SSブログ

みんながしあわせになれるマンガ —《グーグーだって猫である》のこと [コミック]

goodgood_160220b.jpg

なんとなく犬童一心の《グーグーだって猫である》をDVDで見始めてしまった。映画は2008年の作品で、最初に観たときは何となくわからない印象があって、でも吉祥寺のそこここが出て来て、それだけが心に残っているような記憶だけがあった。
今、もう一度み返してみると、わからなかったことがなんだったのかがわからないほどよくわかる。それは年齢のせいなのかもしれないし、それに映画に映し出されている吉祥寺の風景も随分変わったことに驚く。その頃あった伊勢丹はもうない。8年前なだけなのにこの懐かしさは何なのだろうか。ノスタルジアか、それともセンチメンタリズム?

主人公の小島麻子 (小泉今日子) はもちろん大島弓子がモデルである。たぶん、最初に観たとき、印象に違和感を憶えたのが小泉今日子だったのかもしれない。ん~、これでいいのかな? というような。
それが今回観てみたら見事に氷解した。あぁそういうこと! というほど強く、小泉今日子の演じる麻子にシンパシィを感じてしまう。麻子はあまりしゃべらない。でもマンガだったら麻子のモノローグが文字となって読めていたのかもしれない。そのしゃべらないのだけれど彼女の心のなかにある言葉が伝わってくる。だからそれはつまり、それだけ齢をとったということなんだって。

映画は麻子の飼い猫サバの死から始まる。サバが死んだことによる喪失感と、新しく見つけた猫のグーグー。麻子のアシスタントであるナオミ (上野樹里) と加奈子、美智子、咲江 (森三中) が皆、麻子を神のように尊敬していることが描かれてゆく。

サバはチビ猫から続く大島の、自分が人間だと思っている猫の継続であり、そのサバが死んだことはその手法の時代が終わったことを意味している。だからグーグーは普通の猫なのだ。

回想のなかでナオミは『月刊ASUKA』で〈四月怪談〉を読み感動してからマンガ家をめざし、麻子のアシスタントをすることに喜びを感じている (実際の掲載誌はASUKAではないのだけれど。だから撮影に使われているのはわざわざ作られた小島麻子名義になっている雑誌)。でも終盤、自分は麻子にはなれないと言ってニューヨークに旅立って行く。
そして麻子の幼い頃の回想には、学校前の文房具店でマンガを描くための文房具を購入し、店主から 「麻子ちゃんはどんなマンガを描きたいの?」 と聞かれて、少し逡巡したあとに 「みんながしあわせになるマンガ」 と答える、まだ少女の麻子がいる。

猫が人間よりもはやく齢をとっていくことのアナロジーとして、ウェルナー症候群を描いた〈八月に生まれる子供〉(1994) が劇中マンガとして登場する。八月という単語から連想するのはリンゼイ・アンダースンのリリアン・ギッシュ&ベティ・デイヴィスによる《八月の鯨》(1987) だ。もしかすると、つまり大島が最後のリリアン・ギッシュを知っていたのならば、老いという共通項から8月という言葉が選択されたのではないだろうか。

もうひとつ、わかりにくかったこととして、なぜところどころにポール (マーティ・フリードマン) の英語の語りのシーンがあるのかと思っていたのだが、メスの白猫を抱いていたポールが死神であり、その白猫を追いかけていたのがグーグーであるということとの関連性がよくわからなかった私の感覚が鈍かっただけなのに気がついた。つまりグーグーは沢村 (加瀬亮) の競争相手なのだ。だからタイトルが、グーグー 「だって」 猫である、なのだ。去勢手術を終えた後の、エリザベスをしたグーグーのふてくされた正面からのカットに思わず吹いてしまう。
それと夜の井の頭公園の昔からある食堂で麻子がサバ (大後寿々花) と出会うシーンも、前に観たのと違って納得できるシーンに感じられた。最も黄泉に近い状況にあるとき、その出会いがある。寒さのなかで、かすかにお湯の沸騰する音が聞こえて、石油ストーブの暖かさが伝わってくるような幻想シーンである。

吉祥寺の街中を駆け回るシーンも、《地下鉄のザジ》のパロディが一瞬入っていることがわかった (もっともザジのドタバタも、いわゆるスラプスティックの常套的パロディに過ぎないのだが)。物静かな小林亜星も 「犬童監督、やるもんだね」 と思わせる。
さくらの季節の井の頭公園やいせやの賑わいは、賑わいと同時に死の影を垣間見せ、麻子のアンニュイに見える表情はけっして憂鬱でなく、みんながしあわせになれるはずの強靱さを編み込もうとする気持ちを持続させようとする決意の静けさなのだ。
ゆるやかに流れる細野晴臣のテーマ曲に、同じようにやわらかな森高千里との《今年の夏はモア・ベター》を私は思い出す。それは夢のように見えて、夢ではないのだ。

大島弓子の作品には幾つかのターニングポイントがあって、といってもそれはあくまで私にとってのポイントなのだが、やはり最初はよくわからなかった作品がよくあって、けれどそれがいったんわかってしまうと、圧倒的な存在感となって記憶に残される。たとえば〈いちご物語〉の冒頭などは一種の言葉のリズムの魔術であって、おそろしく美しい。〈ジョカへ…〉〈さようなら女達〉も同様である。その思考のルーティンがわかれば理解はやさしい。
〈夏のおわりのト短調〉はチビ猫とそれ以後のネコシリーズが開始される前夜として、この作品が描かれていたということにおいて、いまでも強く印象となって残っている作品である。もし、しあわせというものがあるのなら、それはごく小さな淡いものでしかなくて、ごく脆くて移ろいやすい。麻子は自分のしあわせを作品のなかに描くことによって、自分のしあわせを消費させてしまっている。
みんなはしあわせだけれど、自分はそんなにしあわせじゃない、という真理は麻子のつぶやきにもあらわれている。そして人生とは少しのしあわせと大量の不幸にまみれているものだ。

goodgood_160220.jpg
goodgood_160220c.jpg


大島弓子/グーグーだって猫である (角川書店)
グーグーだって猫である コミック 全6巻完結セット




犬童一心/グーグーだって猫である・予告編
https://www.youtube.com/watch?v=iRlBIQrLtTc
nice!(68)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 68

コメント 10

saikyoueigyou

kyonkyon
レジェンドですね
by saikyoueigyou (2016-02-20 21:45) 

青山実花

私は猫を飼った事がないので、
「グーグー」の漫画での、猫の頭の良さには
驚かされました。
あのような猫を飼っている大島さんが、
ちょっと羨ましかったです。

映画の「グーグー」では、
上野樹里さんの役が好きだった記憶があります^^;
上野さんの元気溌剌で、
男性にも全力でぶつかっていく感じに
好感を持ったのだと思います。
公開されてから、もう8年になるのですね。
きっと私も、今観たら、感想も変わってくるのかもしれません。
感情を露わにしない小泉さんの役は、
今なら理解できるでしょうか^^;

by 青山実花 (2016-02-20 21:57) 

lequiche

>> saikyoueigyou 様

抑えた演技がいいです。
でもまだまだ現役でがんばって欲しいですね。
by lequiche (2016-02-20 23:48) 

lequiche

>> 青山実花様

もちろん誇張はあるのでしょうが、
ヘンなふうに頭が良いところはあると思います。

映画は小泉今日子が主演ということになっていますが、
実質的な主演は上野樹里ですね。
大島先生を読んでマンガ家になろうとする熱情が、
のだめの時と同じでパワフルですけれど、
結局実を結ばないでアメリカに行くという結末が
ちょっとほろ苦くて、愁いに満ちています。

そうそう。のだめの原作者の二ノ宮知子は、
かつて大島先生のアシをやっていたらしいです。

8年前に観たときは、
小泉今日子がなんとなく煮え切らないというか、
何だかよくわからなかったんですが、
今観ると、その言葉が無いということが
とても重要な意味を持っているように思えます。

なぜサバが大後寿々花なのかというのも
ブログ本文には書きませんでしたが、
かなり深いしかけがあると思います。

宮沢りえ版グーグーは観てないんですが、
彼女がどのように演じているのか興味があります。
でもDVDが高いんですよね〜。(-_-;)
by lequiche (2016-02-20 23:49) 

末尾ルコ(アルベール)

封切で観ました。心地よい時間でした。
わたしが高校時代、すでに大島弓子は漫画好きだけでなく、広く芸術文化好きの間で「神様」的存在でした。山岸涼子も好きでしたが、特にわたしは岡田史子のファンでした。

                     RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-02-21 00:28) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

封切! それはすごいですね。
大島先生、すでに神様だったんですか。
最も油の乗っている時期だったんでしょうね。

山岸凉子はコワイっていうか不気味なお話がありますね。
岡田史子はちょっとしか読んだことがないので
よくわかりませんが、シュールな画風だった印象があります。
by lequiche (2016-02-21 21:01) 

リュカ

小泉今日子さんのグーグーしか
私は観てないかな?
ドラマ版は観てないなー。
そっか。2008年の映画だったのですね。当時は動物映画も見ていたけど、今は号泣して目が腫れるので、すっかり観なくなりました(笑)
by リュカ (2016-02-22 12:48) 

lequiche

>> リュカ様

ドラマ版はWOWOWですが、映画とは少しストーリーが違っていて、
でも監督は同じ人みたいなんですよね〜。

あははは。号泣。(^^;)
感情移入してしまうとそうなりますね。
子役ものと動物ものは、そういうのをウリにしていることもありますし。
by lequiche (2016-02-22 14:43) 

ojioji

宮沢りえのテレビドラマのほうを一話だけ見て脱落した者です。りえさんが編集者さんと喋りながら、スコップでオシッコ玉を掘り出している場面にほっこりしました(=^・^=) 記事にあるような深いテーマに気づけませんでしたが、ゆっくり流れる時間を楽しめました。猫飼いとして、猫ドラマとして見始めてしまったので脱落しただけで、作品に罪はありません。なお、映画「レンタネコ」にも感じたことですが、猫の本来の姿が描けてなくて、猫である意味があまり無いのが残念。と云うことは、タイトル詐欺なのかも。などと無茶苦茶書いてすみません。
by ojioji (2016-02-24 08:23) 

lequiche

>> ojioji 様

そうですか。ドラマをご覧になったのですね。
ドラマと映画だとアプローチが違うのかもしれませんので、
ドラマを観ていない私は想像で言うのですが、
猫ドラマとして観たら猫ドラマではなかったというのは
ある意味本質を突いています。
それは原作のサバのシリーズを読めばもっとよくわかります。
映画のグーグーに関して言えば、これは上野樹里の主演映画なのです。
猫はそのなかでの一種の抽象というかサムネイルであり、
恋愛とか憧憬の暗喩でもあります。
by lequiche (2016-02-25 01:37) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0