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加藤和彦・前田祥丈『あの素晴しい日々』 [本]

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加藤和彦 (engineweb2020.08.13より)

この本は1993年に前田祥丈が加藤和彦 (1947−2009) にインタヴューした記録をまとめて2013年に上梓されたものの再刊である。インタヴューしたときからすでに30年の時が経っているのだが、加藤和彦の喋る口調がそのまま、ほとんど編集されずに収録されていて、それがかえって生々しく当時の雰囲気をあらわしているように思える。

1993年にはすでにバブルは崩壊していたが、まだ音楽シーンは活況だった。だが1998年をピークとしてCD売上げは衰退して行く。加藤和彦名義のスタジオ・アルバムは1991年の《ボレロ・カリフォルニア》が最後であり、それは音楽市場が衰退していったことに加えて、妻であった安井かずみ (1939−1994) が亡くなってしまったことも大きく影響している。
ここであえて言ってしまえば、安井かずみを失って以降の加藤和彦は魂をなくしてしまったような状態で、すでに生きる意欲が減退していたようにも思える。

読んでいて印象に残った箇所はいくつもあるのだが、ランダムにあげてみよう。
加藤和彦の活動初期の頃の、つまりフォーク・クルセダーズの頃の日本の音楽ビジネスについて、前田祥丈は加藤和彦の発言を踏まえて次のように指摘している。

 日本の音楽業界は、フォーク・ソングやロックのムーブメントを、あく
 まで〈流行〉のためのギミックとして抑え込もうとした。海外のフォー
 ク・ソングやロックのムーブメントが内包していた、自分たちの既得権
 を揺るがしかねない革新性はできる限り排除しようとした。
 その結果生まれたのが、フォーク・ソングやロック・ムーブメントの日
 本的変種であるGSでありカレッジ・フォークだった。(中略) 現在から
 俯瞰すれば独自の面白さや魅力もあるのだが、同時代の目で見れば、そ
 れはフォーク・ソングやロックの歌謡曲化そのものだった。(p.65)

ジャックスの曲をカヴァーしたことに関して。
ライヴで聴いたジャックスの演奏は 「ヘタヘタだもんね。ヘタを超えた存在感だけ」 (p.69) というが、水橋春夫 (1949−2018) とは仲がよかったのだという。そして唯一、テクニックのあった木田高介 (1941−1980) は加藤のレコーディングにも助っ人としてよく来ていたという。もっともフォークルのなかでジャックスを認めていたのは加藤だけで、北山もはしだも相手にしていなかったとのことだ。

日本にまだPAという概念がなかった頃、WEM (Watkins Electric Music) の機材を入れてPA会社を設立したこと。WEMにしたのはピンク・フロイドが使っていたからだとのこと (p.93)

サディスティック・ミカ・バンドを作ろうとしたきっかけは、ロンドンでT. REXや、まだ有名でなかったデヴィッド・ボウイを観たことだという。ロキシー・ミュージックの最初の公演も観たそうである (p.106)。ブライアン・フェリーは、傾向は違うけれど加藤和彦のデカダンに通じるものがあるような気がする。

ビートルズを意識した時期はいつかと問われて、

 『リボルバー』が最初かな。ビートルズというより『リボルバー』ね。
 あと『リボルバー』の時代だとウォーカー・ブラザーズ、ビージーズ。
 (p.30)

 僕はスティングにスコット・ウォーカーを見たっていうか、彼はすごい
 んじゃない。(p.31)

ウォーカー・ブラザーズのなかで他の二人は普通の人だが、スコット・ウォーカーはマザコンで、僕はそういう人が好き、と語る。う〜ん。でもスコット・ウォーカーがどうかは知らないけど、スティングはマザコンじゃないと思います。

日本の音楽は、という話題になったとき、團伊玖磨の《夕鶴》は赤面してしまうオペラと断じてしまう。対して黛敏郎はすごい。雅楽をやっても現代音楽を踏まえている、と評価する (p.172)。

ソロ・アルバムに関して。《それから先のことは…》(1976) は、「どうしてもマッスル・ショールズでレコーディングやりたくて」 という (p.184)。そして《ガーディニア》(1978) はボサノヴァを主体としたアルバムであり、パーソネルは坂本龍一、高橋幸宏、鈴木茂、後藤次利といった人たちだが、加藤は坂本龍一を特に褒めている (p.190)。加藤和彦と坂本龍一に共通しているのは歌詞をほとんど書かないことで、つまり音主体という点で似ている感じがしてしまう。

意外に思ったのが 「浅川マキって昔、ずいぶん仲良かったのよ」 (p.290) という述懐。浅川マキには〈悲しくてやりきれない〉を一緒に歌って欲しいなと言いながらも、同曲をカヴァーした矢野顕子のを聴いたのだそうだが、「これを超えるのは難しいな」 (p.290) と。カヴァーは矢野のアルバム《愛がなくちゃね。》(1982) に収録されている。矢野テイスト全開で、ちょっとトリッキーなことは確か。

加藤和彦の作品で話題になるのは 「ヨーロッパ三部作」 と呼ばれる5thから7thアルバムの《パパ・ヘミングウェイ》(1979)、《うたかたのオペラ》(1980)、《ベル・エキセントリック》(1981) だが、私が最初に聴き込んだのはそれらの後の9th《ヴェネツィア》(1984) だった。正確にいえばそのtrack 1の〈首のないマドンナ〉であって、ここに加藤和彦の頽廃と孤独と孤高の営みがすべて詰まっている。ヴェニスはヴィスコンティが描いたように、まさに死の町なのだ。

本書のタイトル『あの素晴しい日々』は、大ヒット作〈あの素晴しい愛をもう一度〉を踏まえて、初出タイトルからこのタイトルに変更されたとのことだが、〈あの素晴しい愛をもう一度〉は学校教材としてもとりあげられたりもして、希望の歌のように思われがちであるけれど、おそろしく暗い歌詞だということを再認識する必要がある。

加藤和彦が大貫妙子の作品に編曲者としてかかわった幾つかの曲は、そのいずれもが悲しみの色であり、失われたものへの憧憬であり、胸がつまる情景を映し出す。
アルバム《Aventure》(1981) の〈ブリーカー・ストリートの青春〉も好きだが、《romantique》(1980) に収録されている〈果てなき旅情〉と〈ふたり〉は大貫のベスト・トラックといってよいと思う (ストリングス・アレンジは清水信之)。《romantique》はアナログ・レコードではA面が坂本龍一、B面が加藤和彦の編曲というふうに別れていて (B4/〈新しいシャツ〉のみ坂本編曲)、このB面に入ったときの悲しみのような音のつらなりは加藤和彦特有のものだ。
私の最も好きな〈ふたり〉のバックは、ムーン・ライダースのメンバーが中心になっていて、加藤和彦にプラスして岡田徹、白井良明、鈴木博文、そしてドラムスは橿渕哲郎である。

 さよなら キエフは緑の六月
 別離はモスコウ あなたのくちづけ

大貫の《romantique》《Aventure》はその次作《cliché》(1982) との3枚で 「ヨーロピアン三部作」 とも言われるが、これは加藤和彦の三部作に一年遅れでシンクロしている。

加藤和彦の最晩年にVITAMIN-Q featuring ANZAというグループがあるが、ANZAをメイン・ヴォーカルに据え、加藤和彦、土屋昌巳、小原礼、屋敷豪太で構成されていたマニアックだけれど、かわらぬ加藤テイストのバンドである。
YouTubeには〈スゥキスキスゥ〉と〈THE QUEEN OF COOL〉の動画があるが、特に〈スゥキスキスゥ〉は、加藤和彦がちわきまゆみに書いた曲を彷彿とさせる出来だ。
加藤和彦テイストはごく初期の〈不思議な日〉からこの〈スゥキスキスゥ〉まで、終生変わらない。


加藤和彦・前田祥丈/
あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」 を語る (百年舎)
あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」を語る




加藤和彦/首のないマドンナ
https://www.youtube.com/watch?v=XpGAgScZTvw

大貫妙子/ふたり
https://www.youtube.com/watch?v=nj8SYcvS01U

加藤和彦/不思議な日 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=gIjqkkKRE2s

VITAMIN-Q featuring ANZA/スゥキスキスゥ
https://www.youtube.com/watch?v=IDaUhe6_ZX0

VITAMIN-Q featuring ANZA/THE QUEEN OF COOL
https://www.youtube.com/watch?v=rNObI2n_UWY

加藤和彦・北山修・坂崎幸之助/
あの素晴しい愛をもう一度 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=CAtHvMP0QFw
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