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Rei〈Heaven〉 [音楽]

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Reiの〈Heaven〉のMVが公開された。アルバム《XINGS》のtr02に収録されている曲である。
メカニックでトリッキーな衣装で、途中で衣装変わりもあるが、ヴォーカルにずっとギターがからみ続け、ギターのソロ部分も十分にあり、ソロ後にはお決まりのように半音上がり、曲調としてはスタンダードなロックである。

 Wi-Fi繋がんないけどしょうがない

使用ギターはフェンダーのR246というReiモデル。Reiが使用していた改造ストラトのテイストをトレースしてフェンダーがReiのために開発したギターで、24フレットまであり、ボディサイズも一回り小さいのだという (でもスケールは25.5インチ)。ピックアップはヴィンテージ・ノイズレス。ネックのジョイント部は1弦側がさらに削れているため、ネックプレートが四角で無く台形になっている。ブリッジは2点支持で、黒色のGraph Techのサドルが印象的だ。ストラトについているスタンダードなサドルは重量的に軽い印象があるので、このサドル採用は納得できる。
ボディはバスウッド、ネックはメープル、フィンガーボードはローズウッドで、ネックシェイプはRei用に作られたOriginal “C”とのこと。ボディカラーはRei Bluというペールブルーである。弦はデフォルトでは.009〜が張ってあるとのことだが、Reiは1音 (長2度) 下げてチューニングしているらしい。
市販されるReiモデルとReiの実際の使用ギターとではたぶん違う部分があるのだろうが、美麗なモデルであることは確かだ。音楽というよりエクィップメント記事になってしまったがお許しください。

     *

冬野ユミの大河ドラマ《光る君へ》サントラ完全盤を購入しました。個人的には今年の音楽CDのベスト1です (あくまで個人的な感想ですので)。


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Rei/Heaven (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=rtIHxaiKHFE

Rei/GUITARHOLIC (PLAYER’S CUT)
https://www.youtube.com/watch?v=za8UXJ4jDHU
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最近買った&読んだ本・雑誌など [本]

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最近読んだ本や雑誌など、買ったけれど読んでいない本や雑誌まで含めて書こうとしたのですが、今年ってホントに本を読んでいないことに愕然とする。それでかなり前に買った本や雑誌なども含めてランダムに書いてみる。

【雑誌】SWITCH 12月号 齋藤飛鳥の現在地点 (スイッチ・パブリッシング)
かなり力の入った写真と記事の特集。表紙にアイドルっぽいキラキラした写真でなく、やや半目のどよーんとしたのを持ってくるというセンスがSWITCHなのかも。深夜TVのハマスカ放送部における、どうでもいいようなキャラでおしているのとはやや違う齋藤飛鳥の、まさに現在地点なのかもしれない。でも飛鳥ちゃん、ドラムのセンスが良いよね。あと、あの数々の指輪とか。顔が小さ過ぎるし。

【雑誌】東京人 1月号 東京Y字路散歩 (都市出版)
タモリ倶楽部、またはブラタモリの発展形。冒頭に横尾忠則と糸井重里の対談。そして能町みね子のエッセイもあり。Y字路だけでなく坂とか暗渠とかかなりディープでマニアック。不動産の不整形地物件という記事がなかなか。NHKのブラタモリはまた復活との話です。

【本】嶽本野ばら/ロリータ・ファッション (国書刊行会)
ハードカヴァーなのに背表紙の無い本。小口がピンクのストライプなのに笑う。内容的には知らないことが多いので、たとえばBaby, The Stars Shine Brightの受容とか、いろいろ納得。

【本】川野芽生/星の嵌め殺し (河出書房新社)
第2歌集。川野芽生は一応全部買っています。歌集が一番良いかも。

【本】村上春樹/デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界 (文藝春秋)
ちょっとマニアック過ぎるけれど面白い。でも同じレコードを買うかといったら……買わないな。

【本】目黒雅也/西荻ごはん (亜紀書房)
『西荻さんぽ』に続く西荻窪本第2弾。東京ローカルな本です。前著の『西荻さんぽ』は西荻窪駅北口の今野書店だけで1000冊も売れたのだそう。私見ですが今野書店は昔ながらのとても良い雰囲気の本屋さんです。

【本】ザッハー=マゾッホ集成 I〜III (人文書院)
朝日新聞の書評で椹木野衣が絶賛していたので。マゾヒストの語源となるあのマゾッホ。名前のみ有名で、実際に読まれていないことではマルキ・ド・サドと同様。主に桃源社などで出されていたが今回のは人文書院です。ザッハー=マゾッホというのは複合姓なのか、よくわからない。

【文庫】松本俊夫/映像の発見 (筑摩書房)
初期著作の復刊。筑摩学芸文庫です。《薔薇の葬列》を撮るよりも前の著作。

【本】平岡正明著作集 上・下 (月曜社)
一世を風靡した平岡正明なので資料的に購入。週刊誌ネタ的な内容のものもあるし、やはり時代が過ぎてみると色褪せている部分もある。それと残念なことに誤植が多過ぎる。

【本】鈴木おさむ/もう明日が待っている (文藝春秋)
SMAPのことを書いているのだが、イマイチどうなのかなぁ。ズバリと書けないこともあるのだと思います。表紙デザインが稚拙過ぎ。

息切れしてしまったのであとはリストだけ (手抜きです)。
【本】福岡邦彌/新版 ECMの真実 (カンパニー社)
【本】ヴァンサン・ゾンカ/地衣類、ミニマルな抵抗 (みすず書房)
【本】レイチェル・カーソン/センス・オブ・ワンダー (筑摩書房)
【本】デヴィッド・ヤフィ/じゃじゃ馬娘、ジョニ・ミッチェル伝 (亜紀書房)
【本】今福龍太/霧のコミューン (みすず書房)
【本】鷲田清一/所有論 (講談社)
【本】川野芽生/かわいいピンクの竜になる (左右社)
【本】シオドラ・ゴス/メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ (早川書房)
【本】アーシュラ・K・ル・グィン/赦しへの四つの道 (早川書房)
【本】ジェフリー・フォード/最後の三角形 (東京創元社)
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馬場康夫《波の数だけ抱きしめて》 [映画]

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バブル期に製作されたホイチョイ・プロダクションズの三部作で最も心に残っているのは原田知世の2作品《私をスキーに連れてって》《彼女が水着にきがえたら》ではなく、3作目の《波の数だけ抱きしめて》であるのは、バブルが崩壊し始めた影が感じられるからなのかもしれないと最近思うようになった。
原田知世と違って中山美穂には影があり、映画のなかで松下由樹にシンパシィを感じていた私には中山美穂ってヤなやつに見えてしまったのかもしれない。そしてその暗さこそが、強い思い出となり印象となる資格を備えているのだともいえる。

ミニFM局という設定は、子どもの頃の秘密基地願望と同じで、そのすべてがガジェットであるのに他ならない。TASCAMのオープンリール、KENWOODのカーオーディオ、そしてDP-1200やM44-7などのすべてがもはや喪われたガジェットであるのだ (V-15は高過ぎるからM44-7という選択肢までが蘇る)。大写しになるVUメーターのショットにそのポリシーが感じられる。
ミッツのYouTubeですごくマニアックな中山美穂の解説に感化されて、せめてベスト盤を買わなければと思っていたのにそのままになってしまったのだけれど。

この映画は長い間、DVD化されなかった。それはAORの挿入曲が多かったので許諾を得るのがむずかしかったということを後で知ったが、何か他に原因があるのではないかとずっと疑っていたことを思い出す。

YouTubeで今、観ることのできる〈世界中の誰よりきっと〉のベストは田代まさしが司会をしている下記のリンク映像である。

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中山美穂&WANDS/世界中の誰よりきっと (TV番組)
https://www.youtube.com/watch?v=Y_d3-0kxlPg

波の数だけ抱きしめて/Each Time You Pray
https://www.youtube.com/watch?v=mcTDONoWfw0

中山美穂/世界中の誰よりきっと (original)
https://www.youtube.com/watch?v=hV3fVD4Ue_w

松任谷由実/心ほどいて〜真冬のサーファー
https://www.youtube.com/watch?v=jZWpFSDsT6Y

星屑スキャットCHANNEL/
突然ですが中山美穂の全シングル曲を語ります
https://www.youtube.com/watch?v=sZ1hP3QCKbs

織田哲郎・解説/世界中の誰よりきっと
https://www.youtube.com/watch?v=Rr_mEg5swj4
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マリア・ジョアン・ピリスのジュノム [音楽]

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9月の高松宮殿下記念世界文化賞受賞、そして1回だけのマティアス・ゲルネとの《冬の旅》など、ここのところ、ピリスの話題が多い。
何となく検索していたらベルリン・フィルの digitalconcerthall にモーツァルトのジュノムがあるのを見つけた。2008年と少し古いライヴ映像だが、その日のコンサートを聴いてみた (wikiではピリスの表記を 「ピレシュ」 とすることにこだわっているようだが、今のところ私は 「ピリス」 を使用することにする)。

指揮はトレヴァー・ピノック、演奏日は2008年10月10日である。演奏曲目はモーツァルトの《交響曲第25番ト短調》K.183 (173dB)、《ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 ジュノム》K.271、そして《交響曲第40番ト短調》K.550 というオール・モーツァルト・プログラムである。
単純にモーツァルトを並べただけではなく、K.183とK.550という、2つの短調シンフォニーを選択していて、しかもこの2曲はどちらもg-mollであること、間にはさまれたPコンはEs-Durだが、その特徴的な第2楽章がc-mollというプレーンな調性であることからもわかるように、全体がひとつの悲しみを醸し出すモーツァルト・プロであるといえる。

モーツァルトの時代にはまだメカニックな平均律的考え方は無く、調性はそれぞれの顔を持っていたはずである。モーツァルトの作品はほとんどが長調曲であり、そのなかでの短調曲はそれ自体が特殊な立ち位置にあることを暗示するが、調性はc-mollやa-mollが多く、それらはプレーンで素朴だけれどダイレクトな響きを持っている。a-mollでの有名曲といえばたとえばK.310 (300d) のピアノ・ソナタがある。
そんななかでg-mollという調性はより特異な意味を持っているのに違いなくて、41曲ある交響曲のなかで、この25番と40番しか短調曲はない。それが両方ともg-mollなのだが、g-mollという調性で思い出すのは小林秀雄がロマンティックに評したことで有名なK.516の弦楽五重奏曲第4番であり、g-mollは 「宿命の調性」 などと呼ばれているらしい (私が初めてK.516を聴いたのは巖本真理SQの文化会館での定演であり、まだオコチャマだった私は、恐ろしい曲を聴いたと衝撃を受けた。その後、ブダペストSQのクインテット・ボックスでK.516ばかり聴いていた覚えがある)。

ということで、それならPコンをd-mollのK.466にすればさらに悲しみ度は深まるのだろうが、それではあまりにベタなのでこの選曲になったのだと思う (いや、25番と40番を並列させたのだけで十分にベタなのだけれど)。
K.466はブーレーズ/ベルリン・フィルによる2003年のリスボンのジェロニモス修道院でのライヴ映像がある (そのことはずっと以前の記事に書いた→2014年10月28日ブログ)。

ピノックについて私はあまり良い印象を持っていなかった。なぜなら最初に聴いた彼のアルヒーフ盤のチェンバロ曲のCDが妙な残響を伴っていて、それは録音の際のEQの設定ミスなのか、それともルーム・アコースティク自体がそういうロケーションだったのか判別できないのだが、よく考えればピノックの演奏については問題がなかったはずなのだ。
冒頭曲の25番は1773年、モーツァルトが17歳のときの作品である。ピノックはチェンバロを前にして、弾き振りで指揮をする。これは相当カッコイイ。といってもチェンバロの音はほとんど聞こえないのだが、最終楽章でチェンバロの音が明瞭に聞こえてくる部分があって、古楽的なアプローチとしてのピノックのこだわりを感じる。

さて、ピリスを迎えた《ジュノム》である。ピアノ協奏曲第9番であり1777年に作曲された。de.wikiには „Jenamy“ (früher „Jeunehomme“) と注意書きがあるが、従来通りジュノムと表記することにする。ジュノムは数あるモーツァルトのピアノ協奏曲のなかで私が最も好きな作品であり、若き日のピリスが仏エラート盤に録音していたグシュルバウアーとの何枚かのレコードを繰り返し聴いていた記憶がある (そのことはずっと以前の記事に書いた→2012年02月04日ブログ)。エラートの白が基調のジャケットは品が良くて、クラシックのレコードのなかで一番好きなデザインだった。
だが、今回のピノック/ベルリン・フィルとの演奏は、聴き較べたわけではないが、ピリスは当時のエラート盤の音とは異なるニュアンスで弾いているように感じる。2012年の記事で私は、モーツァルトのソナタ全集は最初のDENON盤のほうが後のDG盤よりも好きだというふうに書いたが、実は後期になってからの翳りこそがピリスの神髄なのだと今では思う。単純に年期が入っているだけなのかもしれないし、年齢を重ねたことによる経験則の重なりによって音楽へのアプローチが変化してきたからなのかもしれない。動画を観ると軽々と弾くのではなく、鍵盤を摑むようにして、しっかりとひとつひとつの音を出しているように感じる。

第2楽章のアンダンティーノは第1楽章のEs-Durに対して平行調のc-mollとなる。モーツァルトのPコンでは第2楽章が短調になることさえ滅多に無いが、K.271はその滅多にない曲のひとつである。このアンダンティーノにおけるピリスの表現は儚くそして深い。
第3楽章は本来の調性であるEs-Durに戻るが、各楽章とも私にとっては馴染みのあるメロディであり、それはモーツァルトの曲の印象というよりも、それを何度も聴いていた時代を、過去の記憶を想起させる触媒として作用する。

コンサートの最後は交響曲第40番。39、40,41番と続くいわゆる3大交響曲のひとつであり、プログラムの最後に持ってくるべき作品でもある。1788年の作曲であるが、もうこの頃はチェンバロでなくフォルテピアノの時代であるから、ピノックはチェンバロは使わず普通に指揮する。
ピノックの設定した速度は速いのかもしれないが、その疾走感は決して軽いわけではない。むしろ後期のベームののったりとした今にも止まりそうな演奏はモーツァルトには似合わないような気がする。晩年の作品とはいえ、モーツァルトはこの曲を書いたとき、まだ32歳なのだ (モーツァルトは35歳で亡くなる)。
交響曲40番はおそらくあのサリエリの指揮によって初演されたとのことである。もっとも映画《アマデウス》のストーリーは史実ではなく、それをもととして創作された作品であることを考慮しなければならない。


digitalconcerthall
2008.10.10
https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/15
コンサート全曲と簡略なトレイラーが選択可能
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