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影と雨と空 ― enya《Dark Sky Island》 [音楽]

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enya and Roma Ryan

リチャード・パワーズの『オルフェオ』を読んでいて、特にシンパシィを感じたのはクララ・レストンのことだった。少女時代のクララは主人公ピーター・エルズにマーラーを教え、先鋭的な音楽感覚を持ちながら、いつの間にか羊皮紙の香りのするようなミニマルな古い音楽の中に没入してゆく。ただ、最先端の音楽と古代の音楽とは、その方向性において紙一重のような気もする (→2015年10月09日ブログ参照)。
パワーズが 「愛のパンゲア」 という形容を使ったのは、随分と皮肉な言い方で、つまり古代大陸はコンドゥクトゥスやオルガヌムより飛躍的に古い。そしてまたマーラーの歌曲の予言的な不吉さは、クララのその不幸さをも先取りしていたという意味で、あらかじめ仕掛けられていた暗示だったことを知る。

エンヤに、なぜ私は近づかなかったのだろう。たぶん大ヒットした《watermark》(1988) を聴いたとき、これはきっと皆同じだ、と直感的に思ったからなのだ。そして実際にその後のエンヤの諸作は皆同じクローンだった。深いリヴァーブと一定に保持されたリズム。世界中の残響を集めた谺の谷。
でも、ふとしたはずみで今、私は《Dark Sky Island》(2015) を聴いている。エンヤは相変わらずエンヤで、エンヤでしかない。ワンパターンで、でもそのワンパターンが心地よい。BGMとしては最も秀逸なサウンドとパターンを備えている。敵意を持たない音に心が安まる。
もし誰もが個性というDNA的なものをその作品に塗り込めようとするのならば、ワンパターンでない音楽などあるはずがない。そしてエンヤはアンビエントではない。アンビエントの無名性の叢林に潜むには個性が強過ぎる。

《watermark》が発表された頃、まだCDはイギリスプレスが無くて、だから私の持っているのはドイツプレス盤だ。時代には4ADの残滓があって、私は後追いでコクトー・ツインズの《Treasure》(1984) などを聴いていた。でもそれは孤独な誰にもつながらない音楽環境で、1988年にリアルタイムで追いついたコクトーズの《Blue Bell Knoll》(1988) はすでにグループとしての音楽の最盛期を過ぎていて、緻密さが崩壊し始めた音だった。
同じ年にデッド・カン・ダンスの《The Serpent’s Egg》(1988) がリリースされる。たぶんその当時、売れたアルバムだったのだろうが、私にとってこれは4ADのコンドゥクトゥスだった。見限る時だったのかもしれない。

たとえばペロタンと、エリック・サティと、そしてデッド・カン・ダンスは、横にどんどん増殖して流れていくことに共通点がある。デッド・カン・ダンスよりほぼ100年前に作られたサティの《1ère Gnossienne》(1890) には小節線が無い。彼は知らないふりをして、規範から逸脱しようとする。したがって何拍子かの表示もない。調性記号はある。なんとなく塊としてのリズム群でありながらも決してそれに束縛されさせまいとするサティのスタンス。かつての記譜法だったら、ひとつひとつの小節にそれぞれ何拍子かの数字を付与されながら変わっていくはずの変則なリズムは、単なる垂れ流しとなって記述される。
そのリズムの統率を拒否しただらしなさは、一種の麻薬だ。クララがノートルダム楽派にはまったことと、デッド・カン・ダンスに耽溺してしまうのはだから似ている。ただ、それは腐敗したプチ・ブルジョアジーにも似ていて、そうした理論的な限界ゆえにではなく、単に行き止まりのような閉塞感から離れたほうがいいと思う本能があった。

それに対して、エンヤは横には増殖しない。常に縦割りの一定したリズムを持ち、音は縦方向に増殖する。いつでも確固としたパルスが見える。愛のパンゲアのポジションとは無縁だ。だからわかりやすくて通俗的で感傷的で、でも退廃的でも悲観的でもなくて、だからかつての《watermark》と、最新の《Dark Sky Island》はきっと同じだ。もちろんテクニック的にはメカニックな進歩もあり、かつてよりずっと優れているのかもしれない。でもコンセプトは変わらず保守的でそして確信的だ。
冒頭の〈The Humming〉は、深く響くピアノとパッカーシヴな縦の線が幾つも幾つも重なって、昏睡するほど深いリズムの脅迫となって私の耳を打つ。聴いていてとても気持ちがよくて、何度でも聴いてしまいそうになる。こんな音にいつまでも関わり合ってはいられない、と思うのに。

 and all the light will be, will be
 and all the future prophecy
 and all the waves; the sea, the sea
 and on the road are you and me

 and all the winds are like a kiss,
 and all the years are nemesis,
 and all the moments fall in mist,
 and all is dust, remember this. (*)

ダーク・スカイ・アイランドとはフランスのコタンタン半島に近いチャネル諸島のなかのひとつ、サーク島のことを指す。英語でSark、フランス語でSercqと書き、イギリス王室属領という特殊な政治形態下にあるとのことで、小さいながら独立国的なニュアンスを持つ。島内では自動車が禁止されているため、空気が澄んでいて美しい星が見える環境を保っている。
モーリス・ルブランのリュパン・シリーズの、最も油の乗っていた時期に書かれた『三十棺桶島』(L'île aux trente cercueils, 1919) の舞台、サレク島のモデルでもあるということである。

《Dark Sky Island》のPVは自然の流れ、星や水や空気の変化の様相を表現した内容になっている。〈Echoes in Rain〉〈I Could Never Say Goodbye〉を経てアルバムタイトル曲〈Dark Sky Island〉に至るまでの求心性とそのぶ厚い音の緻密さはエンヤだけがなし得る造形だ。それは官能的というような不純な形容とは隔絶したポジションにある。
スタンダード盤の終曲である〈Diamonds on the Water〉は水の中のナイフよりも鋭利に、硬質に輝いている。


enya/Dark Sky Island (Warner Bros/Wea)
Dark Sky Island




enya/The Hummiomg
https://www.youtube.com/watch?v=FOP_PPavoLA
enya/Echoes in Rain
https://www.youtube.com/watch?v=OWFc5mkABNo

* will be, will be とか the sea, the sea という同じ言葉のエコー。その行にサンドイッチされて 「シー」 が3つ並ぶエコーもある。will be と and me でも韻を踏む。次のパラグラフはすべて 「s」 で終わり、でも mist だけこっそり t が付いている。
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末尾ルコ(アルベール)

ルブランとか、傾向は違うけれどジョルジュ・シムノンとか、ちょいちょい読みたくなります。比較的新しいミステリ系の作家では、クロード・クロッツが気に入っております。

                     RUKO


by 末尾ルコ(アルベール) (2016-02-24 01:13) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

この時期のルブランは、ミステリの設定を借りているだけで、
冒険ロマンみたいな作風だと言っていいですね。
1924年にカリオストロ伯爵夫人が出されています。
シムノンもそうですが、昔懐かしきロマンの香気があると思います。

クロード・クロッツというのは知りませんでした。
今度読んでみます。
by lequiche (2016-02-24 04:45) 

Mitch

土曜日はお疲れ様でした。
楽しい時間を共有させて頂き、ありがとうございました。
また機会があればよろしくお願いいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
by Mitch (2016-02-29 22:09) 

lequiche

>> Mitch 様

楽しい時と話題をありがとうございました。
こちらにもコメいただき感謝致します。
次の機会を楽しみに待っております。
こちらこそよろしくお願い申し上げます。
by lequiche (2016-02-29 23:31) 

るね

遅ればせながら、土曜オフ会はお疲れさまでした。
ご挨拶もできず失礼を致しました。

Enyaの”Dark Sky Island”、自分は6年ぶりのアルバムということで期待大で聴いたのですが、何となくぼんやりと感じながら言葉にもならないでいた事柄が、こちらの記事で明確に説かれているのを拝見し「あぁ!そういうことか」と腑に落ちた次第です。

次回ご一緒した際には、またよろしくお願い致します。
by るね (2016-03-02 02:36) 

lequiche

>> るね様

わざわざ当ブログにお越しいただきありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ失礼致しました。

エンヤは、上記にも書きましたように、
私はマジメなリスナーではないので、
もっと継続して深く聴いているかたからすれば、
違うんじゃないの? という見方もあると思います。
逆に私はいままであまり食欲の湧かなかった、
まだ聴いていないWartermarkとDark Skyの間をつなぐ作品を
聴いてみたいなと考えている次第です。

The Hummingにしても、あのリズムは
ズンッチャッカズンッチャッカ〜♪っていう
ダサイのかダサくないのか、ぎりぎりのところで、
それを成立させてしまっているというのがすごいと思うんです。
あと、エンヤっていうのはいわゆるプロジェクトで
3人のチームだということですよね。
そういうのも今まで知らないでいたので、
もっともソロの名義にしていても 「〜組」 みたいな
スタッフで維持している人が普通といえば普通なんですが、
でもそういういわば種明かしを知って、面白かったですね。

と、とりとめもないですが、今後もどうぞよろしくお願いします。
by lequiche (2016-03-02 04:41) 

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