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マウリツィオ・ポリーニ《バルトーク:ピアノ協奏曲第1番》 [音楽]

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Maurizio Pollini (2001)

マウリツィオ・ポリーニ (Maurizio Pollini, 1942−2024) は私にとってアイドルだった。衝撃を受けた最初の演奏はショパンの《エチュード op.10&25》だったが、圧倒的なその演奏に対して、すごいという声とともに 「メカニック過ぎる」 とか 「これはショパンではない」 などという誹謗も聞かれたことを覚えている。
私の知人にもその手の意見の人がいて、ポリーニに対しても、キース・ジャレットに対しても (というよりもECMの音楽全般に関して) ことごとく否定的で、はじめは音楽に対して深い造詣があるのかと思って聞いていたのだが、次第にそれは単なる好みの差なのだとわかるようになってきた。同時に選択肢は常に自分自身にあり、自らの選択こそが絶対だと悟った (他人の意見に影響され過ぎるのは無駄だという意味である)。

エチュードに衝撃を受けてそれ以前の録音を探した。ストラヴィンスキーのペトルーシュカとプロコフィエフのソナタだったが、今だったらともかくその当時はまだ冒険的な選曲だったように思う。それをリリースしてしまうというポリーニのセンスにしびれた。以降のシューベルトのさすらい人、シューマン、そしてノーノ (はさすがにあまり繰り返しては聴かなかったが)、シェーンベルク、ショパンのプレリュード、そしてポロネーズと、すべてを西独DG盤で揃えた。

しかし、1980年を過ぎるとあまり熱心さというか執着がなくなったのは、ポリーニに飽きてきたからではなく、世界のピアニストの指向が次第にポリーニ的なアプローチのピアニズムに収斂されていったので、つまり雑な表現でいえば、かつての感情過多でロマンティックな演奏スタイルは淘汰されつつあって、結果としてそれまでのポリーニの特異性が減少してきたからなのではないかと思う。

ポリーニのベストをあげるのなら、やはり最初期のエチュードと、そしてやはり初期に録音されたベートーヴェンの30〜32番ソナタだと私は思う。特にベートーヴェンの後期ソナタは、いままでのピアニズムと違っていたし、いきなり後期ソナタから出してくるピアニストもいなかったのではないだろうか (もっとも、DG盤は最初のボックスセットのデザインに較べると、再発LPのジャケットデザインがひど過ぎる)。その後、若きイーヴォ・ポゴレリッチが32番から出してきたのからもわかるとおり、以後のピアニストにポリーニが与えた影響は大きかったような気がする (あえて言うならば後期ソナタをこんなにポピュラーにしたのがポリーニだったとも)。
ポゴレリッチの初期のコンサートに対して坂本龍一が、そのエキセントリックさに驚いた感想を語っていたのも懐かしい思い出だが、そういう点から見るとショパン・コンクールというのがピアニストのトレンドの指標のひとつとなっていることは間違いない。

今、YouTubeで聴くことのできるなかでイチオシなのはブーレーズの振るバルトークのピアノ・コンチェルト第1番である。
DG盤のバルトークはクラウディオ・アバド/シカゴの1977年録音だが、YouTubeにあるのは2001年6月のブーレーズ/パリ管と、翌2002年の東京文化会館でのブーレーズ/ロンドン響のライヴである。
2001年のパリはシャトレ座でのライヴであり、シャトレ座といえばバルバラの《シャトレ87》を思い出すが、バルトークのパーカッシヴなニュアンスが良く現れていて、ブーレーズとの相性もあり刺激的なバルトークのように思う。以前にも書いたことだが、まだ調性感の残っていたバルトークのコンセプトをダルムシュタットによって葬り去ったのが若きブーレーズでありながら、そのブーレーズの振るバルトークが私にとって、もっともフィットするバルトークであるという矛盾が面白い (たとえば青髯公とか)。
文化会館のライヴはパリの翌年のため、オケは違うけれど練れている演奏のように感じるが、パリのほうがスリリングさは勝っているように思える。

ポリーニは晩年になってベートーヴェンを弾き直しているし、私も彼の録音の全てを聴いてはいないので、遺されたものを辿って行くことが偉大なピアニストを理解するための道なのだろう。残念ながら、もう新しい録音には出会えないとはいえ。


Maurizio Pollini, Claudio Abbado,
Chicago Symphony Orchestra
Bartók: Piano Concerto No.1&2 (Universal Music)

バルトーク:ピアノ協奏曲第1番・第2番(生産限定盤)(UHQCD)




Maurizio Pollini, Pierre Boulez, Orchestre de Paris/
Bartók: Piano Concerto No.1 (Mov 3)
Théâtre du Châtelet, Juin 2001
https://www.youtube.com/watch?v=Ijc90fbi9kY
(Mov 1)
https://www.youtube.com/watch?v=XMwH3011tTk
(Mov 2)
https://www.youtube.com/watch?v=0eGH826Y3CI

Maurizio Pollini, Pierre Boulez, London Symphony Orchestra/
Bartók: Piano Concerto No.1
Tokyo Bunka Kaikan, 21/Oct/2002
https://www.youtube.com/watch?v=9ynqvsnWZZc

Maurizio Pollini/Pierre Boulez: Piano Sonata No.2 (1947−48)
https://www.youtube.com/watch?v=-ZpNlxoXpQg
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末尾ルコ(アルベール)

マウリツィオ・ポリーニは先月亡くなりましたね。彼のことはもちろん知っていて、いろいろ聴いてもいるのですが、意識的に追っていたわけではないのでその死去に際しても大きな感想を持てていないのが現状です。わたしの場合lequiche様のお記事の多くと触れさせていだくことにより新たな世界を教えていただいたり大事なことを気づかせていただいたりということがしょっちゅうですので、マウリツィオ・ポリーニも今後少しずつたのしんでいきたいと思います。
ポリーニやジャレットに否定的な人たちってどうなんでしょう、そのときどきに大きな評価を受けている人や作品を根拠なく否定して通ぶるタイプの人たちでしょうか。そうした人たちって結局のところ、芸術などをだしにして、自分が承認されたいだけだったりしますよね。RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2024-04-08 01:23) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ショパン・コンクールは今でこそ有名ですが、
最初はポーランドのローカルなコンクールに過ぎなかったのです。
ところが第6回で初めて西欧圏の優勝者が出て、
それがポリーニでした。
圧倒的な演奏でポリーニに第1位を贈るしかなかったのです。
それ以後、ショパン・コンクールのネームヴァリューが上がるのですが、
第10回のとき、ポゴレリッチを落としたことで騒ぎが起こります。
つまりショパン・コンクールを語るとき、
最もキーパーソンとなるのがポリーニとポゴレリッチです。
もっともその後、ポゴレリッチはやや特殊なピアニスト (笑) に
なってしまいましたが。

ポリーニは古い曲も新しい曲も均等に扱いました。
シェーンベルクの解釈もひとつのエポックでしたが、
最もすごいのがブーレーズのピアノソナタをリリースしたことです。
ブーレーズは全くの現代曲で、普通だったらこんな曲を出しても
売れませんが、ポリーニだから売れたのです。
この時期、1976〜77年にポリーニは
ヴェーベルン、ブーレーズ、ノーノ、バルトークと
アヴァンギャルドで難解な曲を次々にリリースしています。
そのクリエイティヴな精神性に感服しました。

上記ブログ本文の末尾にブーレーズのソナタ第2番を
追加リンクしました。
全曲を聴き通すのはかなり忍耐がいると思いますので (^^)
さわりだけでも聴いていただければ幸いです。

新しいものに拒否反応を示す人は守旧派かと思っていましたが、
近頃の流行語になっている、いわゆる承認欲求ですか。
まさにそうなのかもしれません。嫉妬であり頑迷なのです。
ただ、その手口の人は最近見分けられるようになりましたので、
あぁなるほど、と受け答えするだけです。
by lequiche (2024-04-08 02:49) 

Enrique

ポリー二あたりで,ピアノ演奏は完成の域に達したのではないかと思います。最近のピアニストの演奏を聴いても全然良いとは思えません。

レベルが落ちているのでは?と思っていましたが,記事を読んで,乱暴に言ってしまえば「下手くそな演奏の方が良い」という嗜好の方もいるという事であれば,ピアノ演奏もエンターテイメントならば,下手くそ嗜好の人の好みにも合わせないといけないという演奏が現れてくるのも致し方ないという事ですね。

例えて言えば,美味しいものを食べ飽きたから,たまには不味いものも食べてみたいという欲求ではなく,単に味が分からない人だった(けど口だけは出す)と。そういう人に出す料理は難しいですね。
by Enrique (2024-04-09 15:06) 

lequiche

>> Enrique 様

テクニックという面でだけ見れば
ピアニストの平均的なレヴェルは上がっていると思います。
ピアノに限らず、たとえばヴァイオリンでは特にそれが顕著です。
ただ、テクニックだけでは音楽がつくれないことも事実です。
「ヘタくそな演奏の方が良い」 という人も
いるのかもしれませんが、わざわざヘタなのを望むというのは……
ヘタなほうが親しみを感じるということなのでしょうか。
そうしたリスナーのことは私にはよくわかりませんが、
音楽の嗜好は千差万別だとは思います。
by lequiche (2024-04-10 02:45) 

Enrique

話を単純化したつもりでしたが,却って伝わらなかったようです。

ギターなどでは技術の進歩が著しく,かつてのプロでも現在のアマチュアレベルです。むろん,そこまで極端でなくてもヴァイオリンもそうなのでしょう。スポーツでも技術の進歩は日進月歩です。

しかしながら,ピアノ演奏ではポリーニあたりで技術は完成したのではないかと当方は思ったという事です。技術のみならず,音楽表現もです。むろんアシュケナージもアルゲリッチもそれぞれ個性はあります。単純化して言えば,この人たちは極めて上手な演奏です。

しかし最近のピアニストを聴くと(名前は覚えていませんが複数人),とても技術が高いとは思えず,もしそうなら,わざと下手くそに弾いているのかと思わせる演奏があります。むしろ技術というよりも,先祖返りしてポリーニが捨て去った恣意的表現を敢えて用いているのかなと。

記事にある,「音楽的造詣はないのに,ポリーニの演奏が良くない」という嗜好の方は,いわば,ごく単純化して「ヘタクソ好みの方」なのかなと勝手に想像しました。そして,最近のピアニストには,そういう聴き手に合わせて,敢えてヘタクソな演奏をするプレーヤもいるのかな?と御記事の内容に納得したつもりでしたが,どうも早計のようですね。
by Enrique (2024-04-14 22:06) 

lequiche

>> Enrique 様

「ピアノ演奏ではポリーニあたりで技術は完成したのではないか」
ということに関しては私は何とも言えません。
ポリーニが出て来たとき、
それ以前の巨匠と言われるピアニストたちのほうが優れていて
ポリーニはメカニックだと言って嫌う人は
評論家を含めて多く存在していました。
でも今、そうした論議はほとんど無くなって次の世代に移っています。
そうした次世代の新しいピアニストが今後どのような評価になるかは
もう少し時間が経たないとわからないと思います。
ただ、確かにポリーニとかアルゲリッチのようなビッグスターは
いなくなり、小粒なピアニストが増えているとは思います。

わざと下手くそに弾いているというピアニストが
具体的に誰なのかがわからないと、それも何とも言えません。
でも、わざと下手くそに弾くというのはあまり考えにくいですから
単純に下手なのでしょう。
ポリーニに否定的だった知人というのは、
私の意見に対してことごとく反対するような人で
いわゆるマウンティングをしたい人だったように感じます。

ただ、コルトーとか、もう少し新しいとフランソワとか、
ショパンについてはかつて定評がありましたが、
私の印象ではすでに古いです。
コルトーはともかくとして、フランソワに関しては
以前は良いなと思っていたのですが現在の耳で聴くとちょっと……
というふうに人間の感覚は変わっていくものなのです。
でも全否定ではないので、このへんが微妙なところです。

また、近代の音楽の演奏の場合、これは以前にも書きましたが、
たとえばリヒテルのプロコフィエフとか、
わかって弾いているのかなという疑問を感じることがあったのですが、
それはもっと最近の演奏の解釈と比較してのことです。
これも上記と同様にリヒテルを否定しているわけではありません。

最終的には音楽は個々人の嗜好ですし、
下手くそな演奏者が好きな人だっているのかもしれませんが、
それはそれで別に構わないと思います。
by lequiche (2024-04-15 02:50)