空虚なヴィジョン — ニコラ・ド・スタールに関するメモ [アート]
幾つか前のブログで大平具彦のことを書いたとき (→2013年07月09日ブログ)、その冒頭にサンクトペテルブルク生まれの画家、ニコラ・ド・スタールのことに触れておいた。その後も彼への興味ばかりが膨れあがるのだが、あまりに知識が無さ過ぎるのでまともな内容は書けそうもない。というわけでこれはごく簡単なメモである。
ニコラ・ド・スタール Nicolas de Staël (1914-1955) は画集を見ていて発見した画家である。本とは不思議なもので、強いパワーのある本は向こうからこちらを呼ぶ寄せるのだと思う。「私を飲んで」 というのは不思議の国のアリスだが、本は 「私を買って」 と呼びかけてくるのだ。
ド・スタールはそんなに有名な画家ではないのだろうが私の嗜好にぴったりな画風で、でも最初に連想したのはベルナール・カトラン Bernard Cathelin だった。非常に単純化した具象の絵という点では共通している。
カトランは晩年になるにしたがって、単純化された花瓶に入れた花をテーマに作品を連発した人で、日本では通俗的な意味でかなり有名であり、つまりルノアール的というよりもむしろハローキティ的といったほうが的確かもしれない。私はもっと前の時期のカトランが好きだったが、絵が単純化していくにしたがって興味を失っていった。
ド・スタールはたとえば〈Bateaux〉(1955) のような、ごく単純化された後期の作品がまず引き合いに出されるのではないかと思う。もう少し前だと、ややカラフルな〈Bouteilles〉(1952) のような作品もある。ところが画集をたよりに遡っていくと、初期は厚塗りの暗い印象の抽象画であり、その色と構成力がすばらしい。ここに掲げたのは1946年の〈Composition〉という作品だが、〈Composition〉というタイトルの作品は複数にあって、その年によって集中的に同様の構成の作品が何枚も描かれている。
〈Bateaux〉(1955)
〈Bouteilles〉(1952)
〈Composition〉(1946)
この暗い特殊な色彩感覚と抽象ということから私が連想したのはジャン・フォートリエ Jean Fautrier であったが、フォートリエの抽象は常にひとつの核を持っていて、ド・スタールと違ってそこに収斂しているように見える。
こうしたド・スタールの初期の抽象画は現代の目で見ると、やや古びているが、私が好きなのは何よりその色彩の独特な美しさなのである。そして次第に画風は薄塗りになり単純化されていったが、それによって増幅されたのは寂寞とした何か、というよりむしろ空虚さの滲み出ている全体のトーンである。
単純化の末に到達したド・スタールのこの表現はカトランの至福さとは正反対でしかない。
ド・スタールは貴族の家に生まれたが、しかしすぐにロシア革命が起こりポーランドへ亡命、さらに両親が亡くなりベルギーへ行き養父母に育てられる。モロッコのマラケシュでジャニーヌ・ギユー Jeannine Guillou という人妻と会い、子どももできるが彼女と正式に結婚することはできず、そしてニース、パリと住む場所を変えていったが、絵は売れず、やがて貧しさの中でジャニーヌは亡くなってしまう。
ジャニーヌの死以降、フランソワーズ Françoise Chapouton を妻に迎え、3人の子どもがいるが、彼は憑かれたように絵を描き続ける。その絵の裏側に見えるのは深い悲しみを通り過ぎた、うつろな心情のような気がする。そうした喪失感はなぜ出てきたものなのだろうか。
やがて絵が少しずつ売れ始めた頃、またド・スタールに新たな女性の影がみられるが、精神的に不安定となり絵が描けないという悩みにつきまとわれ、ある日、アトリエのあるビルから飛び降りてしまう。享年41歳であった。
私が参照した本は Marie de Bouchet《Nicolas de Staël/Une Illumination sans précédent》という小冊子と Jean-Claude Marcadé《Nicolas de Staël/Peintures et dessins》だが、Marie de Bouchet という著者はド・スタールとジャニーヌの娘である Anne de Staël の娘、つまりド・スタールの孫である。
Jean-Claude Marcadé/Nicolas de Staël Peintures et dessins (HAZAN)
Marie de Bouchet/Nicolas de Staël Une Illumination sans précédent
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