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池澤春菜の3つのアイテム [本]

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池澤春菜の『SFのSは、ステキのS』を読む。
144ページという薄めな本なのだが、そのうち本文は105ページで、後注が38ページもあるってどぉよ?(しょーがないなぁ)

それと連載されているときはあまり気にしていなかったのだけれど、このタイトルの付け方は新古今和歌集かっ! ってことです (そもそもこんなタイトル付いていたっけ?)。つまりSF小説のパロディなんだけれど、よくわからなかったりするものもあります。
「勇ましいチビのSF者現る」 とか 「ボーカロイドは音楽の神の夢を見るか」 くらいならたぶん誰でもわかるけど (ちなみに元となるタイトルはトマス・M・ディッシュ 「いさましいちびのトースター」、フィリップ・K・ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 です)、「あるいは萌えでいっぱいの世界」 だと難易度高いような気がする (元タイトルはエイヴラム・デイヴィッドスン 「あるいは牡蠣でいっぱいの海」。しかもこれ、その後邦題を改変してしまった本が存在します)。

まぁこれも池澤春菜のSF好きがモロ出ているということなんでしょうが、鉄オタとかアニメオタはかなり一般的になってきてるのに対して、SFを語る女性はまだまだ少ない。SFを書く作家はいっぱいいるのに。
池澤春菜はケロロ軍曹とかマリみてなど、声優がそのメインなんだと思うんだけど、川上未映子なんかと同じでマルチな方向性を感じます。声優とSFとMac (ハンバーガーではありませぬ) が3大アイテムなのかもしれない。レイヤーっぽい面もあるしCDも出していて、やりたい放題。エミリーテンプルキュートやジェーンマープルが好きとも書いてある。

池澤春菜はSFに限らず、子どもの頃から重度の読書マニアだったとのこと。母親が本を読み過ぎると小学校の先生に相談したというエピソードがあるが、そもそも読書なんていうのは悪徳のひとつであって、母親の気持ちはよくわかる。私も子どもの頃、読書という禁断の悪に染まっていたほうだから。
私の祖母は昔気質の人だったので、私が小学生の頃、知り合いのおばさんなどに私のことを 「本ばっかり読んで勉強しないんですよ~」 と、よく言って嘆いていた。祖母の頭のなかでは、読書と勉強とは全く正反対のことであって、本ばかり読んでるようなヤツはロクなもんじゃないという価値基準があったわけです。それはまさにその通りなんでしたが。
教科書も非教科書もどっちも同じ本じゃん、というのは詭弁であって、それを読んでいるとき楽しいか苦しいかによって厳然と区別できます。現代の状況に換言すれば、PCの画面見てれば仕事しているように見えると思いこんでいるかもしれないけど、仕事用の画面を見てるときとそうじゃない画面を仕事のふりして見ているときとでは表情が違うはずなんです。ふふふ。

読んでいて一番納得したのは本の量のこととか、他人の書棚が気になるとかいうところで、そもそも彼女はもともと家に大量の父親の蔵書があったわけで、そこがスタート地点になっているからかなりアドヴァンテージがあって、ズルイっていえばズルイ。でも幾ら蔵書があったって、その夜の大海のなかからチョイスする眼力がなければなんにもなりませんから、すべては本人のこころがけ次第とも言える。

引っ越し屋さんが書棚を見て暗澹たる表情になったという話も笑えます。本というのは少ない数だったら紙ですが、実は組成的にはもはや石なので、悪の根源の要素のひとつとして数えられる。それは大量になったときに初めて認識できることだから。
それと本の収納に関する話題で、「限られたスペースにいかに大量の本を美しく、取りやすく収めるか」 と書いていますが、これも大変納得。ウチの場合、取りやすくというのがおろそかになっているので反省することしきりです。池澤によれば、本は横にして積んではいけないとのこと。横にした途端、本は死にます、と書いてる。つまり出しにくくなってしまうから。これはとても納得できるけど、でも横積みにしたほうが大量に入るということもあるので悩むところです。私の場合、縦に並んだ本の上の空間がもったいないので、その部分に本を横にして何冊か積む。確かに、とりにくくはなるんだけれど、でも少しでも書棚のスペースをかせがないとね。
理想としては本がいくらでもおけるような広大な空間があればいいんだけど、実際にはそんなことは無理ですし (京極夏彦先生の書斎の写真見ましたけど、すごかったなぁ)。

一応wiki的説明を付け加えておくと池澤春菜の父親は池澤夏樹で (金原ひとみ―金原瑞人という関係性に似ている)、ですから彼女の祖父は福永武彦ということになります。3代目ということ。もっとも幸田露伴―幸田文―青木玉―青木奈緒という系譜もあります。そういうふうに連綿と継続できる家系っていうのも一種のパワーというか、血のなせる技なのかもしれない。
もっとも最近はどんなジャンルでも世襲って多いようにも思えます。


池澤春菜/SFのSは、ステキのS (早川書房)
SFのSは、ステキのS




池澤春菜/夜想サァカス
http://www.nicovideo.jp/watch/1274840058
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末尾ルコ(アルベール)

> 私も子どもの頃、読書という禁断の悪に染まっていたほうだか  ら。

わ、わたしも同じ悪に・・・(笑)。しかも現在、何十度目かの悪の大波に(笑 笑)。
池澤夏樹はもちろんかなり読んでいますが、娘さんのことは知りませんでした。しかもSF。暑い日々に好適な作品のような。
本の置き場は永遠の悩みで、わたしの場合は「めちゃめちゃ」と呼ぶのが相応しいかもです。本の山脈を探索していると、(うわっ!こんな本、買ってたんだ!)と嬉しい驚きもしばしば。紙の本はいいですね!(笑)     RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-07-27 12:56) 

Enrique

確かに読み物は娯楽でしたね。
スマホもゲームも無いですから。
by Enrique (2016-07-27 21:19) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ご賛同ありがとうございます。
美徳は不幸となり、悪徳こそ栄えるのです。

春菜さんは今のところまだSF小説を書くわけではないですが、
SFに関してはフリークでありマニアックなようです。

そんなに多くの本があるわけではありませんが、
あまり整理をし過ぎると、かつての場所から移動することにより、
かえって居所がわからなくなってしまったりして、
むずかしいです。
新しい発見 (?) があるのはいいですね。(^^)
もちろん実体のある本こそがフェティシズムの対象となります。
by lequiche (2016-07-28 04:40) 

lequiche

>> Enrique 様

なるほど。娯楽! まさにそうですね。
本を読むということはそんなに高尚なことではなくて、
もっとなにかこう、ヤマシイことです。
あ、それって私だけかも?(^^;)
by lequiche (2016-07-28 04:41) 

うりくま

学生の頃、「本を読みなさい」という大人に対して
そんなこと言っていいのかなあと思っていました。
親が本棚の奥に隠していた本を読み漁り、親には
見せられないような本を買って読んでいたので。。
読む本の内容にもよりますが、自分も楽しい悪徳(?)
に傾く場合が多いような気がしていました。
考え方や感じ方の多様性を知るには良いですけどね~
by うりくま (2018-01-30 00:15) 

lequiche

>> うりくま様

こんな以前の記事にコメントありがとうございます。
その通り! 読書というのは悪徳です。
でも悪徳は栄えるのです。サドのタイトルじゃないけど。(^^;)

親が隠していた本とか親に見せられない本って何ですか?
やっぱり性的な内容なのでしょうか。
これは私の美学なのかもしれませんが、
ハウツーものばかり読んでる人って恥ずかしくないのかな、
と思ってしまいます。

尚、ひとつタネアカシをしますけど、
上記記事本文の中で

>> その夜の大海のなかからチョイスする眼力がなければ

とありますが、「夜の大海のなか」 という言葉は
グレゴリイ・ベンフォードというSF作家に
『夜の大海のなかで』という作品があるのですが、
SF好きな池澤春菜の話題なので、
イタズラでちらっと入れてみました。
by lequiche (2018-01-30 02:52) 

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