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安部公房生誕100年 [本]

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『芸術新潮』3月号は安部公房の特集で 「わたしたちには安部公房が必要だ」 というキャッチが麗々しく目立っていて、なぜ今、安部公房? と驚いたのだが、生誕100年という表示にやや納得する。表紙は画面左下に大きく安部の姿が、そして右上の背後にはスタジオで練習している俳優が2人、ピントから外れた状態で写っているモノクロ写真。撮影者はアンリ・カルティエ=ブレッソンだ。
掲載されている安部のエッセイによれば、カルティエ=ブレッソンの使っていたライカを安部も買いたいと思ったのだが、それは結局潰えてしまったことが述懐されている。その思いはフェティシズムだったのだと安部は言う。

安部公房が急死してからすでに30年を過ぎて、だがその名前は急速に忘却されてしまったような気がする。といっても、薄っぺらな流行作家だったわけではない。むしろ正反対で、その作品は先鋭的でアヴァンギャルドなコンセプトを持っていたゆえに、時代の先を行き過ぎていた感じさえある。アラン・ロブ=グリエやガブリエル・ガルシア=マルケス的な方法論との近似性を感じるが、そもそもその頃、一般的な読者層にはガルシア=マルケスなど膾炙していなかったはずだ。

私が安部公房を認識したのはどちらかというと作家としてではなく、戯曲家としてであったような気がする。その重要な作のひとつとして『友達』があげられるが、といってももちろん初演ではなく、いつどこの劇団で観たのかは忘れてしまったがその不条理さと不安な空気に、こんなことはありえないと思いながらもそれはこの世間のひとつのメタファーなのかもしれないということに気がついていた。
たとえば初期の出世作の『壁』における 「バベルの塔の狸」 にしても、その描かれたものの感触は『友達』と同様に不快だった。この気持ち悪さを冷静な筆致で気持ち悪く書いてしまうところが安部公房の神髄なのだ。

そのエキセントリックさの極地が『箱男』であり、そのイマジネーションも当然ながら気持ち悪さを伴っていて、その同時期に安部公房スタジオを立ち上げたあたりが安部の絶頂期であったように感じる。
そして普段何も感じないような些末なものへの拘泥というか執着心の発露に、寺山修司の性向というか方法論と似たものを感じる。寺山もまた演劇を自らの活動の中心としてとらえていたはずであるが、寺山の演劇は小竹信節のメカニックな装置に幻惑されるのだけれど実はメカニックではなくきわめて詩的であるのに対して、安部の演劇はその構造にごつごつとした骨太の仕掛けがあるように感じる。

堤清二の庇護の下に西武劇場で上演された一連の安部の戯曲は、しかし次第に実験的な色合いを強め、コマーシャルなものから疎遠となってしまい消滅した。それは68/71が演劇的悦楽よりも政治的・思想的な方向性を強くした結果、根源的で原初的なお芝居の楽しみを喪失したのと似ている。そして時代は革新的戯作法で疑似エンターテインメントを標榜する野田秀樹のような傾向に移っていったのだと思う。
ふと思い出すのは、野田の同世代として如月小春や、天井桟敷の戯曲を寺山と共作していた岸田理生がいたこと。だが二人とも亡くなってしまったのが悲しい。

個人的感想でいえば、安部公房の戯曲は安部公房スタジオ立ち上げの前夜に書かれた紀伊國屋ホールにおける『ガイドブック』が、安部のメカニックでありながらそのメランコリーとか抒情性を垣間見せる作品であったと私は思う。「世界の果て」、それは乾いていて誰にもその素顔を見せない仮面のように、抒情を拒否する場所なのだ。

安部は抽象的な表現としてのメカニックさだけではなく、実際にメカが好きで、コンタックスやローライで撮った写真を自分で現像していたのだという。そして初期のワープロであるNECの文豪開発にもかかわっていたし、EMS Synthi AKSなども所有して使用していたという。当時、EMSを使っていた人なんてブライアン・イーノくらいしか私は知らない。
その安部の撮っていた写真を整理した写真集が出版されるのだという。まさに新潮社が仕掛けている安部公房復活宣言のように見える。

西武劇場のマース・カニングハムの公演のとき、舞台下でジョン・ケージがシンセを弾いていたのだが、それがmoogだったのかEMSだったのか知りたいのだけれど、でも無理だろうなとも思う。そもそも私はその頃、まだオコチャマでジョン・ケージがどういう人だったのかさえ知らなかったのだから。
今のガジェット・シンセならTEENAGEだろうけど、OP-1はすでに製造完了していて時の流れを感じる。それにTEENAGEはスマート過ぎて、EMSのような無骨さがない。


芸術新潮 2024年3月号 (新潮社)
芸術新潮 2024年3月号




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箱男オフィシャルサイト
https://happinet-phantom.com/hakootoko/
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末尾ルコ(アルベール)

アンリ・カルティエ=ブレッソン大好きです。美しくクール。
安部公房は高校の国語教科書に
載ってました。「箱男」だったと思いますが、授業で感想文を書かされて、わたしは上手く書けなかったのですが、クラスメートの一人がなかなか上手に書いていて、軽く嫉妬した思い出があります。
安部公房は最近のニュースとして、石井岳龍監督が撮った「箱男」が苦難の末完成、ベルリン国際映画祭で上映されました。構想から30年以上経ての完成だったのだとか。出演は永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市らの豪華メンバー。石井監督は安部公房の信頼を勝ち得ていたようです。
しかし安部公房、確かにわたしも10代の頃読んだきりでその後忘れてました。60~70年代に人口はよく知られてたのに顧みられなくなった、例えばキルケゴールやイプセンなんかもそうですね。しかしわたし部屋に「箱男」と「砂の女」ありますので、読んでみようと思います。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2024-03-21 09:21) 

sakamono

高校時代、近所の図書館で最初に読んだ「第四間氷期」のインパクトがものすごくて...以降ずっと、難しいことはよく分からないまま、安部公房の作品をずっと読んでいました。就職した頃には、もう読まなくなっていたでしょうか。当時それほどおもしろいと感じられなかった「砂の女」を、今もう一度読んでみたい、なんていうふうに最近思っています^^;。
by sakamono (2024-03-21 20:48) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

安部公房自身の記述に拠れば、
カルティエ=ブレッソンは安部公房の演劇の稽古場に来て、
いろいろ話をしたけれど、やる気がないような様子で
自然な写真を撮ってもらえるようなチャンスもなくて
せっかく来てくれたのに悪いことをしたと思っていたのだそうです。
ところが後で送られてきた写真 (上記の芸術新潮表紙) は
撮られた覚えがない。いつ、撮ったのだろう? ということで、
「してやられた」 感満載だったのだそうです。
だって、相手はカルティエ=ブレッソンですからね。(^^)

それともうひとつ、すごいのは
帰り際にアルベール・カミュを撮ったプリントを
もらったのだそうです。サインも書き入れてくれたのだそうですが、
そのプリント、見たいですね。

教科書に『箱男』ですか!
ずいぶん先進的な教科書出版社ですね。

映画の《箱男》は上記本文の一番下に
オフィシャルサイトのURLを載せてあります。
映画祭の映像と、作品のトレーラーを観ることができますので
ご覧になってみてください。
by lequiche (2024-03-22 01:30) 

lequiche

>> sakamono 様

早川書房で出された最初の世界SF全集では
筒井康隆、眉村卓、光瀬龍の3人で1巻なのに対して
安部公房は1人で1巻を占めています。
そしてその巻のメインの作品が 「第四間氷期」 です。
安部はSF作家とは言えないのですが、
当時はSF作家的イメージで捉えられていたのかもしれないです。

読書にはやはり自分自身の流行とか好き嫌いとか
一時期だけ熱心に読むということも多いように思います。
私が最初に読んだのは……
『飢餓同盟』と『けものたちは故郷をめざす』の
再刊本だったような気がしますが、よく覚えていません。
ただ、一番ショックだったのはやはり『壁』です。
by lequiche (2024-03-22 01:31) 

ぼんぼちぼちぼち

安部公房氏、もう生誕100年になるのでやすね!
早すぎるあっけない死でやしたね。
氏はデジタルの世界も大好きだったようで、長く生きておられたら、デジタル時代をどんなに面白く表現なさったろう!と悔やまれやす。
戯曲では、あっしも「友達」が一番好きでやす。
映画だと、「砂の女」「他人の顔」「おとし穴」が秀逸だと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2024-03-22 13:47) 

coco030705

こんばんは。
芸術新潮のこの写真が、アンリ・カルティエ=ブレッソンなんですか!すごいですね。大学生のとき、ちょっとだけ写真部に所属していましたので、カルティエ・ブレッソンの写真集はクラブの部室でよくながめていました。
この頃の友達に、阿部公房が大好きな人がいたのですが、私にはなかなか理解できませんでした。今読んだなら、読めるかもしれません。
by coco030705 (2024-03-22 23:32) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

生誕100年といわれると
すごく昔の人みたいな印象になってしまいます。
でも急速に過去の人になってしまったという感じもします。

安部公房の映画は勅使河原宏に武満徹の音楽という組み合わせで
これはすごかったんだなと思わせられます。
まぁ……奥様とはいろいろあったみたいですが。
私は小田島雄志訳の『シェイクスピア全集』を持っていますが、
この全集の挿画は奥様の安部真知なんです。
今は松岡和子訳が流行りみたいですけど。
by lequiche (2024-03-24 02:55) 

lequiche

>> coco030705 様

写真部ですか! カッコイイですね。(^^)
カルティエ=ブレッソンの写真集を見ていたというのも
オシャレなのかも。
私は仕事の関係で芸術写真ではなく
『コマーシャル・フォト』という雑誌をよく見ていました。
誌名通りの商業写真雑誌ですが、
写真の撮り方としては勉強になりました。

安部公房はそんなにむずかしくはないと思います。
まず手始めとして
映画になった《箱男》を観るという選択肢もありますね。
by lequiche (2024-03-24 02:55) 

sknys

『砂の女』(1962)、『他人の顔』(1964)、『燃えつきた地図』(1967)などは高校時代に図書室から借り出して読みました。
『壁』(1951)や『第四間氷期』(1959)などは文庫本、
『箱男』(1973)、『密会』(1977)などは単行本だったかな?

村上春樹が奥さんに 「ライカ」(Leica)をプレゼントしたのですが、
ずっと陽子夫人は「レイカ」というバッタもんだったと思っていたというエピソードを思い出しました^^
安部公房全作品を読破しているヤマザキマリが『芸術新潮』に寄稿していないのは不可解にゃん。
by sknys (2024-03-24 16:06) 

lequiche

>> sknys 様

素晴らしいです。
代表作をおさえていますね。
新潮文庫で2〜3月に安部作品が多数新装復刊されたようです。
文庫で読めるのはリーズナブルで歓迎できます。

レイカの話は知りませんでした。
確かに英語風に読んだら Leica はレイカですが……。(笑)
ヤマザキマリは安部公房にハマッていたようですが、
今回の『芸術新潮』は寄稿者的には弱いです。
新潮社としては新潮文庫への誘導という意味があるのでしょう。
ヤマザキマリがイタリアでまだ芽が出ない頃、
これを読めと『砂の女』のイタリア語版を
勧めてくれた人がいたとのことですが、
『砂の女』をイタリア語に訳したのは須賀敦子です。
そうしたつながりには運命的なものを感じます。
by lequiche (2024-03-25 02:21)