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1977年、Ghosts、山下洋輔 [音楽]

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ふと、山下洋輔のCDを見つけたので聴いてみた。《Ghosts by Albert Ayler》というタイトルで、録音データは1977年05月23日、ドイツでのライヴ録音である。
Klaus Kühne at “Jazz in der Kammer,” Deutsches Theater Berlin となっているが、Deutsches Theaterは1850年に建てられた劇場で、1977年だとまだ東ドイツの頃だ。

オフィシャルサイトのバイオグラフィによると山下の初ヨーロッパ・ツアーは1974年であり、メルス・ジャズフェス、リュブリアナ・ジャズフェスなどで大ウケして、以後しばらくは毎年のように渡欧するようになった頃。1976年からドラムスが小山彰太に変わり、そのトリオでの演奏の記録なのだが、オフィシャルのディスコグラフィにはこのディスクは掲載されていない。
1977年のリストでは《アンブレラ・ダンス》が1977年06月16日にドイツのルドヴィヒブルクでの録音となっているから、それより3週間ほど前のライヴである。
内容は〈キアズマ〉と〈ゴースト〉の2曲だが、CDのジャケットの曲順は逆になっているし、ドラムスの小山彰太は Shoichi Koyama と表示されているしグズグズだ。でもブートではないと思う。リストに無いのは、たぶん日本盤が出ていないからだろう。

音はくっきりとしていてデッドで、想像していたよりも意外に音がクリアでシンプルで、そんなにグチャッとしていない。もっと破壊的な、音の洪水みたいなものを想像しているとそんなことはなく、山下のピアノも和音の重なりによる重層的な音が出てくることはあまりなくて、サックスとピアノのラインのからまり合いという印象を私は持った。
たとえばオーネット・コールマンの《At the “Golden Circle”》はオーソドクスとまでは言えないけれどスウィングしていてダーティな音もなく、ごく正統的なジャズに近く聞こえると私は以前書いたことがあるが、この山下&坂田の音も、ある意味それに似ていて各音の配列がアヴァンギャルドなだけで、構成自体はごく単純で昔からのジャズ・イディオムなのだということがはっきりとわかる。だからあくまでジャズであって現代音楽ではないのだ。

つまりそれは一種のステロタイプで到達地点が決まっているので安心して聴けてしまうのかもしれない。水戸黄門で最後には必ず印籠が出てくるのに似ている。
セシル・テイラーの場合も生じるカタルシスは似ているが、到達地点がちょっと違う。安心しないように工夫されている部分がある。あえて工夫していないからそうなってしまうのかもしれない。

ただ、山下トリオの演奏は観客にはかなりウケている。この〈ゴースト〉は坂田のインプロヴィゼーションの中に童謡の〈赤とんぼ〉が出てくるので有名なのだが、たぶん東ドイツのリスナーにはそんなことはわからなくて、アドリブの中での偶然に生成されたメロディくらいに思っているのだろう。
ただそれは結果としての単純なカタストロフィではなくて、山下のピアノにはそこに至るまでに意外に整然とした音で積み上げていく部分があって、そのピアニスト対管楽器奏者の対抗のしかたはセシル・テイラーのグループに見られる構造と同じだ。スピードだけで対抗しないで和音で重ねていこうとするが、その音がまだ若くて、1977年のヨーロッパという時代を感じさせる。

山下の著書の中にこの日のライヴについて書かれている個所がある。

 三年後の今年 [1977年のこと]、別のルートで今度は東ベルリンでコン
 サートをやった。満員の聴衆はほとんど若者で、その反応はすばらしか
 った。よく知っている聴衆だということがすぐ分かる。東ベルリンでは
 西側のラジオの電波は容易に受信できる。我々の演奏も何度かラジオで
 流れた。(『ピアノ弾き翔んだ』徳間書店、p.114)

だがその後に、当時のいかにも東ドイツらしい逸話が書かれている。演奏後、楽屋にやってきた東ドイツのジャズ・ピアニストが、西側のフェスティヴァルに招待されたので役所に許可してもらうように申請したものの連絡が来ず 「なしのつぶて」 だったこと。山下トリオのように西側から東に入ることはできるが、東から西に行くのは相当困難だったということがこのことからも推察できる。きっとそうした不条理を当時の彼らは何度も味わってきたのだろう。
スターリンの頃のソヴィエトほどではないにしても、芸術というものに対する迫害が必ず存在していたのだ。クラシックならともかくわけのわからないジャズはアヤシくて危険だとする狭隘な偏見の思想が根底にある。それは何かわからないもの/理解しがたいものを頑迷な規律というもので束縛しようとする圧力であり、東ドイツは幸いなことに統一されて無くなったが、まだそうした恐怖政治とねたみやそねみを利用した密告で人の心を縛ろうとする国が無くなったわけではない。

この山下のライヴで異様に盛り上がるリスナーには、そうしたプレッシャーから逃れたいとする切実な希求があったからなのに違いないとこの録音を聴きながら思う。このライヴから12年たってベルリンの壁は無くなった。だが今でも幾つもの見えない壁が世界には依然として存在している。


Yosuke Yamashita Trio/Ghosts (East Wind)
http://www.amazon.fr/Ghosts-Yosuke-Yamashita-Trio/dp/B00A8D7X9K

山下洋輔/ピアノ弾き翔んだ (徳間書店)
ピアノ弾き翔んだ (1978年)




Yosuke Yamashita Trio/Ghosts
1977.05.23.
Klaus Kühne at “Jazz in der Kammer,” Deutsches Theater Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=xOt_cJMLCsc
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コメント 4

majyo

東西ドイツが存在していたころ、
芸術家、音楽家などは大変な思いをしたのでしょう
相互理解は、民間からですね。
良いものは良いと、民衆は受け入れますが
それを閉ざす支配者たちがいます。
>とねたみやそねみを利用した密告
これは存在します。そして追従する人たちとが優遇される

見えない壁を取り払いたいです

by majyo (2015-10-27 12:58) 

lequiche

>> majyo 様

その東ドイツのピアニストは冷静に話しているけれど
心に煮えたぎるものがあって、握った手が震えていたそうです。
音楽は抽象的ですが、
だから逆に言語を超えて伝わるものもあるはずで、
そうした意思の伝播を嫌う為政者もいるのだと思います。
自由な表現を阻止しようとするのは
学校の生活指導部の教師も恐怖政治家も同じです。

特定の話題について言ってはいけない、それは禁句だ、
と制限するのはそこに何かのヤマシいものがあるからだと思います。
密告が奨励される環境では、誰もが疑心暗鬼になり、
見知らぬ部外者は皆スパイに見えるのかもしれません。
壁は侵入者を防ぐだけでなく、内側の汚いものを隠します。
せめて高い壁より低い垣根にしたいですね。
by lequiche (2015-10-27 14:25) 

lequiche

>> desidesi 様

オフィシャルサイトを見ますと、
『ピアニストを笑え』の初出は晶文社です。
それが新潮文庫になったのだと思います。
内容的にはどうでもいいことを書いているので、
どうでもいいことだけ印象に残っていればいいんだと思います。

音楽はあってもなくてもよいものです。
昔の専制君主はそういう音楽を大切にして保護しましたが、
今の恐怖政治家はそういう音楽を恐れています。
だからどうでもいいことのように装うことも必要なのです。(^^)
by lequiche (2015-10-27 14:26) 

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