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角田光代訳・源氏物語 [本]

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源氏物語の現代語訳には思い出があって、まだ読解力の無かった頃、谷崎潤一郎訳に挑戦したのだが全然ダメ。何だかよくわからない日本語のような気がして、ストーリーが頭の中に入って来なかった。それでどうしたかというと、どうせ読みにくいのなら原文で読んだほうがいいのではと思って、注釈本で読み始めたらそのほうが谷崎訳よりもよくわかるのである。
だが、そうはいっても注釈本にはこまごまと注があって、研究者にはそうした注釈が必要なのだろうが、本文のみを読もうとしてもどうしてもそれに気をとられてしまって読みにくいことこの上ない。それで途中までは読んだのだが、他の本に興味が移って中断したままになってしまった。

河出書房から池澤夏樹個人編集による日本文学全集が出始めたときも、乗り損なってしまい、ほんの数冊しか買っていないのだが、最後の配本として角田光代訳の源氏物語全3巻が出ることになった。う〜ん、どうしようかなと思っているうちにどんどん進行して全3巻が出て完結してしまった。
話がそれるがこの全集、池澤夏樹個人編集というのに特色があって、古い作品は皆、現代語訳で出すこと。しかも新訳。それがどこまでかというと樋口一葉までであって、樋口一葉は川上未映子訳、しかし夏目漱石や森鴎外はそのままであり、それ以降の年代の作品は皆、原文のままという方針である。
それよりも面白いのは収録する著者の選択の独自性であって、独断と偏見というのか、それが気持ちいいくらいに池澤好みらしいのが特徴だといえる。現代作家になるとそれが顕著で、たとえば17巻は堀辰雄、福永武彦、中村真一郎の3人相乗りにもかかわらず、25巻は須賀敦子ひとりで1巻である。さすがにそれはどうなの、と思ったのか26巻から28巻までは近現代作家集となっているのだが、それでもさらに偏っている感じで、でもそれでいいのだ。だって個人編集なのだから。

で、その源氏物語が完結したので3巻セット箱入りというのが出ているのを書店で見つけ、思わず買ってしまったのである。ただ箱に入っているだけなんですけど。でもピンクの箱に金の箔押しがあって、それらしい。読書のわくわく感を刺激するのである。箱を開けるとかすかにお香のようなかおりがただよって、1巻目にしおりが入っているのがそのかおりの元らしい。

本文はまだ読んでいません。
でもとても読みやすいような気がします。
とりあえず谷崎源氏よりは私にとっては読みやすい。源氏にはいろいろな訳が出ていますが、ネットで見た範囲内でしかないですが、与謝野晶子訳が比較的近いニュアンスがあるような気がします。
河出書房のサイトに若紫の冒頭が読めるようになっているので、そこを比較してみました。

これが原文です。岩波書店の日本古典文学大系から。

 わらは病にわづらひ給ひて、よろづに、まじなひ・加持など、まゐらせ
 給へど、しるしなくて、あまたゝび起り給へば、ある人、「北山になむ、
 なにがし寺といふところに、かしこき行ひ人侍る。去年の夏も、世にお
 こりて、ひとびと、まじなひわづらひしを、やがて、とゞむるたぐひ、
 あまた侍りき。しゝこらかしつる時は、うたて侍るを、とくこそ心みさ
 せ給はめ」など、きこゆれば、めしにつかはしたるに、「老いかゞまり
 て、室の外にもまかでず」と、申したれば、「いかゞはせむ。いと忍び
 てものせん」と、の給ひて、御供に、むつましき四五人ばかりして、ま
 だ暁に、おはす。

与謝野晶子訳は、

 源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受け
 ていたが効験がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくる
 のをある人が、
 「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります、去年の夏この病
 気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶ
 ん救われました。病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早く
 ためしてごらんになったらいいでしょう」
 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こ
 うとした。
 「老体になっておりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですか
 ら」
 僧の返辞はこんなだった。
 「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
 こう言っていた源氏は、親しい家司四、五人だけを伴って、夜明けに京
 を立って出かけたのである。

そして角田光代訳は、

  光君がわらわ病を患ってしまった。あれこれと手を尽くしてまじない
 や加持をさせたものの、いっこうに効き目がない。なんども発作が起き
 るので、ある人が、
 「北山の何々寺というところに、すぐれた修行者がおります」と言う。
 「去年の夏も病が世間に流行し、まじないが効かず人々が手を焼いてお
 りました時も、即座になおした例がたくさんございました。こじらせて
 しまいますとたいへんですから、早くお試しになさったほうがよろしい
 でしょう」
  それを聞いてその聖を呼びよせるために使者を遣わした。ところが、
 「年老いて腰も曲がってしまい、岩屋から出ることもままなりません」
 という返答である。
 「仕方がない、内密で出かけることにしよう」と光君は言い、親しく仕
 えている五人ばかりのお供を連れて、まだ夜の明けきらないうちに出発
 した。

ルビは省略しました。角田訳にはルビ付きがかなり多いです。これも読みやすい理由です。
上記引用部分では、「しゝこらかしつる時」 というのが難しいですが、それ以外はそんなにむずかしくはありません。源氏物語は主語がないのと、句点がなくて (というかそもそもそんなものは存在しないのですが) 延々と続くのが特徴ですが、与謝野訳でも角田訳でも、主語を入れて、文章もだらだら長くせず、すぱっと切ってしまうのが潔くて、しかももちろんわかりやすい。敬語を逐一訳さないで省略してしまうのも機能的です。
でも原文の息遣いというかリズムを再現するのはもちろん無理です。この部分の最後の 「まだ暁に、おはす」 も 「まだ夜の明けきらないうちに出発した」 となってしまいますが、「まだ暁に、おはす」 という簡潔さにはとうてい及ばない。でもそれはしかたがないのです。与謝野訳では 「夜明けに京を立って出かけたのである」 と 「京」 という言葉が補われているので親切。でも 「そっと微行で行ってみよう」 より、角田訳の 「内密で出かけることにしよう」 のほうが現代的でわかりやすいですね。
しかもタイトルの 「若紫」 には角田訳ではサブタイトルが付いています。「運命の出会い、運命の密会」。すごいな。でもこれは中身がどういうものなのかわかりますし、よい方法だと思います。もちろん各巻毎に系図が載っています。故人に三角マークが付いているのも良いアイデアです。


角田光代訳・源氏物語 (河出書房新社)
『源氏物語』完結記念 限定箱入り 全三巻セット




河出書房新社 源氏物語上〈試し読み版〉
https://bpub.jp/kawade/item/500000504315

角田光代/なぜ源氏物語を訳したのか? ダイジェスト
https://www.youtube.com/watch?v=6N14Nku4rRs

角田光代/なぜ源氏物語を訳したのか? 講演前半
https://www.youtube.com/watch?v=_VEhDLKonZY
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末尾ルコ(アルベール)

古典、あるいは文語文で書かれた文学作品はですね、高校時代に古文の時間をサボりまくったツケがきまして、「得意」とは言い難いのです。父は古文の教師だったのですけれど。
けれど樋口一葉や『平家物語』、『方丈記』などは好きですし、和歌なども少々は知ってますが、『源氏物語』はまともに読んだことありません。NHKでやってた『いいね!光源氏くん』は観てましたが(笑)。
池澤夏樹の文学全集はとても興味ありますが、主に経済的な理由で(笑)まだ購入したことありません。しかし特に彼の選んだ海外文学はいろいろ読んでみたいです。もっとも池澤夏樹の小説自体、読みかけで止まっているのがありますが(笑)。

角田光代が『源氏物語』を訳してるのですね。これは知りませんでした。

> 箱を開けるとかすかにお香のようなかおり

へえ~、それは雅な取り組みですね~。
わたし薫りは大好きで、以前少しアロマテラピーをやってたんですが、いくらでもお金があれば、家の中にいろんなアロマ炊きまくりたいところです。かつて日本人が藤袴を袂に入れて仄かに薫らせていたというエピソードも大好きで、以前は庭に藤袴があったけれど、今は雑草だらけ・・・。

でも与謝野晶子訳も角田光代訳も、いいですね~。確かに通して読んでみたくなります。

> 原文の息遣いというかリズムを再現するのはもちろん無理

これは翻訳物のすべてに言えることですね。
特に詩はそうですが、樋口一葉なんかもあのリズム感やめくるめくイメージなどを翻訳で再現するのは極めて難しいのは当然ながら、それを川上未映子がどう訳しているかも大いに興味があります。

> 各巻毎に系図が載っています

これもいいですね。
読み進める愉しみが増しそうです。
海外文学では、エミール・ゾラとかはきっちり系図の付いた本が欲しいところです。
大好きなのですが、登場人物多い!(笑)

・・・

> いや、ずばり言ってしまえば興味本位だけでしょう。

ですよね。
日本って特にポピュラー音楽は、「評価」や「批評」が機能しておらず、いやもちろんしっかりとした論評もないわけではないけれど、それらはあくまでマイナーな世界で、例えば欧米で「今度のフィオナ・アップルのアルバムは凄い!」という評価が出回ることに似たような状況はまず見当たらないのではないかと。
「売れたものが名曲」と、そんな意識が強いのがずっと前から同じ状況なのではないかと思ってます。
文学や映画などは、欧米ほどではないにせよ、どうにか批評が細々と生きていると思うんですが、ポピュラー音楽に関してはなかなかそれがないですね。

> 少しステロタイプに陥っていると私は見ています。

そうなのですか。

「ファン論」という観点となるのですが、どんな分野でも「質のいいファン」が多くないとジャンルは堕落・衰退していくと思うのですが、この点に関しても日本は実に心もとないですね。
もちろんどのような対象であっても「主観的に好きになる」というのが一番大切ですけれど、そこには少なくとも1割以上ほどの客観性が必要だと思うのです。
つまり「誰かのファンであっても、その人の作品の良し悪しはある程度以上客観的に評価できる」というのが必要で、(ああ、この作品は今一つになっちゃったなあ、それでもこの人は大好きだけれど)というくらいの見立てといいますか、分別が欲しいところです。
ところがまあ、好きになったらすべてにおいて盲目的という人が多く、少しでも批判されたら逆ギレするとか、それじゃあ会話も議論も成り立ちません。
「よきファンを育てる・よきファンが育つ」という状況が日本にはないですね。
もとろん少なからぬ「よきファン」もいますけれど、もっともっと多くなりたい。

> 世界はデジタル万能主義でデジタルが最上位だとされます。

わたしもデジタルの恩恵に与ってはいますが、(基本は絶対アナログだよな)というスタンスは譲りたくないです。
やや極端な言い方をすると、「機械の一部になるつもりはない」というところでしょうか。

日夏耿之介の訳は凄まじいですよね。
お記事、愉しみにお待ちしております。    RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-06-28 03:53) 

keroyon

私も(3月に)ケース入りを購入しました~!
でもまだ読めていません・・(^^;
いつか自分のブログで紹介させていただこうと思っておりますが
私は(はるか昔の)高校生の頃に源氏物語にはまっており
何種類かの翻訳本を読みました。
マンガ「あさきゆめみし」をその前に読んでいましたが
どれも同じ顔に思えてさっぱり分かりませんでしたが
翻訳本を読んで内容を理解してからマンガを読むとすごくよく分かったという経験もしました。
今回の角田光代さんの翻訳本、
↑の記事で紹介いただいていますように、すごく分かりやすそうですね。
円地文子さん訳にも各章の冒頭に系図が載っていましたが
このたびの角田さん版の系図はさらに見やすい気がします。
そして、ピンクのボックスや美しい表紙、角田先生直筆のカードなど
そういうところにもワクワクしますね!
読むのが楽しみで、早く読みたい・・と思いつつ、
ふだんハードカバーも通勤で読むのですけどこれはさすがに重いのと
本を傷めてしまいたくなく、自宅で読もうと思い、なかなか取り掛かれずにおります・・。
lequicheさまが紹介されていてうれしくなり、コメント長々と失礼しました。
by keroyon (2020-06-28 18:01) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

古文というのは結局、日本語ですので、
私はそんなにむずかしいとは思わないのです。
なんとなくカンでわかりますから。(^^)
ただ和歌が出てくるとむずかしいです。
当時の一般常識をもとにしているので、
その一般常識を持っていないと瞬間的にわかりませんから。
解説を読んで、ああそうなんだではダメなんだと思います。
ギャグがわからなくて解説されて初めて笑う、
というのと同じようなものです。

河出の全集はもう全部出てしまいましたので、
全巻買うのは無理なので、好きなのだけ買おうと思っています。
YouTubeの講演によれば角田先生は
源氏にそんな思い入れもないし全然知らなかったのだが
池澤夏樹先生ご指名ならということで引き受けました、
と身も蓋もないことを語られていますが、
これも多分に衒いがあるのだと思うのです。
それに源氏に限らず最近は新しい訳が多く出ていて
(たとえばプルーストとか) それは面白いですし、
日本もまだまだ大丈夫、と少しだけ安堵してしまいます。

谷崎源氏を参照したかったのですが本が見つからなくて
ネットでも探せなかったのでとりあえず与謝野訳を引用しました。
でも谷崎源氏も当時の大ベストセラーだったそうですし、
今読んでみたら、そんなにむずかしくはないと思うのです。

樋口一葉は一応擬古文なので現代語訳で仕方がないのですが、
でもこれでももう読めないのかなぁ、とも感じます。
川上未映子訳は、以前にも書きましたがかなり優れています。
これで樋口一葉が少しでも人口に膾炙すればいいのですが。
それより一葉全集はずっと絶版状態なので、復刊を望みます。
5千円札の肖像になっている作家の全集が絶版というのは
出版社としてどうなの? というのが正直なところです。

音楽に限らず俗なジャンルのものは常に軽く見られがちで、
結果としてそれが記録として残らず消えてしまう運命にあります。
でも実際にはそうした俗なもののほうが
その時代の文化を感じるのには的確で重要なはずです。
浮世絵などもその当時は俗なものだったはずですが、
今になって芸術的視点から論じたってもう遅いんですよね。
結果として大量の浮世絵が海外に流失してしまいましたし。

客観性ですか。それはそうなのかもしれませんね。
ルコさんがよくとりあげているももクロですが、
TOKYO FMの番組があってたまに聴くことがあるのですが、
私はももクロはほとんど知りませんがなかなか面白いです。
音楽というのは常に新陳代謝していくものですし、
何でもいいというのではありませんが
全体の傾向がどのように変遷していくかということについては
常に感じていなければならないと思います。

デジタルは機構的にはすぐれていますし
経済性から考えても便利なのでしょうが、
しかしアナログからデジタルにした時点で
そこからこぼれ落ちてしまうものがあります。
それをどのようにとらえていくかですね。
無視できる範囲内として考えるのは傲慢に過ぎません。
by lequiche (2020-06-28 22:36) 

lequiche

>> keroyon 様

そうですか! ケース入り、いいですよね〜♪
単なる箱といえば箱なんですけど、
とても気の利いたデザインになっていると思います。
でもマジメに1冊ずつ購入されていた読者にとっては
御不満に感じることだったかもしれません。
実は私は、箱入りが出るんじゃないか、と
あらかじめ予想して、出るほうに賭けていました。(^^;)

すでに何種類か訳本を読まれていたというのはすごいですね。
そしてあさきゆめみし、どれも同じ顔に思えて、
というのにメチャ笑いました。(ワカリマス ^^)
この全集、カバーの色が何種類かあるんですが、
清少納言も樋口一葉も須賀敦子もピンクなんです。
順繰りの色のはずですが、何か意図したものを感じます。

重い本は電車の中では読みにくいですし、
傷めてしまうというのもわかります。
家で少しずつ読むというのでよいのではないでしょうか。
私もそうするつもりです。
by lequiche (2020-06-28 22:37) 

sana

素敵な装丁の本なのですね~。本を読む喜びには、そういう楽しみもありますね。紙の匂いが好き^^
源氏物語は大好きです。
若い頃に何通りかの現代語訳に挑戦したと思いますが、決定版とは感じませんでした。挫折したのもあると思うんだけど、どれだったか…当時はそこまで好きじゃなかったし。大人になってからの方が全体的に理解が進み、感嘆するばかりです^^
谷崎潤一郎は好きなので訳は手を付けてはみたはず…ん?な、なんだかそこから注釈本へ行ったような気がしてきました。ありうる…
原作のもやもやした雰囲気を出した訳だったのかも…
友人には、英語版で初めて話がわかったと言ってる子もいました。

「あさきゆめみし」は若い女の子に「源氏物語」の魅力を伝える貴重な役割を果たしたと思います。ただ、そう、きれいな顔の骨格が変わらない絵なので、区別はつきにくいですね。髪型と眉などのちょっとした違いで見分ける^^;
学生時代に教授が学生から借りて「ベルサイユのばら」を果敢に?読み、「最後まで登場人物の区別がつかなかった…」と言っていたのを思い出します。「あさきゆめみし」においておや^^;
最近はどちらかというと、あの時代についての本が好きかもしれません。
紫式部が主人公の小説などもありますが、皆さま思いっきり好きなように書かれていて、のめりこむあまり自分と混同してるような印象。
それだけ引きずり込むような世界の深さを感じます^^

角田光代さんなら、わかりやすいというのは、うなずけます。そんなに興味を持ってなかったとしても意外ではないような。
現代語訳を手掛けると、さぞかし思い入れがあるんだろうとみなされるので予防線張りたくなるかもしれませんね^^;
by sana (2020-07-03 01:12) 

lequiche

>> sana 様

明るい雰囲気の装丁ですね。
月報が挟まっているのですが、第1巻は
瀬戸内寂聴と大和和紀、なにげない帯写真は荒木経惟……
やり過ぎです。(笑)

源氏はやはりある程度年齢を重ねたほうが
理解が深くなるのかもしれないです。
私が谷崎訳がよくわからなかったのも、
たぶん、年齢的に若かったからというのもあります。
寂聴先生が月報に書いていますしwikiにも記述がありますが、
川端康成も現代語訳をやろうとしていたそうです。
源氏の現代語訳をするのはむずかしいですけど魅力的
ということなのだと思うのですけれど、
角田先生は思い入れはなかったと講演で語っていますが、
でもいざやってみたら引き込まれたのでしょうね。
そのへんが小説家としてのサガです。

英語版で読んだらわかったというのは納得できます。
たしか柴田元幸先生が書いていましたが、
翻訳というものは原文より常にわかりやすいはずだ、
なぜなら原文で辻褄の合わない箇所を
なんとか合わせようとしたりするからだ、とのことです。

マンガの顔が皆同じというのは、あだち充の例もありますし (^^;)
逆にいうといかにして顔を描き分けるか、
というのはむずかしいんでしょうね。
でもベルばらは描き分けられていると思うんですけど、
やはり識別能力というのは慣れなんでしょうか?

日記ものというのも紫式部日記をはじめとして
和泉式部、蜻蛉、更級あたりは読みましたが、
お勉強の一環として読んでいたので、
何か思い入れがなくてダメです。
もっと能動的に読まないと中に入り込めないです。

私の好きな作家マルグリット・ユルスナールに
源氏物語にインスパイアされた作品がありますが、
さすがユルスナールと思うべきなのか、
それとも源氏は海外でもそれなりに有名なのか
そのへんがよくわからなくて、
でもユルスナールは三島由紀夫のことも書いていますから、
ちょっと特殊なのかもしれません。
by lequiche (2020-07-04 00:52) 

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