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星野智幸『夜は終わらない』 [本]

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川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』は、暗い話なのだけれど美しい小説だと思う。吉本ばななの『N・P』もそうで、こうした一定のほの暗さのような雰囲気を私は愛しているような気もする (『N・P』のことはずっと以前にすでに書いた→2012年07月11日ブログ)。
『すべて真夜中の恋人たち』は『群像』2011年9月号に掲載されたのち、単行本となったのだが、その『群像』掲載号を古雑誌でたまたま手に入れたところ、星野智幸の『夜は終わらない』の連載第1回が掲載されていたのである。読んでみると面白かったので、もう10年も前の雑誌の連載だから完結しているはずと思って本を探し、文庫になっているのを見つけて終わりまで読んでみた。

主人公の玲於奈 [れおな] は結婚詐欺を繰り返す女で、しかも不要になった男は殺してしまうという冷酷な殺人者なのだが、プロローグで記述される彼女の描写が良い。当時の類似連続殺人事件にヒントを得ているとかいうことはどうでもよくて、彼女の突っ張った性格、ペットのフェレット、銀色のポルシェといった通俗的なスタイリッシュさに満ちている。だが彼女は男を殺す前に、何か面白いお話をさせて、それが面白ければ殺さないという奇妙な方策を持ち合わせている。
つまりアラビアン・ナイトの女性版で、だから彼女はシャフリヤールなのである。だが玲於奈が殺そうとしていた男のなかに久音 [くおん] という話を紡ぎ出す男がいて、その話の中の登場人物がまた話を語り、そしてその話の中の登場人物がまた話を語り、というふうにどんどん深層に降りて行く。
この話法について行けるかどうかが読み切れるか否かの鍵で、ついて行けないとなんだかわからない複雑な小説ということになるらしいのだが、構造はそんなに込み入っているわけではない。そして最後に全ては折りたたまれてしまう。

ただ残念なのはもっとも魅力的なキャラである玲於奈が、物語の連鎖が始まると後退してしまい、背景としか見えなくなってしまうことだ。数々の 「紛いアラビアン・ナイト」 はそれぞれに奇妙に歪んでいて変わっているのだが、すべては木偶人形が動いているようでもあり、強い生命力を感じさせない。紗の1枚かかった向こう側の風景のように読めてしまう。このタイトルから連想したのはセリーヌの『夜の果てへの旅』であるが、セリーヌのような自らを語る虚無ではなく、もう少し色彩を持った不定形な虚無を感じる。そしてそれはあらかじめ想定された作家の冷静な領地の中にある。
それともうひとつ、私はクリストファー・プリースト『夢幻諸島から』について書いたように (→2013年10月16日ブログ)、幾つもの短編が組み合わさって全体を構成しているというような物語構造があまり好きではない。それでこの本も、間に他の本を挟みながら読んでいたのだが、読書の中断によってストーリーが飛んでしまうようなことはなかった。それだけ印象が濃かったということでもある。

巻末解説で野田秀樹が語っているように 「劇中劇中劇中劇中……」 というような劇中劇の連鎖は、「妄想の凧がどこまで上がるか」 ということなのである。凧が高く上がれば上がるほど妄想は膨らむが、凧は必ず落ちるのである。落ちないにしてもいつかは地上に戻らなければならない。その最も地上にいるのが玲於奈であり、それゆえに作家の創り出したものでありながら、最もリアリティが高くなる。だがそのリアリティさは錯覚であり玲於奈もまた作家の創造物に過ぎない。
もっとも妄想の高い部分は 「星工場」 というメルヘンなネーミングを持ちながらキナくさいストーリーの 「フュージョン」 のように思うが、話は二重スパイの重なりによって誰が敵で誰が味方かわからない状態へと融解して行く。この話の部分を野田秀樹は対幻想/共同幻想という吉本隆明からの概念で語っているが、演劇とは結局、共同幻想だという締めくくりかたに野田の作劇法の片鱗を知る。
それはホンモノ/ニセモノという対立概念にも通じるが、野田の『ゼンダ城の虜』も『贋作・桜の森の満開の下』も贋作をベースとしているし、『小指の思い出』はタイトルだけを借用したデフォルメであり、そうした借用は寺山修司の『百年の孤独』の方法論に似る。つまり外装だけを盗む確信犯である。
そして『夜は終わらない』はアラビアン・ナイトの変形譚なのであるが、過去の物語をリフレッシュさせようとする意図とは裏腹に、むしろもう一度アラビアン・ナイトをこそ読んでみたいとする見当違いの意識を私に目覚めさせたりするのだ。

だから次に語られるべきは、地上にいる玲於奈の、彼女自身の物語のはずなのであるが、語ろうとする玲於奈の開けたドアの外は昼なのに暗いばかりで、夜は終わらないのだ。


星野智幸/夜は終わらない (講談社)
夜は終わらない(上) (講談社文庫)

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青山実花

最近、どうも以前ほど本を読めていません。
電車の中でも、ついスマホをいじってしまう・・・
というのは言い訳ですね。
集中力が落ちているのかもしれません。

本の紹介のレビューは嬉しいです。
面白そうなので、
図書館に予約を入れました。
ありがとうございました。
by 青山実花 (2021-01-10 08:46) 

末尾ルコ(アルベール)

星野智幸は母の入院中、わたしが付き添いで泊まり込みになった時期に『ファンタジスタ』という短編集が病室へ持ち込んだ週十冊のうちの一つでした。その時はそうですね、作風は興味深かったですが、イマイチのれなかった感もありました。買っているけれどまだ読んでない星野智幸作品もありますので、今後順次読んでいこうと思います。
『群像』のバックナンバーを購入したことから『夜は終わらない』と出会われたのですね。だいたいわたしは出来上がった小説を買うのがもっぱらで、文芸誌を買うことはあまりないのですが、そのような出会いも素敵ですね。定期購読されている文芸誌などはありますか?それともその都度の出会いでお買いになるのでしょうか?お記事を拝読しつつ、文芸誌もたまに買ってみるのもいいなあと今まさに思うようになりまして(笑)。

『すべて真夜中の恋人たち』はよかったです。いまだいつでも読み返せるように手許に置いてます。川上未映子、いいですね。今後も常に注目し続けます。
吉本ばななは、前にも書かせていただいたかと思いますが、ある時期集中的に読んでました。『N・P』も読みました。今読むとまた当時とは違った感想を持つでしょうし、あらためて紐解くのもいいですね。
吉本ばななはあの神秘主義的な要素が好きでした。神秘主義的な傾向は時に人を極めて危険な方向へ導きますが、吉本ばななの場合は健全な神秘主義的傾向と言いますか、わたしにとっては心地のいいものでした。それとこれも前に書かせていただいたかもしれませんが、ある映画本でホラー映画について延々と語っていたのですが、それがもう普通だったら歯牙にもかけられないようなヘンな作品についても真剣に語っている。こういう愛情の持ち方っていいなと思ったものです。
『夜は終わらない』、未読ですが今後読むことになるかと思います。

> 間に他の本を挟みながら読んでいた

わたしいつも何冊もの本を並行的に読むという読書スタイルでして、これがいい場合も悪い場合もありますね、当然ながら(笑)。でもどうも一冊読み始めても、すぐに読み終えられる本であればまだしも、普通はどうしても(あの本も読み始めたい!)という欲求に負けてしまいます。時に一冊ずつ着実に読んだ方がいいかなあとも思うのですが、身についた習慣はなかなか変えられません。
そして確かにこのお記事を拝読させていただきながら、わたしも『アラビアン・ナイト』を読みたくなりました。

ここでお話逸れますが(笑)、ふとわたしがよく読んでいる現役作家はどのような人がいるかなあとあらためてチェックしてみますと、阿部和重、町田康、平野啓一郎、中村文則、川上未映子、綿矢りさ、金原ひとみ、藤野可織、そして村田沙耶香『コンビニ人間』もすごくおもしろかったです。小川洋子らもかなり読んでます。
読みたいと思いながらまだほとんど読んでないのが、多和田葉子。これは早急に手にしたいです。

・・・
ジョ二・ミッチェルは、初期は「サークル・ゲーム」などもわたし大好きですが、メロディアスで、やや情緒的な感覚もありました。ところが、わたしの大雑把な印象に過ぎませんが、徐々に情緒的な要素が無くなり、極めて構築的な美しさが立った楽曲が中心になってきたかと思います。こういう人はなかなかいないですよね。
そう言えば最近、フィオナ・アップルの新アルバムが物凄い評価を受けましたが、あちらの凄い人たちは本当に凄いですね。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-01-10 18:44) 

lequiche

>> 青山実花様

私も同様に集中力が落ちていてあまり読めません。
集中力というよりそもそも理解力が衰えている、
という危惧もあります。(^^;)

面白そうといっていただきありがとうございます。
ただ、話がややトリッキーなので、
うまくノレるかどうかによるのですが、
気楽にだらだらと読んだほうがノレる気がします。
ブログ本文には書きませんでしたが、
裏のテーマとしてジェンダーについての視点があるように
私には思えます。
by lequiche (2021-01-12 02:56) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

星野智幸、ご存知ですか。さすがです。
『群像』のバックナンバーはたまたま買っただけですし、
たまたま読んでみたら面白いと思ったのは偶然ですし、
いつもそのようなことが起こるとは思っていません。
ただ、何かしらのカンがあって、
これは面白いんじゃないか、と感じるときがあるのです。
といってもいつもカンが当たるとは限りませんが。
音楽を例にとるのならジャケ買いみたいなものです。
文芸誌は滅多に買いません。
ただ、SFマガジンは毎号 (隔月刊) 買っていますが。
雑誌はどのジャンルでも、
気の向いたときに買うというのが通常ですね。
ずっと買っていると飽きてしまうんです。

こういう記事を書いていながらなのですが、
あまり日本文学は読んでいないのです。
読んでいても偏りがありますね。
有名作家はほとんど読んでいません。(笑)
どちらかというと翻訳文学のほうが好みですので。
ですから、吉本ばななもそんなに読んではいません。
神秘主義的な傾向ですか。
そういう傾向というのはあるかもしれませんが、
あまり意識せずに読んでいました。

基本的には一冊だけを集中して読んでしまう、
というのが私の方法ですが、必ずしもそうはいかないので、
でも間に挟んでしまうとわからなくなってしまう本と
時間を空けても戻れる本とがあります。
今回の星野智幸は比較的戻りやすかったです。

ジョニ・ミッチェルは今回のアーリー・イヤーズ期では
歌はうまいけれどまだ普通の女の子、という感じがします。
それは初期のアルバムでも同様に感じますが、
だんだんとそれが変わっていったのは
ギターで変則チューニングをするようになっていったのと
重なります。
ですから最初は少しとっつきにくいですし
わかりにくいですね。
同じフォーク系でもスプリングスティーンなどのほうが
わかりやすいです。
でもそこがジョニの特質なんだと思います。
随分以前ですが《The Last Waltz》って最初に観たとき、
私はあまり良いと思わなかったんです。
一種のお祭りですからどうしても弛緩して見える部分があって、
といってもまだ音楽が何たるかを知らない頃でしたから
今考えると単純に理解力が低かったからかもしれません。
しかしその中でジョニ・ミッチェルは異質でした。
それがずっと印象に残っていました。
by lequiche (2021-01-12 02:56) 

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