me... (PV, 2006)
https://www.youtube.com/watch?v=tNvzUa6Cg4E

Do As Infinity/陽のあたる坂道 (2002.03)
https://www.youtube.com/watch?v=2PNHz6nOXfU

Do As Infinity/遠くまで
(Dive At It Limited Live 2013)
https://www.youtube.com/watch?v=nSIQ8zigPgg

Do As Infinity / 深い森
(Dive At It Limited Live 2013)
https://www.youtube.com/watch?v=UexTEDUgSGs

     *

Do As Infinity/陽のあたる坂道 (live 2024.03.16)
https://www.youtube.com/watch?v=xpbnm6Ot4_s

伴都美子/Farewell (PV, 2006)
https://www.youtube.com/watch?v=ZsdqeECGM-o
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みなみらんぼう〈途上にて〉 [音楽]

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まだ野坂昭如が全盛期でシビアなことをどんどん口にしていた頃、みなみらんぼうと対談していたTV番組があって、そこで野坂は 「何がらんぼうだ。そんな芸名、付けるんじゃないよ」 みたいなことを言って、みなみらんぼうが必死に対抗していたのを覚えている。
でも野坂の言い方は一種の愛情であって、ああいうふうにコミュニケーションが成立していたのはよい時代だったなと思う。今は妙な縛りばかりが多くてコミュニケーションのレヴェルが低い。野坂昭如の最高傑作は『骨餓身峠死人葛』だと私は思っていて、こんなふうに書ける作家はそんなにいない。

みなみらんぼうの声はやさしくてヴィブラートが無くストレートで、シンプルな音像のなかにその心の機微が浮かび上がる。素朴で今のメカニックな音楽状況には合わないのかもしれないが、とても心が安まる。
昔、中央線の某駅の駅前通りで、まだ幼い子どもを自転車に乗せてなにか喋りながら走っていたみなみらんぼうとすれ違って、それだけなのにそれだけで彼の我が子への愛情を感じた。

なぜ急にみなみらんぼうを思い出したかというと、前記事の山川恵津子のことを書いているとき、谷山浩子の歌を何曲も聴いたからだと思う。
みなみらんぼうの4枚目のアルバム《途上にて》(1977) のタイトル曲、〈途上にて〉ではみなみらんぼうとデュエットしている谷山浩子の声を聴くことができるからだ。
みなみらんぼうの大ヒット曲は、たぶん〈山口さんちのツトム君〉だろうが、それは作詞・作曲家としての彼であって、みなみらんぼうの音楽の本質は少し違うところにある。

メカニックで複雑な音楽と、素朴で虚飾のない音楽。音楽の嗜好とはそうした相反する傾向の作品の間を揺れ動くものなのであり、だからホッとするひとときは、人生のなかで貴重な時間なのかもしれない。
そうしたとき聴く音楽はたとえばブルース・スプリングスティーンの《The River》(1980) であったり、もっと内省的な中山ラビの《もうすぐ》(1976) であったりするものだ。


みなみらんぼう/武蔵野詩人 (Universal Music)
武蔵野詩人~みなみらんぼうの世界~ (SHM-CD)




みなみらんぼう ゴールデン☆ベスト
(Universal Music)
みなみらんぼう ゴールデン☆ベスト




みなみらんぼう/途上にて
https://www.youtube.com/watch?v=EfwyAbOICH0

みなみらんぼう/空飛ぶ鯨の話
https://www.youtube.com/watch?v=nkzXzRFaM_U

みなみらんぼう/コートにスミレを
https://www.youtube.com/watch?v=o3_DLMQhhHQ

みなみらんぼう/アルバム《途上にて》A面
https://www.youtube.com/watch?v=2Fd1uSpnJH4
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山川恵津子『編曲の美学』 [本]

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山川恵津子&早見優 (Tokyo Speakeasyより)

山川恵津子 (1956−) は作曲家、編曲家であり、キーボード奏者でもあり、コーラスもこなすという人である。今回出版された『編曲の美学』と連動して、ビクターとポニーキャニオンから《編曲の美学 山川恵津子の仕事》というCDが発売されている。

山川恵津子が音楽に携わったのはヤマハのポプコン応募がきっかけで、その後もヤマハでバイトをしていたのだそうだが、ごく初期の頃にはキーボーディストとして谷山浩子のサポートをしていた。そして曲作りにもかかわるようになり、たとえば谷山の〈てんぷら☆さんらいず〉(1982) はその頃の山川の相棒であった鳴海寛との共同編曲である (「東北新幹線」 という名称のデュオ・グループで活動していた)。

本の最後に作曲・編曲リストが掲載されているが、もうとんでもない量で、アグネス・チャン、岩崎宏美、岩崎良美、おニャン子クラブ、新田恵利、又紀仁美、西脇唯 (あ、なぜか8cmシングルは全部持っています) などなど。
特に岡本舞子、渡辺満里奈への提供曲や編曲が多い。いわゆるガールズ・ポップというか、比較的歌謡曲寄りの作編曲に特徴があり、その対象も圧倒的に女性歌手が多い。小泉今日子の〈100%男女交際〉で1986年の第28回日本レコード大賞編曲賞を受賞。最近の作品だとSAKUraの〈漕ぎ出せ♪ショコラティエ〉の作編曲が山川である。
また松田聖子の仮歌 (歌手が新曲を聴いて練習するためのガイド歌唱) をやっていたことでも知られる。

キーボーディストとしての仕事には谷山浩子、八神純子など複数にあるが、土屋昌巳の一風堂のデビュー・コンサートにもサポートとして入ったのだという (p.143)。
また大瀧詠一の《NIAGARA TRIANGLE Vol.2》に招集され、ハープシコードを担当したとのことだが、巻末の川原伸司からのコメントとして、大瀧詠一は山川の演奏を褒めていたそうである (p.274)。その当時、大瀧のレコーディングに集められたミュージシャンのなかで山川は最年少であったとのこと。

編曲に対するこだわりとして、

 とくに曲の最後の音はそのキーの主音で終止する場合が多いのだが、こ
 こでバックグラウンドにトニック (安心できるコード) を持ってくるのが
 好きではない。理論上は一番平和でわかりやすく大正解なコードなのに、
 私はそれをとにかく避けてきている。これは私のアレンジした曲をお聴
 きいただくとわかると思うが笑えるほどそうなっている。どうにかして
 トニックから逃れているはずだ。(p.060)

 なぜかというと、トニックで終わると曲全体の印象がどっしりと野太く
 なってしまい、オシャレではないのだ。(p.061)

と書かれている。そんなオシャレ度優先の志向のため、オーソドクスを良しとする阿久悠とは衝突もあったようである。
荒井由実に関しては、高校3年生の頃〈ひこうき雲〉を聴いたとき、「なんとも衝撃的な世界観」 であり、「じつはいまだにこの歌詞については理解できていない」 とも言っている (p.077)。本書後半の原口沙輔との対談のなかで 「私は歌詞が頭に入ってこない」 と述べていて (p.257)、坂本龍一などと同じように、やはり言葉ではなくて音楽の人なのだ。

又紀仁美 (ゆうき・ひとみ) の5thアルバム《Be Myself》(1997) ではその全編曲を担当したのだそうだが、当時の流行とは違っていて、売れなかったけれどカッコよくできていると自画自賛。又紀はシンガーソングライターなので作詞作曲は又紀自身なのだが、仕上がりの雰囲気はシンガーソングライター風でなく、よい意味での歌謡曲テイストだと思う。
下記リンクにはその《Be Myself》収録曲でなく、3rdアルバム《Forward》(1995) に収録されている〈Stylish〉を挙げておく (5thシングル〈激しさを見せて〉の併録曲)。

作詞作曲家だけでなく、このようにして編曲家の仕事にスポットが当たるのも昨今の必然なのだと思うが、まさに職業編曲家としての矜持を見ることが可能だ。

それと、以上とは全然関係ないのだけれどひとりごと。
今年上半期のエポックとして特筆すべきなのはNHK大河ドラマ《光る君へ》の冬野ユミ (とうの・ゆみ) の音楽である。テーマ曲だけでなく、劇伴の出来が素晴らしい。


山川恵津子/編曲の美学 (DU BOOKS)
編曲の美学 アレンジャー山川恵津子とアイドルソングの時代




編曲の美学 山川恵津子の仕事 Victor Entertainment編
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https://tower.jp/item/6329815/

編曲の美学 山川恵津子の仕事 PONYCANYON編
YamakawaCD_02.jpg
https://tower.jp/item/6330922/


谷山浩子/てんぷら☆さんらいず (1982)
作詞・作曲:谷山浩子、編曲:鳴海寛・山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=eP0AAFey-g8

岡本舞子/愛って林檎ですか (1985)
作詞:阿久悠、作曲・編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=2z1XerpYsEs

岡田有希子/PRIVATE RED (1985)
作詞:売野雅勇、作曲:山川恵津子、編曲:大村雅朗
https://www.youtube.com/watch?v=E4pKVVTaFHA

小泉今日子/100%男女交際 (1986)
作詞:麻生圭子 作曲:馬飼野康二 編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=sRwYMoY9aR4

又紀仁美/Stylish (1995)
作詞・作曲:又紀仁美、編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=TgpD-tiECXE

早見優、ありさ、かれん/Make Lemonade (2022)
作詞:早見優、ありさ、かれん、作曲・編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=h3qEluTZGYA

SAKUra/漕ぎ出せ♪ショコラティエ〜これって恋ですか?〜
(2023)
作詞:新妻由佳子・高柳景多、作曲・編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=0ZA2tboqcVM
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加藤和彦・前田祥丈『あの素晴しい日々』 [本]

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加藤和彦 (engineweb2020.08.13より)

この本は1993年に前田祥丈が加藤和彦 (1947−2009) にインタヴューした記録をまとめて2013年に上梓されたものの再刊である。インタヴューしたときからすでに30年の時が経っているのだが、加藤和彦の喋る口調がそのまま、ほとんど編集されずに収録されていて、それがかえって生々しく当時の雰囲気をあらわしているように思える。

1993年にはすでにバブルは崩壊していたが、まだ音楽シーンは活況だった。だが1998年をピークとしてCD売上げは衰退して行く。加藤和彦名義のスタジオ・アルバムは1991年の《ボレロ・カリフォルニア》が最後であり、それは音楽市場が衰退していったことに加えて、妻であった安井かずみ (1939−1994) が亡くなってしまったことも大きく影響している。
ここであえて言ってしまえば、安井かずみを失って以降の加藤和彦は魂をなくしてしまったような状態で、すでに生きる意欲が減退していたようにも思える。

読んでいて印象に残った箇所はいくつもあるのだが、ランダムにあげてみよう。
加藤和彦の活動初期の頃の、つまりフォーク・クルセダーズの頃の日本の音楽ビジネスについて、前田祥丈は加藤和彦の発言を踏まえて次のように指摘している。

 日本の音楽業界は、フォーク・ソングやロックのムーブメントを、あく
 まで〈流行〉のためのギミックとして抑え込もうとした。海外のフォー
 ク・ソングやロックのムーブメントが内包していた、自分たちの既得権
 を揺るがしかねない革新性はできる限り排除しようとした。
 その結果生まれたのが、フォーク・ソングやロック・ムーブメントの日
 本的変種であるGSでありカレッジ・フォークだった。(中略) 現在から
 俯瞰すれば独自の面白さや魅力もあるのだが、同時代の目で見れば、そ
 れはフォーク・ソングやロックの歌謡曲化そのものだった。(p.65)

ジャックスの曲をカヴァーしたことに関して。
ライヴで聴いたジャックスの演奏は 「ヘタヘタだもんね。ヘタを超えた存在感だけ」 (p.69) というが、水橋春夫 (1949−2018) とは仲がよかったのだという。そして唯一、テクニックのあった木田高介 (1941−1980) は加藤のレコーディングにも助っ人としてよく来ていたという。もっともフォークルのなかでジャックスを認めていたのは加藤だけで、北山もはしだも相手にしていなかったとのことだ。

日本にまだPAという概念がなかった頃、WEM (Watkins Electric Music) の機材を入れてPA会社を設立したこと。WEMにしたのはピンク・フロイドが使っていたからだとのこと (p.93)

サディスティック・ミカ・バンドを作ろうとしたきっかけは、ロンドンでT. REXや、まだ有名でなかったデヴィッド・ボウイを観たことだという。ロキシー・ミュージックの最初の公演も観たそうである (p.106)。ブライアン・フェリーは、傾向は違うけれど加藤和彦のデカダンに通じるものがあるような気がする。

ビートルズを意識した時期はいつかと問われて、

 『リボルバー』が最初かな。ビートルズというより『リボルバー』ね。
 あと『リボルバー』の時代だとウォーカー・ブラザーズ、ビージーズ。
 (p.30)

 僕はスティングにスコット・ウォーカーを見たっていうか、彼はすごい
 んじゃない。(p.31)

ウォーカー・ブラザーズのなかで他の二人は普通の人だが、スコット・ウォーカーはマザコンで、僕はそういう人が好き、と語る。う〜ん。でもスコット・ウォーカーがどうかは知らないけど、スティングはマザコンじゃないと思います。

日本の音楽は、という話題になったとき、團伊玖磨の《夕鶴》は赤面してしまうオペラと断じてしまう。対して黛敏郎はすごい。雅楽をやっても現代音楽を踏まえている、と評価する (p.172)。

ソロ・アルバムに関して。《それから先のことは…》(1976) は、「どうしてもマッスル・ショールズでレコーディングやりたくて」 という (p.184)。そして《ガーディニア》(1978) はボサノヴァを主体としたアルバムであり、パーソネルは坂本龍一、高橋幸宏、鈴木茂、後藤次利といった人たちだが、加藤は坂本龍一を特に褒めている (p.190)。加藤和彦と坂本龍一に共通しているのは歌詞をほとんど書かないことで、つまり音主体という点で似ている感じがしてしまう。

意外に思ったのが 「浅川マキって昔、ずいぶん仲良かったのよ」 (p.290) という述懐。浅川マキには〈悲しくてやりきれない〉を一緒に歌って欲しいなと言いながらも、同曲をカヴァーした矢野顕子のを聴いたのだそうだが、「これを超えるのは難しいな」 (p.290) と。カヴァーは矢野のアルバム《愛がなくちゃね。》(1982) に収録されている。矢野テイスト全開で、ちょっとトリッキーなことは確か。

加藤和彦の作品で話題になるのは 「ヨーロッパ三部作」 と呼ばれる5thから7thアルバムの《パパ・ヘミングウェイ》(1979)、《うたかたのオペラ》(1980)、《ベル・エキセントリック》(1981) だが、私が最初に聴き込んだのはそれらの後の9th《ヴェネツィア》(1984) だった。正確にいえばそのtrack 1の〈首のないマドンナ〉であって、ここに加藤和彦の頽廃と孤独と孤高の営みがすべて詰まっている。ヴェニスはヴィスコンティが描いたように、まさに死の町なのだ。

本書のタイトル『あの素晴しい日々』は、大ヒット作〈あの素晴しい愛をもう一度〉を踏まえて、初出タイトルからこのタイトルに変更されたとのことだが、〈あの素晴しい愛をもう一度〉は学校教材としてもとりあげられたりもして、希望の歌のように思われがちであるけれど、おそろしく暗い歌詞だということを再認識する必要がある。

加藤和彦が大貫妙子の作品に編曲者としてかかわった幾つかの曲は、そのいずれもが悲しみの色であり、失われたものへの憧憬であり、胸がつまる情景を映し出す。
アルバム《Aventure》(1981) の〈ブリーカー・ストリートの青春〉も好きだが、《romantique》(1980) に収録されている〈果てなき旅情〉と〈ふたり〉は大貫のベスト・トラックといってよいと思う (ストリングス・アレンジは清水信之)。《romantique》はアナログ・レコードではA面が坂本龍一、B面が加藤和彦の編曲というふうに別れていて (B4/〈新しいシャツ〉のみ坂本編曲)、このB面に入ったときの悲しみのような音のつらなりは加藤和彦特有のものだ。
私の最も好きな〈ふたり〉のバックは、ムーン・ライダースのメンバーが中心になっていて、加藤和彦にプラスして岡田徹、白井良明、鈴木博文、そしてドラムスは橿渕哲郎である。

 さよなら キエフは緑の六月
 別離はモスコウ あなたのくちづけ

大貫の《romantique》《Aventure》はその次作《cliché》(1982) との3枚で 「ヨーロピアン三部作」 とも言われるが、これは加藤和彦の三部作に一年遅れでシンクロしている。

加藤和彦の最晩年にVITAMIN-Q featuring ANZAというグループがあるが、ANZAをメイン・ヴォーカルに据え、加藤和彦、土屋昌巳、小原礼、屋敷豪太で構成されていたマニアックだけれど、かわらぬ加藤テイストのバンドである。
YouTubeには〈スゥキスキスゥ〉と〈THE QUEEN OF COOL〉の動画があるが、特に〈スゥキスキスゥ〉は、加藤和彦がちわきまゆみに書いた曲を彷彿とさせる出来だ。
加藤和彦テイストはごく初期の〈不思議な日〉からこの〈スゥキスキスゥ〉まで、終生変わらない。


加藤和彦・前田祥丈/
あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」 を語る (百年舎)
あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」を語る




加藤和彦/首のないマドンナ
https://www.youtube.com/watch?v=XpGAgScZTvw

大貫妙子/ふたり
https://www.youtube.com/watch?v=nj8SYcvS01U

加藤和彦/不思議な日 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=gIjqkkKRE2s

VITAMIN-Q featuring ANZA/スゥキスキスゥ
https://www.youtube.com/watch?v=IDaUhe6_ZX0

VITAMIN-Q featuring ANZA/THE QUEEN OF COOL
https://www.youtube.com/watch?v=rNObI2n_UWY

加藤和彦・北山修・坂崎幸之助/
あの素晴しい愛をもう一度 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=CAtHvMP0QFw
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