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伊藤正道展 「僕への小さな旅」 に行く [アート]

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伊藤正道公式サイトより

冷たい雨の夕方、恵比寿に伊藤正道展を観に行ってきた。
画廊は恵比寿の駅からすぐのしっとりと濡れている小路にあって、看板にはもう照明が点いていた。
伊藤正道の作品は、ほんわかとしたタッチの絵で、その名前を知らなくてもきっとどこかで見た覚えがあるのではないかと思う。カラフルだけれど柔らかくて、そしてちょっとだけいつも淋しさが垣間見えるような、そんな画風である。
だが彼は昨年急逝した。病気だった母親が亡くなって、すぐ後を追うようにして亡くなったのである。私は同様だったアレクサンダー・マックイーンの悲報の時を思い出した。

私が最初に伊藤正道と出会ったのは、おそらく初期の頃のMacのCD-ROMゲーム《セロファニア》のキャラクターデザインだと思う。今から考えればごく初歩的な動作しかしないゲームなのだが、きっとその裏に秘められたかたちにあらわれないイメージを読み取っていたのだと思う。当時のゲームで印象に残っているのは、この《セロファニア》と、たむらしげるの《ファンタスマゴリア》、そしてシナジー幾何学の《ガジェット》あたりだろう。

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伊藤正道にとっての重要なテーマは少年とおじいさんである。それはつまりひとりの人間の歴史の象徴であり、過去から現在を抜けて未来へと続く 「時」 を現している。

「僕への小さな旅」 は絵本の原画で、キャンバスにアクリル絵の具で描かれているが、その空の色は微妙に冷たくて、時に悲しいように見えてしまう。そしてなぜかちょっとだけ何かが、つまりアイテムが足りないように思える。描かれるはずだったものが省略されているような喪失感 —— これはたまたま作者が亡くなってしまったから、悲しみの色をそこに見てしまうのだろうか。
決してそれは見る者の気のせいではなくて、別に自分の死期を知っていたのではないのだが、何かそこに一種の予感のようなものが現れてしまったのではないかというふうに私はとらえる。そんなふうに、空の色というのは単純にブルーというだけでなく、もっとずっと深い。
思い返せば 「大きな古時計」 のときにもその淋しさのような印象を感じたような記憶があるが、でもそれは原画から醸し出される雰囲気であって、印刷物になってしまうとその悲しみの色は消えてしまう。それは印刷物のラチチュードの限界なのだろう。

画廊には正道氏のお姉様がいらっしゃって、絵の解説などをしていただいたが、正道氏が誰からも愛されていて慕われていた人であったことが感じられた。絵は品性である。画家本人だけでなく、すべての周囲の状況とか人間関係までがその作品に反映されるように私には思える。

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残念なのは絵本『僕への小さな旅』が品切れだということである。再版を待っている読者はたくさんいると思うのだが、良い本に限ってたいがい品切れというのが世の常だ。
今後はもう少し大きな展覧会の開催や常設の美術館、そして画集が望まれることである。作品の中に登場するおじいさんの年齢になる前に亡くなってしまったのが惜しまれるが、きっとあの特徴のあるヘアスタイルの少年が伊藤正道の永遠の姿なのだ。永遠の少年をわたしたちは決して忘れない。


恵比寿での会期は日曜までです。
http://masamichiito.com/

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