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ショスタコーヴィチの協奏曲を聴く ―《The Art of MIDORI》 [音楽]

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五嶋みどりのソニー盤ボックスセット《The Art of MIDORI》が最近発売された。ランダムに聴いているのだが、その中にショスタコーヴィチの協奏曲第1番があった。
ボックスという形態はつまり廉価盤という意味なので、比較的初期の録音を集めた内容であるが、あまりまともに五嶋みどりを聴いていないので、とりあえずこれは便利なのでは、と思ったからである。ジャケットを見ると 「五嶋みどり」 ではなく 「MIDORI」 が現在の彼女の表記なのだということを知った。

1枚目はパガニーニの《24のカプリース》で、録音年は1988年と記されている。五嶋みどりは1971年生まれだから、当時17歳だ。《カプリース》は難曲であり、それをこれだけ弾けるのは才能なのだけれど、私はもともとパガニーニのこうしたテクニックだけの曲があまり好きではない。バッハやバルトークの無伴奏と較べるのはフェアではないかもしれないが、音楽的な内容に乏しいし、どうしてもテクニックを追って聴くことに興味がいってしまいがちだからである。
むしろ《チェントーネ・ディ・ソナタ》のような、もっと穏やかな表情を見せるパガニーニのほうに真の音楽性を感じる。

もうひとつ、五嶋みどりを聴き出したきっかけは、この前コパチンスカヤのチャイコフスキーの協奏曲を聴いていて、こういう奔放なスタイルはそれはそれで良いとしても、もっと正統的な演奏だとどういうふうに聞こえるのかという比較対象のサンプルになるのではないかと思ったからである。このセットの6枚目にチャイコフスキーが入っている。

ところが聴いてみたら、これは私の素朴な感想に過ぎないのだけれど、正直いってあまり感じる部分がなかった。もちろん、端正ですでに大家の片鱗を見せているし、どこにも破綻している個所はないのだが、面白くないのである。面白いという表現とその基準がどこにあるかというとはなはだ曖昧なのだが、そしてコパチンスカヤという超個性的な演奏と較べればどうしたって面白くないのかもしれないが、でもそういうニュアンスとはちょっと違って、抽象的な表現になってしまうのだが、あまりチャイコフスキーが見えて (というか聞こえて) 来ないのである。
ところが同じディスクに入っているもう1曲、ショスタコーヴィチの協奏曲第1番はとても素晴らしく、リピートして聴いてしまった。これは10枚目のメンデルスゾーンとブルッフの第1番にも言えて、ブルッフは素晴らしいのだけれど、メンデルスゾーンはイマイチなのである。
チャイコフスキーやメンデルスゾーンは有名曲だから無い物ねだりになってしまい、評価が厳しくなってしまうのだろうか。でもそれとも違うような気がする。これらはもう少し聴きこんでみないとわからないかもしれない。

さて、ショスタコーヴィチのこと。
ショスタコーヴィチは、バルトークやメシアンなどと並んで悲劇的な作曲家として見られるようになっているが、その社会的な地位や経済的な裕福さでは他の2人よりもずっと恵まれていたはずなのだけれど、それゆえに悲劇的なストレスと芸術に対する葛藤も大きかったのではないかと思われる。
ショスタコーヴィチの悲劇はジダーノフ批判 (1948年2月) によって語られることが多い。ジダーノフ批判とは当時のソヴィエト連邦政府による芸術批判であり、アヴァンギャルドであったり難解であったりする芸術は反社会主義的であるとする弾圧のことを指す。だがその趣旨は表向きであり、実際には政府にとって気に入らない芸術家、そのひとりとしてのショスタコーヴィチを糾弾し、できれば粛清しようとする暗い意思である。その元凶はスターリンであった。
ジダーノフはその弾圧運動を提唱した人物として歴史に名を残しており、ジダーノフ批判による抑圧状態は1953年のスターリンの死後には衰えながらも1958年まで一応続いたのだが、ジダーノフ自身は抑圧が始まってから6カ月後に急死している。こうした謎のような急死が恐怖政治下ではよくあることであるのもまた事実である。

ジダーノフ批判をかわすために、ショスタコーヴィチは 「私は難解ではありませんよ〜。わかりやすくて易しい。これホント」 みたいな態度表明をしなければならなくなり、そうした政府に迎合するため、《森の歌》などの、わかりやすくて時の政治家を賛美するような内容の作品を書いた。
そのため、亡命作家などの反ソ連の人々から 「御用作曲家」 と言って批判されたのである。

ショスタコーヴィチの協奏曲第1番は、ジダーノフ批判が出る直前、1947年から48年にかけて作曲された。しかしそれは当時のソ連 (の政治中枢の政治家たち) から、アヴァンギャルドで難解であるとする批判の矛先になるのが自明な作品であったので、ショスタコーヴィチはこれを封印する。それが発表されたのはスターリンの死後、2年を経た1955年であった。

曲は4つの楽章からできている。Nocturne, Scherzo, Passacaglia, Burlesque. 通常の協奏曲に用いられる表題ではない。緩-急-緩-急という構成となっている。使用楽器にはトランペットとトロンボーンが欠けている。バッハのカンタータ18番《天より雨くだり雪おちて》ではヴァイオリンが欠けているが、こうした主要楽器の欠落は曲の雰囲気に暗い影をもたらす。

ノクチュルヌの暗く立ち昇るような美しい旋律線が、晦渋で難解ととられるような音楽を正確に明快に描く。スケルツォになった途端、悪魔のうすら笑いのような有名な主題が通り過ぎる。そしてバッハ的に延々と繰り返しながら次第に変容するパッサカリア。再び、速くて刺激的な音の連鎖の続くブルレスク。
五嶋みどりはこの曲の道筋を冷静にトレースしてゆく。光があたるとぎらっと光ったり、急に溶暗のなかに沈み込んだりするような不定形な存在としての音。それはショスタコーヴィチの暗い情熱であり、政府への御愛想笑いを貼り付けた仮面の下にある悲哀である。
ショスタコーヴィチの闇の持続力は決して弱音を吐かない。その音に、たとえばこのヴァイオリン協奏曲第1番や、幾つもの弦楽四重奏曲の、フラクタルな緻密性という形容矛盾のような旋律と和声のなかに、そして五嶋みどりの音を通じてショスタコーヴィチの声を聞いたような気がする。


The Art of MIDORI (Sony Classical)
Various: the Art of Midori




MIDORI/Tchaikovsky&Shostakovich (SMJ)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番/他




Midori/Tchaikovsky: Violin Concerto (3rd mov.)
Claus Peter Flor, NHK Symphony Orchestra,
NHK Hall 2002.06.24.
https://www.youtube.com/watch?v=o_XGOvOvvAc
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コメント 17

moz

ヴァイオリンコンチェルトは有名どころしか、チャイコとかブラームスとかベートーベンとか etc etc・・・くらいしか聴いていません。五嶋さんは一度も聴いていないかも? ^^;
ボックスが出ていたのはHMV をネットで見て知っていましたが、面白そうですね。買ってみようかな?
ショスタコやブルッフが良くてチャイコとメンコンは? ということは、五嶋さんに合っている曲とそうでない曲とかがありそうで、これもボックスを聴くのに面白そうですね。
見た目だと感情的というよりは冷静に理知的に? そんな感じもする五嶋さんです。まとめて聴くのも良いかもしれませんね。
ご紹介ありがとうございます ^^
by moz (2016-03-09 06:49) 

lequiche

>> moz 様

普通はどうしても聴きやすい曲にいってしまいますよね。
このボックスにもそういう有名曲が入っていますが、
なぜかベートーヴェンのコンチェルトだけ無いです。

ざっとリストを見ただけなんですが
ヴィエニャフスキやヒンデミットまであるのに、
ベトだけ録音されていません。これはちょっと謎です。
コンサートでは弾いているみたいなんですが。

それと、以前プロコのコンチェルトを弾いているのを
TVで観たことがあるんですが、
それはかなり必死な感じに見えました。
あとでオイストラフで復習したんですけど、
オイストラフは余裕あり過ぎで、なんか違うよなぁという感じ。
でもその日の体調とか、作曲者の好き嫌いとかありますから
なんとも言えませんね。

理知的かといわれるとそうでもないし、
入り込むとすごいという面はあるように思います。
これは私の素朴な感想に過ぎませんし、
そんなことないと言われるみどりファンもいると思います。

尚、私の最も偏愛するヴァイオリンコンチェルトは
以前のブログにも書いていますけど、ヴュータンです。
by lequiche (2016-03-09 22:38) 

末尾ルコ(アルベール)

ショスタコーヴィチは大好きだし、五嶋みどりもちょいちょい聴いていますが、このお記事を拝読し、また新たに聴く楽しみが倍加間違いなしです。
ありがとうございます。

                 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-03-09 22:41) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ルコさんは何でもご存知ですね〜。すごいです。
ショスタコ、最初はよくわからなかった作曲家です。
でも、ある時点で急にわかり始めるということがよくあるように思います。
五嶋みどりはもう少し聴いてみないとよくわからないですが、
世評と私の感想はやや異なるような感じがしてます。
by lequiche (2016-03-09 23:06) 

ぼんぼちぼちぼち

バイオリン、小学校の時に習っていたのでやすが、実力がなくてぜんぜん上達せずに辞めてしまいやした。
だからというのもあって、クラシックに精通しているかたって尊敬しやす。

あ、それから、あっしの一つ前の記事「市民会館第二集会室」にlequiche さんがくださったコメントへのお返事のあて名、間違って別のブロガーさんのお名前を入力してしまってやした。
教えてくださったかたがいて 訂正しやした。
失礼しやした・ぺこりっ
by ぼんぼちぼちぼち (2016-03-10 20:24) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

おおっ、ヴァイオリンを習われていたんですか。
なんか雰囲気ありますね。再びトライするというのはどぉですか?
オフ会のサプライズでヴァイオリン演奏とか。(^^)

私のクラシックの知識はまだ初心者レヴェルです。
もう少し体系的に聴いていかないといけないと思っているのですが、
ともかく数多く聴くというのが今のところ目標ですね。

コメのレス、お気遣いいただきありがとうございました。
えぇと、でもそれ、気づいていませんでした。(^^;)
前後関係でわかりますからわざわざ直していただかなくてもOKです。

私はお得意様の名前を間違えたままでずっとメール出してたり、
作った名刺の英語部分の綴りが間違っていたり、とか
メチャメチャ恥ずかしいことやってますので、コメなんかなんでもないです。
この前もなんか間違えたことコメしましたが、直してないです。
というか何が間違いだったか忘れてしまいました。(爆)

ブログ本文も間違いが多く、後から後からどんどん直してますので、
読む時間によって内容が微妙に違ってるはずです。
1カ月くらい経ってから直してたりもしますので。(コラコラ ^^;)
by lequiche (2016-03-11 01:17) 

サンフランシスコ人

五嶋みどりがサンフランシスコ交響楽団と共演した時に、本拠地のデービス・シンフォニーホールに行きました......マイケル・ティルソン=トーマス指揮でブルッフの第1番
by サンフランシスコ人 (2016-03-11 08:31) 

リュカ

最近音楽を聴く時間すらとってないなあ~~~って記事を読んで思いました。
せめてlequicheさんがリンクしてくれてる音楽は聞くぞ(笑)
by リュカ (2016-03-11 14:48) 

lequiche

>> サンフランシスコ人様

そうですか。
いろいろと、たくさん聴かれていますね。
この前も書きましたけど、是非ご自分のブログを開設されて
そちらの音楽事情を発信されるようお願い致します。
by lequiche (2016-03-11 15:46) 

lequiche

>> リュカ様

わざわざコメありがとうございます。
音楽も含む芸術全般は、やはり心に余裕がないと入れませんよね。

今はきっとお忙しいんじゃないかと思いまして、
リュカさんのブログにくだらないコメ書いたりしたら
ご負担じゃないかと遠慮してました。
実は今、私も結構大変なことが重なっていて、
音楽なんか聴いているときじゃないだろ! って部分はあります。
意地でやってる傾向がありますね。
こうした拠り所が無くなったら何にもないじゃん!
みたいなことです。イヤハヤ。(^^)
by lequiche (2016-03-11 15:46) 

サンフランシスコ人

現在、五嶋みどりはUSC(ロサンゼルスにある大学)の教授です..

https://music.usc.edu/midori-goto/
by サンフランシスコ人 (2016-03-12 03:20) 

ponnta1351

音楽を聴くのは好きですが、クラシックは苦手です。嫌いじゃないですよ。
22日は上野の文化会館にジプシーバイオリンのロビーラカトシュを聴きに行きます。前にも聴きに行った事があり、超絶技巧のバイオリンです。
先日は6月に有楽町朝日ホールでネストル・マルコーニと三浦一馬のタンゴコンサートのチケットをゲットしました。

日曜日の「題名のない音楽会」に五嶋龍クンが司会していますね。みどりさんの異父弟の龍クン立派になりましたね。

 音楽はジャンルを問わず好きです。
by ponnta1351 (2016-03-12 14:15) 

lequiche

>> サンフランシスコ人様

芸歴が長いですからね。(^^)
by lequiche (2016-03-13 01:31) 

lequiche

>> ponnta1351 様

ラカトシュはもともとはクラシック・ヴァイオリンを学んでいますね。
ロマ系の音楽はバルトークの生まれたハンガリーの音楽ですが、
チャルダーシュなんかでもそうですけれど独特のアクがあって
それがなかなかいいと思います。
先日の記事に書いたコパチンスカヤなんかもそういう傾向がありますし。
そしてタンゴも! ますます熱心に聴かれてますね。

五嶋龍クンも、もうクンじゃなくてサンと敬称を付けたほうが
似合うようになってしまいました。
お2人とも揃って素晴らしい才能でそれが継続しているのがすごいです。
by lequiche (2016-03-13 01:31) 

サンフランシスコ人

来月、サンフランシスコの近くで五嶋みどりの演奏会...

https://live.stanford.edu/calendar/april-2016/midori
by サンフランシスコ人 (2016-03-16 08:08) 

サンフランシスコ人

五嶋みどりはハワイ州ホノルルに行きます......

http://www.broadwayworld.com/hawaii/article/Midori-Selects-Hawaii-Symphony-Orchestra-for-2016-Orchestral-Residency-Program-20160328
by サンフランシスコ人 (2016-03-30 02:06) 

サンフランシスコ人

「サンフランシスコの近くで五嶋みどりの演奏会...」

http://www.stanforddaily.com/2016/04/27/midori-enough-said/

"....brought the crowd to its feet for yet another standing ovation..."
by サンフランシスコ人 (2016-04-28 03:28) 

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