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ゲンズブールとの対話 — L’aquoiboniste [音楽]

gainsbourg_r.jpg

人間誰しも好き嫌いがあるもので、でも例えば 「あの人は嫌い」 とはっきり言える人は幸せだ。巡り巡ってそうした自分の発言がどこに伝わることがあるかを考えると、私はとても恐ろしくてそんな断定的なことを言えない。
ところがセルジュ・ゲンズブール Serge Gainsbourg について、あいつキライ! という人を私は何人も知っていて、万人に嫌われやすいタイプなのかもしれないなぁとあらためて思うのである。というより表面的にはスキャンダラスな伝説 (ロリコンでインセストでという部分では、もはや伝説だろう) があるからなのかもしれない。そういう点ではたとえばチャーリー・パーカーなどと同じで偶像的アイコンとなりつつある。

ゲンズブールにはすごくつまらない映画とか、すごく手抜きな曲とか、晩年のタバコの箱をずっとわしづかみにしつつの、あまり見た目の感心しないコンサートの様子とか、そうした減点対象の弱みが数々あるのは確かだ。でもそんなの些細なこと。と、あえて断定してしまう私がいる。肯定的な断定なら問題がないと思うので。

ゲンズブールは言葉なのだ、と私は思う。言葉遊びのような、語呂合わせのような、でもそれをいうのならルイス・キャロルだってジェイムズ・ジョイスだって言葉遊びなのだ。もちろん言葉遊びということがそのすべてではない。
そしてゲンズブールは私にとっては巨峰なので、以下はごく低次元の戯れ言を綴るだけに過ぎない。

以前、ゲンズブールの L’aqouiboniste をテーマ曲にしたTVドラマがあったのを覚えている。たしか田村正和の主演で、どんなストーリーだったかは忘れてしまった。というかあまりはっきりとした記憶がないので、ちゃんと見ていなかったのかもしれない。
L’aqouiboniste は邦題を 「無造作紳士」 と言って、à quoi bon という成句を単純に繋げただけの造語名詞だから仕方がないのだろうけど、もう少しまともなタイトルはないのだろうか。といってもすぐには思いつかないのだが。
ジェーン・バーキンの最も特徴の出たウィスパー・ヴォイスの歌で、ゲンズブールの有名曲のひとつだ。TVドラマの記憶はなくて、そのタイトルバックのイメージだけが記憶に残っている。

その歌詞は少しずつ違う歌詞部分とルフランが交互に配置されている。
[R]→[1]→[R]→[2]→[R]→[3]……というシンプルな構成である。


(refrain)
C’est un aquoiboniste
Un faiseur de plaisantristes
Qui dit toujours à quoi bon
A quoi bon

[1]
Un aquoiboniste
Un modeste guitariste
Qui n’est jamais dans le ton
A quoi bon

[2]
Un aquoiboniste
Un peu trop idéaliste
Qui répèt’ sur tous les tons
A quoi bon

[3]
Un aquoiboniste
Un drôl’ de je m’enfoutiste
Qui dit à tort à raison
A quoi bon

[4]
Un aquoiboniste
Qui s’fout de tout et persiste
A dire j’veux bien mais au fond
A quoi bon

[5]
Un aquoiboniste
Qu’a pas besoin d’oculiste
Pour voir la merde du monde
A quoi bon

[6]
Un aquoiboniste
Qui me dit le regard triste
Toi je t’aime, les autres ce sont
Tous des cons


ルフランではアクァボンという言葉と、アクァボニスト、プレザントリスト、という名詞形が繰り返される。ルフランと交互に出てくる1番から6番までの歌詞も、1行目と4行目はアクァボニスト、アクァボンの繰り返しで、つまり2行目と3行目だけのまるでミニマル・ミュージックのような微妙な差異の勝負である。

2行目はすべて 「〜iste」 で終わっていて韻を踏んでいるのだが、1〜5番まではギタリスト、イデアリストといった人間の職業形態の名詞にしておいて、最後で regard triste という言葉で韻を踏むという構造で、というより最後に regard triste に持って行くためにその前の職業名詞があるのだと思う。
同様に [1] の3行目の dans le ton、[2] の3行目の tous les tons も、[6] の最終行の tous des cons への布石である。

ルフランの3行目にトゥージュール toujours が出てくるが、この 「j」 の音は [1] 〜 [6] の歌詞でも3行目にしか出てこなくて ([1] jamais, [4] j’veux, [6] je)、唯一、[3] のみ2行目に je があるのが惜しい。
同様に 「p」 から始まる単語は、ルフランの2行目にある plaisantristes に呼応して、[2]のピデアリスト p-idéaliste (リエゾンにより出てくるp音)も [4] の persiste も2行目で韻を踏む (p〜iste)。[2] の peu や、[5] の pas も2行目にある。pour のみ3行目で使われているが、さすがにここまで揃えるのは無理だろう。

他にも、[2] の3行目が répèt でそれが [3] の3行目では同じ [r] から始まる語 raison、そして [3] のレゾン raison と [4] の3行目のメゾフォン mais au fond の語感は似ている。その次の [5] では [m] つながりで merde du monde と変わってゆく。

ずっとミニマル風に言葉をモザイクのようにつなぎ合わせてきて、最後の [6] だけ微妙に感触が違う。やや歌詞が際だつ感じ。triste, toi, t’aime, autre, tous と 「t」 音が比較的多いからだと思われる。最後だけは à quoi bon ではなく tous des cons だ。
こうして tous les tons は tous des cons に様変わりする。
ゲンズブールの歌詞はすべてこうした技巧的流れがあって、その最も有名なのが 「夢見るシャンソン人形 Poupée de cire, poupée de son」 である。この曲についてはwikiなどにある程度の詳しい解説が載っている。

ただ問題は技巧ではなくて、聴いた感じの音の連鎖が美しいだけでなく、ゲンズブールの言葉はそこはかとなく悲しい。当時のチープな伴奏がかえってその曲と詞を際だたせる。これにハマると、エロエロロリコンオヤジでも許せるのである。
デビュー作というものはその人を最も的確にあらわすが、ゲンズブールの場合もそれは同じで、リラの門の切符切り Le Poinçonneur des Lilas のはかなさと心許なさに、その原点があるような気がする。


Jane Birkin/L’aquoiboniste
http://www.youtube.com/watch?v=4yo9Y0WRUqc


the best of Jane Birkin (Universal)
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コメント 4

じゅんこ

きゃ、やっぱりでたわ。 大好きなゲンちゃん・・
いいよねー
歌詞の分析すごすぎ。。

by じゅんこ (2012-05-14 11:38) 

lequiche

>>じゅんこ様
コメント欄の使い方がわからず放置しておりました。
申し訳ありません。 コメントありがとうございました。
いえいえ、ちょっと思いついただけの分析とも言えないもので、
ただゲンズブールの歌詞にはほとんどすべて
複層した意味がありますね。(^^)
by lequiche (2012-10-31 14:37) 

sig

こんにちは。
ゲンズブールは私の場合、映画を通して知りました。彼に対して好き・嫌いという感情は持ちませんでしたが、彼がジェーン・バーキンの旦那と知った時には猛烈に嫉妬しました。「なんであんな男を」と…大笑
韻を踏んだ詩句の解説はlequicheさんならではのさすがの分析で、外国語全盲の私は教えられました。
二人が共演した「ガラスの墓標」よかったですね、ジェーン・バーキンが。
by sig (2014-10-28 13:14) 

lequiche

>> sig 様

こんな古いブログにコメントありがとうございます。

確かに2人は見た目は不釣り合いみたいですが (^^;)、
バーキンは見た目じゃなくて、内面性を重視したんだと思います。
といってもゲンズブールは内面もぐちゃぐちゃなんですが、
ぐちゃぐちゃな中からなぜあんな作品が生まれてくるのか謎です。
汚ならしい厨房から絶品の料理ができ上がってくるのに似てます。

もともとゲンズブールはロシア系、バーキンはイギリス系で、
ある種のさまよえる人、いわば 「故郷喪失者」 なんですが、
私が興味を持ってしまう人にはその系列が多いです。

言語は、私はシロウトなのでごくいい加減な分析ですが、
ヨーロッパ言語は音韻が重要なファクターを占めています。
声にしたときの佇まいというか、それは詩に限らずそうです。
日本の国語教育で朗読とかイントネーションとか
文語への理解とかが、なおざりにされているのは悲しいですね。
by lequiche (2014-10-29 12:31) 

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