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エスタンシアの風 — ヒナステラ《弦楽四重奏曲第1番》 [音楽]

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Alberto Ginastera

バルトークの弦楽四重奏曲に似た曲として、よく例にあげられるのがヒナステラである。というより私の場合、「ヒナステラとバルトークって似てるよね〜」 という言葉に乗せられて試しに聴いてみた、というのが出会いである。

アルベルト・ヒナステラ (Alberto Evaristo Ginastera 1916〜1983, あるいはジナステラとも) はアルゼンチンのクラシック系の作曲家の中でまず最初に名前のあがる人である。といってもアルゼンチンでヒナステラに先行する作曲家というとカルロス・ロペス=ブチャルドくらいしか私には思い浮かばないが。
音楽史的な一般教養としてのラテンアメリカという括りの中でも、ブラジルのヴィラ=ロボスとこのヒナステラがそのトップだといえるだろう。

ただ最初にヒナステラを聴いてみたとき、確かにバルトークっぽい響きはするのだが、何かが音として欠落しているように感じられて、あまり熱中して聴いたりはしなかった。なぜか入り込めない曲というのは確かにあって、たとえばメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲なども、私にはあまりはっきりとした印象が浮かびにくい曲のひとつだ。
でも、ちょっとしたきっかけで、最近になって再びこのヒナステラを聴いてみたら随分印象が違っていた。

ヒナステラの弦楽四重奏曲第1番が作曲されたのは1948年。すでにバルトークは他界しているから、ヒナステラにはバルトークの6曲の弦楽四重奏曲を参照する時間は十分にあったと思われる。しかし第二次大戦後、バルトークの作品/方法論は比較的否定されていた時期であり、その頃にヒナステラがこうした書法をとることができたということは、やはりアルゼンチンは音楽シーンのメインストリームからは外れた地であったとも考えられる。
表面的なパッショネイトな音の塊とか、ピチカートとかに眩惑されがちだけれど、少し注意深く聴いていくと、あたりまえだけれどヒナステラとバルトークは随分違う。
何かが足りないと感じたのは、ヴィラ=ロボスに対して感じた印象と同じで、でも最近、それは足りないのではなくて、音楽性の基底そのものが異なっているのだということに思い至ったのだが、それはエグベルト・ジスモンチを聴いているうちにひとつのヒントとして理解できたのではないかと思う。というようなことをジスモンチ父娘の話題に絡めて数回前のブログに私は書いた (→2013年11月01日ブログ)。

ジスモンチの音楽に感じられる暗さの質が違うと気づけば、ヴィラ=ロボスの曲想もルーズとか鷹揚というのではなくて (→2012年03月30日ブログで私は、ルーズで鷹揚と形容してしまったけれど)、もっと包容力を持つ、何かゆったりとしたもののように思われてくる。
ヒナステラの場合はアルゼンチン人なので、ブラジルとは異なり、アストル・ピアソラの音に通じるやや悲劇的なテーマを持ちながら、でも挫けない力強い特性を持っているように感じる (実際にピアソラはヒナステラの下でしばらく学んだ経歴がある)。
作曲家の性向のすべてを国民性とか風土に置き換える意図は全くないが、土地の精霊から受ける何らかの音楽的特質は、うっすらとだが確実に存在する。

ヒナステラの弦楽四重奏曲第1番の冒頭のアルコとピチカートの重なった印象的な音。これがある意味全てで、バルトークに較べると、全体の構成があまりにもはっきりしていて (むしろはっきりし過ぎていて) 例えばこういうのはコンサート映えしやすい曲であるといえるし、そこに落とし穴も存在する。
YouTubeには Fischoff (National Chamber Music Association) のコンペティションの動画があり、下にリンクした演奏もそうだが、ヒナステラはこういうふうに捉えられやすい見本であるとも言える。

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ブーレーズが作曲家と演奏家について書いている文章があって、その中での演奏家というのは指揮者をほぼ想定していて、ブーレーズ自身の 「二足の草鞋」 的ノウハウを披瀝しているのだけれど、同様に楽器演奏者に対してもあてはまる内容があって、それはこうである。

 演奏家は、音楽の形式や展開について驚くほど実用主義的な見解を持っ
 ているが、それはとりわけ、聴衆と演奏家との間に成立する関係が、連
 続する情動性や実効性を演奏家に直接教えるからである。
        (ピエール・ブーレーズ『ブーレーズ作曲家論選』p.33)

実用主義的見解というのは、ナマ演奏におけるダイレクトなレスポンスを指していると思われるが、それは作曲家が意図したものよりも如何に聴衆に受け入れられるかをコントロールすることが、ある程度は可能だからである。
ヒナステラもヴィラ=ロボスもそうだが、たとえばプーランクなども同様で、外見的に構造が見えやすくて見栄えのする作品は、結局それだけが全てであると錯覚しやすいし、ライト・クラシック的な消費方法の対象となり得る。

ただ、わかりやすいことが作品そのものの軽重を左右することではないし、本質はもう少し違うところにある。アルゼンチンはタンゴやフォルクローレに代表されるように世俗的音楽の土壌を持っていて、ヒナステラの音楽もまたそれらと無縁ではない。
これは逆説的な言い方かもしれないが、ヒナステラの作品がわかりやすい分だけ、バルトークやベートーヴェンの弦楽四重奏曲における晦渋な部分がわかってくるように思う。


Henschel Quartet/Ginastera: Streichquartette Nr.1&2 (Arte Nova Records)
Ginastera: String Quartets




Enso Quartet/Ginastera: String Quartets (Complete) (Naxos)
Complete String Quartets




Quartet Morina 2013 Fischoff/Ginastera: String Quartet No.1-I
http://www.youtube.com/watch?v=W4U1FS6jFPYi
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