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衆愚の町 — クリストファー・ノーラン The Dark Knight [映画]

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たとえば音楽を、ロックでもポップソングでも、リアルタイムで聴かずに遡って聴くことを 「後追い」 というそうだが、「後追い」 の便利なところはまとまったボックスセットがあって、それでいっぺんに聴けてしまうことだ。
もちろんポピュラーミュージックはアップトゥデイトなのが本来の聴き方だとは思うのだけれど、わざと時代錯誤っぽく昔のヒット曲を聴くのも、時にはよいのではないかと思う。

今日はなぜかトーキングヘッズの Speaking in Tongues や Remain in Light を聴いていて、これは確か新宿のタワレコで、白いキューブみたいなプラケースに入っていたのが安かったので買っておいたセットの中の1枚である。セットの内容は1977年から1988年までのアルバムで、私はリアルタイムでほとんど知らないのだが、こういうのが当時は最先端っぽい音だったんだろうな、と思って聴くといろいろと発見があって面白い。
音としてはちょっとスカスカな部分もあるけれど、リズムがきちんとしているので意外に聴ける。

前回のブログのビリー・ホリデイもそうだけれど、とりあえずコンプリート盤のような音源で、ある程度の分量をまとめて聴くことによってそのミュージシャンの全体像というのがわかってくるように思う。1枚や2枚ではたぶんダメだ。
片端から聴いていくと、人によってずっとワンパターンの場合もあるし、すごく変化のある場合もあるが、でも基本的にそんなにヴァリエーションがあることは稀であって、通底するテーマは同じである。

それで話題は映画のことになるのだが、先日の日曜日にTVで《ダークナイト》をやっていたので、ちょっと見てみたらなんとなく画面が明るい。ダークナイトでなくてブライトナイトなのである (実はダークナイトの 「ナイト」 は night でなく knight なのだけれど)。
このクリストファー・ノーランの《ダークナイト The Dark Knight》も私にとっては 「後追い」 の作品で、SF的な評判も高かったのですでにDVDで観ていたのだが、もっと全体的な画面の雰囲気は暗かったように記憶している。それとも気のせいなのだろうか。
そうした色味だけでなく、TVで放映される場合とDVDで観た場合では随分印象が異なることはよくあって、だからTVで観るのも善し悪しである。それにTVでは字幕でなく吹き替えというのも、大幅な印象の違いの元の一つなのかもしれない。ノーラン作品はその前週にディカプリオの《インセプション》も放映されていて、それもちょっと観たら期待はずれな感じがしたのだが、同様にTVだったからかもしれない。

バットマンはスーパーマンに較べると翳りのあるキャラクターで、つまり完全な明るい正義でない部分がある。《ダークナイト》でジョーカーがブルース・ウェインに指摘してきたのもまさにそのことで、このヒース・レジャーのジョーカーは出来過ぎで、本来のジョーカー以上の存在感を持っていた。
この前のTVの吹き替え版だと、そうしたジョーカーの持っている闇の部分が全然見えて来なくて、レジャーが単なるトリックスターでしかなくて、かなりがっかりだった。

《ダークナイト》は脚本がどんどん畳みかけてくる傾向があって、それが判りにくいというか評価が分かれるところかもしれないが、なによりノーランが描きたかったのはゴッサムシティの闇である。それは具体的に闇であり、抽象的な闇でもある。だからすごく暗くないと、もののかたちがわからないくらい画面が暗くないとエンディングも生きてこないのだ。

The Dark Knight/ending
http://www.youtube.com/watch?v=GDQob4AOCsQ

さて、その続編の The Dark Knight Rises ももうすぐ。期待したい。
http://www.youtube.com/watch?v=ASQqjK47c04


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アンゲロプロスのこと [映画]

旅芸人の記録01_r.jpg

幾つものブログで、テオ・アンゲロプロスが亡くなったことについて触れられていて、もう今更という感じもするがちょっとだけ書いてみたい。
まずその前に監督のご冥福をお祈りするものである。

アンゲロプロスで最も衝撃だった作品は《旅芸人の記録》であると思うが、それは当時そういう撮り方 (長回し) で作られた映画が無かったこと、延々と続く長尺のフィルムであること、そして映画そのものに付けた音楽 (いわゆるサントラ) が無かったことなどであった。
だが最初に見たとき、私はそんなに長い時間の映画だとは思わなかったし、長回しにしても、世に喧伝されるほどにトリッキーでもなく、すべてが自然に映画として同化していたように思う。

上映時間が長いということならベルイマンの《ファニーとアレクサンデル》だってものすごく長いが、長いのがしんどいということはないんだけれど、その宗教観みたいなのがしんどいかもしれない。しんどいというより私のような一般的日本人にはわからないような部分があって、それがちょっと疲れる映画だった。同様のことは《旅芸人の記録》にもいえて、つまりギリシャ悲劇を知らないとよくわからないような、しかも教養的知識ではなくて、土着的な本来のギリシャの土地から湧き出ているような〈原=ギリシャ悲劇〉的なベースを必要としているように思える。だからってそんなのを知らなくてももちろん構わないのだが。

アンゲロプロスの映画の作り方は、緻密というのとも違って、あえていうのならこの頃の時期はパッション (熱情) だったのだと思う。パッションが結果としてどんどん手法として深入りしていき偏執的にこだわっていくこと、その結果が長回しだったりしたのであろう。技法は結果であって、最初から長回しでやってやろう、ということではなかったのではないかと思う。

私がアンゲロプロスの中でもっとも好きで美しいと思う作品は《永遠と一日》である。ただ美しいといっても映像美とかファッションが美しいとかではもちろん無くて、全体から感じる沈黙の構成美みたいなものを美しいと形容するのである。
ところがこれをある人に推薦したら 「私のもっとも見たいと思わない映画」 みたいなご講評をいただいて——しかもまだ見てもいないのに——あぁ、アンゲロプロスへの理解ってその程度なんだ、とかえって安心してしまったことを覚えている。

アンゲロプロスは残念なことに現在、DVD等はバラ売りされていず、何巻かの全集の形態をとっている。そして画質そのものもあまりよくない。画質の改善と単体売りをして欲しいものである。


テオ・アンゲロプロス全集DVD-BOX
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1897685
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1867494
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1835814
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1790052
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