最近買った&読んだ本・雑誌など [本]
最近読んだ本や雑誌など、買ったけれど読んでいない本や雑誌まで含めて書こうとしたのですが、今年ってホントに本を読んでいないことに愕然とする。それでかなり前に買った本や雑誌なども含めてランダムに書いてみる。
【雑誌】SWITCH 12月号 齋藤飛鳥の現在地点 (スイッチ・パブリッシング)
かなり力の入った写真と記事の特集。表紙にアイドルっぽいキラキラした写真でなく、やや半目のどよーんとしたのを持ってくるというセンスがSWITCHなのかも。深夜TVのハマスカ放送部における、どうでもいいようなキャラでおしているのとはやや違う齋藤飛鳥の、まさに現在地点なのかもしれない。でも飛鳥ちゃん、ドラムのセンスが良いよね。あと、あの数々の指輪とか。顔が小さ過ぎるし。
【雑誌】東京人 1月号 東京Y字路散歩 (都市出版)
タモリ倶楽部、またはブラタモリの発展形。冒頭に横尾忠則と糸井重里の対談。そして能町みね子のエッセイもあり。Y字路だけでなく坂とか暗渠とかかなりディープでマニアック。不動産の不整形地物件という記事がなかなか。NHKのブラタモリはまた復活との話です。
【本】嶽本野ばら/ロリータ・ファッション (国書刊行会)
ハードカヴァーなのに背表紙の無い本。小口がピンクのストライプなのに笑う。内容的には知らないことが多いので、たとえばBaby, The Stars Shine Brightの受容とか、いろいろ納得。
【本】川野芽生/星の嵌め殺し (河出書房新社)
第2歌集。川野芽生は一応全部買っています。歌集が一番良いかも。
【本】村上春樹/デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界 (文藝春秋)
ちょっとマニアック過ぎるけれど面白い。でも同じレコードを買うかといったら……買わないな。
【本】目黒雅也/西荻ごはん (亜紀書房)
『西荻さんぽ』に続く西荻窪本第2弾。東京ローカルな本です。前著の『西荻さんぽ』は西荻窪駅北口の今野書店だけで1000冊も売れたのだそう。私見ですが今野書店は昔ながらのとても良い雰囲気の本屋さんです。
【本】ザッハー=マゾッホ集成 I〜III (人文書院)
朝日新聞の書評で椹木野衣が絶賛していたので。マゾヒストの語源となるあのマゾッホ。名前のみ有名で、実際に読まれていないことではマルキ・ド・サドと同様。主に桃源社などで出されていたが今回のは人文書院です。ザッハー=マゾッホというのは複合姓なのか、よくわからない。
【文庫】松本俊夫/映像の発見 (筑摩書房)
初期著作の復刊。筑摩学芸文庫です。《薔薇の葬列》を撮るよりも前の著作。
【本】平岡正明著作集 上・下 (月曜社)
一世を風靡した平岡正明なので資料的に購入。週刊誌ネタ的な内容のものもあるし、やはり時代が過ぎてみると色褪せている部分もある。それと残念なことに誤植が多過ぎる。
【本】鈴木おさむ/もう明日が待っている (文藝春秋)
SMAPのことを書いているのだが、イマイチどうなのかなぁ。ズバリと書けないこともあるのだと思います。表紙デザインが稚拙過ぎ。
息切れしてしまったのであとはリストだけ (手抜きです)。
【本】福岡邦彌/新版 ECMの真実 (カンパニー社)
【本】ヴァンサン・ゾンカ/地衣類、ミニマルな抵抗 (みすず書房)
【本】レイチェル・カーソン/センス・オブ・ワンダー (筑摩書房)
【本】デヴィッド・ヤフィ/じゃじゃ馬娘、ジョニ・ミッチェル伝 (亜紀書房)
【本】今福龍太/霧のコミューン (みすず書房)
【本】鷲田清一/所有論 (講談社)
【本】川野芽生/かわいいピンクの竜になる (左右社)
【本】シオドラ・ゴス/メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ (早川書房)
【本】アーシュラ・K・ル・グィン/赦しへの四つの道 (早川書房)
【本】ジェフリー・フォード/最後の三角形 (東京創元社)
金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』 [本]
11月15日のTokyofm《日向坂46のほっとひといき!》でみーぱんがローソン商品を試食していてASMRって何? みたいな話のなかでゲシュタルト崩壊と言ったりしたんだけど、そんな言葉知ってるんだ、と思うのは失礼なのかもしれない。アイドルグループには 「シュレーディンガーの犬」 (略してシュレ犬) というのもいるけど、そこには 「なぜ猫なの?」 という批判も籠められているのに違いない。最近のグループ名はますます凝り過ぎなつくりになってきていて、さらにそれを略すものだから、「ずとまよ」 はどんなマヨネーズなのかと思っていたのは秘密です。以上は前フリで何の意味もありません。
さて。金原ひとみの『ナチュラルボーンチキン』の簡単なあらすじを書いてみる。あらすじはホントは書きたくないんだけど、たまにはいいかな。
私=浜野文乃 [はまの・あやの] は出版社で労務を担当している。45歳で一人暮らし、趣味も特になく、友達や仲のいい家族・親戚もペットもいない。毎晩、肉野菜炒めとパックご飯を食べ、スマホでドラマを観るだけの、波風のたたない毎日を続けている。ルーティンがすべてで、何もない。
ところがケガをしたことを理由に、在宅勤務のままで出社してこない編集部の平木の様子を見に行ってくれないかと上司から依頼される。平木はオフィス街の道を、ひとりカジュアルな服装でスケボーで出勤してくるようなちょっと変わった女性だ。
平木の住むマンションを訪ねて行ってから後、平木は私にいろいろと誘いをかけて来るようになる。静かだったはずのルーティン生活が次第に崩れて行く。何度かランチなどに付き合わされているうちに、どこに行くのか知らされないまま、渋谷に連れ出される。そこはマニアックでカルトなロックバンドのライヴだった。ヴォーカルの 「まさか」 のわけのわからな過ぎるパフォーマンスに衝撃を受ける。平木はバンドのメンバーと懇意で、ライヴ後、飲み会に参加させられてから私の強いガードは変化する。そしてなぜ私が何も受け入れないようなルーティン生活を続けてきたのか、その理由が次第に明らかになって行く。
結末までは書きません。
最初は軽く始まったストーリーなのに、文乃と母親、そして父親との関係、おばあちゃんと暮らしていたこと、と文乃の過去がわかってくるにつれて、だんだんと重い話題が見えてくるのが、さすが金原ひとみだ。
登場人物の名前の付け方も平木直理 [ひらき・なおり] とか松坂牛雄 [まつざか・うしお] とか、ふざけているのではなくて (ふざけているんだけれど)、名前なんてカリカチュアでしかないという意図が感じられる。
なぜ文乃がルーティン生活に逃げ込んだのか、その理由が語られる。
だって私がこのまま惰生を貪ったところで、何が生じるのという感じだ
し、長生きしたとしても、私は結局延々とルーティンをこなすばかりで
何も生み出さないのだ。そして会社は誰かが死んでも回るようにできて
いる。私の唯一無二性など、どこにもない。(p.84)
確かにそうだ。ルーティンに逃げ込んだというよりは、ルーティンしかこなせないのがほとんどだ。考えてみれば日常生活はほとんどルーティンワークで構成されている。他には何もない。無数の無名なハタラキアリたち。少なくとも私はそうだし、そのように言われてもしかたがないと私は思う。
文乃が、まさかに対して語るおじさん論も納得できる話だ。
「まさかさんはおじさんではありません。私は二十七くらいの頃に気付
いたんですけど、おじさんというのは年齢ではなく、属性です。私は若
手の男性編集者が、感じがよく、物事の道理を理解していて察しの良い
若者から、ものの数年で権力と金への欲望により、よくいるつまらない
おじさんへと変貌していく様を何度も目にしてきました」 (p.128)
文乃が父親のことが嫌いだったと言ったとき、まさかが文乃に返す言葉もさらっとしているけれど的確だ。
「——関わりたくない人との関わりを強要する人は、世界中から一掃さ
れて欲しいと僕は常々思ってるんです。——」 (p.195)
親を敬えとか兄弟姉妹仲良くとか言うのはすでに壊死した単なる定型文に過ぎなくて、そうした言葉を軽々に口にする人はそれが死んだ言葉であることを理解していないのだろうと私も思う。
と、小説後半のあらすじを伏せているので、これらの引用の意味がわかりにくいかもしれない。
食べることへの貪欲さ、音楽が伝えてくる言葉では語ることのできないなにかについてなど、いつもながらの金原ワールドと感じられる部分はあるかもしれない。
書店にこの『ナチュラルボーンチキン』と市街地ギャオの『メメントラブドール』が並んで平積みされていた。カヴァーの派手さもあって、そこだけ異彩を放っていた。
金原ひとみ (LIFE INSIDER 2024.10.23より)
金原ひとみ/ナチュラルボーンチキン (河出書房新社)
鳥羽耕史『安部公房 —消しゴムで書く—』 [本]
安部公房 (神奈川近代文学館サイトより)
(1984年。黎明期のワープロ・NEC文豪を使用している。FDは8インチ)
鳥羽耕史『安部公房 —消しゴムで書く—』はミネルヴァ書房日本評伝選の一冊として上梓されたもので、安部公房の作品と歴史を非常に詳細に解説した労作である。特にすぐれているのは各作品のあらすじを的確にまとめていることで資料的な価値は大変高い。しかし安部公房論ではなくあくまで評伝であるので、安部公房をある程度知っていないと読解できにくい内容であることも確かである。
そして安部公房は一種の 「火宅の人」 であったわけだが、それについての女性週刊誌的な記述を期待するとはぐらかされる。第一義なのはあくまで彼の作品であることを念頭において読む必要がある。
これを読んで思ったのは、私が興味を持って読んでいたり、あるいは演劇に興味を持っていた頃の安部公房は彼の歴史からするとほんの一瞬に近い時間に過ぎなくて、そこに達するまでの長い歴史があったことをあらためて知ることになった。
まず、彼の育った満州とその戦前・戦後における経験がその作品の形成に強く関与していることは確かだ。そして日本共産党に入党し、オルグ活動をした時期もあったが党の方針と次第に合わなくなり、結果として共産党から除名されたこと。そしてその除名直後の作品が『砂の女』であったことは非常に象徴的である。
安部公房作品を辿るときにその戯曲作品は重要であるが、それに先行するラジオドラマ等の脚本書きがあり (当時、まだTVは一般家庭に普及する前で、ラジオドラマは人気があった)、そうした経験が結実して安部公房スタジオにおける演劇作品となったと考えることができる。
安部の『制服』の舞台を観て劇団青俳に入団した蜷川幸雄という当時のエピソードを読むと、つまり演劇に関してもそれだけ以前からの歴史があるということがわかる (蜷川は1955年の青俳『快速船』で初舞台を踏んだのだという) (p.71)。
ラジオドラマに関しての逸話で一番面白かったのはNHK第一放送の子供の時間における連続ラジオドラマ『ひげの生えたパイプ』(1959) で、12歳の少年・津久井太郎が、父親の置いていったひげの生えたマドロスパイプは欲しいものを何でも出すことのできるパイプなことを発見し、それを利用していろいろな事件が起こるという内容なのだそうだが、太郎役の声優は大山のぶ代 (当時名/羨代) なのである。
ちなみに、藤子不二雄の『ドラえもん』の連載が始まったのは1969年である。
安部公房が最盛期だったと思えるのは、戯曲を書くことだけでは飽き足らず、自分で劇団を持って上演するという考えから立ち上げた安部公房スタジオの頃である。もう少し正確にいえば、安部スタジオの前哨となった紀伊國屋ホールにおける『ガイドブック』の上演 (出演:田中邦衛、条文子、山口果林)と、安部スタジオとしての西武劇場における第1回公演『愛の眼鏡は色ガラス』に至る時期であり、この間に新潮社の純文学書下ろし特別作品として小説『箱男』が出されたことにより、時代はまさに安部公房ブーム的な色合いを帯びていたといえよう (新潮社の全集の装幀が『箱男』のイメージをもとにしているのは周知である)。
しかし鳥羽耕史の記述に拠れば、安部が西武資本との強いパイプを作り、西武劇場での上演という恵まれた環境にあったことに対して、68/71黒色テント (当時名/演劇センター68/70) の津野海太郎はブルジョアジーの劇場と批判したのだという。津野は浅利慶太、安部公房、山崎正和をその批判の対象としていたとのこと (p.245)。また当時、朝日新聞で演劇評を担当していた扇田昭彦も安部スタジオに対して辛口だったそうである。津野の論調は68/71の方向性として納得できるが、扇田の批評は知らなかった。当時の白水社の演劇雑誌『新劇』からの影響もあるのかもしれない。
この件に関して『現代思想』(2024年11月臨増・安部公房) で木村陽子は、安部スタジオに対する反発は従来の新劇界からの嫉妬であると述べている。少し長いが引用する。
しかし、このような安部公房のメディア露出の多さが、嫉妬を招き、安
部スタジオへの反発をいっそう強めた向きもあっただろう。戦後の新劇
の復活のあとには、〈アングラ〉がきて、小劇場になだれ込むというの
が日本の演劇の正史だという認識は、〈アングラ〉に近い劇評家たちが、
やや恣意的に残したものである。そこには、戦後に人気が復活した宝塚
劇場のことはもちろん、商業演劇として成功を収めた浅利慶太らの 「劇
団四季」 の活躍が記載されることも稀である。ましてや、セゾングルー
プという大資本が、マーケティング戦略のひとつとして展開する 「西武
劇場」 でのオープニングを飾った、恵まれすぎた環境にいた安部公房ス
タジオのことなどは、〈アングラ〉を正史とする立場からみれば、巨悪
のような存在と映っていたかもしれない。(『現代思想』2024年11月臨
増 p.200)
対して大笹吉雄は『新日本現代演劇史』のなかで、繰り返し安部に言及しているとのことである (大笹の著作は最も信頼のできる劇評であると思うが、私は『日本現代演劇史』の3巻あたりまでしか読んでおらず『新日本現代演劇史』も読んでいないので未確認である)。
では、その安部スタジオの唐突な解散について、安部公房の妻である安部真知の協力が得られなくなったことがその原因である、と木村陽子は指摘している (『現代思想』2024年11月臨増 p.203)。
これは的確な解読であると思うが、安部スタジオと入れ違うようにして擡頭してきた小劇場の雄である野田秀樹の夢の遊眠社やその他の新興劇団のパワーが、安部スタジオのメソッドを色褪せたように見せてしまったことも否めないように思う。
安部真知は装幀だけでなく舞台美術も担当していたが、他の芝居の舞台美術も担当するようになり、結果として、独り立ちしていける要素が増大することとなった。だが私見を言えば、安部真知で最も印象に残っているのは小田島雄志・訳の『シェイクスピア全集』の挿画であり、当時としては異質で新しいシェイクスピアを感じさせる作品であったと思う。
私が最初に読んだ安部公房は、確か『飢餓同盟』『けものたちは故郷をめざす』の再刊本あたりだったと記憶しているが、彼の満州での体験という背景がそうした作品の底流にあることなどまるで知らなかった。それを知ると小説の風景はそれまでと違って見えるようになるのかもしれない。
安部公房も寺山修司も演劇のスペシャリストではなかったが、それゆえにその戯曲の特殊性が際だってみえるように思う。演劇は書籍や映画などと違って、記録として最も残りにくいものである。その刹那性、不回帰性こそが魅力なのだ。
鳥羽耕史/安部公房 —消しゴムで書く— (ミネルヴァ書房)
現代思想 2024年11月臨時増刊号 総特集◎安部公房
(青土社)
市街地ギャオ『メメントラブドール』 [本]
市街地ギャオ (毎日新聞 2024年06月14日記事より)
毎月送られて来る宣伝誌『ちくま』の10月号で最初に目を惹いたのは柴田元幸が訳しているバリー・ユアグローの都築響一『TOKYO STYLE』に関する記事だったが、30年前とは、こんまりもスマホもインスタもない時代の写真集という記述に思わず肯く。
それはともかく、市街地ギャオの短編 「かぁいいきみのままで」 が掲載されていたので読んでみた。市街地ギャオとはすごいペンネームだが、最近のロックバンドなどでよく見かけるどちらがアルバム名でどちらがバンド名なのかわからないような傾向に較べればたいしたことではない。
市街地ギャオは筑摩書房と三鷹市による太宰治賞の今年度の受賞者である。「かぁいいきみのままで」 は受賞後第1作とのことだが、ちょっと面白いなと思ったので、遡って受賞作そのもの 「メメントラブドール」 も読んでみた。
主人公・忠岡柊太はほとんどリモートで仕事をしながら、コンカフェで男の娘になって働き、さらにノンケ喰いをしているという毎日で、いきなりTinderでのやりとりが描写されるし、言葉は略語とネットスラングの嵐だが、ストーリーとしてはわかりやすい。
コンカフェの店名はラビッツ、柊太は店では 「うたちゃん」 と呼ばれている。他には奏乃 (トランス)、ひなた (パンセク)、もち助 (ノンケ)、masato (アセク) など、少しずつ嗜好がわかれている。店を仕切っている笹井は雇われオーナーで、妖精さんと陰口されている。
柊太のノンケ喰いの成果のひとり、カズは最初はオズオズとしていたのにだんだんと立場が逆転し、柊太とのプレイ動画を上げてバズることに執念を燃やすようになる。柊太はオモテの仕事にもやる気がなく、コンカフェの仕事も手抜きで笹井からクビをチラつかされる。
ラビッツに来た客のひとり、女性客のまいめろ♡はやる気のない柊太にずけずけとものを言うが、それに対する柊太の内面の声が辛辣だ。
その程度の解像度で人間をわかったような気になっちゃうからお前の髪
の毛はパサついたままだしカーディガンのSHEINタグがひっくり返って
ることにも気づかないんじゃないの、と思う。(p.47)
まいめろ♡はローファーもSHEINのを履いているみたいで、その形容のなかに作者のSHEINへの憎悪 (というか排斥) が感じられて笑う。
会社の後輩・紺野は仕事に意欲的で明るい性格だが、じつはこんこんという裏アカがあり、柊太はそれを見つけてしまい、ネットでのやりとりが始まる。だが自分の画像を送るわけにはいかないので、カズの画像をこんこんに送る。
ラビッツに来る客のなかで柊太を気に入ってくれている客がいて、おじさん (実際には、まだおじさんではない) と自分を呼ばせるバキ童である。だがある日、柊太にチェキを撮らせた後、突然、来なくなってしまう。上客のリストから消えていることに柊太は気がつく。(p.78)
男の娘らしくない外見であることを笹井に注意されて、柊太は仕方なくamazonでデニムのショーパンを買い、XXLの白のTシャツと白の厚底スニーカーに合わせてみる。柊太は不本意だと感じているが笹井はそのコーデに納得し、これを被れとカビくさいウィッグを投げて寄こす。
笹井の目はずっとシビアで、奏乃が好んで着ているロリータ服も 「似合ってないロリータ」 なんだからホントはやめさせたいんだと不満を述べる。(p.79)
かつて柊太は高専では姫だった。その過去の栄光が柊太に残っていることは確かだ。だがラビッツでは皮肉なことにノンケのもち助が一番かわいい。そして厳然としたヒエラルキーがあることを提示しているのが笹井であり、こうしたことは女の娘に限らず常に存在するものなのだ。
ストーリーの終盤近く、カズが柊太に訊ねる:
「たいちょーさん*はなんて呼ばれたいの」
「わかんない。なんでもいいって」
なんでもいいってことは何者でもあるし何者でもないって思ってるって
ことっすか、と茶化されて、そのフィクショナルな響きにはっとする。
抽象化してしまえば全人類そうだろうとしか言えないのに、どのペルソ
ナもどの擬態も全部が中途半端ないまの私に刺さっている言葉な気がし
てしまう。(p.94)
( *:柊太のノンケ漁りの際のアカウント)
逆順で読んだのでわからなかったのだが、「メメントラブドール」 に出てくるおじさんを主人公としたストーリーが 「かぁいいきみのままで」 なのだ。おじさんは翔吾という名で、地下アイドルの 「推し」 をやっていたがその子は引退してしまい、その次の推しになったのが柊太だったのである。柊太の次に翔吾は再び土星ちゃんという地下アイドルの推しを始めるのだが、あるきっかけで推しをやめてしまう。この哀しみの描き方から静かな諦念が伝わってくる。
太宰治賞の選評では、各選者が最終候補作品は皆、一人称だと、まるで一人称で書くことはレヴェルが低いようなニュアンスが感じとれたが、市街地ギャオは 「かぁいいきみのままで」 では三人称で書いていて、そのレスポンスの意図がわかって面白い。
好書好日というサイトの2024年09月17日の記事に市街地ギャオのインタヴュー記事があるが、それに拠れば彼は金原ひとみを敬愛していると書かれている。金原ひとみを村上龍は褒めていたはずで、村上龍→金原ひとみ→市街地ギャオという系譜をなんとなく感じてしまう。それは『TOKYO STYLE』からも感じられる雑多な無名性の風景から滲み出してくる卑近な生活の匂いに似ていて、そしてこのような 「今ふうの若者言葉」 で書かれている作品はやがて色褪せるのかもしれないがそこから醸し出される儚さや切なさがかえって愛おしい。
市街地ギャオ/メメントラブドール (筑摩書房)
メメントラブドールは10月24日発売予定です。
この記事の引用ページ数は『太宰治賞2024』からのものです。
かぁいいきみのままで (全文が読めます)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3681
好書好日 2024年09月17日
https://book.asahi.com/article/15420864
J・D・サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』 [本]
書店でJ・D・サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』という本を見つけた。これって何? と思ったのだが、その横に『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワーズ16、1924年』が並んでいる。同じ装幀で Shincho Modern Classics とあり、一種の叢書のような体裁になっている。訳者はどちらも金原瑞人。
後者の書名は識っていたが、まぁいいか、と今までスルーしていた。だが訳者あとがきをちょっと読んでみたらこれは大変とすぐに気づいて、2冊とも買ってきた。
以下、訳者あとがきをさらに簡単にまとめてみる。
J・D・サリンジャー (Jerome David Salinger, 1919−2010) が生前、本として出版したのは『キャッチャー・イン・ザ・ライ (ライ麦畑でつかまえて)』(1951) を含めて4冊だけで、今回の2冊『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワーズ16、1924年』と『彼女の思い出/逆さまの森』は雑誌掲載のみで、アメリカ本国では本になっていない。そして 「ハプワーズ16、1924年」 は1965年6月19日号の The New Yorker に掲載されたサリンジャー最後の作品である (この作品は不評だったという)。そのとき彼は46歳、それ以後、2010年に91歳で他界するまで彼が作品を発表することはなかった。
「ハプワーズ16、1924年」 は不評だったにもかかわらず、著者には出版する考えがあったようだが、結局実現しなかったとのことだ。『このサンドイッチ……』に収められている作品は 「ハプワーズ……」 を除いて、皆、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』以前の作品 (1940〜1946年) である。そして『彼女の思い出……』も同様に20代に書かれた作品群である。
なぜここでサリンジャーに執着したのかというと、実は『ナイン・ストーリーズ』(1953) を柴田元幸・訳で読んだからなのである。柴田訳はこの頃流行りの新訳——つまり、すでに翻訳されている有名作品を新たに翻訳すること——の一環であるが、今年上半期に読んだ本の中で最も衝撃を受けた小説に違いなくて、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で事足れりとしていた不明を恥じるしかない。
『ナイン・ストーリーズ』は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に続けて出版された短編集であり、タイトルで示されているように9つの作品が収録されている。その最初に収められている 「バナナフィッシュ日和」 (A Perfect Day for Bananafish) を読み出して最初に感じたのはうっすらとした違和感。それと会話のもどかしさから来るいらいら。そして巧妙な場面転換の末に来る結末。
吉田秋生のコミック作品『BANANA FISH』のタイトルはこのサリンジャーの短編から採られたものである。もっとも内容的にはほとんど関係がないが。
冒頭でいきなりこれはないよね、と思ってしまった。9つの短編を次々に読もうと思ったのだが、この、まるで突然殴られたような読後感が残っていて、なかなか読み進むことができない。もっと正確に形容するのなら、内容が重いから、というしんどさと、どんどん読んでしまったらすぐに終わってしまうから、という 「もったいなさ」 感とがないまぜになった状態だったとも言えるのだろう。
それとすぐに考えたのは野崎孝はどのように訳しているのか、ということと、そもそも原文はどうなっているのか、と気になったところが幾つかあって、5月の終わり頃から6月はじめにかけて読んだのになかなか感想を書くまでに行きつかなかった (時系列的にいうとハルノ宵子の『隆明だもの』より前に読んでいる)。だが次第に記憶は薄れてしまうので、とりあえずここに意味もなく書いてみた次第である。
どの作品も素晴らしいし、ほとんど完璧と言ってよいのかもしれない。
そのなかで特に面白いと思ったのは3つ目の 「エスキモーとの戦争前夜」 で、まさに演劇的な展開であり、このまま舞台に乗りそうなストーリーである。そして最後のセンテンスが秀逸で、
三番街とレキシントンのあいだで、財布を出そうとコートのポケットに
手を入れたら半分のサンドイッチに手が触れた。彼女はそれを取り出し、
道に捨てようと腕を下ろしかけたが、結局そうせずにポケットのなかに
戻した。何年か前、部屋のクズ籠に敷いたおがくずのなかでイースター
のひよこが死んでいるのを見つけたときも、ジニーはそれを始末するの
に三日かかったのだった。(p.95)
「コートのポケットにサンドイッチを入れるのかよ」 とか 「道路に食べ物を捨ててはいけません」 とかツッコミどころ満載なのだが、この終わり方はすごい。ずっと読んできてこれなのかと思うと、泣いてしまう。
8つ目の 「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」 は、インチキ通信制美術学校で作品の添削をするという話。その学校の経営者は日本人なのだが 「ヨショト」 という苗字で、これは何なの? とウケてしまう。主人公の青年はカンチガイな自信家でその自信過剰加減が絶妙。でも当時だったらこんなインチキ学校もあったのかもしれない、と思わせてしまうところがとんでもないのである。
と、あまりにもウケ狙いな箇所を引用したのは、サリンジャーの天才性への嫉妬である (ウソ!)。
それで今は『このサンドイッチ……』を読み始めたところだが、いきなりホールデン・コールフィールドが出てくるわけです。
その6つ目の短編に「他人」 というタイトルがあって、原タイトルは The Stranger である。それで思い出したのはアルベール・カミュの『異邦人』(L’Étranger, 1942) で、かつての私のフランス語の教師は 「カミュの『異邦人』というタイトルはおかしい。この作品にふさわしいタイトルは『他人』だ」 と言っていたのである (英語のstranger=フランス語のétranger)。もっとも 「異邦人」 のほうがキャッチがあってカッコイイんですけどね。あとは悲しみを持て余す異邦人〜♪
J・D・サリンジャー/ナイン・ストーリーズ
(柴田元幸・訳、河出文庫)
J・D・サリンジャー/
このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年
(金原瑞人・訳、新潮社)
J・D・サリンジャー/彼女の思い出/逆さまの森
(金原瑞人・訳、新潮社)
山川恵津子『編曲の美学』 [本]
山川恵津子&早見優 (Tokyo Speakeasyより)
山川恵津子 (1956−) は作曲家、編曲家であり、キーボード奏者でもあり、コーラスもこなすという人である。今回出版された『編曲の美学』と連動して、ビクターとポニーキャニオンから《編曲の美学 山川恵津子の仕事》というCDが発売されている。
山川恵津子が音楽に携わったのはヤマハのポプコン応募がきっかけで、その後もヤマハでバイトをしていたのだそうだが、ごく初期の頃にはキーボーディストとして谷山浩子のサポートをしていた。そして曲作りにもかかわるようになり、たとえば谷山の〈てんぷら☆さんらいず〉(1982) はその頃の山川の相棒であった鳴海寛との共同編曲である (「東北新幹線」 という名称のデュオ・グループで活動していた)。
本の最後に作曲・編曲リストが掲載されているが、もうとんでもない量で、アグネス・チャン、岩崎宏美、岩崎良美、おニャン子クラブ、新田恵利、又紀仁美、西脇唯 (あ、なぜか8cmシングルは全部持っています) などなど。
特に岡本舞子、渡辺満里奈への提供曲や編曲が多い。いわゆるガールズ・ポップというか、比較的歌謡曲寄りの作編曲に特徴があり、その対象も圧倒的に女性歌手が多い。小泉今日子の〈100%男女交際〉で1986年の第28回日本レコード大賞編曲賞を受賞。最近の作品だとSAKUraの〈漕ぎ出せ♪ショコラティエ〉の作編曲が山川である。
また松田聖子の仮歌 (歌手が新曲を聴いて練習するためのガイド歌唱) をやっていたことでも知られる。
キーボーディストとしての仕事には谷山浩子、八神純子など複数にあるが、土屋昌巳の一風堂のデビュー・コンサートにもサポートとして入ったのだという (p.143)。
また大瀧詠一の《NIAGARA TRIANGLE Vol.2》に招集され、ハープシコードを担当したとのことだが、巻末の川原伸司からのコメントとして、大瀧詠一は山川の演奏を褒めていたそうである (p.274)。その当時、大瀧のレコーディングに集められたミュージシャンのなかで山川は最年少であったとのこと。
編曲に対するこだわりとして、
とくに曲の最後の音はそのキーの主音で終止する場合が多いのだが、こ
こでバックグラウンドにトニック (安心できるコード) を持ってくるのが
好きではない。理論上は一番平和でわかりやすく大正解なコードなのに、
私はそれをとにかく避けてきている。これは私のアレンジした曲をお聴
きいただくとわかると思うが笑えるほどそうなっている。どうにかして
トニックから逃れているはずだ。(p.060)
なぜかというと、トニックで終わると曲全体の印象がどっしりと野太く
なってしまい、オシャレではないのだ。(p.061)
と書かれている。そんなオシャレ度優先の志向のため、オーソドクスを良しとする阿久悠とは衝突もあったようである。
荒井由実に関しては、高校3年生の頃〈ひこうき雲〉を聴いたとき、「なんとも衝撃的な世界観」 であり、「じつはいまだにこの歌詞については理解できていない」 とも言っている (p.077)。本書後半の原口沙輔との対談のなかで 「私は歌詞が頭に入ってこない」 と述べていて (p.257)、坂本龍一などと同じように、やはり言葉ではなくて音楽の人なのだ。
又紀仁美 (ゆうき・ひとみ) の5thアルバム《Be Myself》(1997) ではその全編曲を担当したのだそうだが、当時の流行とは違っていて、売れなかったけれどカッコよくできていると自画自賛。又紀はシンガーソングライターなので作詞作曲は又紀自身なのだが、仕上がりの雰囲気はシンガーソングライター風でなく、よい意味での歌謡曲テイストだと思う。
下記リンクにはその《Be Myself》収録曲でなく、3rdアルバム《Forward》(1995) に収録されている〈Stylish〉を挙げておく (5thシングル〈激しさを見せて〉の併録曲)。
作詞作曲家だけでなく、このようにして編曲家の仕事にスポットが当たるのも昨今の必然なのだと思うが、まさに職業編曲家としての矜持を見ることが可能だ。
それと、以上とは全然関係ないのだけれどひとりごと。
今年上半期のエポックとして特筆すべきなのはNHK大河ドラマ《光る君へ》の冬野ユミ (とうの・ゆみ) の音楽である。テーマ曲だけでなく、劇伴の出来が素晴らしい。
山川恵津子/編曲の美学 (DU BOOKS)
編曲の美学 山川恵津子の仕事 Victor Entertainment編
https://tower.jp/item/6329815/
編曲の美学 山川恵津子の仕事 PONYCANYON編
https://tower.jp/item/6330922/
谷山浩子/てんぷら☆さんらいず (1982)
作詞・作曲:谷山浩子、編曲:鳴海寛・山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=eP0AAFey-g8
岡本舞子/愛って林檎ですか (1985)
作詞:阿久悠、作曲・編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=2z1XerpYsEs
岡田有希子/PRIVATE RED (1985)
作詞:売野雅勇、作曲:山川恵津子、編曲:大村雅朗
https://www.youtube.com/watch?v=E4pKVVTaFHA
小泉今日子/100%男女交際 (1986)
作詞:麻生圭子 作曲:馬飼野康二 編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=sRwYMoY9aR4
又紀仁美/Stylish (1995)
作詞・作曲:又紀仁美、編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=TgpD-tiECXE
早見優、ありさ、かれん/Make Lemonade (2022)
作詞:早見優、ありさ、かれん、作曲・編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=h3qEluTZGYA
SAKUra/漕ぎ出せ♪ショコラティエ〜これって恋ですか?〜
(2023)
作詞:新妻由佳子・高柳景多、作曲・編曲:山川恵津子
https://www.youtube.com/watch?v=0ZA2tboqcVM
加藤和彦・前田祥丈『あの素晴しい日々』 [本]
加藤和彦 (engineweb2020.08.13より)
この本は1993年に前田祥丈が加藤和彦 (1947−2009) にインタヴューした記録をまとめて2013年に上梓されたものの再刊である。インタヴューしたときからすでに30年の時が経っているのだが、加藤和彦の喋る口調がそのまま、ほとんど編集されずに収録されていて、それがかえって生々しく当時の雰囲気をあらわしているように思える。
1993年にはすでにバブルは崩壊していたが、まだ音楽シーンは活況だった。だが1998年をピークとしてCD売上げは衰退して行く。加藤和彦名義のスタジオ・アルバムは1991年の《ボレロ・カリフォルニア》が最後であり、それは音楽市場が衰退していったことに加えて、妻であった安井かずみ (1939−1994) が亡くなってしまったことも大きく影響している。
ここであえて言ってしまえば、安井かずみを失って以降の加藤和彦は魂をなくしてしまったような状態で、すでに生きる意欲が減退していたようにも思える。
読んでいて印象に残った箇所はいくつもあるのだが、ランダムにあげてみよう。
加藤和彦の活動初期の頃の、つまりフォーク・クルセダーズの頃の日本の音楽ビジネスについて、前田祥丈は加藤和彦の発言を踏まえて次のように指摘している。
日本の音楽業界は、フォーク・ソングやロックのムーブメントを、あく
まで〈流行〉のためのギミックとして抑え込もうとした。海外のフォー
ク・ソングやロックのムーブメントが内包していた、自分たちの既得権
を揺るがしかねない革新性はできる限り排除しようとした。
その結果生まれたのが、フォーク・ソングやロック・ムーブメントの日
本的変種であるGSでありカレッジ・フォークだった。(中略) 現在から
俯瞰すれば独自の面白さや魅力もあるのだが、同時代の目で見れば、そ
れはフォーク・ソングやロックの歌謡曲化そのものだった。(p.65)
ジャックスの曲をカヴァーしたことに関して。
ライヴで聴いたジャックスの演奏は 「ヘタヘタだもんね。ヘタを超えた存在感だけ」 (p.69) というが、水橋春夫 (1949−2018) とは仲がよかったのだという。そして唯一、テクニックのあった木田高介 (1941−1980) は加藤のレコーディングにも助っ人としてよく来ていたという。もっともフォークルのなかでジャックスを認めていたのは加藤だけで、北山もはしだも相手にしていなかったとのことだ。
日本にまだPAという概念がなかった頃、WEM (Watkins Electric Music) の機材を入れてPA会社を設立したこと。WEMにしたのはピンク・フロイドが使っていたからだとのこと (p.93)
サディスティック・ミカ・バンドを作ろうとしたきっかけは、ロンドンでT. REXや、まだ有名でなかったデヴィッド・ボウイを観たことだという。ロキシー・ミュージックの最初の公演も観たそうである (p.106)。ブライアン・フェリーは、傾向は違うけれど加藤和彦のデカダンに通じるものがあるような気がする。
ビートルズを意識した時期はいつかと問われて、
『リボルバー』が最初かな。ビートルズというより『リボルバー』ね。
あと『リボルバー』の時代だとウォーカー・ブラザーズ、ビージーズ。
(p.30)
僕はスティングにスコット・ウォーカーを見たっていうか、彼はすごい
んじゃない。(p.31)
ウォーカー・ブラザーズのなかで他の二人は普通の人だが、スコット・ウォーカーはマザコンで、僕はそういう人が好き、と語る。う〜ん。でもスコット・ウォーカーがどうかは知らないけど、スティングはマザコンじゃないと思います。
日本の音楽は、という話題になったとき、團伊玖磨の《夕鶴》は赤面してしまうオペラと断じてしまう。対して黛敏郎はすごい。雅楽をやっても現代音楽を踏まえている、と評価する (p.172)。
ソロ・アルバムに関して。《それから先のことは…》(1976) は、「どうしてもマッスル・ショールズでレコーディングやりたくて」 という (p.184)。そして《ガーディニア》(1978) はボサノヴァを主体としたアルバムであり、パーソネルは坂本龍一、高橋幸宏、鈴木茂、後藤次利といった人たちだが、加藤は坂本龍一を特に褒めている (p.190)。加藤和彦と坂本龍一に共通しているのは歌詞をほとんど書かないことで、つまり音主体という点で似ている感じがしてしまう。
意外に思ったのが 「浅川マキって昔、ずいぶん仲良かったのよ」 (p.290) という述懐。浅川マキには〈悲しくてやりきれない〉を一緒に歌って欲しいなと言いながらも、同曲をカヴァーした矢野顕子のを聴いたのだそうだが、「これを超えるのは難しいな」 (p.290) と。カヴァーは矢野のアルバム《愛がなくちゃね。》(1982) に収録されている。矢野テイスト全開で、ちょっとトリッキーなことは確か。
加藤和彦の作品で話題になるのは 「ヨーロッパ三部作」 と呼ばれる5thから7thアルバムの《パパ・ヘミングウェイ》(1979)、《うたかたのオペラ》(1980)、《ベル・エキセントリック》(1981) だが、私が最初に聴き込んだのはそれらの後の9th《ヴェネツィア》(1984) だった。正確にいえばそのtrack 1の〈首のないマドンナ〉であって、ここに加藤和彦の頽廃と孤独と孤高の営みがすべて詰まっている。ヴェニスはヴィスコンティが描いたように、まさに死の町なのだ。
本書のタイトル『あの素晴しい日々』は、大ヒット作〈あの素晴しい愛をもう一度〉を踏まえて、初出タイトルからこのタイトルに変更されたとのことだが、〈あの素晴しい愛をもう一度〉は学校教材としてもとりあげられたりもして、希望の歌のように思われがちであるけれど、おそろしく暗い歌詞だということを再認識する必要がある。
加藤和彦が大貫妙子の作品に編曲者としてかかわった幾つかの曲は、そのいずれもが悲しみの色であり、失われたものへの憧憬であり、胸がつまる情景を映し出す。
アルバム《Aventure》(1981) の〈ブリーカー・ストリートの青春〉も好きだが、《romantique》(1980) に収録されている〈果てなき旅情〉と〈ふたり〉は大貫のベスト・トラックといってよいと思う (ストリングス・アレンジは清水信之)。《romantique》はアナログ・レコードではA面が坂本龍一、B面が加藤和彦の編曲というふうに別れていて (B4/〈新しいシャツ〉のみ坂本編曲)、このB面に入ったときの悲しみのような音のつらなりは加藤和彦特有のものだ。
私の最も好きな〈ふたり〉のバックは、ムーン・ライダースのメンバーが中心になっていて、加藤和彦にプラスして岡田徹、白井良明、鈴木博文、そしてドラムスは橿渕哲郎である。
さよなら キエフは緑の六月
別離はモスコウ あなたのくちづけ
大貫の《romantique》《Aventure》はその次作《cliché》(1982) との3枚で 「ヨーロピアン三部作」 とも言われるが、これは加藤和彦の三部作に一年遅れでシンクロしている。
加藤和彦の最晩年にVITAMIN-Q featuring ANZAというグループがあるが、ANZAをメイン・ヴォーカルに据え、加藤和彦、土屋昌巳、小原礼、屋敷豪太で構成されていたマニアックだけれど、かわらぬ加藤テイストのバンドである。
YouTubeには〈スゥキスキスゥ〉と〈THE QUEEN OF COOL〉の動画があるが、特に〈スゥキスキスゥ〉は、加藤和彦がちわきまゆみに書いた曲を彷彿とさせる出来だ。
加藤和彦テイストはごく初期の〈不思議な日〉からこの〈スゥキスキスゥ〉まで、終生変わらない。
加藤和彦・前田祥丈/
あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」 を語る (百年舎)
加藤和彦/首のないマドンナ
https://www.youtube.com/watch?v=XpGAgScZTvw
大貫妙子/ふたり
https://www.youtube.com/watch?v=nj8SYcvS01U
加藤和彦/不思議な日 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=gIjqkkKRE2s
VITAMIN-Q featuring ANZA/スゥキスキスゥ
https://www.youtube.com/watch?v=IDaUhe6_ZX0
VITAMIN-Q featuring ANZA/THE QUEEN OF COOL
https://www.youtube.com/watch?v=rNObI2n_UWY
加藤和彦・北山修・坂崎幸之助/
あの素晴しい愛をもう一度 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=CAtHvMP0QFw
ハルノ宵子『隆明だもの』 [本]
(画・ハルノ宵子/幻冬舎Plusサイトより)
一応解説しておきますと、ハルノ宵子は吉本隆明の長女で文筆家、マンガ家。妹は吉本ばななである。
『隆明だもの』は晶文社から刊行中の『吉本隆明全集』(まだ完結していない) の月報に連載されていたものに姉妹対談などを追加してまとめた内容である。タイトルからもわかるとおり、吉本隆明の家族としてその思い出を描いたエッセイです。万一、吉本隆明って誰? という場合はWikipediaなどで調べてください。
最近話題の本で、鹿島茂もとりあげていたので早速読んでみました。えぇと、こんなに書いちゃっていいのかなとも思うのですが、某書店では吉本全集新刊が出ると月報だけ立ち読みして帰ってしまう客がいたとかいないとか。
一番面白かったのは次の場面。しょーもない父親 (=吉本隆明) についにキレてしまったハルノ宵子 ——
「う〜ん、ダメかねぇ」 と父。キレた私は止まらない。「私にことわった
ってダメだよ! この家は私の物じゃない。私は関係ない。対の相手は
お母ちゃんだろう!」 ああっ、イカン! 本家を前に『共同幻想論』ま
で持ち出してしまった。「う〜ん…じゃあお母ちゃんに、ことわりゃいい
んだな」 と、父は2階の母の所に行こうと、立ち上がりかける。(p.100)
『共同幻想論』がわからない場合はWikipediaなどで調べてください。
ハルノ宵子は猫好きで、近所の猫にエサをやったりしながら様子を確かめる猫巡回というのをずっとやっていたそうで、その結果、父親の死に目に会えなかったのだという。「シュレディンガーの猫」 も、なぜ猫なのか、ネズミだっていいだろ、とも書く。
また吉本の著作方法について、
父の場合は、ちょっと特殊だった。簡単に言ってしまえば、“中間” をす
っ飛ばして 「結論」 が視える人だったのだ。本人は自覚していなかった
にしろ、無意識下で明確に見えている 「結論」 に向けて論理を構築して
いくのだから “吉本理論” は強いに決まっている。けっこうズルイ。
(p.55)
というのは、ああなるほどと納得してしまう。サヴァン症候群的な傾向があったのでは、ともいう。
他にも両親の関係性とか、数々の引っ越しとか、例の水難事件とか、面白さこの上なしなんだけど、ホントにいいのかなぁ。もっとも北杜夫も父親のことをしょーもないとよく書いていたのを思い出す (念のために書いておくと、北杜夫の父親は斎藤茂吉です)。
でもこうした話の数々は、つまり愛情があるからこそ書けるのでしょう、ということにしておきたいです。面白おかしく書いていますけど、要するに両親の介護日記でもあるのです。介護というと重いし、実際には重いことも数々あったのでしょうけれど (それは姉妹対談でも語られている)、それをこのように書けるのは文才以外のなにものでもないのです。
私は昔、吉本隆明の講演を聴いたことがありますが、ちょっと訥々としているのが次第に流麗になり、どこまで行くのかという話の持って行き方が素晴らしいと思ったのですが、内容は全く覚えていません。折伏されただけかも。
ハルノ宵子/隆明だもの (晶文社)
吉本隆明/共同幻想論 (KADOKAWA)
佐々木敦『「教授」 と呼ばれた男』 [本]
David Sylvian, Ryuichi Sakamoto (Köthener Str berlin 1983)
(amass 2023.04.05 の追悼記事より)*
佐々木敦の『「教授」 と呼ばれた男』は、サブタイトルに 「坂本龍一とその時代」 とあることでもわかるように、時間軸に沿って語られる坂本龍一論となっている。だが伝記ではない。話題は彼の作品の成立過程と変遷、そして時代による特徴をとらえているがそれが全てであり、つまりほとんどは音楽に関することに限られている。したがって 「坂本龍一伝」 ではなく 「坂本龍一論」 なのである (週刊誌ネタのようなものを望むと期待外れになるはずだ)。
非常に詳しく冷静に坂本龍一の各作品を聴き込んでいて、また業界内でなければ知り得ない話題も多く、大変読みやすい。そして坂本龍一の膨大な数の作品の中からどれを聴いてみるのがよいかのガイドともなるように思う。
読者として興味を持った箇所をピックアップしてみたい。ただあくまで私が興味を持った箇所であるので、人によって興味のある箇所は変わると思う。
ソロの1stアルバムである《Thousand Knives》(千のナイフ) について。
この初めてのアルバムは400枚プレスして200枚しか売れなかった (p.102) というが、アルバム・タイトル曲に対して坂本は 「レゲエ、賛美歌、そしてハービー・ハンコックの 「スピーク・ライク・ア・チャイルド」 に影響されたと語っている」 (p.089/尚、スピーク・ライク・ア・チャイルドについてはすでに当ブログで記事にした→2023年05月28日ブログ)。
YMOのロンドン・ライヴで自分たちの曲に合わせて踊る観客を見たとき、坂本は 「この形でいいんだ」 と思ったことに対して、
坂本龍一がこのとき感じた 「これ」 と、細野晴臣が編み出した 「イエロ
ウ・マジック=YMO」 というコンセプトの、微妙な、だがおそらくは本
質的で決定的な違いは、この時すでに胚胎していたのである。(p.097)
と佐々木は分析する。つまり簡単に言えば、直感的な坂本と、緻密で構築的な細野の違いである。
タンジェリン・ドリームのピーター・バウマン (Peter Baumann, 1953−) のアルバム《Romance ’76》のライナーノーツに坂本龍一が書いた文章の引用がある。
テクノロジーは 「容易に全体主義的、管理的な発想と結びつく要素を持っ
ている」 ので、「あくまでテクノロジーを駆使して溺れず、テクノロジー
の 「ひとり歩き」 を常に監視しながら、柔軟でいられる、という強靱な
感性が養われなければならない」 と述べている。(p.101)
テクノロジーが全体主義的で管理的な発想と結びつく要素を持ちやすいという坂本の見方は鋭い。たとえば昨今のマイナンバーカードの迷走が良い例である。
XTCのアンディ・パートリッジのソロ・アルバム《テイク・アウェイ》に関して。
坂本の2ndアルバム《B-2 UNIT》はこの《テイク・アウェイ》への対抗なのだとのこと。(p.168)
坂本と忌野清志郎の〈い・け・な・いルージュマジック〉は牧村憲一が仕掛けた資生堂のキャンペーン・ソングだが、二人から 「何をやればいいのか」 と聞かれて咄嗟に 「T・レックスやりましょう」 と答えたという。う〜ん、何がT・レックス?(p.197)
『『戦場のメリークリスマス』知られざる真実』という本からの引用。
映画《戦場のメリークリスマス》の編集段階の試写室で、誰だかわからない態度の悪い外国人がいて、ところが見終わるなり立ち上がって 「映画史上最高のキスシーンだ!」 と言い残して帰って行った。それがベルナルド・ベルトルッチだったこと。(p.216)
YMOのドキュメンタリー映画《プロパガンダ》についての佐々木敦の自著からの引用。
そこへ女性のナレーション。「時として、言葉でものを伝達するには、現
実があまりに複雑になってしまうことがある。伝説が、それを新しい形
に作り直し、世界に送り届ける」。これはゴダールの『アルファヴィル』
からの引用です。(p.229)
《プロパガンダ》はYMOの武道館ライヴの映像を元にした映画だが、監督・脚本は68/71の佐藤信である。
J-popに関する章のなかでの佐々木敦の分析。少し長いが引用する。
だがその一方で日本社会は、九〇年代のちょうど真ん中に位置する一九
九五年の阪神淡路大震災と、オウム真理教による地下鉄サリン事件以後、
それまでの明るさを失っていった。いや、すでに光源がほとんど失われ
ていたことにようやく気づいたと言うべきかもしれない。だから、九〇
年代後半に日本の音楽産業がピークへと向かう曲線は、日本という国が
本格的に凋落を始めた時期と完全に一致している。そしてこの頃から、
日本文化は明らかにドメスティックな傾向を強めていった。「内向き」 に
なっていくのである。
これは音楽だけに限らないが、敢えてシンプルに纏めてしまうなら、戦
後日本のカルチャーの成り立ちは、基本的にずっと 「輸入文化」 だった。
だがそれは一九九〇年代の前半までであり、その後は日本の内部で閉じ
た “生態系” がメインとなり、ガラパゴス化していく。(p.357)
日本の音楽しか聴かない、日本の小説しか読まない。これらはまさに 「内向き」 の例であって、いっそのこと徳川300年の鎖国状態に戻ってしまったほうがよくはないか、と思ったりする。
1999年のオペラ《LIFE》における坂本のマニフェスト。
20世紀、なんという世紀だったのだろう。20世紀を総括せよ、と言わ
れればぼくは即座に 「戦争と殺戮の世紀だった」 と言うだろう。あるい
はぼくらが暮らしている惑星も視野に入れて言うなら、一言 「破壊の世
紀だった」 と言うだろう。
そして、
いったい我々は、我々自身が行ったこのような破壊を修復することがで
きるだろうか?(p.370)
「エナジー・フロウ」 という偶然のようにして売れてしまったCM曲について。
中谷美紀や坂本美雨との仕事、そして何よりも 「エナジー・フロウ」 の
せいで、坂本龍一の音楽は 「癒し」 という言葉とともに語られることが
多くなっていた。(p.395)
と佐々木は指摘する。これは《LIFE》のときの浅田彰と坂本との対談の際の印象がもととなっているようだ。
このやり取りの少し後で浅田が 「「癒し」 なんて、音楽がやるべきこと
じゃないし、それをやると称すると、たいてい安っぽいリラクゼーショ
ン・ミュージックに終わってしまう」 と述べるところがあり、おそらく
浅田は 「エナジー・フロウ」 の大ヒットも苦々しく感じていたのではな
いかと推察されたりもする。(p.383)
確かにそうなのかもしれないが、そして 「エナジー・フロウ」 という曲はそう言われればヒットしたのかもしれないが、坂本龍一の音楽的歴史のなかで、そんなにインパクトがあったかというと、注目度は高かったかもしれないが限定的であり、重要というほどでもなかったような気がするのだが (つまり、それほど目の敵にすることはないのではないか、と思う)。
巻末に近く書かれていることだが、東北ユースオーケストラと坂本龍一による〈いま時間が傾いて〉のタイトルについて。
「いま時間が傾いて」 という曲名は、リルケの『時禱集』尾崎喜八訳から採られたものだとのこと。『時禱集』という、ずっと忘れていたけれど大切な書名に驚く。リルケは昔、私にとって別格の詩人であった。(p.490)
最後にこの本のタイトル『「教授」 と呼ばれた男』に関して。
当時、東京藝大の大学院生であった坂本龍一と出会った高橋幸宏が 「教授」 というあだ名を付けたことが第一章でも語られており、有名な話であるが、映画監督ジュゼッペ・トルナトーレの作品に《教授と呼ばれた男》(Il camorrista, 1986) という邦題の映画が存在する。
ベルナルド・ベルトルッチは《ラストエンペラー》の前3作《1900年》《ルナ》《ある愚か者の悲劇》でエンニオ・モリコーネに音楽を依頼していた。《ラストエンペラー》でも当初の坂本へのオファーは俳優であり (甘粕正彦役)、モリコーネからの売り込みもあったのだという。しかし、色々な行きがかりから《ラストエンペラー》の音楽は坂本に任せられることになり、その結果がアカデミー賞となったのである。
ジュゼッペ・トルナトーレには《ニュー・シネマ・パラダイス》《海の上のピアニスト》といった映画作品があるが、トルナトーレ作品の音楽を手がけているのは全てモリコーネである。ところが第1作の《教授と呼ばれた男》のみ、音楽はモリコーネではない (音楽:ニコラ・ピオヴァーニ)。そのタイトルをこの本の書名としてあてはめた佐々木敦のひらめきは (偶然もあったのかもしれないが) ちょっと洒落てる。
ただし、この書名についての著者の言及はこの本の中には全くないので、これはあくまでも私の推測に過ぎない。
* amassの記事に拠れば 「シルヴィアンが1984年にリリースした初のソロ・アルバム『Brilliant Trees』には坂本龍一も参加していました。このアルバムは前年の83年に、ドイツのベルリンのケーテナー通りにあるハンザ・スタジオでレコーディングされました。このスタジオは「ベルリンの壁」のそばにありました」 とのことです。
https://amass.jp/165741/
佐々木敦/「教授」 と呼ばれた男 —— 坂本龍一とその時代
(筑摩書房)
Ryuichi Sakamoto/Energy Flow
https://www.youtube.com/watch?v=btyhpyJTyXg
坂本龍一/NEO GEO Live in New York 1988
https://www.youtube.com/watch?v=AlqHoDNTLGg
安部公房生誕100年 [本]
『芸術新潮』3月号は安部公房の特集で 「わたしたちには安部公房が必要だ」 というキャッチが麗々しく目立っていて、なぜ今、安部公房? と驚いたのだが、生誕100年という表示にやや納得する。表紙は画面左下に大きく安部の姿が、そして右上の背後にはスタジオで練習している俳優が2人、ピントから外れた状態で写っているモノクロ写真。撮影者はアンリ・カルティエ=ブレッソンだ。
掲載されている安部のエッセイによれば、カルティエ=ブレッソンの使っていたライカを安部も買いたいと思ったのだが、それは結局潰えてしまったことが述懐されている。その思いはフェティシズムだったのだと安部は言う。
安部公房が急死してからすでに30年を過ぎて、だがその名前は急速に忘却されてしまったような気がする。といっても、薄っぺらな流行作家だったわけではない。むしろ正反対で、その作品は先鋭的でアヴァンギャルドなコンセプトを持っていたゆえに、時代の先を行き過ぎていた感じさえある。アラン・ロブ=グリエやガブリエル・ガルシア=マルケス的な方法論との近似性を感じるが、そもそもその頃、一般的な読者層にはガルシア=マルケスなど膾炙していなかったはずだ。
私が安部公房を認識したのはどちらかというと作家としてではなく、戯曲家としてであったような気がする。その重要な作のひとつとして『友達』があげられるが、といってももちろん初演ではなく、いつどこの劇団で観たのかは忘れてしまったがその不条理さと不安な空気に、こんなことはありえないと思いながらもそれはこの世間のひとつのメタファーなのかもしれないということに気がついていた。
たとえば初期の出世作の『壁』における 「バベルの塔の狸」 にしても、その描かれたものの感触は『友達』と同様に不快だった。この気持ち悪さを冷静な筆致で気持ち悪く書いてしまうところが安部公房の神髄なのだ。
そのエキセントリックさの極地が『箱男』であり、そのイマジネーションも当然ながら気持ち悪さを伴っていて、その同時期に安部公房スタジオを立ち上げたあたりが安部の絶頂期であったように感じる。
そして普段何も感じないような些末なものへの拘泥というか執着心の発露に、寺山修司の性向というか方法論と似たものを感じる。寺山もまた演劇を自らの活動の中心としてとらえていたはずであるが、寺山の演劇は小竹信節のメカニックな装置に幻惑されるのだけれど実はメカニックではなくきわめて詩的であるのに対して、安部の演劇はその構造にごつごつとした骨太の仕掛けがあるように感じる。
堤清二の庇護の下に西武劇場で上演された一連の安部の戯曲は、しかし次第に実験的な色合いを強め、コマーシャルなものから疎遠となってしまい消滅した。それは68/71が演劇的悦楽よりも政治的・思想的な方向性を強くした結果、根源的で原初的なお芝居の楽しみを喪失したのと似ている。そして時代は革新的戯作法で疑似エンターテインメントを標榜する野田秀樹のような傾向に移っていったのだと思う。
ふと思い出すのは、野田の同世代として如月小春や、天井桟敷の戯曲を寺山と共作していた岸田理生がいたこと。だが二人とも亡くなってしまったのが悲しい。
個人的感想でいえば、安部公房の戯曲は安部公房スタジオ立ち上げの前夜に書かれた紀伊國屋ホールにおける『ガイドブック』が、安部のメカニックでありながらそのメランコリーとか抒情性を垣間見せる作品であったと私は思う。「世界の果て」、それは乾いていて誰にもその素顔を見せない仮面のように、抒情を拒否する場所なのだ。
安部は抽象的な表現としてのメカニックさだけではなく、実際にメカが好きで、コンタックスやローライで撮った写真を自分で現像していたのだという。そして初期のワープロであるNECの文豪開発にもかかわっていたし、EMS Synthi AKSなども所有して使用していたという。当時、EMSを使っていた人なんてブライアン・イーノくらいしか私は知らない。
その安部の撮っていた写真を整理した写真集が出版されるのだという。まさに新潮社が仕掛けている安部公房復活宣言のように見える。
西武劇場のマース・カニングハムの公演のとき、舞台下でジョン・ケージがシンセを弾いていたのだが、それがmoogだったのかEMSだったのか知りたいのだけれど、でも無理だろうなとも思う。そもそも私はその頃、まだオコチャマでジョン・ケージがどういう人だったのかさえ知らなかったのだから。
今のガジェット・シンセならTEENAGEだろうけど、OP-1はすでに製造完了していて時の流れを感じる。それにTEENAGEはスマート過ぎて、EMSのような無骨さがない。
芸術新潮 2024年3月号 (新潮社)
(但しamazonはプレミア価格。hontoにはまだ在庫があります)
箱男オフィシャルサイト
https://happinet-phantom.com/hakootoko/