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窓の見える風景 — ウディ・アレン《インテリア》 [映画]

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この前、ふとウディ・アレンの《インテリア》をちょっとだけ見たら、このまま全部見てしまいそうなので、時間が無かったから無理矢理ストップして、あらためて見ることにした。今日、少し時間ができたので、そのあらためてを実行してみた。

その前に他のブログなどを参考に読んでみたら、ウディ・アレンがイングマール・ベルィマン風に撮ってみた映画というような感想があったが、たしかにその映像の、一見禁欲的なパースペクティヴはベルィマンを思わせる。特に母親のジェラルディン・ペイジのたたずまいとか動きは、ベルィマン風というよりベルィマンのパロディのようで、むしろこれはアレンがベルィマン作品に対してのリスペクトと見せかけて、実はそれとは違う作品を構築しているのを観客がわかるかどうかテストをしているように思える。

なぜなら、たとえば《ファニーとアレクサンデル》などでは、どんどん息詰まるように偏執度が高まっていき、視野狭窄っぽい印象を感じることがあり、そのダイナミズムがベルィマン的といわれるテイストでもあるのだが、アレンはそういう方向性には行かない。
登場人物 (父、母、その子どもである三姉妹、父の愛人) それぞれの視点がそのときどきで平等に存在し、冷静で、むしろ偏執とは逆の方向性でストーリーが進行してゆく。

物語のひとつの核となっているのは三姉妹 (レナータ/ダイアン・キートン、ジョーイ/メアリー・ベス・ハート、フリン/クリスティン・グリフィス) で、それぞれ自分の芸術的才能に頼ろうとしているが、皆それぞれに二流か三流にしかなれず (レナータのみ1.5流くらいなのか?)、各々に悩みを持ち、そしてジョーイはレナータに対して嫉妬を感じている。
三人姉妹という設定はブロンテ三姉妹とか、チェーホフ作品を連想したりする一種の詩的魔力を備えていて、もめごとや感情の機微を描くには格好の関係性だ。これが三人兄弟だとそうしたイメージにはならないで、毛利元就の教訓のような実利的なものになるのがせいぜいである。

ただ、この映画の主役は母親 (イヴ) のジェラルディン・ペイジであって、三姉妹はインテリアの美学に通暁したイヴの作品のひとつひとつにしか過ぎないともいえるのだ。だがイヴの子どもに対する統制力は弱まり、イヴの夫 (アーサー/E・G・マーシャル) は、冷たい知性だけとも思えるイヴを嫌い、離婚して、イヴと全く性格の異なる愛人 (パール/モーリン・ステイプルトン) と結婚してしまう。
パールは、イヴの趣味と嗜好に支配されていた家族たちのモノクロームっぽい生活の中に突然侵入してきた強い色彩の異分子である。それは具体的に、たとえばパールの着る真っ赤な服などで表現され、それまでの抑えた色彩の中で強烈に作用する。
夫がパールを採り、子どもたちに対する影響力も衰えてきたことを感じたイヴは、夜の海の中に消えていくことを選択する。

淀川長治も、この映画についてはジェラルディン・ペイジとモーリン・ステイプルトンの映画であるということを断言していて、この2人の共演はまるで《八月の鯨》のようだと解説していた。
映画の最初のほうで三姉妹とその周囲の人々の典型的なインテリの会話と葛藤が描かれるが、この2人が並ぶと、子どもたちの対立は所詮子ども同士の矮小な関係性でしかないと思わされてしまうような、そんな強大なインパクトと存在感がある。
音楽がまったくなくて、アーサーとパールの結婚パーティのときに、トミー・ドーシーがいきなりかかるのもパールのアクティヴさを象徴する効果となっている。

映像に関して私が感じたのは、暗い室内から眺める曇り日の外光の窓の格子の無機質さだ。ごく普通の、当時のごくありふれた、けれどなぜかアメリカを連想させるような無愛想な縦横の格子で構成されている窓。それは室内から見た風景と、室外の風景そのものとは微妙に異なることの暗喩でもある。イヴは生涯、自分の嗜好で満たされたインテリアに囲まれた室内からの風景しか見ることはなく、外に出ていったとき、彼女は死を迎えるのである。

いつも暗い海に隣接している家は虚無的で美しい。ラストシーンのあたりで、私はなぜか、場違いな印象なのだけれど、以前DVDで見た馬場康夫の《波の数だけ抱きしめて》のラストを連想してしまったのだが、それはひとつの物語が終結してしまった区切りを、波がすべて消し去っていくという意味あいにおいては同一だからなのに他ならない。

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ウディ・アレン/インテリア
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青山実花

こんにちは。
niceだけ先に押させていただき、
今、じっくり読ませていただきましたが、
素晴らしいですね。
lequicheさんの洞察力には
頭が下がる思いです。
知識も凄いです。

私は、「ファニーとアレクサンデル」も未見です。
放置してある映画の数を思うと、
頭をかきむしって、走り回りたくなりますよ(馬鹿ですね笑)。
これからも良い映画を紹介してくださいね。

by 青山実花 (2014-11-27 11:06) 

lequiche

>> 青山実花様

ありがとうございます。
でも私はそんなに数多く映画を見ていないですから、
ごくシロートの杜撰な感想ですみません。

私の想像では、ジェラルディン・ペイジがベルィマン風に見えるのは
ウディ・アレンの一種のシャレなので、
アレンの映画術はやっぱりアメリカであり都会的ですし、
それと較べるとベルィマンは田舎風です。
(田舎だから悪いという意味じゃありません)
映像的にも、アレンの拡散に対してベルィマンは収斂です。
それと宗教 (キリスト教) をどう捉えるかというのは重要ですね。

淀川長治によれば、
モーリン・ステイプルトンは本来こんな役をする人じゃなくて、
だからペイジとステイプルトンの対比が面白いということだと思います。

以前、ある某電気店が閉店するちょっと前に、
在庫のDVDやCDをものすごく安く販売したときがありまして、
ウディ・アレンもベルィマンもそのときまとめて買いました。
ホントなら全部欲しかったんですが、とてもそこまでお金が無くて。

超人気作品以外の、ちょっとマニアックなDVDとかCDは、
売っているときに買っておかないと入手しにくくなりますから、
とりあえず買っておいて後で見るというのがいいと思います。
未開封のDVDセットがウチにも幾つもあります。
by lequiche (2014-11-28 01:27) 

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