SSブログ
前の3件 | -

坂本美雨《birds fly》 [音楽]

MiuSakamoto_birdsfly_211024.jpg

週末の街は何かにとりつかれてはしゃいでいるような様相を呈していて、まるでお祭りのような賑わいと私の目には映り、甚だしく疲労してしまった。
そんな日の夜、坂本美雨のアルバム《birds fly》はドリーミュージックとKSRの共同レーベル 「FOLKY HOUSE」 の第一弾としてリリース、と告知されているが、その音の緻密さと求心性には今日の不快な疲労をやわらげてくれる効果があったようである。

レコーディングの行われたのは池袋の自由学園明日館 [みょうにちかん] で、映像で見る建物のなかのたたずまいも、そのルームアコースティクも全てが快い。坂本美雨サイトのインタヴューで 「クローズドで神聖な空気のある場所です」 と語られているように、ここで録音したという意味がとても大切なことだったように思える。
1回のテイクですべてを同時収録し、音を重ねたり編集することはしていないが、といって連続して演奏したわけではないので、通常のライヴ録音のようでもない。そして何より無観客であるので、いわゆる無観客の配信ライヴとスタジオ録音の中間くらいに位置する方法論のように感じられる。
ピアノとチェロと歌という、ごく最小限のユニットでありながら伝えられてくる音は深く幅広くて豊かである。一日で収録してしまったという昔のジャズメンのような方法が、独特の緊張感を醸し出している。

明日館はフランク・ロイド・ライトおよび遠藤新の設計による木造建築物だが、池袋の駅から少しごちゃごちゃした斜め斜めに続く道のむこうに存在しているしんとした建物である。現在は結婚式場やコンサートなどにも使われているのだが、重要文化財の指定を受けている。
以前、知人の結婚式がここで行われたとき初めて明日館を識ったのだが、その設計の美しさに心を奪われてしまった。結婚式はその建物の禁欲的ともいえる質感に似て簡素なものだったが、式後、出席した仲間たちと別の飲食店に行くと、彼らは終わったばかりの式で出された食事の質素さを非難してメニューから大量の飲食物を注文し飽食にふけるのだった。今日の街の賑わいには狂熱的なパワーのようなものがあって、それはその飽食感に似ていて、その結婚式の顛末を突然思い出してしまったわけなのである。

幾つか前のTokyofmの記事でこのアルバムのYouTubeのオフィシャル映像をリンクしたが、再びリンクしておく。坂本美雨はピアニストである平井真美子と一緒にアルバムを作りたいという動機があったというが、YouTubeには芦屋市立美術博物館での二人のライヴの様子もあり、こうした経験が今回のアルバムにつながったのだろう。

坂本美雨の武器はその声にあって、それはピアノやオルガン、そしてチェロと拮抗しうる無二の声である。ソフトヴォイスでありながらその声は人の心に深く沁み入る。
だが歌うことになったきっかけは、坂本龍一が〈The Other Side of Love〉という曲を誰に歌わせようかと思っていて、たまたま娘に歌わせてみたらイメージに合っていたということなのだそうで、坂本龍一 featuring Sister Mとしてクレジットされていたが当初は謎の歌手だったのである。
CDメディアは白い小箱にパッケージングされていて、シンプルで美しい。


坂本美雨/birds fly (dreamusic)
birds fly〔初回限定盤〕




坂本美雨/story
https://www.youtube.com/watch?v=egevyA9S65A

平井真美子+坂本美雨/星めぐりの歌 shining girl
https://www.youtube.com/watch?v=UQFHGbec3Mo

坂本龍一 featuring Sister M/The Other Side of Love
https://www.youtube.com/watch?v=CeebBKLkENM
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

坂本龍一『ピアノへの旅』を読む [本]

M&G_Kurtag_211016.jpg
Márta and György Kurtág

コモンズ:スコラの第18巻は『ピアノへの旅』というタイトルで、ピアノが成立するまでの歴史とピアノを巡る話題が鼎談、対談によって展開される読みやすい本である。「ピアノへの旅」 と聞くとやや抽象的だが英語タイトルは 「A Journey Tracing the Roots of the Piano」 とあって明快だ。この第18巻からCD附属ではなくなってQRコードによるプレイリストになったのは小松亮太の本などと同様だが、価格を抑えるための合理的選択ではある。プレイリストの音源が永遠に存在するかどうかは不明だが。

前半の鍵盤楽器の歴史を辿る部分には国立 [くにたち] 音楽大学の楽器学資料館の写真が掲載されていて、本文と併せて読むとよく分かる。多弦の楽器にはダルシマー、ツィンバロン、サントゥール、揚琴、プサルテリウム、カーヌーンなど多種あるが、張ってある弦を叩いたり弾くだけでまだ鍵盤アクションは存在しない。
多弦で、かつ鍵盤を備えた楽器がチェンバロやクラヴィコードであり、弦をはじくアクションがチェンバロ、そしてタンジェント (金属片) を弦に当てるのがクラヴィコードである。写真でも紹介されているスピネットは小型のチェンバロであり、クラヴィコードと同じような小型の楽器でありながら、ここに違いがある (ということが初めてはっきり理解できた)。

見た目が同じような鍵盤楽器にオルガンがあるが、オルガンは弦ではなく筒に空気を送り込んで鳴らす構造なので、気鳴 [きめい] 楽器というのだそうである。オルガンの機構自体は大変古く紀元前までさかのぼるとのことだが、その音を出すために鍵盤を使用することになったのがいつなのかはよくわからず、たぶん14〜15世紀頃と推測できると説明されているが、とするとチェンバロやクラヴィコードと同じ頃であり、つまりひとつの音にひとつの鍵盤を割り当てるという発明がその頃だったように考えられる。

ただ、チェンバロやクラヴィコードがピアノへと変わるまでには、ピアノの前身であるハンマークラヴィーアの名称の通り、ハンマー・アクションの発明があり、現代ピアノまでの道のりは長く複雑だ。坂本龍一が弾いている写真で見ることのできるセバスチャン・エラール製のグランド・ピアノは木部の仕上げや手のこんだ譜面台など大変美しく工芸品のようでもある。
またチェンバロの頃の鍵盤は白黒が反転したカラーだといわれるが、この写真を見ているとクラヴィコードやスピネットには半音部が黒鍵、全音部が木製の色そのままの茶色の鍵盤もあり、一律に反転カラーともいえないようだ。

前半部の鼎談 (坂本龍一×上尾信也×伊東信宏) の中で注目したのは、フクバルトゥス (840頃〜930) の音楽理論書に半音階と全音階という概念が存在していたとのことで 「ですから、どんなに遅くても9世紀には、12音は生まれていました」 (上尾:p.41) というのだ。しかし 「といっても12音の鍵盤までできたわけではなくて、あくまで音階としてですね」 (上尾:同頁) と補足されている。以前、別の本で 「鍵盤は最初全音階だけがあり、黒鍵としてまずB♭キーが加わった」 というようなことを読んだ記憶があるが、そのような変遷までは言及されていない。ルネサンス期の音楽は坂本も語っているように、まずモードであり12音は概念としてはあったが、黒鍵の音はあくまで旋法のヴァリエーションの結果で出現してくる音に過ぎない。全ての音がクロマティックに出現してくるのは16世紀末から17世紀にかけてであるのだそうだ。

もうひとつ面白かったのはグレン・グールドの奏法について、あの弾き方はクラヴィコードなのではないか、という指摘である。「そもそも肘が鍵盤より下にあって、腕の重さなんて全然使わないっていうのはクラヴィコードの弾き方ですね」 (伊東:p.65)。「グールドがクラヴィコードを所有していた、あるいは演奏したことがあるという事実は確認できないが、知識はあり、自分が演奏したときのイメージも持っていた」 と宮澤淳一が書いているのだという (p.65脚注)。

後半部の対談 (坂本龍一×伊東信宏) は 「静かで弱い音楽へ —— 近現代のピアノ曲を語る」 と題されているが、その核となっているのはマールタ&ジェルジ・クルターグによるピアノ演奏である。プレイリストにはバッハのカンタータ《神の時こそいと良き時 BWV106》(Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit) の1曲目〈ソナティナ〉が選ばれているが、その演奏は 「超弱音器付きな上に、ものすごくソフトに弾いていて、ほとんど鳴るか鳴らないか、ぎりぎりのタッチで弾いてる」 (坂本:p.95) のだという。
巻末の音源ガイドにはその演奏について 「ほとんど聞こえないような弱音。きわめて微妙なテンポの揺れ」 があり、「さらに強力な弱音器をつけて、いっそう小さな音、ほとんど雑音に消えいるような音を聴かせることもあった」 と伊東は解説している (p.179)。

ジェルジ・クルターグ (1926−) はハンガリー生まれ (現在はルーマニア領) の作曲家でジェルジ・リゲティの3歳年下で親友だったという。マールタはジェルジ・クルターグの妻で、夫妻で弱音による録音やコンサートを催していたのだそうだ。

これは坂本が、ピアノをどんどん鳴らないようにしていって 「サウンドを抑えることで、ノイズがより出てくるように」 (坂本:p.93) していること。そして 「どんどんSN比が悪くなって、環境ノイズの中に溶け込んでいるくらいの音楽が良いなぁ、と思っています」 (坂本:p.95) と重なる。
坂本のアルバム《async》(2017) にはそのように弱音にリファインされたアップライトのスタインウェイで録音された曲があるとのこと。「〈Life, Life〉という曲でデヴィッド・シルヴィアンが朗読したあとに弾いているピアノがそれです」 (坂本:p.93)。音が小さくなることにより、周囲の環境音が同時に録音されてしまうのをそのまま受け入れるとする姿勢が坂本の現在なのだろう。デヴィッド・シルヴィアンには環境音をそのままフィールドワークした《Naoshima》(2007) があるが、それはリュク・フェラーリの技法の模倣としてのオマージュであり、同じ環境音とノイズという同一面を見せながらそのコンセプトは全く異なるものである。

YouTubeにあるクルターグ夫妻の連弾は、プリミティヴでもミニマルでもない、音への異なるアプローチのひとつの姿だ。


坂本龍一/コモンズ:スコラ 第18巻 ピアノへの旅
(アルテスパブリッシング)
vol.18 ピアノへの旅 (commmons: schola〈音楽の学校〉)




Márta and György Kurtág/
Bach: Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Sonatina)
https://www.youtube.com/watch?v=O85lwrca-_c

Márta and György Kurtág/Bach-transcriptions by Kurtág
https://www.youtube.com/watch?v=Z8lTh58jhA8

Ryuichi Sakamoto/Life, Life (from “async”)
https://www.youtube.com/watch?v=FpR3VJwYHZY

Ryuichi Sakamoto/async
https://www.youtube.com/watch?v=emSold2PCvw
nice!(73)  コメント(7) 
共通テーマ:音楽

『須永朝彦小説選』を読む [本]

AsahikoSunaga_chikuma_20211009.jpg

須永朝彦 (1946−2021) は歌人として出発した人であるが小説家、評論家でもあり、近年は主に幻想文学系の編者としてよく知られていたように思われるが、今年5月に亡くなったことを寡聞にして知らなかった。ユリイカの増刊号、そしてちくま文庫から『須永朝彦小説選』が出されたことで遅まきながらそれを知ることになった。大変残念である。

ちくま文庫の『須永朝彦小説選』には須永の小説等から選択された25編が収録されている。編者は山尾悠子である。国書刊行会から出版された『新編 日本幻想文学集成』全9巻のうち、山尾は第1巻の、そして須永は第3巻、第4巻、第5巻、第9巻の共同編集者として名を連ねている。その縁もあるのかもしれない。

最初に読んだ須永朝彦が何だったのかは忘れてしまったが、ごくマイナーな発表誌も多く、山野浩一が主宰していた『NW-SF』にも寄稿していたように覚えている。その短歌は沖積舎から出された歌集を読んだ程度であるが、作風的には塚本邦雄を連想させ、実際に塚本に師事したこともあるとのことだがある時点で袂を分かち、その後は韻文から遠のいて散文へ、さらに実作よりも編者などへとその活動を変化させていった。その興味の中心をなしていた諸作を見ると澁澤龍彦の後裔のような様相を帯びていたようにも思われる。また古典芸能にも詳しく坂東玉三郎との対談集もある。

須永は、いつの間にか本が出ていることが多くて、つまり小さな出版社からの上梓が多かったということだが、つい見逃してしまいあまりよく知らない。目についたときに読んでいたというのが実情で、思い出してみると今回の小説選もおそらく読んでいた作品が多いはずなのだが、ほとんど覚えていない。その小説の傾向としてはいわゆる男色文学であったり少年愛的傾向の雰囲気があったりするが、それは塚本邦雄の『紺青のわかれ』に似て、作家本人にその傾向があったのではなく、あくまで作風としての傾向であったようで、そのへんは中井英夫などとは異なるようだ。というより幻想文学あるいは耽美系の傾向として、同性愛はどうしても避けられぬルートでもある。

この本に収録されている作品の中で 「森の彼方の地」 だけはかすかに過去に読んだ記憶があるのだが、もしかすると塚本の同質の作品の記憶だったのかもしれなくて、そのあたりが判然としない。吸血鬼譚であり、少年や若き青年が出てくるところは萩尾望都の『ポーの一族』を連想してしまう。

ただ、今回読んでいて気がついたのは各編の冒頭に位置するエピグラフの秀逸さである。短歌が多いのだが、その印象の強さに須永の目利きをあらためて感じてしまうのである。葛原妙子の短歌が3首あるのだが、「契」 という短編には

 わが額 [ぬか] に月差す 死にし弟よ 長き美しき脚を折りて眠れ

が採られている。
その次の短編 「ぬばたまの」 は山中智恵子で

 山藤の花序の無限も薄るるとながき夕映に村ひとつ炎ゆ

これには慄然とする。
以下、幾つかを拾ってみると

「R公の綴織画 [タピスリー]」 藤原義経
 身に添へるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに

「就眠儀式」 式氏内親王
 つかのまの闇の現 [うつつ] もまだ知らぬ夢より夢に迷ひぬるかな

「LES LILAS」 読人不知
 三月のリラの旅荘 [ホテル] の宿帳にジャンはジャンヌとルイはルイザと

全然関係はないが、かしぶし哲郎の1stアルバムが《リラのホテル》(1983) というタイトルであったことを思い出す。
そして

「聖家族 I 黒鶫」 加藤郁乎
 北に他郷の黒つぐみ、ふるさとは父 [ペール]

と俳句もあるが、これは『季刊俳句』誌に掲載された作品 「聖家族 I」 の中の2番目の掌編に付されたものである。

先に記した 「森の彼方の地」 には韻文ではなく、ジャン・ジュネの

 わたしは永遠に廿歳
 あなたがたの研究にもかゝはらず

とある。

巻末の 「編者の言葉」 の末尾に山尾悠子が選んだ須永の短歌が選ばれているが、

 蓬原けぶるがごとき藍ねずみ少年は去り夕べとなりぬ

 瞿麦 [なでしこ] の邑 [むら]  鶸色 [ひはいろ] に昏るる絵を
  とはに童形のまま歩むかな

などとあり、さらに最後の一首は須永が自身に宛てた挽歌とのこと。それは

   須永朝彦に
 みづからを殺むるきはにまこと汝が星の座に咲く菫なりけり

須永は短歌から早々に遠ざかってしまったのだというがとても惜しいし、その彼の最も若い頃の心のひだが感じられるような作歌である。ご冥福をお祈りするとともに、作品をまとめた全集ないしはそれに近いものを熱望する次第である。
尚、『須永朝彦小説選』は文庫本でありながら新漢字旧仮名で組んである。そのこだわりを賞賛したい。


須永朝彦小説選 (筑摩書房)
須永朝彦小説選 (ちくま文庫)




ユリイカ 2021年10月臨時増刊号 総特集◎須永朝彦 (青土社)
ユリイカ 2021年10月臨時増刊号 総特集◎須永朝彦 ―1946-2021―




新編 日本幻想文学集成 第4巻 (国書刊行会)
新編・日本幻想文学集成 第4巻

nice!(72)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽
前の3件 | -