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トミカの沼には近づくな [ホビー]

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トミカプレミアム12/ポルシェ911カレラRS2.7 (scale: 1/61)
(takaratomy.co.jpより)

サトーココノカドーの中で、なんとはなしにおもちゃ売場を見ていたらトミカの棚があるのを発見した。普通はそんなところは見ないのに魔が差したとしか思えない。時間はきっと逢魔が時だったのだろう。ちなみに逢魔が時という言葉から思い出すのは大島弓子ではなくて新星堂で出していたCDレーベルであるオーマガトキで、一時期、ブリジット・フォンテーヌはこのレーベルから再発されていたが、新星堂のレコード袋も紫だったことがあったのを思い出した。

まぁそんなことはどうでもいいとして、トミカである。トミカってこんなに種類があるんだ、というのが久しぶりに発見した印象で、でも変わっていないといえば変わっていないし、しかし単なる自動車だけではなくて、ディズニーキャラだったり、岸本佐知子さんが恐怖だと慄いていた機関車トーマスのシリーズまでが並んでいて、それこそ百花繚乱である。
ところでトミカというのは縮小率というのが決まっていない。いわゆるスタンダードなミニチュアカーというのは大体1/43というサイズなのだが、トミカは箱のサイズに合わせて製作されていてバラつきがあるが、大体1/60あたりのサイズが標準である。トミカの場合、大きめの車は小さく、小さめの車は大きく作って、つまり大体8cm×4cm×4cmの箱に入れたときブカブカだったりキツキツだったりがないようにしている。たとえばフィアット500Fは元の車が小さいので、1/45という大きめのスケールで作られている。そういう意味ではアバウトで、だからおもちゃなんだろうけれど、でもよく見ると、ていねいに作ってあるなぁと感心するのである。

早速、ネットのその手のマニアのサイトなどを閲覧してみたのだが、でもどちらかというとミニカー蒐集という趣味はややマイナーな感じがした。というか、そもそも何かを集めるということは、家のスペースとかを考えるとかさばるから無し、というのが本音のようにも感じる。それとフィギュアなどと同じで経年劣化の問題がある。ミニカーについていえば、ダイキャストvsレジンという材質の比較があって、どちらがいいとか悪いとか、でもよく考えると、そういうのってどのジャンルにもある問題だ。音楽メディアだってCDかアナログレコードかという対抗、いや、今はネット配信かそれとも昔ながらのメディアかという選択なのだろうか。
あるミニカーサイトではーーそのサイトオーナーは長年のコレクターに違いないと思うのだが、やはりミニカーはダイキャストと書いていた。精密な再現性も大切だがそれよりも質感が重要だとのこと。そして基本のひとつとしてトミカがある、とも。

まぁそんなこともどうでもいいとして、売場で格子状のケース内にディスプレイされているトミカを見ていると、やはりこのサイズだとドアが開いたりするギミックは全体のプロポーションが崩れてしまうと思うのである。でも子どもはそういうのが大好きだからドアもボンネットも開くように設計するのだろうが、純粋に自動車のデザインの再現性ということでみると、1/43サイズならともかくトミカサイズではドアが開かないほうが美しいということに気がついた。そう思ってしまう私はすでにオトナなのだから仕方がない。
そしてトミカには今までのスタンダードなシリーズとは別にトミカプレミアムというシリーズがあって、こちらのほうが価格的にはやや高いのだけれどよくできているように見える。

何か買ってみようと思ったのだが、だからといってこういうとき、オトナ買いでいきなり全部買ってしまうという行為はそれこそダサいのである。それに家の中のことを考えると、そんなものを置くスペースも無いし。それでルールを作った。1回に1台しか買わないこと。これが自己規制のルールである。こういうのって子どもの頃に戻ったみたいで面白い。考えに考えて、これが一番と決めるその過程がいいのだ。それはもう少し長じて、たった1枚だけレコードを買うときあれにしようかこれにしようか悩んだ状況にも似ている。オトナ買いというのは夢がないのである。
そして数台だけ買ってみたのだが、これが一番と思ったのは12番のポルシェカレラRS2.7である。俗に73カレラと呼ばれるもので実車の数は少ないはずである (当時、日本に正規輸入されたのは14台とのこと)。可動部分はサスペンションだけで、ドアも開かないしRRのエンジンも見えない。だが全体のディテールが小さくかわいくまとまっていてポルシェっぽく美しいのである。ディフォルメされているのだろうが、ポルシェの特徴をよくとらえているし、赤と白というカラーリングも洒落ている。ちなみにポルシェといってもポール・フレールは読んだことがあるが、サーキットの狼は読んだことがない。RSといえばこれ、ということらしい。

トミカにはトミーテックで作っているトミカ・リミテッド・ヴィンテージ、さらにヴィンテージ・ネオ、ヴィンテージ43などのシリーズがあるのだが (43のみ1/43スケール)、これらは完全にオトナのコレクターを対象としていて、このサイズにしたら精巧だけれど、子どもはたぶん買わないだろう。いやナマイキな子どもなら買うのかもしれないが普通に考えたら子どもには高価過ぎる。

トミカのサイトにはプレミアムの73カレラを発売した際のPVまであってトミカの担当者が新製品を紹介してくれるのだけれど、これがまたわくわくする。そのわくわく感というのは子どもの頃の精神性が呼び覚まされるからなのかもしれない。ただトミカの沼もいわゆるカメラのレンズ沼と同じで、あまり近づかないほうがいいというのが賢者の教えである。沼に近づくと水の中からあやしい神様が現れて 「おまえの落としたのはトミカのミニカーか? シュコーのミニカーか?」 と聞かれたりしそうである。


トミカプレミアム/12 ポルシェ911カレラRS2.7 (タカラトミー)
トミカ トミカプレミアム 12 ポルシェ 911 カレラ RS 2.7



トミカプレミアム 2017年7月新商品をレビュー【公式】
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=PKrVWQIoVko
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末尾ルコ(アルベール)

「逢魔が時」って美しい言葉ですね。
こういう言葉をいい感じで、話し言葉でも使っていきたいもの。
「逢魔が時にお馬がドキッ♡」とか、既に誰かが言っているのかもしれませんが。
でも会話の中で「逢魔が時」と発音してもまったく理解できない人たちも多くなっているでしょうね。
やや古風でエレガントな言葉は現在多くの日本人の摂って外国語同様になっているのではないかと感じます。
ならば敢えて日常会話の中でそうした言葉を使うのもおもしろいかもしれません。
最近また『虞美人草』などを読んでまして、やはり文体も語彙もエレガントだなあと再確認いたしまして。
そしてもちろんエレガンスも内面の充実あってこそ外側迄滲み出るものなのだと。
その点は「フレンチ・シック」と共通するものでもありますね。
「フレンチ・シック」にもちろんエレガンスは不可欠ですし。

「トミカ」という言葉、ちょっとしたノスタルジーを感じます。
やはり子どもの頃はよく目にした固有名詞ですが、中学生になったくらいからは視野の外になってしまったような。
実はわたし、プラモデルにはほとんど興味がない少年時代を送りまして、スーパーカーとかにも無関心、だから今でも自動車関係には疎いのです。
自動車関係だけではなく、機械関係全般に弱いのは大いに問題ですが、どちらかと言えば学習雑誌の付録とかは好きでした。
でもミニカーは多少なりとも持っていた記憶があります。
ふと思い出したのは小学低学年の自分に友達の女の子の家へ行った時、ミニチュアのお料理道具のようなものがあって、しかも小さなホットケーキなんかを作っていたのですが、食べたかったけどもらえなかったとか、そんな記憶なら鮮明なのですが、しかしどこまで正確なのかは今となっては分からないですよね。

「自己規制のルール」って、生きていくうえでとても大切ですよね。
誰からも強いられないけれど、自らを律していくという。
一種のストイシズムですよね。
これをしっかり持っている人と持ってない人では佇まいも違います。
言葉の選択も同様で、メディアに氾濫する言葉を野放図に使っている人たちにはどうしても虚しさ、あるいはそれ以上のものを感じてしまいます。

・・・

> 山下洋輔のヒジ打ち、コブシ打ちです。

キース・エマーソンがシンセに無体をするのは・・・違いますよね(笑)。
我が家にあるおんぼろアップライトピアノにもそんな乱暴は出来ません(笑)。

> アメリカという名称を合衆国専用の名称として使ってしまった

ですよね。
だからわたしは自分の文章の中で「アメリカ合衆国」のことを「アメリカ」とは原則か仮名ようにしています。
「米国」とか、だいたいそんな感じで。

> 仕掛けというよりトラップでしょうか (笑)

なるほどです!
わたしの場合、毎回lequiche様のお記事、大いに愉しませていただいておりますが、同時に「集中力」を養う鍛錬としても有難く思っています。
実に実に注意力散漫なわたしですが、lequiche様のお記事はボーッと読んでいたらまるで意味が分からずに(笑)、何度も読み返すことが以前はよくあったのですが、現在では極力一度でなるべき理解しようと集中して拝読させていただいており、以前よりもそれができるようになってきた感触が。
もちろん現在でも「愉しみ」で何度も読ませていただくことはしょっちゅうですが。
いずれにしても、「言葉を読む」「言葉を使う」・・・深くて怖くておもしろくて、愉しみは尽きません。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-03-15 10:00) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

言葉は時代とともに移り変わってしまうので、
美しい言葉が失われていくことがありますけれど
仕方がないのかもしれません。
虞美人草もそうですが、末摘花とか麝香撫子など、
花には別名が多くあるように感じます。

プラモデルは一般名詞ですがトミカは商標名ですから、
それだけで何かのイメージが示されるというのは
あまり例がないように思います。
プラモデルというのは子どもにとって一種の通過儀礼で、
指先の訓練用というふうに考えることもできます。(笑)
スーパーカーの流行はガンダムと同時代なので、
直線的で多面体の集合である点が似ています。
その後も彫刻刀で形づくったようなカクカクした造形は
現代のSUVまで健在ですが、私にはガンダムは無縁です。
自動車の造形は戦前からせいぜい1960年代までが
その最盛期で、以後は衰退してしまったように思います。
現代の車が皆同じような造形なのは空力を重視した結果で、
それによって燃費は良くなったのかもしれませんが、
デザインの美しさは永遠に失われました。
たとえアナクロと謗られても、
昔のこのような↓曲線的なさりげないデザインを
私は美しいと思うのです。
http://car.bau-haus.com/?p=839

キース・エマーソンのアクションはちょっと違いますね。
ただ理論的にはクラシックにおけるトーン・クラスターは
あくまで隣接音を含む多重の和声であり、
ジャズにはそこまでの厳密な縛りはありませんが、
でもどうすれば良い感じの密集和音を出せるか
というのを考えて叩いている感じはあります。
闇雲に叩くと必ずしもクラスターっぽい音は出ません。

あぁ、米国ですか。それは賢明です。
日本の総理大臣も米国と言いますね。
もっともその動機は違うのでしょうが。
アメリカという名称の由来を私は知りませんでしたが、
それを知るとここにはかなり深い問題があると思います。

いつも丁寧にお読みいただきありがとうございます。
結局、文章というのは個々にテーマがありますが、
それらを通じて流れているその人の共通のテーマもあって、
ひとりの人がそんなに幾つものテーマを
持っているわけではないのだと思うのです。
何を書いてもその底に横たわるテーマは同じようなもので
最終的にはひとつに収斂するというか、
帰着点は決まっているので、
逆に考えればそこに持っていく過程をたどると
意外に単純なものとして解析できるのかもしれません。
by lequiche (2020-03-16 00:31) 

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