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Gare de Lyon ― バルバラを聴く [音楽]

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バルバラのCDは、私にとってなぜかいつもライヴ盤のなかのバルバラであり、そして声が出にくくなった後期のバルバラであった。
それなのに、最晩年に日本でのコンサートがあったはずなのだが、行く気になれば行けたかもしれないのにそれに行けなかったのが残念というか、まだそうした音楽をよく知らなかった頃とはいえ、自分の判断力の無さに後悔するばかりである。当時のコンサート評は、声がほとんど出ない彼女の状態に対して、かなり評判が悪かったように憶えているのだが、いったいそれが何だというのだ、と今から振り返ればはっきりとそう言えるのだ。永遠に飛び去ってしまったその黒い鷲を、だから私は一度もナマで見たことはない。

以前のブログでも書いたように私にとってのバルバラはずっと《Châtelet 87》(シャトレ87) のバルバラだった (→2012年04月07日ブログ)。それ以外にも《Pantin 1981》(パンタン1981)、《Gauguin (Théâtre Mogador 1990)》(ゴーギャン)、《Châtelet 93》など、ずっとライヴ盤ばかり聴いていて、でもある日、スタジオアルバムをほとんど聴いていなかったことにふと気づいた。

4年前のブログで私は、fr.wikiには Enregistrements en public の記述が無いなどと書いていたが、その後、wikiも充実し、Discographie de Barbara が別ページになって、より詳しい記述に変わってきている。そして最近になって《L’intégrale des albums studio 1964-1996》という廉価盤を発見し、やっと en studio を聴ける機会が巡ってきた。

1964年からというのは、いわゆるフィリップス・レーベルになってからの集成であって (現在のCDに表示されているレーベルはマーキュリー/ユニヴァーサル・フランス)、初期オデオン盤の《Barbara chante Brassens》(バルバラ・シャント・ブラッサンス/1960)、《Barbara chante Jacques Brel》(バルバラ・シャント・ジャック・ブレル/1961) などは当然収録されていない。
したがって1枚目の最も古いアルバムは《Barbara chante Barbara》(1964) ということになる。2枚目は、アルバムの表示では《Nº 2》なのだが、wikiには Le mal de vivre とあってちょっととまどう。Le mal de vivre は単に1曲目のタイトルなのだが、そのあたりの表示が曖昧である。他のリスト、たとえば mcgee.de (ここの記述はかなり詳しい) では単純に《Barbara》と表示されていて、ヌメロ・ドゥの表記はない。
でもその次の《Ma plus belle histoire d’amour》(マ・プリュ・ベル・イストワール・ダムール) も、アルバムのデザインとしてのタイトルロゴは《Barbara》なのだ。つまりアルバムに固有のタイトルを付けるという概念が当時のバルバラ (とそのスタッフ) には無かったのかもしれない。だから1曲目のタイトルを仮タイトルのようにして表記してあるのだろう。
そのようにややわかりにく部分はあるが、とりあえずフィリップスのスタジオ盤を俯瞰できるのは心強い。

今、1968年あたりまで聴いてきているのだが、どのアルバムもおそろしく音がよく、静謐のなかからごくシンプルな少数の楽器を伴って、澄んだバルバラの声が立ち上がる。こうした静けさのレヴェルは、ヤマハ銀座店の階段に施されている無響室のような空気感に似ていて、そうした無音の濃密な気配はやはり初期のジョニ・ミッチェルのアルバムにも感じられるが、音楽とはまさにこのようにして無のなかから立ち上がるべきなのである。

バルバラの歌唱の特徴は 「R」 音をしっかりと発音することにあり、それは口を開けることに怠惰な昨今の流儀と異なっていて、やや古風な伝統的シャンソンの香気が感じられる。
何も無い沈黙から突然のように立ち上がるバルバラの声の透明さが、ここちよい音の波となって打ち寄せてくる。ところどころにエキセントリックな部分はあるが、晩年のライヴのような悲惨さのなかに屹立しているような音楽の表情はまだない。
《Ma plus belle histoire d’amour》の3曲目、〈La dame brune〉はムスタキとのデュオであり、ホッとするやさしさをたたえている。

とはいってもバルバラの声は、たとえばリーヌ・ルノーのような典型的で大衆的なシャンソンの響きとは一貫して無縁であることは確かだ。そうした穏やかなセーヌの流れにごく近接して身を任せるような音に近づくことはあるのかもしれない。でもそれは幻でしかない。パリの喧噪のすべてに黒の幕が下りる。グランドピアノを覆う黒くて重いカヴァーのように。
そしてこの透明な声がどのようにして変容していったのかを、これからそのあとをたどりながら確かめなければならない。


barbara L’intégrale des albums studio 1964-1996
(Universal France)
Integrale Des Albums Studio




Barbara/Göttingen
https://www.youtube.com/watch?v=s9b6E4MnCWk
Barbara/Gare de Lyon
https://www.youtube.com/watch?v=240PZokiaTg
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末尾ルコ(アルベール)

バルバラはあまり聴いたことがありません。ジョニ・ミッチェルとの比較は興味深く、ぜひ聴いてみたいです。
フランスの歌手で言えば、バルバラよりも前に生まれているシャルル・アズナブールが90歳を超えて今年日本公演というのも素敵なニュースだと、嬉しくなりました。

                     RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-03-15 08:15) 

リュカ

すごい美人!!!
どんな声なのか興味がわきました。
今は会社なので。。。音が出せないww
家に帰ったら聴いてみよう。
by リュカ (2016-03-15 10:46) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

いえ、スタジオ録音における静謐さの質が似ているので、
曲想そのものは全く違います。フォークとシャンソンですから。

アズナブールは素晴らしいですね。
TVでそのライヴの様子を観たことがあります。
私のフランス語の先生はアズナブールは通俗! モヴェ!
みたいなことを言っていましたが、通俗何が悪い? ということです。
いつまでも元気でいて欲しいと思います。
by lequiche (2016-03-15 22:14) 

lequiche

>> リュカ様

ふふふ。なるべく写りのいいのを選んでいますから。
実際はかなりエキセントリックな顔だと思います。
その瞳のあやしい輝きは、
彼女が強度の近視だからという話を聞いたことがあります。

リンクした〈ゲッティンゲン〉はドイツの町の名前ですが、
バルバラはユダヤ系で、戦時中ナチから追われたりしたこともあり、
でもそのドイツを敵視せずに書かれた曲だと聞きます。
Bien sûrで始まる歌詞がかっこいいですね。
〈ゲッティンゲン〉が書かれた頃、ドイツはまだ分断されていました。

バルバラの曲には他にもブログタイトルのリヨンとか、ナントとか、
マリエンバートとか、地名のタイトルが幾つかあります。
by lequiche (2016-03-15 22:15) 

moz

本当ですね「R」が心地よいです。
バルバラさん、聴いたことありませんでしたが、シャンソン ♪
いいな。 昔、銀座に銀パリとかがあってたまーにお酒を頂きながら良いシャンソンを聴いたのを思い出しました。
今はあまり聞く機会がなくなってしまったけれど、シャンソン、バルバラさん素敵です。
それから、無音からの立ち上がりも良くわかります。コンサートホールでとても多くの人がいるのに、みんな期待して静まり返っている時の無音の音、あの感じが好きです。その中から音たちが立ち上がってくる、その瞬間は身震いしますね ^^
by moz (2016-03-19 06:18) 

lequiche

>> moz 様

Rを抜ける音で発音するのが標準的になってきている今では、
ドイツ語のように強く発音するのは異質とも言えますが、
でもドイツ語のRとは違ってこれはまぎれもなくフランス語で、
それは初めてバルバラを聴いたときに気づいたことでした。

あぁ、銀巴里! 名前は聞いたことがありますが、
もう無くなってしまったお店ですね。
それをご存知なのは貴重です。

音響はSN比の違いが重要なのであって、
SNが良ければOKとか、暗騒音が何dB以下なら無視できるとか、
そういうことを聞きますけど私はそれは違うと思います。
ニオイを消すためにより強いニオイのものでごまかす、
というのは香水の原理ですが、SNが良ければいいというのは
この香水のシステムに近くてまやかしです。
ニオイをカヴァーするのでなく、悪いニオイを絶つのが必要なので、
音もなるべくノイズを低くおさえるのが最もピュアなはずです。
最近のデジタル録音っていうのは数値的には優れているのでしょうが、
私にはピュアじゃない部分がときとしてあるように感じられます。
つまり数値的に優れたスピーカーシステムが
必ずしも良い音とは限らないというのと同じです。

コンサートホールで、なるべく音を出すまいとする聴衆の努力というのは
音楽に期待する沈黙だけではなくてプラスアルファがあると思います。
それは数値にならない何かですね。

それとコンサートでコントラバスの音が響くとき、
これが本当の低音なのだと思います。
どんなに良いオーディオでも
このコントラバスの合奏の音を再現することはできません。
デジタル的に作られたルーム感はどこまでもシュミレートされた音で
現実のホールに響く音にはかなわないです。
沈黙の深さと同様に、
おそらく現在の機器の数値に現れてこないなにかがあるんだと思います。
by lequiche (2016-03-19 17:19) 

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