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名も無き道の標べに — 美術手帖の特集・横尾忠則 [アート]

横尾忠則.jpg
横尾忠則 (青森県立美術館ブログより)

『美術手帖』2013年11月号の特集は横尾忠則だった。ヒマな時に興味のあるところを読んでいただけなので、ごくラフな感想に過ぎないのだが、とりとめもなく書いてみようと思う。

横尾忠則という名前は、いわゆるアングラ演劇が流行した頃の、天井桟敷とか状況劇場といった劇団のポスター作品の印象が強烈で、それは横尾色とでもいうべき独特の色彩感覚とレイアウトに支配されている。一度見たら忘れない。
特に強く感じるのは赤で、その真っ赤な 「赤」、つまりプロセスカラーならM100/Y100の、印刷インクでいえば金赤と呼ばれる、もっとも赤っぽい赤である。この雑誌のインタビューなどを読んでいると、横尾は1936年 (昭和11年) 生まれであり、戦争末期の空襲の時に爆撃された火災によって染まる空の赤さがその記憶の根底にあるのではないかと思わされる。
それは恐怖であると同時に、サーチライトに照らされるB29の美しさという記憶として残っているとのことで、赤は〈横尾にとって 「生と死を同時に意味する色」 という赤〉であるとも指摘されている (p.51)。

横尾が5歳の時に描いた絵本の模写というのがあって、この模写はすでにかなり有名なのだが、元絵の宮本武蔵の絵本からの写し方はとても5歳の子どもとは思えないレヴェルである。すべての基本は模写にあると横尾は言う。
ただ、テクニックということを離れてこの絵を見ると、横尾が5歳の時というと昭和16年で、戦争に突入していく頃の日本の空気感というか、そうした剣豪とか、いわゆる英雄譚のもてはやされるテーマが推奨されていた時期だったのだろうということが類推される。

横尾のポスターは、前述の赤を中心とした独特な色彩と、一種のアナクロな造形に満ちていて、そこには繰り返し現れる独特のパターンが存在する。たとえば旭日旗に象徴されるような赤と白の色彩がそうで、旭日旗のパターンはともするとかつての好戦的で右翼的な戦争のシンボルとしての色彩で、それが当時のアンダーグラウンドといわれる演劇のポスターとして、たぶん露悪的に用いられていたという現象が面白い。
最近、韓国などによって旭日旗が当時の日本軍の象徴として排斥されるというニュースがあるが、しかし旭日旗のパターンは、昔の軍隊の旗でもあると同時に朝日新聞の旗でもあって、旭日というパターンは勲章の名称にも存在するようにもっと古来からのパターンであるようにも思える。
つまり赤と白の連鎖は、日本の慶事の際の紅白幕のパターンであり 「ハレ」 の時の色彩であって、梅図かずおの家の外壁だって赤白のストライプである。だからこの赤白というパターンが使われる事象の総体は、その色彩から受けるインパクトによって精神をハイにしてゆくと意味が最も原初的な部分にはあるのだろう。

同時に描かれる花札の絵柄とか古風なフォントなどは、毒々しさ、見せ物小屋の猥雑さに通じ、怪奇譚や冒険活劇を連想させるアイテムであり、なによりもそれは一種の 「様式美」 として作用している。
一度編み出したパターンを拡大再生産することは、つまり模写の思想がその根底にあり、そして繰り返すこととはステロタイプとしての様式美の具現に他ならない。

私が過去の作品の中で最も美しいと感じたのは、1968年の《責場》というシルクスクリーンの作品である。A、B、Cという3枚に分けられ、各2点の、合計6点の絵なのだが、それらはいわゆる版画としての各色の分版であって、それらを重ね合わせた完成形は存在しない。途中の過程だけで終わっている未完成形なのである。
この前、私は、広重や北斎といった浮世絵の再刷りの販売をしているフェアに偶然行き当たったのだが、そこではそれぞれの版が重ね合わされて刷られて、だんだんとかたちになっていく過程が説明されている展示があった。
横尾のはそれに似ているが、彼の原画はおそらくスミの単色だけであり、それに色指定をして各色となって展開しているだけで、浮世絵の刷り師のようなロマンはなくて、もっと機能的である。
機能的であるがゆえに、絵柄そのものは竹に縛られた女性を描いた春画的 (というよりSM的) 題材であるにもかかわらず性的な喚起力は限りなく少ない。それはかつてヴィヴィアン・ウェストウッドがデザインに採用したペニスの連続模様に近い。

横尾を評したキッチュという表現があって、彼はそのキッチュ (Kitsch) さにおいてアンディ・ウォーホルに似ているが、キッチュというのはクレメント・グリーンバーグによればアヴァンギャルドの対義語である。つまり前衛でなく後衛であり、俗悪であって洗練されていないことがキッチュである (ということを、さっき調べていて知った)。

また、当時の美術シーンにおける認識として、こうした横尾の作品が版画であるか、それともデザインであるかという論争があったのだという。すごく簡単に言うならば、版画なら芸術作品だが、デザインだったら使い捨ての消耗品であるという区分けである。

 つまりはこの時代、版画にしろデザインにしろ、あるいは芸術にしろ、
 それらを峻別してなんら違和感がないくらいにきわめて限定的な、もし
 くは曖昧なカテゴライズがまかり通っていたということである。
 (p.82/成相肇)

そして、

 横尾が、デザインという芸術とは別の、より低価値の領域からやってき
 た闖入者とみなされた側面が少なからずあったという背景は確認してお
 いていいだろう。(同前)

とも書かれている。
複製されるもの、消費されるものとしてのデザインがあり、デザインとはもともと匿名的なものだ、と横尾自身も述べていたという (p.88)。しかし実際には横尾はブランドとなり、その名前が匿名ではなくなってしまった。それはかつてトゥールーズ=ロートレックやビアズリーが消費財でなくなり、名前が自立したのと似ている。
デザインは受注によって生じるが、芸術は自由で自発的な世界であるという考え方である。

 絵を描くことで、受注としてのデザインから、芸術という自由奔放な世
 界への脱出の気持ちが止みがたく募り、…… (p.91/松井茂)

その転換により、横尾はデザイナーでなく画家であるという一種の覚醒を得るが、それは 「画家宣言」 と形容されている。
デザインも 「芸術」 であるとする見方にしたがって、横尾のポスターも芸術へと 「格上げ」 され認められることとなった。一方で、本人も自分の作品を 「デザイン」 から 「画家の絵」 へと 「格上げ」 したのだが、その結果はどうなのだろうか。いわゆるカウンター・カルチャーだったものがカウンター・カルチャーでなくなったときという点において、それはタモリに似る。

いまや美術館の島である直島に個人美術館を作った李禹煥 (リ・ウーファン) が、同様の個人美術館を今年 (2013年)、近接する豊島に作った横尾に対して語っているページがある (p.52)。
李禹煥は自分と横尾との相違を語り、でありながら惹かれるもの、共通性をそこに見出しているのだが、彼の作品は 「柱の広場」 に立つ18.5mの高さのコンクリートの柱にも見られるように静謐で緻密な空間である。李もまた、韓国にも日本にもアイデンティティを持ちきれないという故郷喪失者的な精神性において、たとえばナボコフに似る。
一方の横尾の 「豊島横尾館」 は日本の古い民家を元にしているが、すべては日本という風土を感じさせ、そして土俗的で猥雑なテイストを湛えている点では李とは対極にいる。唐突に建っている14mの円柱は、まるでもうすぐ発売されるMacProの形状を連想させるが、その内面は 「滝」 のポストカードで埋めつくされているという。それは2007年の原美術館でのインスタレーションの使い回しであって、横尾の面目躍如な部分でもある。私がポストカードから連想するのは、みうらじゅんだったりするが。それはつまりキッチュの連鎖である。

最後の東野芳明/石子順三疑似対談というページで、松井/成相は横尾の流行に飛びつくミーハーな行動について語り、その後のオカルト的なものへの興味、UFOやピラミッドパワー、ユリ・ゲラー、ノストラダムスといったものとの関連性を印象づける。
「様式美」 をいわばパロディとして始めたことが、その自分の技法自体が様式美となってしまい、次には自分をコピーしなければならなくなったこと、それはもともとの模写→複製という横尾自身の根底にあるシステムなのかもしれないのだが、それが絵画となったとき、その芸術衝動となる元 (コマーシャルなものでなく) が何なのかが不明である。
デザインが芸術となったとき、その猥雑さの表現は深くなったようにも感じられるが、それは有名タレントが大勢いるのに何か空虚だった少し前のdocomoのCMにも似る。

以下は横尾の特集を読みながら考えていた、横尾とは離れた極私的な一般論なのだが、デザインの仕事が匿名性を帯びているということについては、たとえばかつての職人仕事による民芸品や実用品が想起される。それらは無名の作者であり、作者が表面に出ることはけっしてない。びっくりするほどの高値を呼ばないそうした作品のほうが私にはしっくりくる。
そもそも、いわゆるクリエーターとは (アーティストは、という設定でもよい) 「オレがオレが」 とマニフェストしていくものなのだろうか。そして世に名前が出る、有名になるということは何なのだろうか、誰もが自分の名前を世に知らしめたいと思っているのだろうか、というのが私の常に持っている疑問のひとつである。名前なんて単なるシーニュでしかないとする私の考え方は、逆に考えれば冷たいのかもしれない。


責場_r.jpg
横尾忠則/責場 (1968)

美術手帖2013年11月号 (美術出版社)
美術手帖 2013年 11月号 [雑誌]

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miel-et-citron

本当の意味で芸術とデザインのボーダーラインって
何なんでしょう。
例えば双方が同じものを作っても、カテゴリが違うと
値段が違うとか?
最近雑誌でまるまる取り上げられてたのですが
クリエーターも、一般の月刊誌で特集されちゃう時代なんですね
(*^-^)


by miel-et-citron (2013-11-12 23:47) 

cafelamama

天井桟敷のポスターを見て、アングラ芝居に興味を持つようになりました。
by cafelamama (2013-11-13 07:22) 

lequiche

>> miel-et-citron 様

どこが境界線になるのか、というのはむずかしいですね。
同じものでも値段が違うというのは、
ブランドものとノーブランドの服などでもよくあることです。
でも、やっぱりブランドものはどこか違うのかもしれないし・・・。

昔より今のほうが、自分の名前を出すということに関して
貪欲のような気がします。
だから映画のエンドタイトルはメチャ長くなってますし。
そういう時代なんだ、っていうことなのかもしれません。(^^)b


>> cafelamama 様

当時のポスターには強力なパワーがありますね。
上品で取り澄ましていない原初の情動みたいなのを感じます。
今の時代だと、気恥ずかしいようなパワーなのかも、
とも思います。(^^;)
by lequiche (2013-11-13 08:18) 

Loby

横尾忠則ですか。
懐かしい名前ですね。
アングラともサイケデリック風とも呼ばれた作風は
当時の流行で、もっとも売れっ子のアーティストの
一人でしたね。
by Loby (2013-11-15 23:18) 

lequiche

>> Loby 様

なるほど、サイケデリックでもあるんですか。

でも、売れたのにもかかわらず、
今回の『美術手帖』でも初めての特集ということなのは、
美術としては認められていなかったということですね。
技法的にはウォーホルなどと同等なのに、
評価としてはまだまだ厳しいものがあるようです。
by lequiche (2013-11-17 01:02) 

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