悲しい雨が降り続いても — 谷川俊太郎とHALCALIとSOUL’d OUT [音楽]
HALCALI (YUCALIブログより)
6月19日のNHK 「あさイチ」 に谷川俊太郎が出演していた回を観ていた。
今度の詩集について、その凝った用紙のことについて聞かれ 「そんな贅沢なこと、ぼくは別に望まなかったんだけど」 と言いながらも、本というメディアのかたちそのものが完成された美学を形成していることを語っていた。
一種の工芸品みたいな。それがやっぱり詩集としては必要なんだな、と
思いましたね。ただ文字データがあればいいだけじゃないんですよ。だ
から、いわゆる電子メディアで読むのと本になって読むのとは全然違い
ますね。
さらに、どう違うかという問いに対して、
あの〜、なんていうのかしら、ぼく、電子メディアで詩、読むことがあ
るんですけれど、なんか味気ないんですよね。あの、意味しか通じない
っていうのかさ、なんか詩っていうのは意味以外のものがいっぱいある
わけなんですよ。それこそ言葉の音とかね。そこから湧いてくるイメー
ジとか。だけどディスプレイで読むと、他のインフォメーション——情
報と同じように詩が見えてしまう。だから詩が立ってこないという感じ
があるんですね。こうやって本になると、その本の個性みたいなものが、
詩を応援してくれてるっていうのかな。そういう感じが、すごくいいで
すね。
谷川の 「詩が立つ」 と言う表現に、あらためて書籍という完成形のメディアの重要さに気づく。でも今はそうしたことを重要視しない人も多くなっているのだろう。
詩の場合、本というかたちが重要であるのと同様に、声に出して読むというのも重要だ。詩は朗読するという行為によって、目で文字を追うのとは異なった印象を、より強い印象を聴く者に与えてくれる。谷川俊太郎が読む自作の詩の醸し出すその声のトーン、その場を支配する空気も、また 「詩が立つ」 という見本のように思える。
だが、今、詩に限らず声に出して本を読むということは少なくなりつつある。
HALCALIの《音樂ノススメ》(2004) のなかに谷川俊太郎が詩を読む曲があって、最初に聴いたとき、誰かがモノマネしているんじゃないかと少しだけ疑ってしまったのだけれど、でも、声はやはり間違えようがない。文字と違って、声はその瞬間だけ空間を支配して消えてゆくが、文字よりも確実な痕跡を聴く者の記憶に残す。文字は音にはかなわないのだろうか、とこうして文字を書きながら音というものの絶対性を思う。
HALCALIをだらだらと聴いていた頃があって、たとえば〈フワフワ・ブランニュー〉とか、HALCALIはその曲そのものがなんとなくだらだらしていて、でも、ユルくてだらだらしているように聞こえるだけで、実は結構きちんと作られているし、意外にタイミングが難しくて、こんなふうには歌えないということが歌ってみるとわかる。
HALCALIはアンニュイだけれど、それからしばらく呪文のような言葉にハマり、SOUL’d OUTの《ALIVE》(2006) をエンドレスで聴いていた頃もあって、このアルバムの代表曲である〈TOKYO通信〉のことを私はかつて、これ演歌だよね〜、と言っていたのだが誰も賛同してくれなかった。
SOUL’d OUTの歌詞はラップの常で、わからなくわからなくするのだけれど、その隙間から聞こえてくるというよりも漂ってくるのは都会の雨と孤独とはかない夢で、それはクールファイブなのだ。
〈Starlight Destiny〉なんてタイトルからして、もうダサいんだけれど、というかSOUL’d OUTそのものがダサいというラップ好きな人たちもいて、でもそんなマニアックな人たちの言うことはどうでもよくて、その言葉のわかったりわからなかったりする連なりかたが快感で、谷川俊太郎とは全く違うのだけれどその聞こえてくる音そのものがカッコイイ。
何も失わずに手にいれたものなどくれてやる
なんて、きっと歌詞だから言える言葉なんだろうと思う。たぶんきっと。
HALCALI/音樂ノススメ(フォーライフ ミュージックエンタテイメント)
SOUL’d OUT/ALIVE (SME Records)
HALCALI/Long Kiss Goodbye
https://www.youtube.com/watch?v=DXq_5eukLF8
HALCALI/フワフワ・ブランニュー
https://www.youtube.com/watch?v=x8PHKngFi74
SOUL’d OUT/TOKYO通信
https://www.youtube.com/watch?v=SO51jyCs3PA
SOUL’d OUT/Starlight Destiny
https://www.youtube.com/watch?v=coH3lzoE3QE
>> desidesi 様
おぉ、そうですか。
私は普通、この時間の番組は見ないんですけど、
たまたま谷川俊太郎だったのでしっかり拝聴してました。
紙の書籍→電子書籍という流れはアナログレコード→CDに似ていて、
むしろそれ以上の変化があると思います。
どちらも余計なものをそぎ落としてしまっているというのか、
いらないものはいらないんだという思想が見えて、
でも、そうしていらないものとして選択している部分が
実はいらないものではないんじゃないかと思うんです。
いらないものは邪魔だから捨ててしまえという方向性を
私は「姥捨て山思想」と言っていて、
現代はそうした思想に満ちているように感じます。
原画と印刷物の違いも私はマグリットの話題で書きましたけど、
でも、ともするとそういう違いはわからなくなりつつあります。
PDFもmp3と同様、劣化クローンだと私は思うんですけど、
だんだんとそれでOKみたいな妥協が多くなっていくんでしょうね。
HALCALIもSOUL’d OUTもラップとしては傍流で、
残念ながら今は活動していません。
なんでも滅び行くものがいいんです。私は滅亡派なので。(笑)
by lequiche (2015-07-01 14:35)
>> desidesi 様
人間の寿命はあるけれどDNAは不滅の存在であって、
実は人間はDNAの存在を継続させるためのコンテナに過ぎない
という説もあります。(^^)
確かにスマホはイージーなカメラを駆逐しましたね。
どんどん性能はよくなってきていますが、
でも誰が撮っても同じという印象はあります。
こういうのもグローバリゼーションなのかもしれないけど。
そうじゃない場合、やっぱりカメラはライカでないと、とか
アナログプレーヤーにはSMEのアームとか、ごくマニアックで、
うんと極端な嗜好になってしまって中間層が欠落してます。
車のオートマにもスポーツモードというのがあって、
これにするとシフトダウンするとき、
回転数を合わせるため車が勝手に空ぶかししたりする。
笑っちゃいますよね。
たぶん人間がやるより量的には正確なはず。
PCだってヴァージョンアップしますか? と言われて
言われるままにインストールしてるだけで、
悪意のヘンなもの入れられたとしてもわからない。
あまりにも便利になりすぎて人間がバカになっていきます。
やっぱりDNAコンテナに過ぎないのかもしれません。
by lequiche (2015-07-03 11:12)