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カッシーニの瞳 — The Pale Blue Dot [雑記]

Cassini130719.jpg

この前、ベテルギウスが爆発するかもしれないというニュースを見た。ベテルギウスというのはオリオン座αという星の名前で、オリオン座の左上にある赤い恒星である。
もともとぶよぶよとした (という形容をしていいのかわからないが) 不安定な星で、以前はどんどん収縮しているという話を聞いたのだけれど、今はどんどん膨れているのだそうで、それっていったいどういうことなんだろう。兵庫県立大学西はりま天文台の 「なゆた望遠鏡」 が観測したベテルギウスの画像という記事で解説されていた。「なゆた」 という名称が那由他のことだというのはすぐ分かるが、名前通りの優秀な望遠鏡らしい。
http://www.astroarts.co.jp/news/2013/09/11betelgeuse/

最近、なんとなく天文に関する話題が多いような気がする。たまたまそういうニュースが気になっただけなのかもしれないが。
小学生の頃、私は星を見るのが好きで、子どもが見るのには分不相応な星図を持っていた。明るい星と星の間にある、細かな暗い星の中に分け入っていくときりがなくて、その嗜好はきっと地図マニアに似ていて、そして天文とは最もこの世の中の社会性と隔絶している分野なので、そこに精神的なオアシスを見つけだしていたのかもしれなかった。
だが、やがて私の視力が急速に落ちてしまって、夜空の星が見えにくくなったら天文熱も醒めてしまった。でもそうした子どもの頃興味を持ったことへの記憶はいつまでも残っているのかもしれないと思う。

ボイジャーが太陽系の外へ出たというニュースがあった。実は昨年、すでに出ていたということが確認されたということで、出たのか出てないのか、わかるまでに1年間もかかっていたのである。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98C00N20130913

ペイル・ブルー・ドットというのはボイジャー1号が宇宙の彼方から地球を撮った画像についてカール・セーガンが形容した言葉だが、地球は、これだと言われてもわからないただの点に過ぎなくて、「限りなく遠くも來にけるかな」 というくらいそれは遠くて、それを送信してくれたボイジャーという機械の集積に過ぎない物体に心があるかのように思い入れてしまう。
1977年に地球から打ち上げられたボイジャーは、地球に知的生命体がいるということを伝えるためのレコードを積んでいて、ゴールデン・レコードという特殊な加工をされたレコードではあるのだけれど、それは当時まだCDが無かったからということではなくて、やはりレコードが機械的で安定した媒体だからということなのだと思う。CDなんて寿命は20年とも言われているし、電子的な媒体は消耗品なのだ。
http://voyager.jpl.nasa.gov/

でもヴィジュアルとして一番感動してしまったのは、土星探査機・カッシーニが撮影した地球と土星の2ショットである。7月19日に撮影されたというNASA発表の画像。
2ショットといっても地球はどこにいるのかと思い、瞬時にその意味を理解した。こうした宇宙空間の美しさは、いままでにもう数限りなくSF映画やCGで見慣れていたのだけれど、でもそれらはことごとく作り物だったのだから。
そうした感動は、すばる望遠鏡に搭載されたHSCというカメラによって撮影されたM31銀河の全体像とも共通している。いままで部分的にしか撮影できなかったアンドロメダ銀河を超広視野で1枚の画像にすることができたのだという。
http://www.naoj.org/Topics/2013/07/30/j_index.html

夏の終わりから秋のはじめの、子どもの頃の今の季節を私は唐突に思い出す。それは古い木造の図書館の思い出で、床は板張りで、窓枠などの造作はグリーン・ゲイブルズのようで、窓の外の木々の葉をとおして陽の眩しさが少しだけ翳りを帯び始めた頃だった。
がらんとした閲覧室で、私はその大切な星図を見ていて、そしたら一緒にいたいたずらな友達が星図の余白に、エンピツでなにかいたずら書きをした。「もぉ〜、しょうがないなぁ」 と思ってあとで消してしまったのだが、そのままにしておけばよかったと思う。それはあの頃の確かな足跡だったのだから。
図書館には厖大な量の本があって、まだこれから幾らでも本が読めるというわくわく感はその時期の子どもでなければ味わえないことなのかもしれないと思う。成長するにつれ、次第にわくわく感は薄れ、単純に機械的な読書の積み重ねになって子どもの頃の夢は消失した。

それなのにベテルギウスの話から連想して、子どもの頃のわくわく感がふと甦ってくる。星とか宇宙の話は私にとってプルーストのマドレーヌのようなものなのかもしれなくて、怠惰な今の生活を少しでもあの頃の新鮮な気持ちに戻そうとするきっかけを示しているのかもしれない。


NASA
http://www.nasa.gov/mission_pages/cassini/whycassini/cassini20130722.html#.UkNJYpsYgWE
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miel-et-citron

星とか宇宙とか、自分自身が同じ時間を生きているのに
知らないことが多すぎて、それを知るわくわく感は
コドモもオトナも同じような感情で
そこにはとても、キラキラしたものがありそうです(*^-^)
by miel-et-citron (2013-09-27 01:37) 

lequiche

>> miel-et-citron様

あ、そうですね。
コドモでもオトナでもわくわく感は同じかもしれないです。
オトナになってもコドモの心を呼び戻せることなのかも。

宇宙はまだ知らないことに満ちていますが、
その神秘から人間はごく小さな存在でしかないことを
思い知らされます。

カッシーニが地球を撮影したこのとき、
NASAは土星のほうに向かって手を振ることを提案しました。
この画像で地球は小さな青い点に過ぎませんが、この点の中に
手を振っている地球の人々がたくさんいるはずなのです。
by lequiche (2013-09-27 02:56) 

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