SSブログ

クリスマスの光と影 — 沢田聖子・倉橋ルイ子 [音楽]

SyokoSawada_Hatsukoi_221224.jpg
沢田聖子

その友人は団地にひとりで住んでいた。団地は郊外の丘の上にあり、最寄り駅からはやや遠く、夜になると車でなければ行けないような場所だった。古びた同じかたちの建物がずらっと並んでいて、迷いそうだが迷うことはなかった。友人はプラモデルとニューミュージックが好きで (その頃、J-popという言葉はまだ無かったように思う)、あまり日本の音楽に明るくない私にオススメのミュージシャンを教えてくれた。その中のひとりが沢田聖子だった。最初に印象に残った曲は〈あなたからF.O.〉[あなたからフェード・アウト] でライヴの動画だったが、その演奏は、今、YouTubeを検索しても発見できなかった。

その頃、松田聖子という歌手もいて、沢田聖子 (さわだ・しょうこ) と松田聖子 (まつだ・せいこ)、名前の読み方は違うが苗字の漢字がひと文字違うだけで、わざと似た名前にしたのではないかという中傷もあった。だがそれは見当外れである。沢田聖子は本名だが、松田聖子は単なる芸名だからだ。それに沢田聖子のほうが歌手としてのデビューも早いのだけれど、まだネットなどない頃の限られた情報量ではそれは仕方のないことだった。

それに友人との会話の中で松田聖子の名前はたぶん出なかったように思う。なぜなら松田聖子は歌謡曲で、沢田聖子はニューミュージックだからだった。友人の嗜好の幅は狭く確立されていた。やがてJ-popというジャンル名が作られ、境界線が曖昧になってから友人がどのような区分けするようになったのかは知らない。友人と私は疎遠になってしまったからである。それとともに沢田聖子の音楽の記憶も薄れつつあった。

沢田聖子はフォークソング系の歌手であり、シンガーソングライターである。といっても全てが自作曲ではなく提供されている曲も多い。たとえば〈青春の光と影〉という曲はイルカの作詞作曲であるが、沢田聖子は長らくイルカの事務所に所属していたからである。そして〈青春の光と影〉というタイトルはジョニ・ミッチェルの〈Both Sides Now〉の邦題名と同じだが、これはわざとそのように付けただけでジョニ・ミッチェルの曲のカヴァーではない。
活動期間が長いので曲数も多く、歌唱はそのときどきで異なった表情を見せる。幾つかの年代をランダムに選んで下記にリンクしておく。ホワイト・クリスマスという曲もあるので、それも選択しておく。
私が一番好きで繰り返し聴いていたのはアルバム《夢のかたち》(1985) に収録されていた〈Don’t Forget Forever〉である。

YouTubeを検索しているうちに村下孝蔵への追悼曲として作られた〈親愛なる人へ〉を見つけた。いままで知らなかったが美しい曲である。

     *

倉橋ルイ子は特異な歌手である。岡田冨美子作詞、網倉一也作曲によるデビュー曲〈ガラスのYESTERDAY〉が最も有名である。歌の上手さは当然だが、その声が常に悲しみを帯びているように感じる。柴田淳も声に影があるが、しかし明るい曲もあるのに対して、倉橋ルイ子は常に青い月の光のような暗い感傷を運んでくる。
1985年に服部克久、羽田健太郎、林哲司、大野克夫という4人の作曲家がそれぞれ4〜5曲を提供して競作した4枚のLPがあり、この4枚のクォリティがピークであるように思える。服部克久の編曲した〈ガラスのYESTERDAY〉は原曲と異なり、東京ユニオンによるオーケストレーションであり、このテイクはこれら4枚の中でも白眉であるが、動画は発見できなかったのでリンクしてあるのは別のライヴ・ヴァージョンである (音の状態はあまり良くない。YouTubeにある倉橋ルイ子の動画は少なく、状態のよくないものばかりなのが残念である)。

来生えつこ/来生たかおによる〈罪な雨〉も名曲だが、私が一番好きなのは竜真知子作詞、林哲司作・編曲による〈December 24〉である。秀逸なオーケストレーションで間奏のサックス・ソロも素晴らしい。

今日はクリスマス・イヴなので、沢田聖子〈ホワイト・クリスマス〉と倉橋ルイ子〈December 24〉を並べてみた。そしてDon’t Forget Foreverとは、音信不通になってしまった友人へのメッセージでもある。


沢田聖子/Natural
Shoko Sawada 25th Anniversary In My Heart Consert
2004年5月21日
https://www.youtube.com/watch?v=Zw0M6s-zvwc

沢田聖子/悲しむ程まだ人生は知らない
1983年
https://www.youtube.com/watch?v=dLss027QkoE

沢田聖子/シオン
All Request Live 2020年
https://www.youtube.com/watch?v=Q-HDaI4mVJc

沢田聖子/ホワイト・クリスマス
Acoustic In My Heart Concert
1991年4月21日
https://www.youtube.com/watch?v=hCtilIST94Y

沢田聖子/Don’t Forget Forever
https://www.youtube.com/watch?v=aXc7UCwyHYM

沢田聖子/親愛なる人へ
https://www.youtube.com/watch?v=qCD82EpWPps

倉橋ルイ子/哀しみのバラード
東京音楽祭
https://www.youtube.com/watch?v=_hqvbVHGpBU

倉橋ルイ子/ガラスのYESTERDAY
https://www.youtube.com/watch?v=1_9ecnDTzWs

倉橋ルイ子/罪な雨
下北沢・本多劇場(ノイズあり)
https://www.youtube.com/watch?v=Zm2ZK8yFH4c

倉橋ルイ子/December 24
https://www.youtube.com/watch?v=AC8oX_hlLzc
nice!(71)  コメント(15) 
共通テーマ:音楽

浅川マキと近藤等則 —《CAT NAP》 [音楽]

toshinori_kondo_221218.jpg
近藤等則 (kafkanahito.comより)

浅川マキのアルバムにおいて、あきらかにジャズ・テイストを感じさせられる曲は4thアルバムの《裏窓》(1973) ではないかと思う。なぜならA面4曲目に〈セント・ジェームズ病院〉が収録されているからで、歌唱そのものは典型的な浅川マキのノリに過ぎないのだけれど、つまりジャズ・テイストとは異なるのにもかかわらずこれを推すのは、南里文雄 (1910−1975) のトランペットが入っているからだ。そしてこのソロは南里のラスト・レコーディングである。演奏は神田共立講堂におけるライヴだが、その2年後に南里は亡くなった。
そしてB面最後のギター伴奏によって歌われる〈ケンタウロスの子守唄〉は、こどものために書かれた憂いに満ちた子守唄のカヴァーであるが、筒井康隆作詞、山下洋輔作曲である。もちろんジャズ・テイストではないがこのアルバムの性格を如実にあらわしている。

次のアルバム《灯ともし頃》(1976) にはジャズ的な要素はないのだが、レコーディングが西荻窪の 「アケタの店」 であるという点においてジャズとの接点があるように感じる (といってもライヴ録音ではない)。
このアルバムのメインはジェリー・ゴフィン/バリー・ゴールドバーグの曲〈それはスポットライトではない〉(It’s not the Spotlight) であるが、ドラムスはつのだ☆ひろである (ロッド・スチュアートの歌唱でも有名)。ギタリストが萩原信義だった頃の浅川マキの歌唱はひとつのピークとして記憶される。そしてこのアルバムには近藤等則、坂本龍一の参加が見られる。
さらに山下洋輔をフィーチャーした《ONE》(1980)、本多俊之による《マイ・マン》(1982) を経て近藤等則とのコラボであるアルバム《CAT NAP》(1982) に至るが、この頃、近藤等則はまだほとんど無名であった。
そしてこれだけジャズ畑の人たちを擁しても、浅川マキの歌は決してジャズにはならない。どのような人たちとコラボしても彼らはサイドメンであり、浅川マキのテイストが崩されることはないのだ。
ただそうした状態のなかで、もっともアヴァンギャルドなのが近藤等則とのアルバム《CAT NAP》なのである。

坂本龍一も《灯ともし頃》の頃はオルガニストという扱いであったが、1978年のYMO《イエロー・マジック・オーケストラ》と翌年の《ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー》によって大ブレイクする。

そのような経過をたどった後、近藤等則が主宰したライヴが 「Tokyo Meeting 1984」 である。当時渋谷にあったTHE LIVE INNでの様子はカセットテープで書籍の流通により発売された。演奏者は近藤等則、仙波清彦、坂本龍一、高橋悠治、渡辺香津美、ペーター・ブロッツマン、ビル・ラズウェル、ヘンリー・カイザー、ロドニー・ドラマー、セシル・モンローといった人たちである。この中で最も尖鋭だったのが近藤とブロッツマンであり、大きい音の勝ちであった。
YMOは1983年に散開してしまい、坂本は1984年にソロ・アルバム《音楽図鑑》をリリースしていた時期である。
近藤等則の演奏は、今聴くとあきらかにマイルス・デイヴィスのエレクトリック・トランペットの影響が大きい (今年リリースされたマイルスの《That’s What Happened 1982−1985: The Bootleg Series.Vol.7》はちょうどこの時期にあたる)。下にリンクした〈暗い目をした女優〉は浅川マキのアルバム《CAT NAP》の冒頭曲である。
日本のジャズ・トランペッターの中で、日野皓正のように陽の当たることがあまりないポジションにいるトランペッターとして気にかかっているのが近藤等則 (1948−2020) と沖至 (1941−2020) である。

〈それはスポットライトではない〉という曲については、カルメン・マキの歌唱にからめて2019年04月29日のブログにすでに書いた。その際の話題のひとつとして言及した中森明菜の〈私は風〉も再度リンクしておくことにする。


浅川マキ × 近藤等則/暗い目をした女優
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7108332

近藤等則/We Know Smart
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7108136

浅川マキ/それはスポットライトではない
(京大西部講堂 1977年Live)
https://www.youtube.com/watch?v=9ub9AscfikA

浅川マキ/セント・ジェームス病院
https://www.youtube.com/watch?v=mMXCQJ9dY44

浅川マキ/ケンタウロスの子守唄
https://www.youtube.com/watch?v=pErj6uQW1AE

近藤等則/Tokyo Meeting 1984
https://www.youtube.com/watch?v=frBtW5rBtig

     *

中森明菜/私は風
1994 Parco Theater Live
https://www.youtube.com/watch?v=fi25Q-PtVdk
nice!(65)  コメント(8) 
共通テーマ:音楽

大貫妙子〈横顔〉など — レコード復活の日々 [音楽]

01_akina&raMu_jk_web.jpg

大貫妙子のアルバム《Mignonne》はそのジャケット写真のためもあって人気が高く、最近になってアナログ盤再発となったが、すでに3回リリースされている。最初の盤はごく普通の黒いレコードだったが、2回目はクリア・ヴィニル、そして3回目はクリア・パープルで、このクリア・パープルは9月の予約段階でほとんど完売してしまったようだ (と書いたがショップによってまだ在庫あり)。

そして《Mignonne》の前のアルバム、つまり2ndの《SUNSHOWER》からカットされたEP盤〈都会〉はクリア・ブルーで、ジャケットは《SUNSHOWER》ジャケット撮影時の別の写真が使われている。
今、レコードが売れるということなのだろうが、このやたらのアナログ盤ラッシュはどうしたものか、と思ってしまう。

とはいえ、アナログ盤の復活は良いことで、特に最初にアナログでリリースされたものはやはりアナログで聴きたいし、CDのせせこましく貧相なジャケットよりレコードの大きなジャケットのほうが美しいし、音楽そのものが蘇ってきたようで心がなごむ。
ただ、最近の流行のためもあってか、アナログの中古盤の価格が全体的に上がってしまったようで、良いことばかりではない。

最近買ったレコードを意味もなく並べてみる。
まずラ・ムーの《Thanks Giving》、そして中森明菜の《Stock》。ラ・ムーは急に再評価とかされているが、とりあえずアナログ盤だけでなくCDも復活して欲しい。中森明菜の《Stock》はジャケットがカッコイイので、完全にジャケ買いの1枚。
中森明菜を私はよく知らないが、見聴きした中では1989年のよみうりランドEASTにおけるライヴ《AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII》がダントツで素晴らしい。

原田知世のアルバムは1985年の3rd《PAVANE》と1986年の5th《Sosite》の2枚。ややエキセントリックに見えるジャケ写がいかにも原田知世。この頃のアルバムは発売枚数が多いのか、中古盤も豊富である。

穐吉敏子のアルバムには穐吉自身の顔が多い。モノクロの顔写真だけのジャケットはピアノ・トリオによるアルバム《LONG YELLOW ROAD》(1961)。オリジナルの音源は朝日ソノラマのソノシートで、このジャケット写真はLP発売時に選ばれたもの。ジャケット裏は、まだ幼児のMonday満ちるを抱いて、ピアノを触らせている穐吉というショットで、オモテのジャケットとのイメージの落差が大きい。
ストリーヴィル盤の《The Toshiko Trio》(1955)、1974年のビッグバンドによる《孤軍》も穐吉の顔が印象的だ。でもデザイン的にこれ1枚をあげるならキャンディッド盤の《The Toshiko Mariano Quartet》(1961) である。

松任谷由実の《悲しいほどお天気》(1979) はアルバムタイトル曲の〈悲しいほどお天気〉でもトラック1の〈ジャコビニ彗星の日〉でもなくて、そのメイン曲は〈DESTINY〉である。

02_tomoyoHarada_jk_web.jpg

03_akiyoshi&yuming_jk_web.jpg


大貫妙子/Mignonne (ソニー・ミュージックダイレクト)
MIGNONNE




中森明菜イースト・ライヴ インデックス23
(ワーナーミュージック・ジャパン)
中森明菜イースト・ライヴ インデックス23<5.1 version> [Blu-ray]




大貫妙子/都会 (EP: 日本クラウン)
taekoOnuki_tokaiEP_221212.jpg


大貫妙子/横顔 (live 2009)
https://www.youtube.com/watch?v=7nU909RF1O0

大貫妙子/黒のクレール
https://www.youtube.com/watch?v=ChlVn6_VI9c
nice!(63)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽