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細胞の意思 — 森達也『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』 [本]

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Charles Robert Darwin

気鋭の科学者たちへのインタヴューをまとめた森達也の『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』はスリリングで、しかもひとつのテーマに収斂していて、科学について全くシロートである私のような読者にも興味深い内容であり、連載されている頃から興味を持って読んでいた。
ひとつのテーマとは、書名通りの 「私たち人類とは何であるのか」 という素朴な、しかし究極の疑問のことであり、〈私たちはどこから来て、どこへ行くのか〉という言葉はポール・ゴーギャンの作品〈D’où venous-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?〉(我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか/1897-1898) からとられている。

先月上梓されたこのインタヴュー集を、今まだ読んでいる最中なのだが、感じたのは、リチャード・ドーキンスの 「利己的遺伝子論」 からの強い影響力があることである。「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」 というドーキンスのテーゼは衝撃であり、それによって影響された思考は数多いのではないかと思われる。ドーキンスとスティーヴン・ジェイ・グールドの論争を念頭に置いて、森達也の各科学者へのアプローチは、むしろドーキンス的な考え方に対する懐疑とか不信から発しているようにも思える。
もちろん、だからといって単純に反ドーキンス的な発想なのではなく、「でも、そりゃないよ」 とでも表現してしまえるような、あまりに整合性を持って言い切ってしまうドーキンスに対する原初的なぼんやりとした不満が感じられるし、それは読者である私自身もそうであった。
それともうひとつ、キーワードがあるとすれば、それはさらに素朴なことだがダーウィニズムをどのように捉えるかということである。

だが逆に、宗教と科学ということについての考えさせられる提議は、今、この世界に起こっていることや身近なことごとと引き合わせてみるたびに納得させられることが多い。
第1章は生物学者の福岡伸一との対話であるが、そこで森は科学の限界性を突く。

 何よりも、最も基本的な命題である 「なぜ何もないではなく何かがある
 のか?」 については、科学はほとんど答えることができないでいる。
 (p.22)

科学が発達すればするほど――たとえば地球という環境の特異性は増すばかりであり――神学はかえって揺るぎないものとなって、その存在証明が強化されるという部分があるのだという。最先端の科学者が、ともすると神秘的なものに惹かれたりするのもその一環なのだ。
ドーキンスが無神論者であり、そうした全ての神秘的なもの、偶然、暗合などを排除することによる整合性は明快だが、むしろ整然とし過ぎていて、そこに何らかのアンチテーゼを唱えたい思考が働いてしまうのも確かである。

ダーウィンが『種の起源』を書いたのはメンデルの遺伝子の発見より前であり、ダーウィンに突然変異という発想は無かったのだという。ただ、ダーウィニズムの自然淘汰や適者生存という考え方は資本主義と相性がよく、それらはつまり市場原理なのだと言われると思わず納得してしまう。

第1章の福岡伸一との対話で興味深かったのは、エピジェネティクス (epigenetics) という考え方で、チンパンジーとヒトのゲノムの差異は2%しかなくて、でもその2%は特異な遺伝子が2%あるのではなく、遺伝子のセットが変わらなくても、onになる順番とか、タイミングとか、それぞれのボリュームが変わることによって変化がおこるのだという。それを遺伝子の発現と称するのだそうだ。

少し間を飛ばしてしまうが、面白かったのは第4章の生物学者・団まりなとの対話である。
団まりなは細胞などについて話をするとき、擬人化した言葉で語るのだという。だが科学の分野において擬人化というのは一種の禁忌だということだ (でも、そう言いながらドーキンスの 「生物は遺伝子の乗り物」 って擬人化そのものだと思うのだが)。それで私は嫌われる、と団は笑う。単に科学的な常識にとらわれているだけでなく、団が女性であるということへの偏見もあるのだと断定する。
しかも団の擬人化は、単なる比喩ではなく、実際に細胞そのものに意思があるのだとする見方なのだ。生物には脳があるからそこで思考できるのであって、脳の無い細胞に意思などというものはないとする常識的な考え方を、それは単なる物理的でメカニカルな視点に過ぎず、でもそれだけでは説明できない現象があるのだという。
細胞自体が、全体を脳のように活用して生きているのだという。それは一種の本能のようなものと考えてもよいのだろうか。

細胞の原核とハプロイド、ディプロイドにに関する説明も面白かった。ハプロイドは染色体が単体1セットの細胞のことをいい、ディプロイドは2倍2セットの細胞のことをいう。ハプロイドは無限に増え続けるがディプロイドは分裂回数に限りがある。限りがあるということは死があるということで、細胞が複雑になればなるほど、それは寿命を持つようになるということである。なぜ生命は、限りがあり、いつかは死んでしまうという不利な条件を受け入れたのか。
また、団は生命の脆さに関して語る。なぜこんなに貪欲に生に執着するのに、簡単に死んでしまうものなのだろうという疑問。

なぜ生命に寿命があるのかということについて、森は追求しこだわるが、それについての答えは各学者によって各様だ。全能者=神という概念を安易に持ち出さないことによる思考。それが科学なのだとあらためて思う。

団まりなとの対話の最後に追記があって、彼女はこのインタヴューの翌年 (2014年) に急逝したのだと書かれてあった。細胞分裂には限りがあるということについて、寿命のある生命ということについて改めて考えさせられるし、そのことについてセンチメンタルなのかもしれないが茫然とするしかない。


森達也/私たちはどこから来て、どこへ行くのか (筑摩書房)
私たちはどこから来て、どこへ行くのか: 科学に「いのち」の根源を問う (単行本)

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majyo

lequiche さん 奥が深いですね
読んでもわからないところばかりですが
化学が発達すればするほど、神学はゆるぎない
この言葉に少しビビッときました。


by majyo (2015-11-18 19:13) 

ojioji

専門知識の無いぼくですが、興味深い記事に惹き込まれました。
福岡伸一博士はその著書の内容から共感することが多く、動的平衡の考えを広めた功績は大きいと思います。そこに、団まりな博士の「細胞の意思」が続くと、わくわくしてしまいます。生き物、特に小型淡水魚や熱帯魚飼育とハーブや野菜作りの経験を通じてSTAP細胞的な現象の起きうる可能性が大きいと今も思っているぼくには。根性のある細胞や組織(^O^)は存在するのだと普通に感じております。今西進化論で印象に残っている細胞の生命、組織の生命、無機物にも生命を認める考えが、後のドーキンスや団まりな博士の考えにつながっているのでしょう。脳の思考の産物だけを意思と呼ぶことが傲慢であり偏狭なのでしょう。むしろ臓器の生命や種の生命などを並列的にとらえるほうが、生きているだけで意味があるという「夜と霧」でフランクルが述べた生の哲学と合致すると思います。などと、整理できないまま恥ずかしいことを書き込んでしまいました。
ところで、団まりなさんはあの血盟団テロで犠牲になった團琢磨氏のお孫さんなのですね。従兄弟に作曲家の團伊玖磨氏。
by ojioji (2015-11-18 21:52) 

lequiche

>> majyo 様

奥が深いのは科学者の先生がたであって、
私もちんぷんかんぷんですね。
ただ欧米の科学はガリレイの頃から常に
宗教との戦いの歴史でもあるわけです。
宗教を生活の中にどのように取り込んでいくか、
ということが命題として重要なのですが、
重要であるがゆえに、異なる宗教同士だと軋轢が起こります。
つまり科学より精神性が強く顕われてしまうのが
現在のキリストvsイスラムの争いとも考えられます。
by lequiche (2015-11-19 03:37) 

lequiche

>> ojioji 様

コメントありがとうございます。
私も専門知識は全くありませんが、
この本は知識が無くてもわかりやすい内容だと思います。
生物には脳があってそこで思考して対応するのだ、
という発想に対して、そうではないかもしれない、というのは
考えてもいなかったことなので新鮮ですね。

福岡伸一は
「葉緑体の電子の動きを調べると、電子がどこにあるかわからないような
量子論的な状態を保っているのではないか、ということが
観測によってわかってきた」 と語っています。
コペンハーゲン解釈的に言えば、電子は確率的にしか存在し得ない、
あるかないかの二元論ではない、とのことです。
シュレーディンガーは 「100年前には電磁波なんて誰も知らなくて、
だからその当時の人が電磁誘導みたい現象を見たらオカルトだと思う」
と語っている。だからこれから、まだ未知のものが出てくる可能性がある
という示唆なのでしょう。
シュレーディンガーというのは 「シュレーディンガーの猫」 の人ですね。

団という苗字は、ちょっと珍しいですから、
はは〜ん、と気がついてしまいます。
このインタヴューは千葉にある彼女の研究所に出かけていって
採録されたものなのだそうですが、そうしたロケーションも全部含めて、
団まりなの人柄が滲み出ていて、インティメイトな雰囲気が快いです。
by lequiche (2015-11-19 03:40) 

リュカ

ちょっと難しそうだけど面白そうです。
調べたら図書館にある・・・
借りてみようかな。
by リュカ (2015-11-19 11:26) 

lequiche

>> リュカ様

全然むずかしくないですよ。
楽しい読み物って感じです。
お酒を飲みながら話してたりもしますし。
お時間があるようでしたら是非どうぞ。(^^)
by lequiche (2015-11-20 01:14) 

U3

「さらまわし」というブロガーが皆を欺く事を止めないので「公開質問状」を拙ブログにUPしました。
この人物がnice!を押してもお礼nice!などけして為さらないで下さい。
by U3 (2015-11-22 16:01) 

TBM

団まりなさんは、単行本のリリース時にはすでに
他界されていたのですね。
追記部分を読んで、何だか悲しい気持ちになりましたね。
by TBM (2021-01-25 22:20) 

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