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ゾートロープが描く夢 — ジブリ美術館 [映画]

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星をかった日

先日、宮崎駿が引退するというニュースがあった後に、急遽TVで放映されたらしい《紅の豚》をぼんやりと見ていた。このアニメ、何回か見ているのだが、まだ通して見たことがないような気がする。つまり私はジブリ作品に関してはごく不真面目な観客のひとりなのです (ジブリ映画に限らず、そうなのだけれど)。
映画のエンドロールにかぶせて加藤登紀子の 「時には昔の話を」 という曲が流れて、その歌としての存在感に引き込まれて、あぁオトナの歌だなあと感じる。というより《紅の豚》という作品が結構オトナ向けな話なんだと思う。

宮崎のアニメは飛ぶという行為がルーティンのように存在していて、ナウシカもラピュタもトトロも、飛翔することがその基本であって、特にトトロの飛ぶ感覚は夢の記憶の具現化ともいえる。
つまり飛ぶことは何らかの夢とか幻想の色彩を帯びていてリアルではない。リアルに飛ぶものは、たとえば《魔女の宅急便》の落下する偽・ヒンデンブルクのような飛行船で例示されるように醜悪なものとして描かれる。それは巨神兵と等価である。
それなのに《風立ちぬ》で宮崎はリアルな飛行機を描いた。零戦はポルコのサボイアよりずっとリアリティが高い。
《風立ちぬ》のテーマへの批判として、主人公の兵器を作っていることへの批判や逡巡が無い、それが言葉にあらわれてこないとする意見がある。これはヴェネツィア映画祭でも言われたらしい。すべてが言葉として表出しなければ心情は理解されないのだろうか。文学には行間を読めという形容が昔からあるし、声なきところにこそ意味が存在するのである。誰もが理解力に対してやさしい橋田壽賀子ドラマを観たいわけではない。

まぁそんなことはどうでもよくて、宮崎駿は引退したらジブリ美術館の仕事でもするか、などと言っているらしいが (たぶん言っているだけだろうが)、もし実際に掃除のオジサンとかしていたら面白いだろうなぁと想像してしまう。やっぱりすぐに気づかれるだろうか。それとも全然わからないとか……。う〜ん、こういう発想はTVのバラエティ番組っぽいなぁ。

ジブリ美術館は東京・吉祥寺の井の頭公園のはずれにあって、その井の頭公園というのは私にとってあまりに知り過ぎている公園で、というのは学校に行っている頃、よくサボって行くのが井の頭公園だったからで、それに行こうと思えばいつでも行けるという思い込みがあるので、かえってジブリ美術館には数えるほどしか行ってない。予約しないと入れないというシステムが面倒なのもあるが。

宮崎駿の作品の主人公は、ナウシカのように、少年のような少女であることが多く、彼女たちは常に強い意志を持っていて、それは《となりのトトロ》のさつきも《魔女の宅急便》のキキもそうであって、《紅の豚》のフィオはその類型である。
こうした少年性を帯びた少女を描くことが宮崎にとって感情移入しやすいのかもしれなくて、対する少年はややその存在感が弱い。たとえば《千と千尋の神隠し》のハクがそうであって、つまりそれは魔法をかけられ枷にはめられた王子なのである。
ジブリ美術館で上映されている《星をかった日》のノナという少年も同様で、その帽子はアタゴオルのテンプラを連想させる。宮崎のこうした少年はナウシカ的少女と対立できる強烈な個性の存在ではないが、ナウシカ的少女と異なる宮崎の理想像なのかもしれない。《星をかった日》は井上直久のイメージする世界 「イバラード」 を元にした物語であり、美少年は宮崎の聖域のひとつのような気もする。24年組の描く少女マンガのような反社会性を帯びたenfants terriblesな少年とはなりえない。

ジブリ美術館の展示の白眉はゾートロープであり、それは本来なら回転するスリットから見る原理の覗き絵 (騙し絵) を3Dに変換した装置であって、連続する人形たちがストロボの点滅によって動いているように錯覚させる仕掛けである。この美しさは美し過ぎて異様である。
そもそもアニメーションだって静止しているはずの絵を動いているように見せかける騙し絵のひとつなわけだが、この暗闇の中で再生されるからくり仕掛けは、もっと原初的な、江戸川乱歩的な肌合いに近いように思えたりする。乱歩の奇妙/不思議な感覚と猟奇とは紙一重で、逆にいえば宮崎にだって押し殺した猟奇の影が存在するのかもしれない。あるいは不毛で役にたたない機械装置を偏愛した寺山修司的感性との相似も感じられる。それともこうした異様な美感への執着は日本人特有のものなのだろうか。
なぜならこのジブリの3Dゾートロープに触発されたピクサーのゾートロープの動画がYouTubeにあるが、テクニックはすぐれているがその印象があまりにも明る過ぎて、ジブリのほの暗い妖しさには遠い。それはつまり、すべてを言葉として表出しなければならないとする志向と、行間を読むという芸術表現の (あえていえば国民性の) 違いのようにも思える。
立ち返ってみれば映画とは本来、暗闇の中で生成される、観客もそのシステムに協調する騙し絵なのかもしれなかった。


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ジェラートとシャンパン —《ローマの休日》 [映画]

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昔、映画館の闇は夢の闇であったはずだ。でもその闇が喪われてしまって随分経つ。

突然思い出したブリジット・フォンテーヌの歌詞が頭の中を過ぎる。
Eros est un rocher
そう。映画もまたゴロンとした夢みたいなものであって、でも時によってそれは美しくて愛しい岩だ。

《ローマの休日》はそれまでまだ通して観たことがなくて、初めて全部をまじめに見たのは、幸いなことにデジタル・ニューマスター版のDVDだった。これはすごい! まるでニュープリントみたいな画質になっているから。

映画は、たとえばベルィマンとかフェリーニとか、アンゲロプロスがいいとかいうこともできるし私も言っているが、でも《ローマの休日》みたいな映画が本音では一番好きなのかもしれない、と思う。
こういう映画を映画館で、ちゃんとしたフィルム上映で観てみたい。そうすれば楽しかった夢の闇がかえってくるかもしれない。それともそんなものは単なるノスタルジアに過ぎないのだろうか。乱歩の慣用句をパロディすれば 「うつし世はゆめ、シネマの夢こそまこと」。

《ローマの休日》はそのほとんどすべてが完璧で美しい。カットカットのひとつひとつが単独で 「さま」 になっているし、タイトル文字ひとつをとっても、古いけれど上品で見やすくて、何よりわくわく感がある。

有名な、ローマのスペイン広場 (この形容矛盾な地名) のシーン。あるいは真実の口のシーン。ひとつひとつはたわいもない内容なのに、ずっと心に残っているシーンの数々、それらは決して風化しない。こんな映画、今は絶対作れないだろう。
この前、スカイツリーの下のソラマチでジェラートを食べたとき、反射的に思い出したのもこの映画のことだった。ジェラートはオードリーの食べ物なのだから。

きっと何事にも歴史の黄金期というのがあって、たとえばクラシック音楽はすでに確実にその時期を過ぎてしまっているけれど、映画だってそうなのかもしれない。
でもだからといってクラシック音楽も映画も無くなることはないのだけれど。


ウィリアム・ワイラー/ローマの休日 [デジタル・ニューマスター版]
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William Wyler/Roman Holiday
http://www.youtube.com/watch?v=9hDQlNLZAm8
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衆愚の町 — クリストファー・ノーラン The Dark Knight [映画]

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たとえば音楽を、ロックでもポップソングでも、リアルタイムで聴かずに遡って聴くことを 「後追い」 というそうだが、「後追い」 の便利なところはまとまったボックスセットがあって、それでいっぺんに聴けてしまうことだ。
もちろんポピュラーミュージックはアップトゥデイトなのが本来の聴き方だとは思うのだけれど、わざと時代錯誤っぽく昔のヒット曲を聴くのも、時にはよいのではないかと思う。

今日はなぜかトーキングヘッズの Speaking in Tongues や Remain in Light を聴いていて、これは確か新宿のタワレコで、白いキューブみたいなプラケースに入っていたのが安かったので買っておいたセットの中の1枚である。セットの内容は1977年から1988年までのアルバムで、私はリアルタイムでほとんど知らないのだが、こういうのが当時は最先端っぽい音だったんだろうな、と思って聴くといろいろと発見があって面白い。
音としてはちょっとスカスカな部分もあるけれど、リズムがきちんとしているので意外に聴ける。

前回のブログのビリー・ホリデイもそうだけれど、とりあえずコンプリート盤のような音源で、ある程度の分量をまとめて聴くことによってそのミュージシャンの全体像というのがわかってくるように思う。1枚や2枚ではたぶんダメだ。
片端から聴いていくと、人によってずっとワンパターンの場合もあるし、すごく変化のある場合もあるが、でも基本的にそんなにヴァリエーションがあることは稀であって、通底するテーマは同じである。

それで話題は映画のことになるのだが、先日の日曜日にTVで《ダークナイト》をやっていたので、ちょっと見てみたらなんとなく画面が明るい。ダークナイトでなくてブライトナイトなのである (実はダークナイトの 「ナイト」 は night でなく knight なのだけれど)。
このクリストファー・ノーランの《ダークナイト The Dark Knight》も私にとっては 「後追い」 の作品で、SF的な評判も高かったのですでにDVDで観ていたのだが、もっと全体的な画面の雰囲気は暗かったように記憶している。それとも気のせいなのだろうか。
そうした色味だけでなく、TVで放映される場合とDVDで観た場合では随分印象が異なることはよくあって、だからTVで観るのも善し悪しである。それにTVでは字幕でなく吹き替えというのも、大幅な印象の違いの元の一つなのかもしれない。ノーラン作品はその前週にディカプリオの《インセプション》も放映されていて、それもちょっと観たら期待はずれな感じがしたのだが、同様にTVだったからかもしれない。

バットマンはスーパーマンに較べると翳りのあるキャラクターで、つまり完全な明るい正義でない部分がある。《ダークナイト》でジョーカーがブルース・ウェインに指摘してきたのもまさにそのことで、このヒース・レジャーのジョーカーは出来過ぎで、本来のジョーカー以上の存在感を持っていた。
この前のTVの吹き替え版だと、そうしたジョーカーの持っている闇の部分が全然見えて来なくて、レジャーが単なるトリックスターでしかなくて、かなりがっかりだった。

《ダークナイト》は脚本がどんどん畳みかけてくる傾向があって、それが判りにくいというか評価が分かれるところかもしれないが、なによりノーランが描きたかったのはゴッサムシティの闇である。それは具体的に闇であり、抽象的な闇でもある。だからすごく暗くないと、もののかたちがわからないくらい画面が暗くないとエンディングも生きてこないのだ。

The Dark Knight/ending
http://www.youtube.com/watch?v=GDQob4AOCsQ

さて、その続編の The Dark Knight Rises ももうすぐ。期待したい。
http://www.youtube.com/watch?v=ASQqjK47c04


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アンゲロプロスのこと [映画]

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幾つものブログで、テオ・アンゲロプロスが亡くなったことについて触れられていて、もう今更という感じもするがちょっとだけ書いてみたい。
まずその前に監督のご冥福をお祈りするものである。

アンゲロプロスで最も衝撃だった作品は《旅芸人の記録》であると思うが、それは当時そういう撮り方 (長回し) で作られた映画が無かったこと、延々と続く長尺のフィルムであること、そして映画そのものに付けた音楽 (いわゆるサントラ) が無かったことなどであった。
だが最初に見たとき、私はそんなに長い時間の映画だとは思わなかったし、長回しにしても、世に喧伝されるほどにトリッキーでもなく、すべてが自然に映画として同化していたように思う。

上映時間が長いということならベルイマンの《ファニーとアレクサンデル》だってものすごく長いが、長いのがしんどいということはないんだけれど、その宗教観みたいなのがしんどいかもしれない。しんどいというより私のような一般的日本人にはわからないような部分があって、それがちょっと疲れる映画だった。同様のことは《旅芸人の記録》にもいえて、つまりギリシャ悲劇を知らないとよくわからないような、しかも教養的知識ではなくて、土着的な本来のギリシャの土地から湧き出ているような〈原=ギリシャ悲劇〉的なベースを必要としているように思える。だからってそんなのを知らなくてももちろん構わないのだが。

アンゲロプロスの映画の作り方は、緻密というのとも違って、あえていうのならこの頃の時期はパッション (熱情) だったのだと思う。パッションが結果としてどんどん手法として深入りしていき偏執的にこだわっていくこと、その結果が長回しだったりしたのであろう。技法は結果であって、最初から長回しでやってやろう、ということではなかったのではないかと思う。

私がアンゲロプロスの中でもっとも好きで美しいと思う作品は《永遠と一日》である。ただ美しいといっても映像美とかファッションが美しいとかではもちろん無くて、全体から感じる沈黙の構成美みたいなものを美しいと形容するのである。
ところがこれをある人に推薦したら 「私のもっとも見たいと思わない映画」 みたいなご講評をいただいて——しかもまだ見てもいないのに——あぁ、アンゲロプロスへの理解ってその程度なんだ、とかえって安心してしまったことを覚えている。

アンゲロプロスは残念なことに現在、DVD等はバラ売りされていず、何巻かの全集の形態をとっている。そして画質そのものもあまりよくない。画質の改善と単体売りをして欲しいものである。


テオ・アンゲロプロス全集DVD-BOX
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1897685
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1867494
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1835814
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1790052
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