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セシル・テイラー・ユニット《Akisakila》 [音楽]

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Cecil Taylor

コンサートの最初に司会者が出て来てメンバー紹介をする様子が収録されているライヴ盤がある。いかにもこれからコンサートが始まるぞというドキドキ感が伝わって来て、時空を超えてそのコンサート会場に引き込まれてしまうような上手い編集だと思ってしまう。
ジャズのライヴ盤で最もドキドキ感のある美しい冒頭のアナウンスはビル・エヴァンスの《At The Montreux Jazz Festival》だと思う。フランス語の紹介と観客の拍手。一瞬の間。そして始まるピアノのイントロ。その硬質なピアノにからまるベースとドラムス。
一方で、印象的だがとてもアクの強いアナウンスといえばアート・ブレイキー・クインテットの《a night at Birdland》のピー・ウィー・マーケットの紹介だろう。1954年というこの時代のバードランドというジャズクラブの雰囲気が伝わってくるブルーノートの超有名盤である (この時点でグループ名はまだジャズ・メッセンジャーズではない)。そしてクリフォード・ブラウンの最も輝かしい時期の録音でもある。

セシル・テイラーの《アキサキラ》が再発された。このアルバムは1973年5月22日に東京・新宿の厚生年金会館大ホールで収録されたコンサートのライヴ盤である。約50年も前の録音でありながら、おそろしく鋭利でパワフルで全く古びていない。彼の演奏の中でベストといってもよい内容のライヴである。
冒頭、悠雅彦がメンバー紹介を始めた途端に、その紹介が終わるのを待つこともなく、アンドリュー・シリルのドラムが鳴り始めてしまう。そしてすぐにピアノとアルトサックスが加わり演奏が開始されてゆく。観客の大きな期待の拍手。このスリリングな始まり方はモントリューとは対極だがその熱っぽさが伝わってくる。

この日の演奏曲は〈Bulu Akisakila Kutala〉と名付けられた1曲だけ。約82分にわたって演奏されたという。マイルス・デイヴィスのエレクトリック期にも、切れ目なく演奏されたコンサートというのは存在したが、マイルスのそれは一種のメドレーであり、この日のセシル・テイラーのコンセプトとは異なる。
CDの解説によれば、東京でのライヴは5月21日と22日の2日間、21日の夜に急遽、翌日のライヴを録音しようという提案が了解されたので機材を搬入設営。しかしセシル・テイラーは納得できる内容でなければ発売はさせないと言ったのだという。だが数日後、プレイバックを聴いた彼は 「すぐに発売して欲しい」 と喜んだのだそうである。

セッショングラフィによれば、このアルバムはオリジナルのLPの後、4回CD化されているが、長らく廃盤のままだった。YouTubeにも音源はあるが、正規のメディアがなければダメなのである。今回、再発されたのはまさに僥倖であり喜ばしい。
その来日時に録音された菅野沖彦の録音によるソロピアノの《Solo》も同時に発売されている。
また、ジミー・ライオンズとアンドリュー・シリルはセシルのグループで長い間一緒に演奏していたが、この3人だけでの演奏というのはオフィシャルで他に無いのだそうである。

そしてアルト、ピアノ、ドラムスというユニット構成の同じ山下洋輔がセシル・テイラーの演奏について次のようなことを書いていたのを覚えている。自分 (=山下) のバンドの場合、テーマがあって、途中にそれぞれのフリーの部分があってそこはドシャメシャなのだが、最後には戻ってきてピタッと終わるというのがスタイルだ。だがセシル・テイラーはそうではなくて、たとえば最後にドラムがハミ出したりこぼれたりしたとしても全然関係ない。そんな形式的なことはどうでもいいのだ。そのくらいすごい。というようなことである。記憶だけで書いているので使っている言葉もニュアンスも違っているだろうが大意はそうである。
最初と最後のテーマがあって、というのは基本的な、というかオーソドクスなジャズのパターンそのものである。フリージャズがそうしたパターンを援用したって別に構わないのだが、援用しなくたっていいのである。

このライヴの当日、この演奏は第1部で、第2部でセシルは舞台でダンスをして、ピアノは全く弾かなかったのだという。なんだこりゃ? という人もいたらしいが、そしてまたたとえばマイルス・デイヴィスはコンサートでもお辞儀もしやしねえ、という人もいたらしいのだけれど、つまりそうしためちゃくちゃなのとか尊大なのとか種々のあれこれがあるのだとしても、簡単にいえばセシル・テイラーやマイルス・デイヴィスは何をしてもいいのである。
それとこのライヴ盤を聴いて思ったのは、会場の熱気から感じられる当時の観客のこうしたフリーな音楽に対する受容の高さ・広さである。今、こうした演奏は一般的に受け入れられにくいだろうし、そうした土壌ももはや存在しないように思う。時代は保守的であり視野狭窄的である。フリージャズはなにごとにも迎合しない。なぜならそれこそがフリーだからである。


Cecil Taylor Unit/Akisakila (ウルトラ・ヴァイヴ)
アキサキラ(日本独自企画、最新リマスター、新規解説付)




Cecil Taylor Unit/Akisakila, part 1 of 4
https://www.youtube.com/watch?v=hxvvHQjDk9A

Cecil Taylor Unit/Akisakila, part 4 of 4
https://www.youtube.com/watch?v=rH-OZmFF1j0

Bill Evans/At The Montreux Jazz Festival
https://www.youtube.com/watch?v=qa6maJrd3xw&list=OLAK5uy_n64craEeJyztTj_4hWzD6piiO6xp3NG2g

Art Blakey Quintet/A Night At Birdland
https://www.youtube.com/watch?v=L3aKsnKlPqw&list=PLUJ7V33M1wR24o6ZE760w2tk3s_PjwrEL&index=2&t=0s
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末尾ルコ(アルベール)

今、リンクしてくださっているセシル・テイラーを聴いていおりますが、大雑把な表現をしさせていただきますと、朝からわたしの細胞の一つ一つが活性化し、活発化していくような感覚です。
これは目が覚めてしまいますね、心身ともに、あらゆる感覚が。
フリージャズについては明るくないわたしですが、こうした感覚が持てることこそ音楽、特にフリージャズの力なのかなあと想像しながら聴かせていただいております。

> コンサートが始まるぞというドキドキ感

ライブならではの強烈な感覚ですね。
ジャズコンサートをライブ鑑賞した経験はほとんどないのですが、バレエなど、特に(凄いこと間違いなし)のパフォーマンスの直前は、まさに心臓が絞られるような、どうにかなるんじゃないかというような感覚があります。
(今からとてつもないことを体験するかもしれない・・・)という自分が追い込まれるような感覚、何ごとにも代えがたいですね。
現在はライブができず、この状況は容易に元には戻りませんが、「リモート」だけでいいはずもなく、時間はかかっても「劇場鑑賞」は映画を含めて復活させねばいけないものだと思います。

> セシル・テイラーやマイルス・デイヴィスは何をしてもいいのである。

同感です。
そのような存在がジャンルのレベルをアップさせますね。
しかしこの感覚、現在の日本のように文化芸術界の人間の私生活をあげつらってその活動をストップさせようという人間が多いようではなかなか理解されないだろうなあとも思います。

> フリージャズはなにごとにも迎合しない。

ただ、惚れ惚れです!

・・・

> 素晴らしい曲はやはり楽譜も美しいです。

いいですね~。
何かこう、古より脈々と続く美の神秘の一端を感じます。
例えば花は人間の美的感覚をくすぐろうとしているわけではないのに美しい・・・これはなぜかとか、夕焼けや朝焼けはどうしてかくも壮観であるのか、とか。
もちろん花に(美しくなろう)という意志がある可能性もゼロではないでしょうが。
いや、ゼロなのかな(笑)。
でもこういうことを科学的文脈のみで語るとつまらなくなると思うんです。
非科学を推奨するつもりはまったくないですが、「恋に落ちる心理を科学で解明」とかいうのは、読み物としては時に多少はおもしろいですが、科学で割り切れるはずはないし、(割り切れる)と信じている人たちはマッドサイエンティストの類いにも見えます。
AIで美空ひばりを作れると本気で信じている人たちのような。

それはさて置き、「素晴らしくない曲」(笑)の楽譜をいろいろ見てみるのも、「素晴らしい曲」の楽譜の美との比較としておもしろそうだなと思ったりしてます。
絵画にしても、日常的にはコーディネートにしても、一つの色をほんの少しだけ加えることで、全体の美的クオリティがまったく変わってくるのがおもしろいですね。

> でも私は非合理的ですので紙を使った本が良いです。

同感です。
「合理的」という態度はまともな生活を送っていく上で大切ではありますけれど、人間というもの「非合理」の部分を濃厚に持ってなければ精神的窒息状態になってしまいます。
合理的ばかりにこだわると、すぐに取扱説明書に行きつき、何でも箇条書きで済ましてしまいかねません。
昨今のネット言論は合理性しか念頭にないようなものが多く、無味乾燥なだけでなく、精神が死んでいると感じてしまいます。

タンジェリン・ドリームは子どもの頃にウィリアム・フリードキンの『恐怖の報酬』という映画のサントラで知ったのですが、その頃はコアなプログレという印象を持っていました。
その映画自体、当時はそれほど注目されなかったと記憶してますが、最近日本でリバイバルされた時には凄い高評価で驚きました。
クルーゾーのオリジナルより凄いという評者もいて、フルードキン版も時代を経て評価を上げてきた作品なのかなと感じたものです。

RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-05-23 09:56) 

U3

 小生のブログにお越し頂きありがとうございました。
by U3 (2020-05-23 14:13) 

coco030705

こんにちは。いつも拙ブログへご訪問いただき、ありがとうございます♪

私は一時、ジャズを聴いていた時期があり、ビル・エヴァンスやクリフォード・ブラウンはとても好きでした。↑のリンクを聴かせていただき、やはりジャズもいいな、またジャズを聞こうという気になりました。セシル・テイラーユニットもいいですね。開放感があります。
by coco030705 (2020-05-24 13:50) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

セシル・テイラーをそれほど聴いているわけではないですが、
いままでの記憶で言えば、若い頃の演奏のほうが私は好きです。
年齢を重ねてからの演奏は確かに円熟味はありますが、
多少破綻があっても闇雲に突き進み、行くところまで行ってしまう、
という若さの見えるインプロヴィゼーションに惹かれます。
それと山下洋輔のような肘打ちとか拳打ちがほとんどありません。
どこまでいっても指先の打鍵でありそのスピードが命です。
アヴァンギャルドでありながら何でもありではないのです。

音楽に限らず舞台芸術というのは何でもそうですが、
その1回性、つまり一期一会であることがその特質です。
もしそれを録音/録画したとしてもナマでその場にいるのと
記録されたものとでは圧倒的な違いがあります。
空気感が違うのだと思います。
メディアに記録されたものには空気感は記録されません。

マイルスは演奏が終わっても全く観客の歓声に応えない
ということで生前から非難されていたりしました。
でもそれはその内容によるのだと思うのです。
演奏が終了してペコペコしていたら台無しになる、
というパフォーマンスも存在します。
寺山修司はカーテンコールで出てくることはありませんでした。
それと同じです。

自然が作り出す美には決して人間は対抗できません。
しかし楽譜は人工的な美でそれは自然が作るものとは
異なるものです。
それぞれに美があり、互いに侵食することはありません。
楽譜は図形楽譜のように
あらかじめ美的な目的を持っていたりするものも存在しますが、
基本的には単なる記号です。
記号を美観で見た場合にそれが美しいかどうか、
というのはそのときによって違うとは思いますが、
いわゆる機能美に通じるものはあるのかもしれません。

合理的という言葉はすごく簡単に解釈すると
いかに楽ができるかということに行き着くと思います。
楽ができるというのは、つまりものぐさでも良いということ。
最短の道で到着することがすぐれているということです。
では、そうしてできたアキ時間を合理的な人間は何に使うのか、
という疑問があります。
合理的であること、経済的であること、
小綺麗であること、無駄がないこと、etc.
そうしたことがすぐれているという価値観です。
ですから断捨離であり、こんまりなのです。
でもそれは単なるひとつの方策に過ぎません。
道がひとつしかないというのは《華氏451》の世界と同じです。

映画には明るくないので、
ウィリアム・フリードキンという監督は知りませんでしたが、
《エクソシスト》の監督なんですね。
《恐怖の報酬》の音楽のメインはタンジェリン・ドリームですが、
wikiにはキース・ジャレットやチャーリー・パーカーの曲も
使っているように記載されています。
キース・ジャレットの音楽は《Hymns/Spheres》からのチョイスで、
このアルバムは彼がソロでオルガン演奏をしたもので、
はっきり言って評判があまりよくない作品です。
これを持ってきているというところに面白さを感じます。
それと《恐怖の報酬》の原題は《Sorcerer》ですが、
Sorcererというのはマイルス・デイヴィスの
有名なアルバムのタイトルでもあります。
by lequiche (2020-05-24 23:29) 

lequiche

>> U3 様

いつも拝読させていただいております。
U3様のご指摘のようなことがきっかけとなって、
少しでも本来の民主主義が戻ってくるとよいのですが。
腐っている頭はアンパンマンの顔と同じで、
すげ替えないと使えないのではないかと思います。
by lequiche (2020-05-24 23:29) 

lequiche

>> coco030705 様

こちらこそありがとうございます。
ジャズを聴かれるのもたまにはよいのではないか、
と思います。(^^)
ジャズはすでに伝統芸術のようになりつつありますが、
本来の精神は違うはずです。
私は現代音楽からジャズへと移ってきましたので、
比較的アヴァンギャルドな方向性があります。
日本の音楽シーンは全体的に見て閉塞性があり過ぎますので
もう少し自由な空気が欲しいですね。
by lequiche (2020-05-24 23:29) 

zombiekong

お世話になりました。
私はSSから他サイトに移ります。お元気で!
by zombiekong (2020-06-02 18:02) 

lequiche

>> zombiekong 様

新しいサイト、早速拝見しました。
カッコいいですね。今後もがんばってください。(^^)
by lequiche (2020-06-04 02:00) 

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