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her little Chinese eyes — ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』その2 [本]

woolf&eliot1924_161229.jpg
Virginia Woolf & T.S. Eliot, June 1924
(http://www.npg.org.uk/より)

2016年12月03日ブログのつづきです。

この作品のトーナリティを決めている色彩は緑と灰色である。緑色は草の緑であったり海の波であったりするが、庭の描写には濃い緑などの強い色彩が用いられているにもかかわらず、全体として深い緑を感じさせず、どこか色褪せて痩せたヴェールに覆われたような印象の緑である。そして灰色は砂の色であり、夢魔の色であり、なにより灯台の壁の色である。
周到に準備されていたのかもしれない色調が繰り返しあちこちに出現し、小説全体のイメージを固定化する。

この緑と灰色の対比が出現する最初の印象的な個所は、しかし現実の色彩ではない。それは客人のひとりであるオーガスタス・カーマイケルの描写にある。

 カーマイケルさんは突き出したお腹 [なか] の上で両手を組んで、少し
 目を瞬かせただけだった。それはまるでそういう優しい言葉には (彼女
 は魅惑的だがちょっと神経質そうだ)、もっと愛想よくお答えしたいのだ
 が、あいにく今は灰色がかった緑色の眠りの世界にどっぷりと浸ってい
 るもので、とでも言いたげに見えた。(p.19)

「灰色がかった緑色の眠りの世界」 の個所の原文は次のようである。

 but could not, sunk as he was in grey-green somnolence which
 embraced them all, (E: p.014/Penguin Modern Classics, 以下同)

このとき、オーガスタス・カーマイケルは、阿片を常用している、まだ何者ともしれぬ人物である。しかし10年後、彼は有名な詩人となった。
あるいはまた、この別荘のある土地は風光明媚なため、3年前にポーンスフォルトという画家が来て絵を描いてから、皆が同じような色彩で絵を描くようになったということが語られる。その色彩が緑と灰色なのだ。

 三年前に画家のポーンスフォルトさんがここで絵を描かれてからは、と
 夫人は言った、みんなあんなふうに描くんです。緑やグレーをたっぷり
 使って、レモン色の帆船が浮かんでいたり、ピンク色の女たちが浜辺に
 いたり。(p.24)

風景描写の核となっているのは灯台である。ラムジー夫人はその美しさに声をあげた。

 巨大な水盤を満たしたような一面の青い海が眼前に横たわり、その中央
 に灰白色の灯台が、遠く、厳かにそびえ立っていた。右手の方には、風
 になびく野草の生えた緑色を帯びた砂丘が、霞 [かす] んだりくぼんだり
 しながら、なだらかな襞 [ひだ] を描きつつ果てしなく続いていて、見る
 たびにいつも、人の住まわぬ月の世界に通じる道を偲ばせるのだった。
 (p.23)

この個所における灯台の色は 「灰白色」 と訳されているが hoary という言葉が使われている (ペンギン版の注には hoary=white とあるが、白あるいは灰色を表す言葉である。hoary-headed で白髪頭の、となる)。
この緑と灰色は第3部では海と舟との対比となる。灯台に向かう舟のなかから見る海は緑である。

 確かに風が出てきた。舟は傾きながら勢いよく進み、鋭く切り裂かれた
 波は緑の滝となって泡立ち、さらに大滝となって流れ去った。(p.318)

その舟をリリーは遠くから眺めている。

 そう、あれがあの人たちの舟なんだわ、とリリーは芝生の端に立って眺
 めながら、そう決めた。それは灰褐色の帆をあげた小舟で、海の上を這
 うような姿勢になると、勢いよく入江を突っ切っていった。(p.329)

この 「灰褐色」 は greyish-brown である。いずれも単純な grey ではないけれど、しかし灰色であることに気がつく。
緑と灰色の対比はカーマイケルとラムジー夫人によってもあらわされる。

 一度ラムジー夫妻の話題になり、バンクスさんが最初に夫人に会った時
 の話になったことがある――あの人はグレーの帽子をかぶっていて、せ
 いぜい十九か二十歳 [はたち] くらいだったはずです。目を見張るほど
 美しい人でしたよ。(p.342)

 確かに夫人はそこに腰を下ろして、物思いにふけっていた (その日はグ
 レーの装いだったそうだ)。(p.343)

灰色のラムジー夫人に対し、カーマイケルは緑である。彼は前出の引用 (p.19) と同じように半覚醒のなかにいる。ラムジー夫人 (ラムジー氏も) が実利の人であるのに対し、カーマイケルは夢のなかの人である。

 彼女の思いは自らの意志とは裏腹に、いつの間にか表面に浮かび上がり、
 気がつくと絵の世界から半ば抜け出して、まるで現実ではないものでも
 見るように、少しまぶしそうな目でカーマイケル氏を見ていた。彼はお
 なかの上で両手を組んで、椅子に長々と寝そべり、読書するでもなく、
 眠るでもなく、ただ存在そのものを堪能した生き物のように日なたぼっ
 こをしていた。本は横の芝生の上に落ちたままだった。
 リリーはすぐにでも彼のところへ行って、「カーマイケルさん!」 と呼
 びかけてみたかった。そうすれば彼はいつものとおり、靄 [もや] がか
 かってぼやけたような緑色の目で、優しく見上げてくれたことだろう。
 (p.344)

ただ、だからといって緑と灰色がそれぞれを象徴しているわけではない。これは象徴主義の小説ではない。しかしそのように畳みかけることによって、ある種の、一定のムードを作り出している。
淡いパステルを思わせる色彩はポーンスフォルトの絵のように優しげな明るさを示しているのだろうか。どうもそうではない。明るい陽差しのなかにも、賑わう晩餐のなかにも何か冷たい表情が差し込まれる。それは冷静で、好意的でもなく否定的でもない。そのように繋留され定着されたような幾つものシーンのムードを主導するのが緑と灰色という色である。
もしも緑という色が担っている連想の根源に位置するものがあるとすれば、それはカーマイケルの瞳である。彼の瞳は、儚さというより幽明な何かを指し示す。それは繰り返し、彼の客観的外見となって形容される。

 そうすれば彼はいつものとおり、靄 [もや] がかかってぼやけたような
 緑色の目で、(p.344)

 Then he would look up benevolently as always, from his smoky
 vague green eyes. (E: p.193)

緑と灰色の、pale な、蒼白な色合いに対比していると思われるのは闇の黒である。それはどんな色よりも強い。第2部の、崩れゆく家の描写のなかでそれは支配的だ。

 こうしてランプが消され、月が沈むと、細かい雨が屋根を叩きだし、巨
 大な暗闇 [ダークネス] があたり一面にくまなく降り注ぎ始めた。この
 洪水、この闇の蔓延を免れるものがあるとは思えなかった。それは鍵穴
 や割れ目から忍び込み、窓のブラインドをくぐり抜け、寝室に入ってき
 ては、こちらで水差しや水盤、あちらで赤や黄色のダリアの花瓶、その
 向こうではまた大きな箪笥 [たんす] の鋭い角やどっしりとした姿をま
 るごと呑み込んでいた。(p.240)

闇の黒は鮮やかな赤や黄色までもすべて塗りつぶす。突然、出現する箪笥の鋭い角という描写がアンチロマンのようで不思議な感触を生み出す。
では暗闇は、失意であり虚無であり死をさしているのだろうか。暗闇はまた夜の長さと深さであり、それもまた死を想起させる。

 それにしても、一晩とは結局何なのか? わずかな空隙 [スペース] にす
 ぎない。とりわけ暗闇がすぐに薄れ、ほどなく鳥が歌い、雄鶏 [おんど
 り] が鳴きだし、ちょうど風にひるがえる木の葉のように、波のくぼみ
 の淡い緑色が、みるみる生気を帯び始めるような時には。しかし、やが
 て夜が夜に続くようになる。来たるべき冬は多数の夜を貯えているよう
 で、その疲れを知らぬ指先で、毎日平等にかつ均等に、それを配り続け
 ていく。夜は徐々に長くなり、徐々に暗さを増し始める。(p.243)

この部分の 「波のくぼみの淡い緑色」 は、明るい生のイメージであり、しかしそれも冬の、夜の闇に塗り込められてゆく。「しかし、やがて夜が夜に続くようになる」 (Night, however, succeeds to night) という表現が美しい。
そして夜の闇は、次の、ラムジー夫人の急な死と廊下をよろめき歩くラムジー氏の描写の伏線である。巨大な暗闇 (immense darkness) のなかでは、ラムジー夫人の死もまた卑小なものでしかない。

さて、では波の緑は明るい生のイメージかというと、そうとは限らない。正反対の描写が存在する。それは第3部で、灯台へ向かう舟に乗っているキャムが見る波から湧き起こる幻想である。

 船べりに垂らした彼女の手は波を切り、心の中で緑の渦や縞 [しま] をい
 ろいろな模様に織り上げているうち、次第に心は屍衣をまとったように
 麻痺して、想像の中で白い小枝に真珠が群がる海底の世界をさ迷い始め
 た。そこでは緑の薄明りの中で心の全体に変化が起こり、身体もまた緑
 の上っ張りにくるまれて半透明に輝く存在となっていた。(p.355)

hoary (p.23) という色の形容が白でも灰色でもあるとすれば、「緑の波」 と 「白い小枝」 という色の対比は、今までに出現してきた緑と灰色の対比と近似である印象がある。
そして海に入れた手の感覚が次第に麻痺して、そのことが幻想を生み出す様子は死のイメージに近い。つまり繰り返しあらわれてきた緑と灰色 (特に緑) という色が、ここに来て突然、意味を持つように感じられるのである。やはりそれは積み重ねられた象徴としての色彩なのだろうか。

ウルフの使う特徴的な言葉についてはどうだろうか。訳者の御輿哲也はあとがきで、注目すべき言葉として space や vision をあげている。前出引用 (p.243) にも 「一晩とは……わずかな空隙 [スペース] にすぎない」 という表現が見られるが、御輿訳はこのようにルビ付きにしてその言葉の印象を強く与えようとする方針に思える。

 たとえば “space” (「空間」 「空白」 など) や “vision” (「幻影」 「見方」 な
 ど) といった物語展開の要諦をなす言葉については、これをことさら多
 様な状況の中に導入することで、そのニュアンスの広がりや奥行の深さ
 に対して、あらためて読者の注意を喚起しようとする。(p.408 あとが
 き)

vision の大半を担っているのはリリー・ブリスコウであり、それはウルフ自身の視点でもある。小説の最終行はリリーの vision に対する認識で閉じられる。

 そう、わたしは自分の見方 [ヴィジョン] をつかんだわ。(p.406)

 I have had my vision. (E: p.226)

ラムジー夫人はリリーの絵画に対してその価値を認めていなかった。つまりリリーとラムジー夫人の絵画に対する判断基準としての vision は異なるのである。しかしリリーはラムジー夫人のそうした vision にひるむことはなかった。そしてラムジー夫人がこの世にいなくなった後、リリーは別荘でラムジー夫人の vision (幻影) を見るのである。

 「ラムジー夫人! ラムジー夫人!」 かつての恐怖――求めても求めて
 も得られないことの苦痛――が舞い戻った気がして、思わずリリーは叫
 んだ。あなたはまだわたしにこんな苦しみを与えるつもりなのですか?
 すると、まるで夫人が遠慮してくれたかのように、その苦痛自体がおだ
 やかに普通の体験の一部となり、椅子やテーブルと同じレベルのものに
 なった。ラムジー夫人は――これもリリーに対する優しさの一端なのだ
 ろう――いかにも事もなげに、以前のように客間の椅子にすわり、編針
 を左右に動かしながら赤茶色の靴下を編んでいて、踏み段には彼女の淡
 い影 [シャドー] が落ちていた。そう、確かにそこに夫人はすわってい
 た。(p.393)

実体はないのに気配が存在する、と感じたのがリリーの vision であり、オカルトでなく、そのとききっとラムジー夫人は存在していたのだ。
絵画というのは仮のジャンルに過ぎず、それを文学という言葉に置き換えれば、言うべきことはウルフの文学に対する矜恃であり、ウルフ自身の vision である。矜恃は同時に恐怖や苦痛をも伴う。

 いつだって (それが彼女の性格によるのか、女性一般に当てはまること
 なのかわからなかったが)、日常生活の流動性の世界から絵画という集
 中性の世界へと気持ちを切り換えようとする時、ほんの短い間ながら、
 自分が無防備にむき出しにされたような思いがした。まるで未だ生まれ
 ず、肉体を持たぬ魂にも似て、強風の吹きすさぶ断崖の上で、身を守る
 術 [すべ] もなくあらゆる疑問の嵐にさらされているような感じだ。だ
 としたらなぜ、そうまでして絵を描くのだろう? (p.306)

ウルフの文学観は絵画に仮託され、ナマの状態で出てくることがない。では文学的エピソードとして出現するのは何か? 小説というジャンルのかわりに、アナロジーとして出現するのが朗読という姿で見せる詩作品である。そのなかで最も印象的なものはチャールズ・エルトンの詩 「ルリアナ・ルリリー」 である。

 出ておいで、庭の小径 [こみち] をのぼって
  ルリアナ、ルリリー
 バラは盛りの花を咲かせ、黄蜂は辺りを忙しく舞う (p.208)

その詩は、晩餐会の喧噪のなかから映画のシークェンスのように立ち上がる。情景と何らかの関係性があるわけではない。それ自体が何らかの暗示であるわけでもない。まるで何かの呪文のように、いや、呪文というような重いものでなく、もっと何か軽やかな音楽のように、言葉は語られる。
ルリアナ・ルリリー (Luriana Lurilee) という L と R を多く使った固有名詞。ルリリーという音から連想するのはリリー・ブリスコウ (Lily Briscoe) のファースト・ネームであるリリーだ。また 「バラは盛りの花を咲かせ」 の部分は〈The China rose is all abloom〉(E: p.120) であり、China rose という言葉はリリーの目を形容する言葉 「小さな切れ上がった目 [チャイニーズ・アイ]」 (p.31)〈her little Chinese eyes〉(E: p.21) と呼応する。
そしてエルトンの詩であるのにもかかわらず、そこから醸し出されるのは、オーガスタス・カーマイケルの緑の瞳を透した世界であり (つまりカーマイケルの咀嚼したものであり)、映像的でありながら、具体的なイメージを結びにくい一種の謎である。
音楽的な抽象性に満ちていて、何ものをも具体的に指し示さない。

それはラムジー夫人のこだわる晩餐会の料理の出来とか、編み物とか、さらにはミンタの失くしたおばあさんのブローチとか、タンズリーがけなすジェイン・オースティンといった日常性の俗なものの集積と対立する概念でありながら、それらの具体性をかえって際立たせる言葉として作用する。


ヴァージニア・ウルフ/灯台へ (岩波書店)
灯台へ (岩波文庫)




Stephen David Daldry/The Hours (2002) trailer
邦題:めぐりあう時間たち
ヴァージニア・ウルフ役:ニコール・キッドマン
https://www.youtube.com/watch?v=gbc7jtmuOJM
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末尾ルコ(アルベール)

これはとても刺激的なお記事ですね。何度も読み返したくなります。またアンチロマンも引っ張り出して読みたくなりました。色彩を言葉として文章の中に強い意識を持って入れている場合の心理的作用、興味深いものがあります。また、三島などを読んでいる時にも感じるのですが、どこまで完璧に構想しながら言葉を配置しているか。それを考えればウルフやジョイス、そしてプルーストなどの作品は神業であると同時に、とてつもない執念と持続力を感じ、「生涯読み続けねば」とあらためて思います。 『20世紀ダンス史』・・・確かに値段が。ダンス史をじっくり復習するのにはとてもよさそうですが。羞恥、いえ(笑)、周知の話題も多いかもしれません。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-12-29 08:48) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

どうもありがとうございます。
でも、色彩とか詩の朗読という事象は単なるアイテムに過ぎず、
探求すべき問題の核心は、そのアイテムがウルフの作品のなかで
どのように構成されているかということなのですが、
息切れしてしまい、後半を端折ってしまいました。
ですからこの記事は未完です。
というか、ウルフ、おそろしいです。とても手に負えません。

同一センテンスのなかでも話者が移っていったりしますが、
そのなめらかさもウルフの技巧のうちで、すごいです。
誰がしゃべっているのかわからない、などという感想を
書く人がいたりしますが、ありえないです。

私は三島というのをほとんど知らなくて、
最近、初期作品を少し読んだのですが、
作品構造にはプルーストの初期作に似た雰囲気がありますね。
ラディゲといってしまったらあまりにそのままなので
あえてプルーストと言ってみました。(^^)

レイノルズ&マコーミックの本は、
私はルコさんのようにダンス/バレエ関係は詳しくないので
辞書的に使えるのではないかと思いました。
高価ですけれど、どのくらい売れるのか考えれば妥当です。
by lequiche (2016-12-30 01:38) 

えーちゃん

Este año, ahora la atención
También el próximo año, gracias.
Por favor, espera un feliz Año Nuevo.
スペイン語です(^^;
何故スペイン語なのかは何の意味もありませんw
日本語に訳すと
今年は、お世話になりました。
来年も、よろしくお願いします。
良いお年をお迎え下さい。
by えーちゃん (2016-12-30 11:27) 

lequiche

>> えーちゃん様

おおっ、何の意味もないスペイン語ありがとうございます。
意味のないことのほうが最も意味があるんです。よね?(^^;)
来年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2016-12-30 21:05) 

kick_drive

こんばんは。 lequiche さんとはぼんぼちさんのオフ会からお世話になり始めました。ありがとうございます。良いお年をお迎えくださいませ。来年もよろしくお願いいたします。
by kick_drive (2016-12-30 22:05) 

ぽちの輔

よいお年を^^
by ぽちの輔 (2016-12-31 06:38) 

okin-02

本年は、拙い我がブログに訪問・沢山のnice!&コメント頂き、
有難う御座いました・・・来る年もお付き合いの程・お願い致します。
新年が・皆様にとって・幸多き年に成る事をお祈り申し上げます。
by okin-02 (2016-12-31 13:33) 

hatumi30331

いいお天気の大晦日ですね。
いつもありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎え下さい。
by hatumi30331 (2016-12-31 15:05) 

(。・_・。)2k

今年1年ありがとうございました
佳き新年をお迎えください
新年もよろしくお願いいたします

by (。・_・。)2k (2016-12-31 17:04) 

Mitch

一年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
楽しみにしています。
Have a Happy New Year!
by Mitch (2016-12-31 18:39) 

末尾ルコ(アルベール)

明けましておめでとうございます。お記事をアップしてくださる度に、多大な刺激をいただいております。今年も素晴らしい文章に期待しております。  いきなり話は変わりますが(笑)、実はわたくし2016年には二度捻挫するという憂き目に遭っておりまして、都合3~4カ月ほど歩行がなかなか厳しかったです。幸い現在は自然に歩けるようになっております。そう言えば、11月には酷い風邪もひきました・・・。2017年はそうしたことも教訓にできればと思っています。lequiche様も足を痛めておられるとのこと、お大事になさってください。   RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2017-01-01 00:59) 

えーちゃん

Happy New Year
We look forward to working with you this year.
欧米かっ(^^;
by えーちゃん (2017-01-01 08:11) 

raomelon

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします(^ω^)
2017年が素晴らしい年となりますように!
by raomelon (2017-01-01 19:19) 

ぼんぼちぼちぼち

あけましておめでとうございやす!
どんなお正月を過ごされてやすでやしょうか?
今年もいろいろお話できたら嬉しいでやす\(◎o◎)/
by ぼんぼちぼちぼち (2017-01-01 19:31) 

Speakeasy

明けましておめでとうございます!

私はポピュラー・ミュージックしか聴かないので、クラシックやジャズにも造詣の深いlequicheさんの話題について行けないことが多く、コメントしようにも何を書いたらよいのか分からないのが難点のど飴です!
私でも分かる話題が出たらこちらへコメントを残すので、その時はよろしくお願いします!!

by Speakeasy (2017-01-02 00:10) 

lequiche

>> kick_drive 様

あけましておめでとうございます。
年末にご挨拶いただきましたが、
年が改まってしまいましたので、
新年のご挨拶にかえさせていただきます。
今年もまたお会いしたいですね。
by lequiche (2017-01-03 00:48) 

lequiche

>> ぽちの輔様

あけましておめでとうございます。
いつも楽しく拝見させていただいております。
ネコに関してはいろいろと悲しいことがありまして……。
生き物とははかないものです。
ともかく、今年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2017-01-03 00:48) 

lequiche

>> okin-02 様

あけましておめでとうございます。
定点観測の季節の移り変わり、
いつもほっとした気持ちになります。
今年もかわらずブログをupしていただけることを
願っております。
by lequiche (2017-01-03 00:48) 

lequiche

>> hatumi30331 様

あけましておめでとうございます。
いつも元気の出るブログをありがとうございます。
そしてコメントもありがとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
by lequiche (2017-01-03 00:49) 

lequiche

>> (。・_・。)2k様

あけましておめでとうございます。
いつも鮮烈な写真をありがとうございます。
2kさんの写真にはいつもメッセージがありますね。
その沈黙の美しさにほれぼれします。
今年もまたよい作品を期待しております。
by lequiche (2017-01-03 00:49) 

lequiche

>> Mitch 様

あけましておめでとうございます。
こちらこそ、ありがとうございました。
今年も、素敵な記事と写真をお待ちしております。
ぼんぼちさんのオフ会で、
またお会いできるといいですね〜。
by lequiche (2017-01-03 00:49) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

あけましておめでとうございます。
昨年は数々のコメントとniceをいただき、
啓発されることばかりで大変感謝しております。
今年もどうぞご指導ご鞭撻のほど
(って書いたら、ありきたりですね ^^;)
よろしくお願い致します。

そうでしたか。それは大変でしたね。
私へのご心配ありがとうございます。足は大切ですね。
ともかく、まず健康が第一だと思います。
by lequiche (2017-01-03 00:50) 

lequiche

>> えーちゃん様

あけましておめでとうございます。
オフ会マニアのえーちゃん様との評判がたっていますが、
今年は幾つ制覇されるのでしょうか。
私も、参加できるようにがんばります。
by lequiche (2017-01-03 00:55) 

lequiche

>> raomelon 様

あけましておめでとうございます。
こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。
もうすぐのはずのおめでたい話題も
期待してお待ちしております。
by lequiche (2017-01-03 00:57) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

あけましておめでとうございます。
お正月は2日の夜になって、やっと一息ついております。(^^)
今年もよろしくお願い致します。
オフ会はコスプレですね。承知しました。(ナニガ? ^^;)
by lequiche (2017-01-03 00:58) 

lequiche

>> Speakeasy 様

あけましておめでとうございます。
いえいえ、とんでもありません、
造詣とかじゃなくて雑巾程度です。(だめなギャグ ^^;;;)
それより Speakeasyさんの記事には
いつも勉強させていただいておりますが、
つい欲しくなってしまうCD等が多くて、
物欲を刺激されますので、それが唯一の困ったことです。(笑)
今年もなるべく私が欲しいものが出てこないことを
祈っております。(^o^)/
by lequiche (2017-01-03 00:59) 

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