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まだ未熟な果実 — ビリー・ホリデイ The Complete Masters [音楽]

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自分にとって未知の音楽というのは、ミュージシャンでもジャンルでも、何かのきっかけでそれを聴く必然性が訪れるのだが、新しいものを見つけた子どものように、その動機が何だったのか忘れてしまってひたすら没入してしまうということがあるものだ。
今、何となくビリー・ホリデイを聴き始めてしまったのだが、なぜ今ビリー・ホリデイなのか、そのきっかけが何だったのか幾ら考えてもわからない。

以前にも幾らかまとめてビリー・ホリデイを聴いたときもあったのだが、その時はあまり感じるものがなかった。つまり音楽は聴き手にとっても、最適な時期というのがあるのかもしれないと思う。

ビリー・ホリデイ Billie Holiday はアメリカのジャズ・ヴォーカリストの中で最も有名な、おそらく最も伝説的な一人であるが、ビリー・ホリデイとかチャーリー・パーカーというようなビッグネームは研究家もたくさんいるし、いまさら私が書けるようなことは何もない。だからこれはごく初歩的なリスナーとしての感想である。

私が聴いているのは《Billie Holiday. The Complete Masters 1933-1959》という仏Universal盤である。彼女のスタジオ録音のマスター・トラックを時系列に収録したもので、現時点では一番便利に全体像を感じ取れるセットだと言える。といってもライヴ音源は入っていないのであくまでスタジオ録音に限られるが (なぜフランス? という疑問もあるのだが、このトップのビリー・ホリデイの画像もフランスのサイトから借りたものである)。
このUniversalのシリーズは他にもルイ・アームストロングとかチャーリー・パーカーなどの音源も同様のコンセプトでセット化しているが、そしてたとえばパーカーの場合だと、マスター・テイクだけでは物足りないと言う人が必ず出てくるわけだが、ざっと聴いていくのだったら、とりあえずビリー・ホリデイだったら私の場合これで十分であるし、聴いていてもとても聴きやすい。

初期の、いわゆるコロムビア録音は音源がSPであるはずだが、スクラッチノイズこそ多少あるけれども聴いていて違和感がなく、非常に音がよい。音質を改善する手段がとられたはずである。

ビリー・ホリデイというと、どうしてもその悲劇的生涯というようなキャッチフレーズが一人歩きしているために、後期の、声が出なくなってからの録音が有名であるが、たしかに後期の 「魂の叫び」 というのももちろん尊重するのだけれど、私にとっては初期のコロムビア録音が新鮮であるし、聴き応えのある内容であると感じている。
その理由として、やはりバックのミュージシャンのレヴェルの高さもあるし、ビリー・ホリデイの、さぁこれから、という清新な 「やる気」 のある歌唱に惹き付けられる部分があるからだろう。
何より、バックのミュージシャンが 「バック」 というポジションにおさまっているのでなく、どんどん吹いてしまうので、まるでヴォーカルのための曲でなくインストゥルメンタル曲のようで、それでいて歌になるとビリーの存在感はどっしりとしていて、最も幸福なジャズのスタイルがここにあるような気がする。
この、ビリーのバックで吹いているベニー・グッドマンは、まだあの1938年のカーネギーホール・コンサートより前なのだ。

と書いているうちにビリー・ホリデイを選択したきっかけがほの見えてきたような気がする。きっかけは自由劇場の《上海バンスキング》のDVDを見たことだったのかもしれない。


Billie Holiday. The Complete Masters 1933-1959 (Universal)
Complete Masters 1933-59

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