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Moonlight feels right — 高橋幸宏 [音楽]

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Yukihiro Takahashi & Steve Jansen

坂崎幸之助の幸宏さん追悼の放送を聴いた。一般的にはYMOのドラマーとしての高橋幸宏と言われるが、坂崎はサディスティック・ミカ・バンドの1stが好きという。で、その放送の中でGAROのバックをやっていた頃の演奏というのがちょっとだけ流れた。
GAROはCSN&Yのカヴァーをしていたのが最初といわれているが、私が《Déjà vu》を聴いたのはずっと後のCDになってからなので、だから歌謡曲のGAROとCSN&Yとは全然結びつかなかった。

で、幸宏さんが亡くなるとは思っていなかったので呆然として、何をするにも全てやる気がなくなるよなぁなどと思いながらYouTubeを逍遙しているうちに1986年のツアーの映像に行きついた。Yukihiro Takahashi Japan Tour 1986にはスティーヴ・ジャンセンが参加しているし、キーボードは越美晴だ。大村憲司もまだ健在で、この時期の音楽シーンに惹かれる。20世紀は音楽も豊饒だったが今は死の花の葬列に等しい。コンサートのフル映像もあるが、その中から〈Moonlight feels right〉を聴いてみる。リッケンを持った幸宏さん。越美晴のコロコロした音色の間奏のタッチが美しい。パーソネルを載せておく。

 高橋幸宏 (Vocal, Keybords, Guitar, Drums)
 小原礼 (Bass)
 越美晴 (Keybords, Vocal)
 Steve Jansen (Drums, Vocal)
 矢口博康 (Sax)
 Jimmi Tunnel Guitar, Vocal)
 大村憲司 (Guitar, Vocal)
 Susan Hendrix (Sax, Vocal)

YMOの映像では1980年のA&M STUDIOのライヴ。客席は満員だが結構冷静に聴いているように見えるのが面白い。〈在広東少年〉はオーバーハイムを弾きながら歌う矢野顕子がハイテンションで、幸宏さんのドラムもタイト。大村憲司のギターもかなりノッている。


高橋幸宏/Moonlight feels right
Yukihiro Takahashi Japan Tour 1986
https://www.youtube.com/watch?v=BQAC17E0P3g

Yukihiro Takahashi & Steve Jansen/Stay Close
Yukihiro Takahashi Japan Tour 1986
https://www.youtube.com/watch?v=DFWdhGcmDXU

坂崎幸之助が語る《追悼》高橋幸宏さん 2023.01.20
https://www.youtube.com/watch?v=uPKbcLjqV5Q

YMO/在広東少年
Live at A&M Chaplin Memorial Studio in L.A.
1980.11.07
https://www.youtube.com/watch?v=TQt2qAkuqNQ
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穐吉敏子〈Memory〉 [音楽]

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穐吉敏子 (1978/wikipediaより)

別件でYouTubeを探していたら偶然、穐吉敏子の2008年の録音を発見した。それは長崎県のアートクロウジャズアンサンブルというアマチュアのビッグバンドに穐吉が客演したときの演奏である。
解説を読んでみると、バンドリーダーであったトランペッターの内田真嗣さんというかたが昨年末に亡くなられて、その追悼として上げられた音源とのことである。内田真嗣さんは穐吉敏子のファンで、穐吉作品をやるためにビッグバンドを立ち上げたそうだが、そのバンドに穐吉さん本人を招いて演奏した最初がその2008年の録音とのこと。
動画 (といっても音のみだが) を作成してYouTubeにあげたのは同バンドのサックスプレイヤーである遠藤理史さんだと思われる。

YouTubeで聴けるのは〈Memory〉だが、この曲は穐吉のビッグバンドの最初のアルバムである《孤軍》(1974) のA面2曲目に収録されているヴァージョンではトランペットが非常に重要な役割を果たしている。というよりほとんどトランペットソロのためのヴァージョンといってよいが、その構成を踏襲している。
ネットを探すと長崎県音楽連盟というサイトの2008年08月14日の記事にコンサート開催の紹介記事があり、それによればコンサートは2008年11月3日に長崎ブリックホールの大ホールで行われたようである。

〈Memory〉という曲は悲哀を帯びたメロディラインが印象的であり、《孤軍》では音楽に被せられた声が愁いを濃くする効果を担っていた。アートクロウジャズアンサンブルのライヴでは重ねられる声はもちろん無いが、その悲哀の深さは変わらない。そしてそれを吹いていた人の追悼として聴くと、Memoryというタイトルがあまりに痛切な意味をもたらしてくれているように思える。


〈エレジー〉という曲について、と2016年のリンカーン・センター・ライヴについてはすでに下記の記事に書いた。

エレジー — 穐吉敏子に
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2012-02-17

リンカーン・センターのライヴ — 穐吉敏子・1
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2021-05-08


Art Crow Jazz Ensemble
Shinji Uchida (tp) with Toshiko Akiyoshi (p)/Memory
live in Nagasaki Brick Hall 2008.11.03
https://www.youtube.com/watch?v=hFLy_uPQYQM

Toshiko Akiyoshi-Lew Tabackin Big Band/Memory
アルバム《孤軍》A-2
https://www.youtube.com/watch?v=kQGFYErcZTo

長崎県音楽連盟
2008.08.14 Thursday
穐吉敏子in長崎 withアートクロウジャズアンサンブル
http://web.n-rond.jp/?eid=1108633
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四月の魚 — 高橋幸宏 [音楽]

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高橋幸宏/薔薇色の明日

今日、喧噪の街のレコードショップに行ったら、高橋幸宏のLPがなぜか多く並んでいるように見えた。映画《四月の魚》のサントラ。ジャケットが懐かしい。あの映画、入らなかったよね〜。映画館はガラガラだったし、なんとなくユルい映画だったけれど、でも良かった。幸宏さんは《天国にいちばん近い島》にも出ていたと思うが、この映画は観ていない。そうしたこともあって原田知世とのpupaがあったのだろう。

幸宏さんのアルバムでは何が好きだったのか考えてみる。たくさんありすぎて、それにアルバム全部を聴いていたわけでもないからこれというのが出て来ないが、でもビートニクスは繰り返し聴いたかもしれない。《WILD & MOODY》とか。《薔薇色の明日》はジャケットが好き。たとえば《パパ・ヘミングウェイ》など、他のミュージシャンのアルバムへの参加も多いから全部は追い切れない。スティーヴ・ジャンセンは幸宏さんを師として慕っていたなぁ。

1980年の武道館は映像作品で観ただけだが、このライヴの頃がYMOのピークのように思える。このときのライヴでメンバーが着ているYMOの文字がデザインされた白いシャツが販売されたが、家のどこかにまだあるはず。散開のときの武道館には行った。ステージ全体がちょっと暗い感じだったことを思い出す。

四月の魚とはエイプリルフールのことで、でも今日は1月15日だから嘘のはずがなかった。誰にでもいつかは来ること。そう考えているうちに《サラヴァ!》のリイッシューを買っていたことを思い出した。


YMO/Rydeen (Budokan 1980)
https://www.youtube.com/watch?v=kdalyjjfVxY

YMO/Technopolis〜Rydeen (散開 1983/PROPAGANDA)
https://www.youtube.com/watch?v=usjB25XJZZY

高橋幸宏/蜉蝣
https://www.youtube.com/watch?v=Jf2O3HF_LTQ

原田知世&高橋幸宏/CUE
https://www.youtube.com/watch?v=VuEUH0WaDfA
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ヒラリー・ハーンのヴュータン [音楽]

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Hilary Hahn

ヒラリー・ハーンの2022年秋にリリースされたアルバム《ECLIPSE》はドヴォルザークとヒナステラの協奏曲と、サラサーテのカルメン幻想曲という組み合わせ。ヒナステラはエキセントリックがやや勝った作品であり、ではドヴォルザークがメインなのかというとYouTubeに上げられているプロモーション的な動画はどうもサラサーテらしい。
サラサーテ、別に悪くないですけどでも……う〜ん、だってサラサーテだし……サラサーテという固有名詞から思い浮かべるのはあの映画で、でも記憶はほとんど失われていて、前髪が斜めに切り揃えられていた大楠道代の印象だけが今でも残っている。サラサーテの記憶は内田百閒のようなSP盤ではもちろんないけれど、小学生の頃、小さなポータブル・プレーヤーで7インチ盤を聴いていたような覚えがある。たぶんハイフェッツだったと思う。サラサーテとかクライスラーとか、何も考えていなかった子どもの頃の音楽体験を今思い出すと懐かしい。

それでとりあえず《ECLIPSE》の前のハーンのDGのアルバムということになるとモーツァルトのトルコ風とヴュータン4番のカップリングである。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。
モーツァルトのトルコ風はまぁいいとして (と、有名曲はことごとく捨て去るので)、このアルバムの私的なメインはヴュータンである。
ヴュータンのことは繰り返しこのブログに書いてきたが、最初に書いた記事を読み返すと、昔はもっとあてもなく、しかし真摯に書いていて内容のクォリティも高くて、最近の自分の文章のだらしなさに忸怩たる思いである。コンチェルトといえばヴュータン、あるいはヴィオッティ。その思いは今も変わらないのが唯一の救いだ。そしてヴュータンへの偏愛も変わることはない。

ヒラリー・ハーンのヴュータンは美しい。それによく弾き込まれている。ただ、ハーンの演奏はあまりに華やか過ぎて、過去の私が聴いていたNAXOSのミーシャ・カイリン盤を聴いていたときのような虚ろな悲哀とは無縁である。でもそれでよいのだと思う。音楽とは希望を持って楽しむものだ。決して悲しみに閉じこもってしまってはならない。

サンプルとしてハーンとヤルヴィによるヴュータンの協奏曲第4番の第4楽章のライヴ映像をリンクしておく。第4楽章は華やかで、かつ重音奏法のるつぼである。
その下に全楽章もリンクしておくことにする。

そして私がこのブログに書いたヴュータンの最初の記事は下記である。やや感傷的に過ぎるのかもしれない。だが、かつてヴュータンが音楽を学ぶために訪ねた古都サンクトペテルブルクを領する国は今やああした状態にあり、文化的土壌は失われてしまった。おそらくもう復活することはないのだろう。

サンクトペテルブルクの冬、アルジェの夏 — アンリ・ヴュータン
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2012-03-22


Hilary Hahn, Paavo Järvi/
Vieuxtemps: Violin Concerto No.4:
IV Finale
https://www.youtube.com/watch?v=DWjDTXdY1NU

Hilary Hahn, Paavo Järvi,
Deutsche Kammerphilharmonie Bremen/
Vieuxtemps: Violin Concerto No.4:
I Andante moderato
https://youtu.be/4tR3Xks0cp8
II Adagio religioso
https://youtu.be/6c4KzhiEUsQ
III Scherzo vivace
https://youtu.be/a-nHPC-vYBs
IV Finale marziale
https://youtu.be/DWjDTXdY1NU
Encore:
J.S. Bach/Gigue
https://youtu.be/cRT0wg5d96M
J.S. Bach/Sarabande
https://youtu.be/IF2T5Zl4FlM
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ヴィヴィアン・ウエストウッドを悼む [ファッション]

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ヴィヴィアン・ウエストウッド
(2022年03月05日/AFPBBNews 2022.12.30より)

年末に入ってきた悲報は衝撃だった。彼女は魔女だから800年くらい生きると思っていたから。
追悼記事の中では、ele-kingのサイトで元日に公開された三田格の文章が心に残った。ロンドンでの忌野清志郎の撮影の話。パンクからニューロマンティクスへとそのデザインを変化させていったが、その思想性は終始パンクから離れることはなかったこと。マルコム・マクラーレンのこと、そしてアンドレアス・クロンターラーのこと。
最後に三田格は次のように書く。

 ヴィヴィアン・ウエストウッドの真骨頂はやはり力が漲るデザイン力で
 あり、無為自然という意味でのアナーキズムではなく、大胆に布をカッ
 トするように制度として立ちはだかる壁を突破しようとする実行力に直
 結させたことだと思うから。

六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーにおける展覧会で、彼女の特異な、しかし魅力的な作品を見ることができたのは幸運だった。パンクは彼女の初期情動であり、ニューロマンティクスは過去への回帰のようにみえて実は大いなるパロディでもある。
今回、幾つかの記事を読んでいて、ゴールドレーベルは実質的にクロンターラーのアイデアであることを知った。だが、古風なラインを見せていながら常にエキセントリックで、ひと目でヴィヴィアンのものとわかる派手さ・斬新さはヴィヴィアンから生まれたものに違いない。

すでに衰退してしまった某巨大SNSがまだ健在だった頃、そのヴィヴィアン・ウエストウッドのコミュニティでの話題がアクセサリーばかりだったのを揶揄したことがある。アクセサリーはあくまで付属品なのだから、服そのものを語るのが本筋のはずだが、原因のひとつとしてあまりに服が高価なこと、そしてサイズがむずかしいことがきっとあったのだろうと今では思う。アクセサリーなら、とりあえずサイズの心配はあまり存在しないから。
しかも服は、たとえプレタポルテのレッドレーベルであっても、ライセンス製品は所詮ライセンスでしかなかったように思う。ライセンスの縫製は平面的で本国版のような立体感とはほど遠い。むしろ、過去作品の再生産であったアングロマニアのほうが、ときとして面白いものが出ていたようだったと振り返ってみる。
だが、こうしたこともすでに過去の記憶で、曖昧で不確かな彼方の思い出に過ぎない。

ヴィヴィアンのあるショップで、非常に詳しい店員さんがいた。着ている服はもちろんヴィヴィアンだがそのコーデが尋常ではなく、あぁこうやって合わせるんだと感心するくらい優れていた。なによりその言葉が、まるで本家ヴィヴィアンを代弁しているような示唆に満ちたお勧めをするのだった。そうした店員さんはヴィヴィアンに限らずどこのショップでも滅多にいないが、全くいないわけではない。そのような巡り合わせもまたファッションの醍醐味である。だから、常套句的な必殺のオススメワードとしての 「最後の1点です」 には 「その勧め方は0点です」 と切り返すのが正しい。

ニューロマンティクスとは作り上げられた偽のウエストラインであり、奇矯なデザインでその肉体の本質を隠そうとするための、一種のブラフである。それゆえにヴィヴィアンは、着る人自体の思考の姿勢を変えてしまう。それは服に絡め取られてしまいかねない危険であり、人は強い意志で服に対抗しなければならない。ファッションとはそうした危険を内在するパワーを持ったものであり、だからそうした力を持たないファッションデザインをファッションとは呼ばない。

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Andreas Kronthaler for Vivienne Westwood
(2022SS/Fashion Pressより)

R.I.P. Vivienne Westwood/三田格
https://www.ele-king.net/news/rip/009026/


ヴィヴィアン・ウエストウッド、イアン・ケリー/
ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝 (DU BOOKS)
VIVIENNE WESTWOOD ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝

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昨年買った本など [本]

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最近買った本などという記事を書こうと思っていたのですが、紅白など観ているうちに年が変わってしまったので昨年買った本などというユルいタイトルに変えることにしました。
買った本とはいえ、ここ数ヶ月のものがほとんどなので、まだ読んでいなかったり読みかけだったり、さらには資料的に買っておくので読むはずもない本も含まれています。
私の偏って貧弱な選択に過ぎませんが、自身への覚え書きという意味もあります。

ごく最近買った本から以前へとなるべく遡っているとはいえ基本的にはランダムで。雑誌もちょっとあり。文庫、コミックスは除外です。

『定本夢野久作全集第8巻』
ユリイカ2023年1月臨時増刊号 ジャン=リュック・ゴダール
トマス・M・ディッシュ『On SF SFの気恥ずかしさ』
アーシュラ・K・ル=グウィン『私と言葉たち』
村上春樹『更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち』
窪美澄『タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース』
川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』
川野芽生『月面文字翻刻一例』
リチャード・パワーズ『惑う星』
牧野直也『チャーリー・パーカー伝』
マリオ・バルガス・ジョサ『ガルシア・マルケス論』
美術手帖2022年10月号 五木田智英
大谷弘『入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』』
野村喜和夫『シュルレアリスムへの旅』
野村喜和夫『妖精DIZZY』
ジュリアン・グラック『異国の女に捧ぐ散文』
郝景芳『流浪蒼穹』


夢野久作全集は2年数ヶ月ぶりにやっと最終刊が出て完結。三一書房版も持っていますが、今回の定本は圧倒的に優れた全集。国書刊行会は久生十蘭と夢野久作の両方を完結させました。次は長谷川海太郎でしょうか (さすがにそれは無い、か)。ユリイカのゴダールは予価1,650円と告知されていましたが、出てみたら3,080円。まぁ買いましたけど。ディッシュは評論などを集めた内容。ル=グィンも同様に最近のエッセイを集めたもの。先に『文体の舵をとれ』という著書もあります。まだ読みかけですが。村上春樹は先に出されたレコード案内書の続編。直木賞作家・窪美澄の新刊は宣伝誌に連載していたもの。wikiのリストにはまだ追加されていません。七海ちゃんが良いです。川野芽生は歌集『Lilith』の歌人ですが、その小説集。帯の推薦文は皆川博子、円城塔です。パワーズは先に出た『黄金虫変奏曲』がまだ手つかずなのに昨年2冊目。黄金虫は1991年作ですが、こちらは2021年の近作です。パーカー伝はなんとなく詳しく書いてありそうなので。もっとも寝っ転がって読むのには不適な分厚さ。ジョサのマルケス論、これはすごい。ついでに昔の装幀の復刊、プイグの『リタ・ヘイワースの背信』が売れ残っていたので買っておきました。五木田智英はヘタウマとか書かれていますが、全然ヘタではありません。『論理哲学論考』は全集で読んだけどわかっていない。でもこれを読んだところで、あいかわらずわからないでしょう。野村喜和夫はなぜか懐かしさを覚える内容。『妖精DIZZY』は凝った装幀の詩集 (なのか?)。グラックは知らない内容ですけど、たまたま見つけたので買っておくことに。ともかくグラックはマイ・フェイヴァリットですから。郝景芳はハヤカワの銀背。最近、中国とか韓国とかの作家が多出してますが、どうなのかなぁ。

買ってないけど河出文庫で塚本邦雄の『十二神将変』『紺青のわかれ』に続いて『菊帝悲歌』が発売されていました。後鳥羽院の生涯を描いた長編です。鎌倉殿の終わった今、まだシュン? 但し、当然ですけど旧仮名遣いですので。

井戸は車にて綱の長さ十二尋の大晦日に、やっとのことで年賀状を書いて投函。紅白歌合戦をぼんやり観ていましたが、私のベストトラックはKing GnuとSuperflyでしょうか。あくまで私個人の好みですので。
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